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GAIDEN:外伝2~女官寮の夜更け、恋の占いと小桃の悪戯

少し先の話。勇姫ゆうき紫霞宮しかきゅうに転生して六ヶ月目の夏の夜のことだった。彼女のスプシ改革によって、後宮の業務効率は格段に上がり、女官たちにも少しずつ自由な時間が生まれるようになった。この日、月が明るく照らす夜、清風院せいふういんと呼ばれる女官寮では、珍しく賑やかな笑い声が響いていた。漆黒に近い深い藍色の髪を解いた勇姫は、普段の青と銀を基調とした書記女官の制服ではなく、簡素な白い寝間着姿で、何人かの女官たちと共に輪になって座っていた。彼女の灰紫色の瞳には、少しばかりの戸惑いと興味が浮かんでいる。


ゆうさーん!次はあなたの番ですよ!」


 桃色の髪をした小柄な少女、小桃しゃおたおが嬉しそうに手を叩いた。彼女も薄桃色の寝間着姿で、普段よりさらに幼く見える。


「私の番…って、何をするんだっけ?」


 勇姫が戸惑ったように尋ねると、周囲から笑い声が上がった。


 清風院は、紫霞宮しかきゅうの南側に位置する女官たちの住居だ。白壁に青い瓦屋根の二階建ての建物で、中庭を囲むように部屋が配置されている。中央には小さな池があり、今宵は睡蓮が月光を受けて美しく輝いていた。女官たちは共同生活をしており、階級によって部屋の広さや使用できる設備が異なる。幸いなことに、勇姫と小桃は同じ区画に住まいが割り当てられていた。


「もう、ゆうさんったら!『花の恋占い』ですよ!」


 小桃は勇姫の前に小さな木箱を差し出した。中には色とりどりの花びらが入っている。


「五枚取って、並べるんです。そうすると、あなたの恋の行方が分かるんですよ~」


 他の女官たちも興味津々で見守っている。居合わせたのは、勇姫と小桃のほか、三人の若い女官たちだ。皆、昼間は厳格な態度で仕事をこなす女官だが、夜になると年相応の少女に戻る。


「そんな占い、当たるわけないでしょ…」


 勇姫が渋々花びらに手を伸ばすと、小桃が間髪入れずに返した。


「当たりますよ!李花りかさんの占いでは、『近々素敵な人と出会う』って出たんですけど、次の日にあの医務室いむしつ若先生わかせんせいに声をかけられたんですから!」


「それは偶然よ」


 勇姫は笑いながらも、五枚の花びらを取り、言われるがままに円形に並べた。


「さあ、解釈かいしゃくの時間ですよ~」


 小桃は妙に得意げな表情で花びらを覗き込んだ。


「まず、青い花びらは『高い身分の人』を表します」


「あら、それは殿下のことかしら?」


 ある女官が茶目っ気たっぷりに言うと、みんなからどよめきが起こった。


「ま、待って!そんな…」


 勇姫の顔が見る見る赤くなっていく。


「次に、この赤い花びらは『熱い思い』…そして白い花びらは『純粋な心』…」


 小桃は真剣な顔で解説を続ける。


「そして、この黄色い花びらは『障害』を表し…最後の紫の花びらは『近い未来』を意味します」


 小桃はにっこりと笑った。


「つまり!『高い身分の人があなたに熱い思いを寄せていて、その純粋な心は障害を乗り越え、近い未来に結ばれる』という意味です!」


「えぇっ!?」


 勇姫は思わず声を上げた。女官たちは歓声を上げ、勇姫の背中を叩き始めた。


「おめでとう、勇姫さん!」

「やっぱり殿下ですね~」

「最近、二人の噂をよく聞くもの」


 勇姫は両手で頬を押さえた。


「み、皆さん、そんな…殿下と私は、ただの公務上の関係ですから」


「でも、殿下がゆうさんを呼ぶ時の声、すごく優しいですよ~」


 小桃が意地悪く笑った。


「小桃ちゃん!」


 勇姫が小桃を追いかけようとしたその時、部屋の扉が開いた。そこには銀白の髪と琥珀色の瞳を持つ霜蘭そうらんが立っていた。彼女は墨染めのシンプルな私服に身を包み、少し不機嫌そうな表情を浮かべている。


