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第4話 バハムート



フレイヤたちは、再び海沿いの道をのんびりと歩いていた。太陽が高く昇り、青空が広がる穏やかな日だった。海からの涼しい風が彼女たちの頬を撫で、どこまでも続く水平線が一行の前に広がっている。フレイヤは、心地よい風を感じながら「今日も平和だわ」と、どこかぼんやりした表情で呟いた。


「主様、この辺りも静かですね。何事もなくこのまま目的地に着けば良いのですが…」ティアマトは慎重な表情で周囲を見渡しながら言った。


「心配しすぎだ、ティアマト。何も起こらんさ。」フェンリルは軽い口調で応じ、海風に向かって鼻を鳴らした。


だが、その穏やかな空気は突如として崩れ去った。海面が突然、揺れ始めたのだ。最初は小さな波だったが、次第にその波は高くなり、まるで何かが海の中から押し上げられているかのように、海面が急激に盛り上がっていく。


「…何かが来る。」フェンリルは低く唸り声を上げ、前方に目を凝らした。


ティアマトもその異変に気づき、険しい顔つきで立ち止まった。「これは…ただごとではないわ。」


フレイヤも、ただ事ではない異変を感じ取り、足を止めて海に目を向けた。彼女の目の前で、海の一部が異常に盛り上がっていき、まるで巨大な山が海底から現れるかのように隆起していくのだ。波がその巨大な存在に吸い寄せられるかのように、周囲の水が激しく渦巻き始めた。


「えっ、これって何…?」フレイヤはその光景に目を見張りながら呟いた。


海から姿を現したその存在は、圧倒的だった。まるで海そのものが具現化したかのような巨大さと力強さを持つその姿は、バハムートであった。彼の体は深い黒と青の光沢を帯びており、海面と一体化しているかのように、波と調和している。その体はまるで海自体が形を成したかのように巨大で、どこまでも続いているように見えた。


バハムートの頭部は、まるで巨大な魚や鯨を彷彿とさせる形をしていたが、その目は深海の闇を思わせる青と黒の光を放っていた。彼の目は、無限の知恵と冷静さを感じさせるもので、その瞳に見つめられるだけで、相手は圧倒されてしまいそうな威圧感を持っていた。まるで深海の底からすべてを見透かしているかのようなその目に、フレイヤは一瞬、言葉を失った。


「これが…バハムート?」フェンリルは目を見開き、その巨大な姿を凝視していた。


ティアマトもまた、その存在感に圧倒され、ただ見つめるしかなかった。「何という…力強さ…」


バハムートの鱗は、光が当たるたびに虹色の光彩を放ち、まるで夜空に浮かぶ星々が彼の体に映し出されているかのように輝いていた。その鰭は巨大で、動くたびに海全体が震えるほどの力を持っていることが感じられた。彼の体全体に刻まれた古代の符号は、まるで彼がただの生き物ではなく、神話に登場する伝説的な存在であることを示していた。


彼の口元には鋭い牙が並んでおり、その一つ一つがまるで海底を切り裂くかのように鋭利であった。彼が一度でもその口を開けば、深海の沈黙を破る恐ろしい咆哮が響き渡りそうな圧力があった。


「こんな大きさ…見たことない。」フレイヤはその姿に驚きつつも、冷静さを保とうとしていたが、その圧倒的な威厳に言葉を失っていた。


バハムートの体は、まるで海と一体化しているように、周囲の水を支配していた。彼が現れるたびに、波は激しく打ち寄せ、まるで彼自身が海を支配しているかのような錯覚を与える。


「これは…敵ではなさそうだが…どうすれば?」ティアマトはフレイヤに問いかけるが、フレイヤはまだその巨大な存在に思考を巡らせている最中だった。


バハムートはその巨大な体をゆっくりと動かし、海面からさらにその体を現していく。彼の背中にはまるで山脈のような隆起があり、それが彼の力強さと、世界を支える神々しい存在であることを象徴していた。その動きは緩やかでありながらも、圧倒的な威圧感があり、彼の一挙一動が海全体を揺り動かしているかのようだった。


そして、バハムートはその巨大な体を徐々に霧のように消し去っていった。まるでその姿が幻だったかのように、巨大な影が消え始め、次第に青年の姿が浮かび上がっていく。その変化は瞬く間に起こり、フレイヤたちが驚く間もなく、バハムートの姿は完全に消え去り、屈強ながらも穏やかな表情をした青年の姿が現れた。


