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第15話

尚書房での成功に気を良くした私──勇姫ゆうきは、次なる改革の標的を見つけていた。宮中の物資管理だ。


「これはひどい...」


目の前に広がる倉庫は、まるで龍巻たつまきが通り過ぎた後のようだった。高級な絹織物が雑然と積まれ、貴重な香料の瓶が無造作に並べられている。紙や筆、墨などの日用品は数さえわからない状態だ。


「どうした、勇姫?」


振り返ると、霜蘭が心配そうに立っていた。この倉庫視察に同行してもらっていたのだ。


「これでは、何がどこにいくつあるのか、まったくわかりません」


霜蘭は小さくため息をついた。


「この混乱は数十年続いている。物資の管理は内務部ないむぶ庶務部しょむぶの間で責任の所在があいまいで...」


「だからこそ改革が必要なんです」私は決意を固めた。「まずは在庫の把握から始めましょう」


霜蘭の眉が上がる。「全部か?それは気が遠くなるほどの作業だぞ」


「大丈夫です」私は自信を持って答えた。「私の"脳内スプシ"があります」


その日から、私は物資の棚卸たなおろし作業に取り組んだ。小桃と翠葉を助手として連れ出し、倉庫内の全物資をカウントしていく。


「勇姫さま、こちらの布は全部で32反ありました!」小桃が元気よく報告する。


「わかったわ」


私は目を閉じ、脳内スプシに情報を入力していく。


「絹織物...藍色系...32反...保管場所は北倉庫第二区画...」


翠葉が不思議そうな顔で見ていた。


「勇姫さん、いつも目を閉じて何をしているんですか?」


「ええと...」一瞬言葉に詰まる。「頭の中で表を作っているのよ」


「頭の中で表?」彼女の目が丸くなった。「それって異能いのうなんですか?」


小桃が割り込んだ。


「そうなんですよ!勇姫さまは特別なんです!頭の中でスプ...なんとかができるんです!」


「スプシよ、小桃」思わず笑みがこぼれる。「スプレッドシートの略」


もちろん、この世界には「スプレッドシート」という言葉は存在しないはずだが、なぜか小桃は理解してくれる。彼女の純粋さが心地よい。


三日間の調査の結果、倉庫内の全物資を把握することができた。脳内スプシには膨大なデータが蓄積されている。


「次は、このデータを紙に起こさなきゃ」


尚書房に戻り、大きな紙に表を描き始めた。品名、数量、保管場所、担当者、最終確認日...必要な情報を整然と並べていく。


「これは...見事だな」


振り返ると、白凌が静かに立っていた。いつの間に入ってきたのだろう。


「白凌さん!」思わず声が上ずる。「お久しぶりです」


「うむ」彼は小さく頷いた。「皇太子殿下が、そなたの進捗を気にしておられる」


「殿下が...」胸がほんの少しだけときめいた。


「陛下への中間報告が近いからな」白凌は静かに言った。「これが次の改革というわけか?」


「はい」私は力強く頷いた。「在庫管理の混乱を解消します」


「興味深い」白凌の鋭い目が表に向けられた。「だが、物資管理には複雑な利権が絡んでいる。慎重に進めるように」


「利権...ですか?」


白凌は周りを見回し、声を潜めた。


「特に高級品や希少品には、様々な人物の思惑が交錯している。単なる物流の問題ではないのだ」


前世の会社でも、備品管理には意外な権力構造があった。パソコンやコピー機の調達権限が、部署間の力関係を示していたものだ。この宮中でも同じことなのだろう。


「アドバイスありがとうございます。気をつけます」


白凌は軽く頷くと、立ち去っていった。


◆◆◆


翌日、私は「物資移動記録表」なるものを作成した。誰が、いつ、何を、どこから、どこへ、どれだけ移動させたのかを記録するシステムだ。


「これからは、物資を移動させる際には必ずこの表に記入してください」


内務部と庶務部の担当者たちに説明する。彼らの表情は様々だった。


「めんどくさそうだなぁ...」若い女官がぼやいた。


「でも、これなら探し物がすぐに見つかりそうね」別の女官が期待を込めて言う。


それに対し、年配の管理者老香ろうこうは明らかに不満そうな顔をしていた。


「こんな面倒な手順、誰が守るというのだ?」彼女は鼻で笑った。「物を使うたびに記録なんて、時間の無駄だ」


「でも、老香様」私は丁寧に説明した。「現状では物資の紛失や重複発注が多発しています。それによる経費の無駄は相当なものです」


「ふん!」老香は不機嫌そうに腕を組んだ。「若い者は理屈ばかり...」


議論は平行線をたどりそうだったが、そこに思わぬ援軍が現れた。


「老香、陛下は経費削減を望んでおられる」