「こんな夜更けに、何を騒いでいるの」


 静かだが威厳のある声に、女官たちは一斉に黙り込んだ。


「も、申し訳ありません、霜蘭様」


 一人の女官が頭を下げた。霜蘭は部屋を見回し、床に散らばった花びらと、赤面している勇姫を見て、意外にも小さく微笑んだ。


「あぁ、恋占いね」


 その言葉に、一同は驚いて顔を上げた。


「え?霜蘭さん、ご存知なんですか?」


 勇姫が思わず尋ねた。霜蘭は入室し、扉を閉めた。


「私も若い頃はやったわ」


 彼女はそう言って、勇姫の並べた花びらを見つめた。


「なるほど…確かに興味深い配置ね」


「霜蘭さんも占いを信じるんですか?」


 勇姫は驚いて尋ねた。霜蘭は小さく肩をすくめた。


「信じるかどうかは別として、若い女性の楽しみを否定するつもりはないわ」


 彼女は座り込み、花びらを見つめた。


「ただ、小桃の解釈は少し違うわね」


「え?」


 小桃が不満そうな顔をした。霜蘭は続けた。


「紫の花びらが『近い未来』なのは合っているけれど、位置関係からすると…」


 彼女は花びらを少し動かした。


「『障害』の花びらがこの位置にあるということは、恋が実るまでには、まだ乗り越えるべき課題があるということ」


 霜蘭の予想外の言葉に、女官たちは興味津々で耳を傾けた。


「でも、この『純粋な心』の花びらが『熱い思い』の近くにあるのは良い兆候よ。お互いの気持ちは本物だということ」


 勇姫はますます赤面した。


「霜蘭さん、詳しいんですね…」


「若い頃は色々あったのよ」


 霜蘭はそう言って立ち上がった。


「もう遅いわ。お休みなさい」


 彼女が去ろうとした時、小桃が声をかけた。


「霜蘭さんも一緒にやりませんか?」


 霜蘭は振り返り、僅かに微笑んだ。


「また今度ね」


 そう言って彼女は部屋を出て行った。女官たちは再び小声で話し始めた。


「霜蘭様も昔は恋占いをしていたなんて…」

「意外です…」

「でも、なんだか親近感が湧きますね」


 勇姫は窓の外を見つめながら考え込んでいた。霜蘭の言った「乗り越えるべき課題」とは何だろう?皇太子と一介の女官の身分差?それとも、もっと別の何か?


ゆうさん、考え込まないでくださいよ~。あくまで占いですから」


 小桃は勇姫の肩を軽く叩いた。しかし、その目は意外なほど真剣だった。


「でも…殿下のことは、本当に好きなんですよね?」


 小声で囁かれたその問いに、勇姫は答えられなかった。彼女自身、自分の気持ちがどうなのか、まだ整理できていなかったのだ。


「わ、分からないわ…」


「そうですか?でも、殿下の名前を聞くだけで、ゆうさんの顔は赤くなりますよ?」


「そんなことないわよ!」


 勇姫が言い返した瞬間、再び扉が開いた。今度は白い寝間着姿の霜蘭が戻ってきたのだ。


「やはり気になったわ。少しだけ参加させて」


 女官たちは喜んで霜蘭を迎え入れた。彼女も花びらを選び、並べていく。皆が恋占いに熱中している間、勇姫は自分の胸の内を見つめていた。


 瑞珂のことを考えると、確かに胸が高鳴る。彼の優しい眼差し、真摯な言葉、国を思う姿勢…全てが彼女の心を動かしていた。そして、彼が皇太子ではなく、一人の人間として彼女に接してくれることが何より嬉しかった。


「これは前世でも経験したことのない感情かもしれない…」


 勇姫はそっと呟いた。


 夜は更けていき、女官たちは次々と眠りについた。最後まで起きていたのは、勇姫と小桃、そして意外にも霜蘭だった。


「面白かったわ」


 霜蘭は立ち上がり、勇姫の肩に軽く手を置いた。


「恋は時に人を強くもするし、弱くもする。でも、逃げなければきっと道は開けるわ」


 そう言い残して、霜蘭は自室へと戻っていった。


「霜蘭さん、優しいですね」


 小桃が呟いた。勇姫は頷いた。


「ええ、意外な一面を見た気がする」


 二人は後片付けを始めた。そのとき、勇姫は小桃の箱の底に、色分けされた花びらの束が丁寧に分けられているのを見つけた。


「ねえ、小桃ちゃん…この花びらの仕分け、なんだか…」


 勇姫が疑問を呈すると、小桃はくすくすと笑った。


「あ、バレちゃいました?実は…私、みんなの結果を少し"調整"してたんです」


「調整?」


「はい!みんな、恋の悩みを抱えてるから、少しだけ背中を押したかったんです」


 勇姫は呆れたように首を振った。


「小桃ちゃん、それじゃあ占いの意味がないじゃない」


「でも、みんな笑顔になったでしょ?それが大事なんです!」


 小桃の無邪気な笑顔に、勇姫は叱ることができなかった。


「それじゃあ、私の占いも…?」


ゆうさんのは特別に、本物の占いですよ!」


 小桃はにっこりと笑った。勇姫はため息をつきながらも、微笑まずにはいられなかった。


「あなたって本当に…」


 二人は笑いながら布団に入った。窓から差し込む月明かりが、部屋を優しく照らしている。


「おやすみなさい、ゆうさん。素敵な夢を見てくださいね。瑞珂殿下の夢を…」


「も、もう!小桃ちゃん!」


 勇姫の抗議に、小桃はくすくすと笑いながら布団に潜り込んだ。


 その夜、勇姫が見た夢は、確かに瑞珂との未来についてだった。だが、それを小桃に告げることは、絶対になかっただろう。


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