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【改革】の章

第14話

朝日が紫霞宮しかきゅうの回廊を美しく染め上げる中、私──勇姫ゆうきは、胸を張って尚書房しょうしょぼうへと足を進めていた。皇帝陛下から直々にお墨付きをいただいたのだ。これで改革も本格的に進められる。


「今日は何から始めようかしら」


唇を軽く噛みながら、脳内スプシを開いて考える。まずは現状把握から。各女官の仕事量を可視化して、どこに無駄があるのかを明らかにしよう。


尚書房に到着すると、すでに霜蘭が忙しそうに書類に目を通していた。


「おはようございます、霜蘭さん」


「ああ、勇姫か」彼女は顔を上げ、珍しく柔らかな表情を見せた。「皇帝陛下との謁見、本当によくやった。宮中中の噂だぞ」


「そんな...」思わず頬が熱くなる。「陛下は予想以上に理解のある方で...」


「それもあるだろうが」霜蘭は筆を置いて真剣な眼差しを向けてきた。「陛下の心を動かしたのは、そなたの才だ。誇っていい」


彼女からの称賛は珍しく、嬉しさがこみ上げる。


「ありがとうございます。それで...」私は話題を戻した。「今日からは女官の仕事量の可視化に取り組みたいと思うのですが」


「仕事量の可視化?」霜蘭が眉を寄せる。「具体的には?」


「各女官がどのくらいの時間、どのような仕事をしているのか、数値化してみようと」


脳内スプシに浮かぶ表をイメージしながら説明する。縦軸に女官の名前、横軸に時間と仕事内容。色分けして一目で把握できるようにする計画だ。


「なるほど」霜蘭はしばらく考えてから頷いた。「試みる価値はあるだろう。だが...」


「だが?」


「宮中では、自分の仕事量を他人に知られることを嫌う者も多い」霜蘭の声は警告に満ちていた。「特に年配の女官たちはな」


「でも、改革のためには現状把握が不可欠です」


「そうだな...」霜蘭は少し迷った様子だったが、やがて決断を下した。「わかった。まずは尚書房から始めよう。成功例を作れば、他の部署も続くかもしれない」


「ありがとうございます!」


早速、私は尚書房の女官たちに説明を始めた。大きな紙を壁に貼り、そこに作業記録表を描いていく。


「皆さん、これからは毎日の仕事内容と時間をここに記録してください。これによって誰がどんな仕事をしているのか一目でわかるようになります」


若い女官たちの反応は様々だった。


「へぇ、面白そう!」翠葉が目を輝かせた。「これなら無駄な仕事がすぐわかりそうね」


「でも...毎日記録するのは面倒くさくない?」別の女官が不安そうに尋ねる。


「最初は慣れが必要かもしれませんが、長い目で見れば皆さんの負担は減りますよ」私は笑顔で答えた。


しかし、年配の女官玲花れいかの反応は冷ややかだった。


「若い者は新しもの好きだな...」彼女は鼻で笑うように言った。「百年続いた方法に何の不満があるというのだ?」


「不満というわけではなく、改善の余地があると...」


「改善?」玲花は声に棘を混ぜる。「陛下のお墨付きをもらったからって、傲慢になったものだ」


尚書房に緊張が走る。霜蘭が間に入った。


「玲花、勇姫は皇太子殿下と陛下の命を受けているのだ。協力するように」


「命令とあれば従うさ」玲花は渋々と言ったが、その目は冷たさを失わなかった。「だが、この茶番がうまくいくとは思えんな」


最初の壁にぶつかった気がしたが、ここで引くわけにはいかない。


「とにかく、一週間試してみましょう」私は明るく提案した。「その結果で判断していただければ」


◆◆◆


一週間後、尚書房の作業記録表は色とりどりのマークで埋まっていた。予想通り、若い女官たちは熱心に記録してくれたが、年配の女官たちの記録は杜撰ずさんだった。


「これでは正確な分析ができません...」


霜蘭に相談すると、彼女はため息をついた。


「予想はしていたよ。玲花をはじめとする年配者たちは、自分たちの作業を詳細に記録されることを嫌うんだ」


「でも、なぜですか?」


霜蘭は周囲を見回し、声を潜めた。


「秘密の仕事や、余分な休憩時間が明るみに出るからだろうな」


なるほど。前世の会社でも同じようなことがあった。効率化を嫌がる社員は、だいたい自分の隠し事や縄張なわばりを守りたいのだ。


「どうすれば...」


「直接的な対決は避けるべきだ」霜蘭はアドバイスをくれた。「別の角度から攻めよう」


考えに考えた末、私は作戦を変更した。個人の仕事量よりも、「仕事の種類ごとの時間」に焦点を当てることにした。これなら誰が何をしているかはわからず、プライバシーの問題も減る。