「…え?」フレイヤは戸惑いを隠せず、その青年を見つめたままだった。


バハムートの青年姿は、夜の海を思わせる黒い髪と深海のような青い瞳を持っていた。彼の表情は穏やかでありながら、その奥には圧倒的な知恵と威厳が宿っている。彼の髪は肩まで届き、風に揺れながら青い光沢を放っている。その姿は、まさに神話の中から現れたような威厳と美しさを兼ね備えていた。


フレイヤたちは、バハムートの変化を前に言葉を失い、ただその存在感に圧倒されていた。


バハムートの巨大な姿が徐々に霧のように薄れ、その圧倒的な存在感が次第に消えていった。まるで海の一部が形を変えていくかのように、彼の体は次第に海霧へと溶け込んでいく。そして、その巨大な影が完全に消えると、そこには一人の青年が立っていた。


「……え?」フレイヤはその突然の変化に驚き、目を見開いた。


青年の姿はまるで彫刻のように完璧に整っていた。高い頬骨、鋭い目つき、そして冷静さが漂う表情。その瞳は深海を思わせる青と黒が混じり合った色で、その奥に無限の知恵と冷静さを宿していた。まるで深淵そのものを見つめているかのようなその瞳に、一瞬フレイヤは圧倒されそうになった。


青年の黒髪は、海の夜を映すように黒く、ところどころに青い光沢を帯びており、風に吹かれるたびにまるで波が揺れるように輝いていた。肩まで届くその髪は、柔らかく揺れ、彼の冷静な表情と相まって神秘的な雰囲気を醸し出していた。


彼の体は筋肉質で引き締まっており、その堂々とした姿勢からは圧倒的な力を感じさせた。だが、彼の動きには無駄がなく、しなやかさも兼ね備えていることが一目で分かる。まるで力強さと優雅さを同時に体現したような存在だった。


彼の衣装は、深い青と黒を基調にしたローブで、その布地には海の波を象徴する模様があしらわれていた。袖口や裾には銀糸で織り込まれた波の模様が施されており、そのデザインはまるで海そのものを彼が纏っているかのようだった。衣装の揺れ方さえ、波のように柔らかで静かな動きを見せていた。


「これが…バハムートの人間の姿?」フレイヤは驚きながらも、その青年の整った顔立ちを見つめていた。


青年、バハムートはフレイヤの前に静かに歩み寄ると、すっと膝をつき、頭を垂れた。その動作には一切の無駄がなく、非常に洗練されたもので、どこか儀式的な厳粛さが漂っていた。


「世界を支えしお方よ…」バハムートは深い声で言った。その声はまるで海の底から響くような低音で、どこか神秘的な力を感じさせた。「あなたを主として仕えたい。」


その言葉に、フレイヤは一瞬戸惑った。彼女は自分がそのような大それた存在であるという自覚が全くなかったからだ。「世界を支える…?私が?」と、驚きと困惑が入り混じった声を漏らした。


バハムートはフレイヤを真っすぐ見つめ、その瞳の奥に誠実さを込めて静かに言った。「はい。あなたは、この世界を支える存在です。私の力は全て、あなたに捧げます。」


その言葉に、フレイヤはしばし考え込んだ。「私、そんな覚えないけどなぁ…」


彼女は少し困惑しながらも、バハムートの真摯な眼差しに引き込まれるように、その言葉を受け入れることにした。彼の瞳に宿る忠誠心と深い敬意が、彼の言葉に一切の嘘偽りがないことを証明していたからだ。


「まぁ、仲間が増えるのは悪いことじゃないし…困ったときに助けてくれるなら、それでいいわね。」フレイヤは肩をすくめて軽く笑った。


バハムートは再び静かに頷き、膝をついたまま頭を深く下げた。その姿は威厳に満ち、周囲には静かな威圧感が漂っていた。しかしフレイヤにとっては、その威厳や壮大さはあまり気にならず、彼がこれから役に立つかどうかだけが重要だった。


「じゃあ、よろしくね。これから一緒に旅をしましょう!」フレイヤは微笑んで、バハムートに手を差し出した。


バハムートはその言葉に再び静かに頷き、フレイヤの手を取って立ち上がった。その立ち姿はまさに神話に登場する英雄のようで、その場にいた全員が彼の存在感に圧倒された。


ティアマトはその光景を冷静に見つめていたが、内心ではバハムートの強大な力を感じ取っていた。「これほどの存在が仲間になるとは…。さすが主様だわ。」ティアマトは心の中でそう思いながらも、表情はいつもの冷静なものを保っていた。