振り返ると、霜蘭が厳しい表情で立っていた。


「陛下が...」老香の表情が変わる。


「そうだ」霜蘭はきっぱりと言った。「勇姫の改革は、陛下と皇太子殿下のご意向だ。反対するならば、直接陛下にお伝えするといい」


それを聞いた老香は、しぶしぶと頷いた。


「わかった...やってみよう」


実際に運用が始まると、予想していた混乱が起きた。多くの女官たちが記録を忘れ、あるいは面倒くさがって省略した。物資はまた行方不明になり始める。


「どうすればいいでしょう...」


頭を抱えていると、小桃が明るい声で提案してきた。


「勇姫さま!『物資移動係』を作ってはどうですか?」


「物資移動係?」


「はい!」小桃が目を輝かせる。「物資を動かすのは指定された人だけにして、その人が必ず記録する。そうすれば間違いが減りますよね?」


「なるほど!」私は膝を打った。「小桃、それは素晴らしいアイデアよ!」


小桃の頬が赤くなる。「ほ、ほんとですか?」


「ええ!物資の移動を職務として明確にすれば、責任が分散せずに済むわ」


早速、「物資移動係」を設置することにした。各部署から一名ずつ選出し、彼女たちだけが物資の出し入れを担当する。すべての移動は記録され、定期的にチェックされる。


「あら、これは面白そうね」


内務部の若い女官翡翠ひすいが興味を示した。


「私、やってみたいわ。この混沌とした倉庫が整理されるなんて、見てみたいもの」


「ありがとう、翡翠さん!」私は嬉しくなった。「あなたのような協力者がいると心強いわ」


一方、老香は今でも懐疑的だった。


「まあ、若い者の遊びだと思って見ていよう」彼女は肩をすくめた。「長続きするとは思えんがな」


◆◆◆


物資移動係の設置から一週間後、予想外の効果が出始めた。


「勇姫さま、大変です!」


小桃が慌てた様子で駆け込んできた。


「どうしたの?」


「倉庫で不思議なことが起きているんです!」


私は小桃に連れられて倉庫へ急いだ。そこには数人の女官が集まり、何かを見つめていた。


「これは...」


目を疑う光景だった。高級絹織物の束が、明らかに減っている。昨日まで32反あったはずなのに、今は25反しかない。


「移動記録表には何も書いてありません」翡翠が報告した。「なのに減っている...」


私は脳内スプシを開き、データを確認する。確かに記録上は32反のはずだ。


「誰かが無断で持ち出したのね...」


翡翠が小声で言った。


「勇姫様、これはつまり...横流しということでしょうか?」


宮中物資の横流し──それは重大な問題だ。だが、それを証明するには証拠が必要。


「まだ断定はできないわ」私は慎重に答えた。「他の可能性も考えましょう」


だが心の中では、これこそが白凌の言っていた「利権」の一端なのだろうと察していた。


翡翠の目が輝いた。


「でも、勇姫様!これはあなたの制度が機能している証拠ですよ!以前なら、こんな不一致に誰も気づかなかった」


「確かにそうね...」


私たちの会話を遠くから老香が聞いていた。彼女の表情が微妙に変わる。


その日の夕方、老香が私のもとに来た。


「勇姫...」彼女はいつになく真剣な表情をしていた。「今日の件についてだが...」


「はい?」


「その...」老香は言葉を選ぶようだった。「実は似たようなことは前々から起きていたのだ」


「え?」


「高級品が少しずつ減る。それを補うために余分に発注する。予算が膨らむ。そして誰かがその差額を...」老香は言葉を濁した。


「誰かが利益を得ているということですか?」


老香はただ黙ってうなずいただけだった。


「なぜ今までそれを...?」


「言えるわけがなかろう」老香の目に悔しさが浮かんだ。「証拠もなく、相手が誰かもわからぬのに」


「でも、今回は違う」私は静かに言った。「記録があるから、不一致が明確になった」


「そうだ...」老香の表情が変わった。「そなたの制度は、実は役に立つのかもしれん」


彼女のような強硬反対派からのこの言葉は、大きな進歩だった。


「協力してください、老香さん」私は真剣に頼んだ。「宮中の物資を守るために」


老香はしばらく考え込んでいたが、やがて決意を固めたように頷いた。


「わかった。この老婆に何ができるか、わからんがな」


◆◆◆


翌日、私は瑞珂の執務室に呼ばれた。


「勇姫、物資管理での問題を聞いた」瑞珂の表情は厳しかった。


「はい...高級絹織物の不一致が見つかりました」


「これは予想していたことだ」瑞珂は静かに言った。「宮中物資の横流しは長年の問題だった。だが...」


「だが?」


