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side talk:スプシ入門~初めての"見える化"講座

 勇姫ゆうき芙蓉ふよう帝国の紫霞宮しかきゅうに転生して約一ヶ月が経った頃のことだ。彼女が書記室しょきしつでの女官業務を効率化し始め、驚異的な成果を上げていると噂になり始めた時期である。この日、尚書房しょうしょぼう文政局分室ぶんせいきょくぶんしつと呼ばれる勇姫の職場には、好奇心に駆られた数名の女官たちが集まっていた。漆黒に近い深い藍色の髪を持つ勇姫は、青と銀を基調とした書記女官の制服に身を包み、その切れ長の灰紫色の瞳でじっと部屋を見渡していた。


「みなさん、今日は私の仕事術について知りたいということで来てくださったんですね」


 勇姫は前世の総務部OLそうむぶオーエル時代に培った落ち着いた声で切り出した。窓から差し込む光が彼女の小顔を照らし、凛とした雰囲気を一層引き立てている。


「はい!ゆうさんがどうやって帳簿を整理してるのか、ぜひ教えてほしいです!」


 はねるような声で返事をしたのは、桃色の髪をした小桃しゃおたおだ。薄桃色の下級女官制服はいつもの通り袖が長すぎて、彼女の小柄な体型を強調している。くるくると動く杏色の大きな瞳には純粋な好奇心が宿っていた。


「私も興味があるわ」


 静かな声で言ったのは、銀白の髪を持つ霜蘭そうらん。青地に黒の刺繍が入った上級妃の礼服を纏い、背筋を伸ばして座っている。琥珀色の瞳は冷静だが、その中に僅かな好奇心が光っていた。


「では、今日は私が前の世界で使っていた"スプシ"というものについて、簡単にお話ししましょうか」


 勇姫は微笑むと、大きな紙を壁に貼り付けた。そこには横線と縦線が交差して作られた格子状の枠が描かれていた。


「これが"スプシ"の基本形です。私たちの世界では、これを"表"と呼びます」


「ただの升目じゃないですか?」


 疑問を口にしたのは、別の女官だった。勇姫は頷いた。


「そう見えますよね。でも、この"升目"こそが、情報を整理する魔法なんです」


 勇姫は筆を取り、表の一番上の行に「業務名」「担当者」「完了予定日」「状態」と書き入れた。


「まず、情報を種類ごとに分けて並べます。例えば...」


 彼女は下の行に実際の業務を書き始めた。


「朝の茶会準備」「小桃しゃおたお」「毎日」「完了」

週次報告書しゅうじほうこくしょ作成」「勇姫ゆうき」「水曜日」「進行中」

「薬草在庫確認」「医務室いむしつ李花りか」「月末」「未着手」


「おお!なるほど!」


 小桃が目を輝かせた。


「これだけでも十分便利だけど、ここからが本当の"見える化"の始まりよ」


 勇姫は今度は色付きの墨を取り出し、「完了」の部分を青く、「進行中」を黄色く、「未着手」を赤く塗った。


「色で区別すると、一目で状況が分かるでしょう?これを私は"視覚化"と呼んでいます」


 霜蘭が眉を上げた。


「なるほど...これなら複雑な情報でも把握しやすいわね」


「そのとおり。でも、本当のスプシの強みは、ここからなんです」


 勇姫は新たな紙を取り出した。今度はもっと複雑な表で、女官たちの名前と様々な業務の組み合わせが書かれている。


「例えば、誰がどの業務を担当しているかを一覧にすると...」


 彼女は指で表の一部を指し示した。


「小桃ちゃんは伝達業務が得意だから、この部分を集中して担当してもらう。逆に、文書整理ぶんしょせいりは苦手なようだから、ここは別の人に任せる...というように、人と仕事の相性が見えてきます」


「わあ!確かに!あたし、走り回るの得意だけど、字を書くのはニガテなんです!」


 小桃が素直に認めると、部屋に笑い声が広がった。


「では次に、もっと複雑な例を見てみましょう。後宮の物品管理表ぶっぴんかんりひょうです」


 勇姫が三枚目の紙を広げると、そこには宮殿中の備品が細かく記録されていた。茶葉の種類、量、使用頻度、保管場所...様々な情報が整然と並んでいる。


「これを見ると、どの茶葉がいつ不足するか予測できます。また、使われていない高級茶葉が倉庫で劣化れっかしていることも分かります」


 女官たちからどよめきが起こった。


「驚くべきことに、この表から読み取れるのは、香梅閣が一ヶ月で使う茶葉は、他の場所の三倍もあるということ。これは何かおかしいと思いませんか?」


 霜蘭が静かに立ち上がった。


「...横流しの可能性があるわね」


「その通りです。でも、非難するのではなく、まずは実態調査から始めましょう。数字は嘘をつきませんから」


 勇姫の言葉に、女官たちは感心したように頷いた。


ゆうさん、すごいです!こんな風に物事が"見える"なんて!」


 小桃が両手を叩いて喜んだ。


「私の前世では、これが当たり前の技術でした。でも、ここでも十分活用できるはず」


 勇姫が言い終えるか終わらないかのうちに、部屋の扉が静かに開いた。そこには栗色の髪をした若い男性が立っていた。淡い金色と白の衣装に身を包んだ瑞珂ずいか皇太子である。墨茶色の瞳が好奇心に満ちている。


「面白い話が聞こえてきたので、つい...」


 皇太子の突然の登場に女官たちは慌てて平伏した。だが、勇姫だけは立ったまま、驚いた表情を隠せずにいた。


「殿下...」


「続けてくれないか?その"スプシ"というものを、私にも教えてほしい」


 瑞珂の口元にはかすかな微笑みが浮かんでいた。他の女官たちが驚きの表情を交換する中、勇姫はゆっくりと頷いた。


「かしこまりました。では、政務に応用できるスプシの例から始めましょうか...」


 こうして、紫霞宮しかきゅうにおける"スプシ革命"は、静かにその第一歩を踏み出したのだった。


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