新しい記録表を作り、尚書房の女官たちに説明した。


「皆さん、前回の方法は負担が大きかったようですね。そこで新しい方法を提案します」


壁に貼られた新しい表を指さす。縦軸は仕事の種類、横軸は時間。誰がやったかは記録しない。


「これからは、仕事の種類ごとにかかった時間だけを記録しましょう。誰がやったかは問いません」


玲花を含む年配女官たちの表情がわずかに緩んだ。


「ふむ...これなら個人の作業が丸見えにならんな」玲花は少し興味を示した。


「そうです。私たちの目的は皆さんを監視することではなく、仕事の流れを最適化することですから」


この妥協案でようやく全員の協力を得ることができた。二週間後、驚くべき事実が明らかになった。


「皆さん、見てください」


私は分析結果を示す新しい図を示した。


「尚書房全体の仕事時間のうち、約40%が『書類の探索』に費やされています。つまり、必要な文書を探すのに膨大な時間を使っているんです」


「そんなにか?」霜蘭が驚いて言った。


「はい。さらに約20%が『同じ情報の複数回記入』です。同じことを何度も書いているんですね」


女官たちは静かにざわめいた。数字で示されると、無駄の大きさが明確に伝わる。


「では、どうすればいい?」翠葉が前のめりになって尋ねた。


「まず『書類整理方法』の改善から始めましょう」私は自信を持って提案した。「分類棚ぶんるいだなを作り、テーマごとに色分けします。さらに検索用の索引も作成します」


霜蘭が頷く。「それなら時間短縮できそうだな」


「次に『記入テンプレート』を作りましょう。共通情報は一度だけ書けばよいようにします」


若い女官たちの目が輝いた。しかし、玲花は冷ややかな視線を送ってきた。


「きれいな絵を描くのは簡単だが、実行は難しいぞ」


「やってみなければわかりません」私は穏やかに答えた。「一ヶ月試してみませんか?効果がなければ元に戻しましょう」


玲花は何か言いかけたが、その時、扉が開いて白凌が入ってきた。


「失礼する」彼は静かに言った。「皇太子殿下が勇姫を呼んでおられる」


「殿下が?」


「うむ。改革の進捗を聞きたいとのことだ」


玲花の表情が変わった。皇太子の名前が出ると、反対も言いづらくなる。


「行ってくるわ」私は霜蘭に告げた。「皆さん、よろしくお願いします」


廊下で白凌と二人きりになると、彼は静かに尋ねた。


「反発にあっているようだな?」


「はい...特に年配の女官たちから」


「予想通りだ」白凌は小さくため息をついた。「宮中の改革は、いつもこうして始まる。反発、妨害、そして...」


「そして?」


「成功か失敗か」彼の目が鋭く光った。「そなたの改革がどちらになるかは、これからの戦い方次第だ」


「戦い...ですか?」


「直接的な対立は避けるのだ」白凌はアドバイスをくれた。「成功例を小さく作り、静かに広げていく。波風を立てずに、気づいたときには変わっている...それが宮中流だ」


「わかりました」私は頷いた。「霜蘭さんも同じことを...」


「彼女は経験豊富だ」白凌の口元に小さな笑みが浮かんだ。「そなたには味方がいる。それを忘れるな」


皇太子の執務室に到着すると、瑞珂は窓際に立っていた。振り返った彼の表情は明るかった。


「勇姫、来てくれたか」


「はい、お呼びとのことで」


「うむ」瑞珂は微笑んだ。「改革の進捗はどうだ?」


私は正直に状況を説明した。尚書房での試みや、年配女官たちの反発について。


「なるほど」瑞珂は真剣に聞いていた。「反発は予想していたが、そなたの対応は見事だ」


「でも、まだ成果は...」


「成果は必ず出る」瑞珂は確信を持って言った。「そなたの方法は理にかなっている。時間の問題だ」


彼の信頼に、胸が熱くなった。


「それで、呼んでいただいた理由は...?」


「ああ」瑞珂は少し表情を引き締めた。「父上が、月次報告の前に中間報告を求めておられる」


「中間報告?」


「うむ。改革の進捗と、予想される効果について」瑞珂は少し困ったように頭をかいた。「できれば具体的な数字で...」


数字で示せという要求は、前世の上司を思い出させる。結局、どこの世界でも経営者(この場合は皇帝)は数字が好きなのだ。


「わかりました」私は自信を持って答えた。「脳内スプシで計算すれば、予測値は出せます」


「さすがだな」瑞珂の表情が明るくなった。「そなたの『頭の中の表』には、いつも助けられる」


「お役に立てて光栄です」


しばらく二人で改革案について話し合った後、私は尚書房に戻った。


◆◆◆


翌日、新しい作戦を実行に移した。直接的な方法では反発を招くなら、間接的に進めよう。まず、若い女官たちの仕事を効率化し、目に見える成果を出す。


