「神算術の才女」として宮中の注目を集める私──
「殿下、本日の
私は分類された文書を瑞珂に差し出した。赤いリボンで括られたものが最優先、青が通常業務、緑が参考資料という具合だ。
「ありがとう、勇姫」瑞珂は満足げに頷いた。「そなたのおかげで、政務がはかどるようになった」
「お役に立てて光栄です」
「特に、文書の整理方法は素晴らしい」瑞珂は赤いリボンの束を手に取った。「これだけで、何が重要か一目でわかる」
私は微笑んだ。スプシ式文書管理は、この世界でも十分通用している。
「そういえば」瑞珂が書類に目を通しながら言った。「そなたのところに、様々な官僚から書簡が届いているそうだな?」
「え?」思わず声が上ずる。「どうしてそれを?」
「白凌から聞いた」瑞珂は穏やかに言った。「心配するな。怒っているわけではない」
「はい...」ほっと胸をなでおろす。「確かに最近、色々な方から書簡をいただくようになりました」
"神算術の才女"という評判が広まるにつれ、様々な官僚や
「返事は書いているのか?」
「はい、できる限り丁寧に」
「内容は?」瑞珂の声に少し緊張が混じる。
「基本的には、私の能力についての質問への回答や、文書管理の簡単なアドバイスです」私は正直に答えた。「政治的な内容には触れないよう気をつけています」
瑞珂の表情が和らいだ。
「そなたを信頼しているからこそ聞いたのだ」彼は真剣な目で私を見た。「宮中では、書簡のやり取りも重要な政治活動になる」
「はい、気をつけます」
「それと...」瑞珂は少し言いにくそうに言葉を選んだ。「届いた書簡は保管しているか?」
「もちろんです」私は即答した。「全て日付順に整理しています」
実は私はそれだけでなく、脳内スプシで書簡の送り主、日付、内容の要約、返信内容をすべて記録していた。いつか役立つかもしれないと思ったからだ。
「それは良い」瑞珂はほっとした様子で言った。「書簡は時に、重要な証拠になる」
「証拠...ですか?」
瑞珂は一瞬言葉に詰まり、それから静かに続けた。
「勇姫、宮中の政治は表向きの言葉と、本当の意図が異なることがある。書簡の内容と、実際の行動が矛盾することも...」
「なるほど」私は頷いた。「そういえば、玄碧様からも書簡をいただきました」
「玄碧から?」瑞珂の顔が引き締まる。「何と?」
「先日の物資横流しの件について、侍女たちを処罰したと報告があり、『今後は協力関係を』という内容でした」
「ふむ...」瑞珂は眉を寄せた。「表向きは和解を装いながら、裏では...」
「裏では?」
「何でもない」瑞珂は首を振った。「ただ、玄碧からの書簡には特に注意するように」
「はい」
◆◆◆
その会話から数日後、私は書簡の管理方法を改善することにした。これまでの単純な日付順の整理ではなく、送信者と内容で分類できる「書簡管理マトリクス」を開発しようと思ったのだ。
清風院の私室で、大きな紙に表を描いていく。縦軸には送り主の名前と役職、横軸には内容のカテゴリー(挨拶、質問、依頼、報告など)。各枡目には該当する書簡の日付と簡単な内容を記入していく。
「これで誰が何について書いてきたか、一目でわかるわ」
さらに重要な点として、同じ人物からの複数の書簡を時系列で並べると、その人の主張や態度の変化も追えるようになる。
「玄碧様の場合は...」
彼女からの書簡を時系列で並べてみると、興味深いパターンが浮かび上がった。最初は敵意に満ちていたが、物資横流しの件以降、急に協力的な姿勢に変わっている。しかし内容をよく読むと、表面上の友好さとは裏腹に、微妙に責任転嫁しているようにも見える。
「こうして見ると...」
不思議なことに気づいた。玄碧が書簡で「協力関係を望む」と言ってきた翌日、宰相からも似たような内容の書簡が届いている。その二日後には、文官長からも「宮中の和解が必要」という書簡が。
「これは...連動しているの?」
脳内スプシを駆使して、さらに書簡の関連性を分析していく。送信日時、内容の類似点、使われている特徴的な言い回しなど...
「やはり...」
玄碧、宰相、文官長、そして数名の高官の書簡には明らかな関連性があった。彼らは互いに連絡を取り合い、足並みを揃えているのだ。
「これは派閥の動きね」
前世の会社でも、部署間の根回しはよくあることだった。しかし、彼らの狙いは何だろう?