「証拠がなかった」瑞珂の目に決意が浮かぶ。「そなたの制度のおかげで、初めて具体的な数字が見えてきた」


「でも、犯人はまだ...」


「それは時間の問題だ」瑞珂はきっぱりと言った。「続けよ、勇姫。そなたの改革は確実に成果を上げている」


瑞珂の言葉に、勇気をもらった。


「はい!これからも頑張ります」


執務室を出ると、白凌が廊下で待っていた。


「話を聞いたぞ」彼は静かに言った。「物資の不一致が見つかったそうだな」


「はい...」


「用心するように」白凌の声は警告に満ちていた。「利権を脅かされた者は、黙ってはいないだろう」


「誰が関わっているのか、わかりますか?」


白凌は周りを警戒するように視線を巡らせ、ささやくように言った。


「玄碧様の侍女の一人が、紫煙閣への物資運搬に関わっている。それ以上は私にもわからん」


玄碧──その名前を聞くだけで緊張が走る。彼女は私の改革に最も反対している人物だ。


「気をつけます」


「良い」白凌は静かに頷いた。「だが、恐れる必要はない。殿下がついておられる」


その言葉に、少し安心した。


◆◆◆


その後も在庫管理の改革は着々と進んだ。物資移動係のシステムが定着し、記録の精度が向上していく。不一致の発見も続き、少しずつ問題のある流れが見えてきた。


ある日、私は最後の改革を提案した。「役割分担表」の導入だ。


「これは何ですか?」翡翠が興味深そうに尋ねた。


「物資管理に関わる全員の役割を明確にするものよ」私は表を指さした。「誰が何を担当し、誰に報告し、どのような権限を持つのか...すべてが一目でわかるようになっているの」


老香が眉をひそめた。


「また新しいシステムか...」


「でも、老香さん」私は笑顔で言った。「これなら責任の所在が明確になります。あなたの部下が勝手なことをしても、あなたのせいにはなりませんよ」


その言葉に、老香の表情が和らいだ。


「ふむ...それは悪くないな」


役割分担表の導入は比較的スムーズに進んだ。女官たちは自分の責任範囲が明確になることで、むしろ安心したようだ。


一ヶ月後、物資管理の改革の成果をまとめる時が来た。


「霜蘭さん、見てください」


私は最終報告書を差し出した。


「物資の紛失が84%減少、過剰発注が67%減少、探索時間が75%短縮...」霜蘭の目が見開かれていく。「これは驚異的な数字だな」


「はい」私は誇らしげに答えた。「さらに、不正な持ち出しと思われる事例が7件見つかりました」


霜蘭の表情が引き締まる。


「証拠は?」


「すべて記録してあります」私は別の書類を差し出した。「日付、時間、品目、数量、そして...関与した人物の目撃情報も」


「これは...紫煙閣しえんかくの侍女たちじゃないか」霜蘭の声が小さくなる。


「はい」私も声を潜めた。「玄碧様の側近が関わっているようです」


霜蘭はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて静かに言った。


「勇姫、よく頑張った。これは皇太子殿下と陛下に直接報告すべきことだ」


「はい」


「だが、」霜蘭は真剣な顔で警告した。「これで玄碧様を敵に回すことになる。覚悟はできているな?」


私は深く息を吸い、そして吐いた。


「はい。真実を伝えることが私の役目です」


霜蘭は満足げに頷いた。


「そうだ。そなたには味方がいることを忘れるな」


その夜、私は清風院の部屋で、翌日の報告の準備をしていた。小桃がお茶を運んできた。


「勇姫さま、明日の報告、緊張しますか?」


「ええ、少しね」正直に答える。「特に玄碧様の件は...」


「大丈夫です!」小桃は力強く言った。「勇姫さまは正しいことをしているんですから!」


「ありがとう、小桃」彼女の純粋な応援に笑みがこぼれる。


「それに...」小桃が意味深な笑みを浮かべた。「皇太子様が味方ですもん♪」


「もう!またからかって!」思わず頬が熱くなる。


「だって本当ですよ~」小桃はくすくす笑った。「殿下、勇姫さまのこと『特別な才能の持ち主』って、いつも周りに言ってるんですよ~」


「そ、そんな...」


心の奥で、小さな喜びが広がるのを感じた。


翌日の報告に向けて、私は気持ちを引き締めた。在庫管理、物資移動、役割分担──これらをスプシで整理したことで、宮中の無駄と不正が明るみに出た。次は、それを正面から伝える番だ。


たとえ玄碧という強大な敵ができようとも、後には引けない。私には武器がある。脳内スプシという強力な武器が。


「さあ、明日も頑張ろう」


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