フェンリルもまた、バハムートの姿を見て一言も発せずにいたが、その目には警戒と敬意が混ざったような光が宿っていた。「強大な力を持つ者同士、油断はできんが…悪くはないな。」


こうして、バハムートはフレイヤたちの仲間に加わった。


フレイヤはバハムートの姿をじっと見つめ、そして少し首をかしげた。彼の存在感はあまりにも圧倒的で、まるでその場にいるだけで神々しさが漏れ出していた。


「ねえ、バハムート。神のオーラがだだ漏れなんだけど、それどうにかならないの?」フレイヤは少し困ったような顔をして尋ねた。「もっと普通の人間っぽくできない?」


バハムートはフレイヤの言葉を受けて、一瞬だけ驚いた様子を見せたが、すぐに神妙な顔つきになり、軽く頭を下げた。「御意。造作もないことです。」


彼は一度静かに目を閉じ、深く息を吸い込むと、徐々にその圧倒的なオーラが薄れていった。まるで神の力そのものが消えていくように、バハムートの体から神々しい雰囲気が失われ、普通の人間のような姿へと変わっていく。その変化は驚くほど自然で、威圧的な存在感が和らぎ、穏やかな青年に見えるようになった。


フレイヤはその変化を見て、驚きの声を漏らした。「わあ、本当に普通の人間っぽくなった!すごいじゃない!」


バハムートの黒く光る髪も控えめな輝きを放つだけになり、まるで普通の人間の髪のように落ち着いて見えた。目の奥に潜んでいた神秘的な光も今は静かに和らぎ、威圧感は消え、親しみやすい青年としての雰囲気を醸し出していた。全体的に柔らかい印象に変わったその姿を見て、フレイヤは満足そうに頷いた。


「どうでしょうか、主様。これでご要望にお応えできましたか?」バハムートは以前とは違い、少し柔らかい口調でフレイヤに問いかけた。


「うん、いい感じ!これなら目立たなくて済むわね。旅をしている時に神々しさが漏れてたら、いろいろと面倒だもの。」フレイヤは満足げに頷き、さらに彼をじっくりと見た。


ティアマトはその様子を横目で見ながら、内心で軽く微笑んだ。「確かに、このままだとどこに行っても注目を集めることになって、主様も困るだろうしね。」


フェンリルも鼻を鳴らして同意した。「ああ、これでようやくまともに旅ができる。さっきまでのオーラだだ漏れじゃ、村に入る前に一悶着起きるところだったな。」


バハムートは再びフレイヤに向き直り、軽く頭を下げた。「これからはこの姿でお供いたします。どうぞよろしくお願いいたします。」


その時、フレイヤはふと思いついたように、バハムートをじっと見つめた。「でも、ねえ。『バハムート』って名前、ちょっと長くて堅苦しくない?」


バハムートはその言葉に少し首をかしげた。「長すぎますでしょうか?」


「うん、ちょっとね。もっと親しみやすい感じの名前にしようよ。旅の仲間だから、もっと呼びやすい方がいいよ!」フレイヤはニヤリと笑みを浮かべて考え始めた。


「バハちゃん?むーちゃん?……いや、ハムちゃんでいいや!」フレイヤは突然名案が浮かんだかのように言った。


「……ハムちゃん?」バハムートは少し驚いた様子でその言葉を繰り返した。


フェンリルはそのやり取りを聞いて、呆れたように鼻を鳴らした。「魚なのに『ハム』なのか?」


「別にいいじゃない、可愛いし!」フレイヤは無邪気に笑いながら、まったく気にしていない様子で答えた。


バハムートはそのやり取りを見つめ、少しの間考えた後、静かに頷いた。「主のお望みの通り、『ハムちゃん』という名を受け入れましょう。」


ティアマトはその名付けを見て、内心でほっと胸を撫でおろした。「自分に変な名前がつけられなくて良かった……」と、少し安心した表情でそっとため息をついた。


こうして、バハムートは「ハムちゃん」として正式にフレイヤの仲間に加わった。彼の圧倒的な力と冷静さはそのままだが、親しみやすい「ハムちゃん」という名前によって、フレイヤたちの旅はさらに賑やかで楽しいものになっていく。