その時、ノックの音がした。
「勇姫さま、白凌様がお見えです」小桃の声が聞こえる。
「通してください」
白凌が静かに入ってきた。彼の鋭い目が、私が作業していた書簡管理マトリクスに留まる。
「それは...?」
「書簡の整理をしていたんです」私は説明した。「誰がいつ、何について書いてきたかをまとめていて...」
「ふむ...」白凌は興味深そうに表に近づいた。「なかなか興味深いものだな」
「白凌さん」私は思い切って質問した。「玄碧様と宰相、文官長たちの間に何か関係があるのでしょうか?」
白凌の表情が変わった。彼は周囲を警戒するように見回し、声を潜めた。
「なぜそう思う?」
「彼らの書簡に関連性を見つけたんです」私は表を指さした。「内容の類似性や送信タイミングから、彼らが連携しているように見えます」
白凌はじっと表を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「鋭い観察眼だ」彼は認めるように言った。「その通り、彼らは"保守派"と呼ばれる派閥だ」
「保守派...」
「宮中の旧勢力が中心だ」白凌は説明した。「皇太子の改革に反対する立場だが、今は表向き協力的な姿勢を見せている」
「なぜ急に協力的に?」
「それを探っているところだ」白凌の目が鋭く光った。「勇姫、その表を殿下に見せるべきだ」
◆◆◆
翌日、私は書簡管理マトリクスを持って瑞珂の元を訪れた。彼は興味深そうに表を眺め、次第に真剣な表情になっていった。
「これは...」瑞珂の声に驚きが混じる。「勇姫、この表から何がわかる?」
「玄碧様を中心とする保守派の方々は、表向き協力的になりながらも、何か別の動きをしている可能性があります」私は分析結果を説明した。「特に農地改革に関する書簡が多いです」
瑞珂の目が鋭くなった。
「農地改革...」彼はつぶやいた。「父上が最も力を入れている政策だ」
「はい。彼らは表向き賛同しながらも、細部で異なる案を提示しています」
「どのような違いがある?」
「彼らの案では、変更の時期を遅らせたり、対象範囲を縮小したりしています」私は表から読み取れる情報を伝えた。「また、改革の主導権を皇太子様から宰相に移そうという提案も...」
「なるほど...」瑞珂の表情が厳しくなった。「表面上は協力しながら、実質的には改革を形骸化させ、功績を奪おうとしているのか」
「そう見えます」私は頷いた。「さらに、玄碧様の主張には矛盾が...」
「矛盾?」
「はい」私は玄碧からの複数の書簡を指した。「こちらの書簡では『改革を支持する』と言いながら、別の書簡では『伝統的価値観の重要性』を強調しています。さらに、各高官に送った書簡でも主張が微妙に異なるんです」
瑞珂の顔に驚きの色が広がった。
「そなたはそこまで把握しているのか...」
「脳内スプシで書簡の内容を比較しました」私は少し恥ずかしそうに言った。「玄碧様は相手によって言うことを変えているようです」
「これは貴重な情報だ」瑞珂は感心したように言った。「勇姫、そなたの"書簡管理マトリクス"は、思わぬ武器になったな」
「ありがとうございます」
「ここから先は重要だ」瑞珂の声が真剣味を帯びる。「玄碧たちの矛盾を暴くタイミングを見計らわねばならない」
「公の場で指摘するのですか?」
「いや」瑞珂は首を振った。「それでは彼らも警戒する。我々は...これを武器に交渉するのだ」
「交渉...」
「そう」瑞珂の目に決意が宿る。「農地改革の主導権を守り、玄碧たちを協力させる」
◆◆◆
数日後、皇帝陛下の前での農地改革会議が開かれることとなった。私も瑞珂に同行することになり、緊張で胸がいっぱいだった。
「大丈夫か?」瑞珂が小声で尋ねた。
「はい...」不安を押し殺して頷く。「書簡管理マトリクスも持ってきました」
「良い」瑞珂は満足げに言った。「必要なときは合図する」
会議室に入ると、そこには皇帝陛下をはじめ、宰相、文官長、そして玄碧の姿もあった。高官たちが居並ぶ中、私はひときわ場違いな存在だった。
「皆、集まったな」皇帝が威厳ある声で言った。「今日は農地改革の最終案を決める」
瑞珂が前に進み出た。
「父上、私の案を発表してもよろしいでしょうか」
「うむ」皇帝は頷いた。「我が息子よ、そなたの改革案を聞こう」
瑞珂は明確な口調で農地改革案を説明し始めた。大地主から余剰地を買い上げ、農民に再分配する案だ。彼の説明は簡潔かつ説得力があり、私も思わず見入ってしまった。
「...以上が私の案です」瑞珂は結論を述べた。「来月から実施したいと思います」
宰相が口を開いた。
「皇太子殿下の案は素晴らしい」彼は丁寧な口調で言った。「ただ、実施時期については再考の余地があるかと...」
「再考?」瑞珂が尋ねた。
「はい」宰相は穏やかに続けた。「来年の春からの実施が適切かと。また、対象地域も限定的に始めるべきでは...」
ここで文官長も同調した。
「私も宰相の意見に賛成です。急激な変化は混乱を招く恐れが...」
玄碧も優雅に言葉を添えた。