「翠葉さん、こちらの分類方法を試してみてください」


「わかったわ!」彼女は熱心に頷いた。


蘭子らんこさん、こちらのテンプレートを使ってみてください」


「はい、勇姫様!」


一人、また一人と協力者を増やしていく。彼女たちが効率的に仕事をこなし始めると、少しずつ変化が現れ始めた。


三日後、翠葉が興奮して報告してきた。


「勇姫さま!信じられません!昨日までは半日かかっていた月次集計が、たった二時間で終わりました!」


「本当?」


「はい!分類方法のおかげで書類探しの時間が激減したんです!」


その声は、室内にいた全員に届いた。玲花を含む年配女官たちも、興味を持って顔を上げる。


「二時間だと?」玲花が信じられないという顔で言った。「あの面倒な集計が?」


「はい!」翠葉は自信満々に答えた。「勇姫さまの方法を使ったら、本当に早くなったんです!」


玲花は何も言わず、自分の仕事に戻った。しかし、彼女の表情に少しだけ変化があったように見えた。


翌日、驚くべきことに玲花が私に声をかけてきた。


「その...分類方法というのを、もう少し詳しく説明してくれないか?」


彼女の声には棘がなく、純粋な興味が含まれていた。これは大きな一歩だ。


「もちろんです!喜んで」


その日から、尚書房の空気が少しずつ変わり始めた。最初は若い女官たちだけだったが、やがて年配の女官たちも、少しずつ新しい方法を試すようになった。


二週間後、霜蘭が嬉しそうな表情で私に報告した。


「勇姫、信じられないことが起きている」


「何でしょう?」


「尚書房全体の残業時間が、約30%減少した」霜蘭の目が輝いていた。「さらに書類の紛失も激減している」


「本当ですか!」


「うむ」霜蘭はうなずいた。「これは...前例のない成果だ」


その言葉に、胸が熱くなった。成功例ができた。これで他の部署にも広げていける。


「霜蘭さん、ありがとうございます。皆さんの協力があってこそです」


「いや、これはそなたの功績だ」霜蘭は珍しく柔らかい表情で言った。「玲花たちさえ認め始めているぞ」


その言葉どおり、玲花が翌日、私に近づいてきた。周囲に聞こえないよう、小声で言う。


「勇姫...」彼女は少し照れくさそうに言った。「あんたの方法、悪くないな」


高慢な彼女からの称賛は、予想外だった。


「ありがとうございます」


「だが、」玲花は急に真剣な表情になった。「忠告しておく。尚書房は成功したが、他の部署はそう簡単ではないぞ」


「どういうことですか?」


「特に紫煙閣しえんかくは要注意だ」玲花の声はさらに小さくなった。「あそこは玄碧げんぺき様の勢力下にある。彼女はあんたのような...新参者を快く思ってない」


白凌と霜蘭が警告していた玄碧だ。正妃候補筆頭で、保守派の中心人物。


「アドバイスをありがとうございます」私は心から感謝した。「気をつけます」


玲花はうなずき、すぐに離れていった。彼女なりの気遣いなのだろう。


その日の夕方、瑞珂の執務室を訪れると、彼は興奮した様子で迎えてくれた。


「勇姫、噂は本当か?尚書房の残業が30%減ったというのは」


「はい、霜蘭さんの報告では」


「すばらしい!」瑞珂の目が輝いた。「これこそ私が求めていた改革だ」


「まだ一部署だけですが...」


「いや、これは大きな一歩だ」瑞珂は熱心に言った。「この成功例をもとに、他の部署にも広げていこう」


「はい!」


「だが、」瑞珂は少し表情を曇らせた。「次は紫煙閣しえんかくだ。そこには...」


「玄碧様がいらっしゃる、と」


「うむ」瑞珂はうなずいた。「彼女は強硬な保守派だ。しかし、このまま進めば皇帝直々の命令と言える。拒否はできないだろう」


「玲花さんも警告してくれました」私は正直に告げた。「難しい戦いになりそうです」


「戦いではない」瑞珂は優しく微笑んだ。「改革だ。そなたのように...」


「私のように?」


「温和だが、芯の強い改革者だからこそ、成功するのだ」


彼の言葉に、心が温かくなった。


「頑張ります」


「私たちで頑張ろう」瑞珂は静かに訂正した。「そなたは一人ではない」


その言葉が、これからの困難に立ち向かう勇気をくれた。


尚書房での小さな勝利。これが宮中改革の第一歩。次は紫煙閣という難関が待っている。だが、もう恐れはなかった。仲間がいる。そして何より、自分の能力が確かに役立つという自信がついたのだから。


「さあ、次の戦いに行きましょう」


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