「じゃあ、これで準備万端ね!ハムちゃん、これからよろしくね!」フレイヤは嬉しそうに微笑みながら、バハムート――いや、ハムちゃんに手を振った。


バハムートは――いや、「ハムちゃん」は改めてフレイヤに頭を下げ、再び静かに「よろしくお願いいたします」と答えた。


こうして、フレイヤの旅は新たな仲間を加え、さらに続いていくのだった。




フレイヤたちは「ハムちゃん」と名付けられたバハムートを仲間に加え、旅を再開した。ティアマトやフェンリルと違い、ハムちゃんはその神々しいオーラを抑え、普通の青年の姿になったことで、周囲に目立たず、静かに旅が進んでいくかに思われた。


「ねえ、ハムちゃん。さっきまで神々しいオーラがだだ漏れだったのに、今はすっかり普通の人間っぽくなってるね!」フレイヤは楽しそうに話しかけた。


「主様のお望み通り、できる限り目立たないよう努めています。」ハムちゃんは穏やかな表情で静かに返答した。


「これでやっと安心して旅ができるわね!でも、次はどんなスイーツを見つけようかしら?」フレイヤは地図を広げながら、楽しげに考えていた。次の目的地に向かう道のりは少し長いが、平穏な時間が続くかと思われた。


しかし、その静けさを破るように、森の奥から不気味な唸り声が聞こえてきた。風に乗って、何か大きな生き物が近づいてくる気配がした。


「何か来るな……」フェンリルが鋭い目で周囲を見回しながら警戒する。


「この気配、普通ではありません。主様、どうか下がってください。」ティアマトもフレイヤの前に立ち、警戒心を露わにした。


「え?何が来るの?」フレイヤはのんびりと辺りを見回すが、まだ何も見えていない。


その時、森の中から巨大な影が次々と現れた。それはベアウルフ――狼と熊が融合したような、恐ろしい獣の群れだった。鋭い牙をむき出しにし、圧倒的な数でフレイヤたちに向かって突進してくる。


「わあ、あんなにいるなんて!でも、これもハムちゃんに任せれば平気よね?」フレイヤは呑気に言いながらハムちゃんの方を見た。


ハムちゃんは一言も発さず、ただ静かに前に進み出た。彼の表情には動揺の色もなく、ただ淡々と状況を見極めているかのようだった。


そして、何の前触れもなく、彼は軽く手を上げた。


その瞬間、ベアウルフたちの動きが一斉に止まった。そして次の瞬間、彼らはまるで存在しなかったかのように消えてしまった。まるで、掃除機が全てを吸い込んだかのように、何も残らなかった。


「全部……なくなった?」ティアマトが驚きの声を漏らし、フェンリルも目を見開いてその光景を見ていた。


「え?何が起こったの?」フレイヤはぽかんとした表情でハムちゃんを見つめた。


「彼らは脅威でしかありませんでしたので、取り除きました。」ハムちゃんは静かに答えたが、その表情には何の感情も浮かんでいない。


「取り除いた?一瞬で?」フレイヤは感心したように目を輝かせた。「ハムちゃん、やっぱりすごいね!一瞬で全部片付けちゃったんだ!」


フェンリルも感嘆の表情を浮かべながら、「なかなか、やるな、魚肉ソーセージ!」とからかい気味に言った。


「ハムだ。」ハムちゃんは、冷静に返す。


「でも、魚なんだろ?『魚肉ハム』って言いにくいんだよな。」フェンリルはさらに突っ込んで言ったが、ハムちゃんは軽く肩をすくめて答えた。


「ハムだけでいい。」


そのやり取りを聞いていたフレイヤは、思わず笑いながら、「もう、ハムちゃんで十分だよ!」と言った。


ティアマトはそのやり取りを静かに見守りながら、内心で少しだけほっとしていた。自分に変な名前がつけられなくてよかった、という安心感があったのだ。


こうしてベアウルフの脅威は、何事もなかったかのように消え去り、フレイヤたちは再び旅路を歩み始めた。ハムちゃんの圧倒的な力を目の当たりにし、フェンリルやティアマトは心の中で驚きつつも、その力の底が見えないことに少しの不安を覚えていた。


「ブラックホールって、もしかしてハムちゃんのことじゃないの?」フレイヤはぼんやりと思ったことを口にする。


フェンリルが不思議そうに「ブラックホール?」と尋ねるが、フレイヤは「ううん、なんでもない」と笑って軽く流した。


「まあとにかく、これで道は安全になったわね。次のスイーツ屋に行こう!」フレイヤは気を取り直して前に進むことを決めた。


こうして、ハムちゃんの圧倒的な力を目の当たりにしたフレイヤたちは、再び穏やかな旅路を進んでいく。しかし、彼らの前にはまだまだ予測不能な出来事が待ち構えているのであった。









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