「皇太子様の熱意は素晴らしいですが、伝統的な土地制度を一気に変えるのは危険かと」
瑞珂は彼らの発言を静かに聞いていたが、やがて私に小さく目配せした。それが合図だ。
私は書簡管理マトリクスを開き、準備を整える。
「宰相閣下」瑞珂が穏やかに言った。「先月、私に送った書簡では『改革は速やかに実施すべき』と述べておられましたが」
宰相の表情が一瞬凍りついた。
「それは...状況が変わったので...」
「文官長」瑞珂が続けた。「あなたも先週の書簡で『全国一斉実施が理想的』と書かれていましたね」
文官長も言葉に詰まった。
「玄碧」瑞珂が最後に言った。「そなたは先日、父上に対して『皇太子の改革案に全面的に賛同する』と伝えたそうだが」
玄碧の顔から血の気が引いた。
「それは...」
「書簡を見せよ」皇帝が突然命じた。
私は恐る恐る書簡と管理マトリクスを差し出した。皇帝はじっくりとそれらを見つめ、やがて厳しい目で宰相たちを見た。
「これは何事だ?」皇帝の声には怒りが含まれていた。「二枚舌を使っているのか?」
宰相と文官長は言い訳を始めようとしたが、皇帝の表情を見てそれを思いとどまった。
「陛下」玄碧が最後の抵抗を試みた。「私たちは皇太子様の熱意を冷ますつもりはなく、ただより慎重な進め方を...」
「それならなぜ、異なる主張をするのだ?」皇帝は冷たく言った。「皇太子に協力すると言いながら、裏で足を引っ張るか?」
玄碧は沈黙した。
瑞珂が静かに口を開いた。
「父上、彼らの懸念にも一理あります」彼は意外な譲歩を見せた。「改革の実施は来月からとしますが、段階的に進めることにしましょう。ただし、主導権は私に...」
皇帝はしばらく考え、やがて頷いた。
「わかった。皇太子の案を採用する。実施は段階的に行うが、主導権は皇太子にある」
宰相たちは不満そうな表情を浮かべながらも、これ以上抵抗できなかった。
「皆、解散してよい」皇帝が言った。「勇姫、そなたは残れ」
周囲がざわめき、高官たちが退出していく中、私は膝が震えるのを感じた。皇帝と二人きり...?いや、瑞珂も残っている。
「勇姫」皇帝が私を見た。「この書簡管理マトリクスを考案したのはそなたか?」
「は、はい」
「興味深い」皇帝は表を見つめた。「情報を整理するだけで、これほどの真実が明らかになるとは」
「ありがとうございます」
「瑞珂」皇帝が息子に向き直った。「そなたはよき補佐を得たな」
「はい、父上」瑞珂は誇らしげに言った。「勇姫なくしては、今日の成果はなかったでしょう」
皇帝は静かに頷いた。
「勇姫、そなたの"神算術"は宮中にとって貴重だ。これからも我が息子を支えよ」
「はい、陛下!」深々と頭を下げる。
会議室を出ると、瑞珂が大きく息を吐いた。
「勇姫、やった!」珍しく興奮した様子で言う。「そなたのマトリクスのおかげで、改革を守ることができた!」
「殿下も見事でした」心からの称賛を返す。「あの場の緊張感は...」
「毎度のことだ」瑞珂は笑った。「だが今日は特別だった。玄碧たちの矛盾を、父上の前で暴く機会を得たのだから」
二人は廊下を歩きながら、今日の勝利を噛みしめた。
「警戒すべきは、彼らの次の一手だ」瑞珂が少し声を落とした。「今日の敗北を簡単に受け入れるとは思えない」
「はい」私も真剣に頷いた。「書簡管理は続けます。何か動きがあれば...」
「頼むぞ」瑞珂は私の肩に軽く手を置いた。「そなたの"頭の中の表"が、我々の最大の武器だ」
その触れ合いに、心臓が高鳴った。社畜だった前世の私が、異世界で皇太子の最大の味方になるなんて。人生とは不思議なものだ。
「殿下」決意を込めて言った。「これからも全力でお支えします」
◆◆◆
その日の夕方、私は清風院に戻ると、興奮して飛び出してきた小桃に出迎えられた。
「勇姫さま!大変です!」
「どうしたの?小桃」
「勇姫さまが玄碧様たちの二枚舌を暴いたって、宮中中の噂になってますよ!」小桃の目はキラキラと輝いていた。「『神算術の才女が政敵を打ち負かした』って!」
「もう噂になってるの?」思わず笑みがこぼれる。「宮中の噂の速さには驚くわね」
「すごいです!」小桃は手を叩いた。「勇姫さまの"頭の中の表"が、宮中を動かしてるんです!」
「大げさよ...」照れくさくなる。「ただの書簡管理だったのに」
「ただじゃありません!」小桃は熱心に言った。「玄碧様は顔を真っ赤にして
それを聞いて少し不安がよぎる。玄碧は敵として恐ろしい存在だ。今日の敗北で、彼女の恨みはさらに深まっただろう。
「気をつけなきゃね...」
「でも大丈夫です!」小桃は屈託なく笑った。「勇姫さまには皇太子様がついてますから!」
「もう、からかわないで!」
しかし心の中では、少し誇らしく思った。「書簡管理マトリクス」という単純なツールで、宮中政治に一石を投じたのだ。社畜時代の事務スキルが、ここまで役立つとは。
「さて」私は部屋に入りながら言った。「明日からは彼らの次の動きを注視しなくちゃ」
書簡管理マトリクスは、これからも私の重要な武器になる。そして何より、瑞珂との絆を深める道具にもなったようだ。