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第19話

「神算術の才女」として宮中の注目を集める私──勇姫ゆうきは、皇太子殿下の書記官としての業務にも慣れてきた。瑞珂の政務文書は整然と管理され、彼の評判も上がりつつある。


「殿下、本日の上奏文じょうそうぶんはこちらです」


私は分類された文書を瑞珂に差し出した。赤いリボンで括られたものが最優先、青が通常業務、緑が参考資料という具合だ。


「ありがとう、勇姫」瑞珂は満足げに頷いた。「そなたのおかげで、政務がはかどるようになった」


「お役に立てて光栄です」


「特に、文書の整理方法は素晴らしい」瑞珂は赤いリボンの束を手に取った。「これだけで、何が重要か一目でわかる」


私は微笑んだ。スプシ式文書管理は、この世界でも十分通用している。


「そういえば」瑞珂が書類に目を通しながら言った。「そなたのところに、様々な官僚から書簡が届いているそうだな?」


「え?」思わず声が上ずる。「どうしてそれを?」


「白凌から聞いた」瑞珂は穏やかに言った。「心配するな。怒っているわけではない」


「はい...」ほっと胸をなでおろす。「確かに最近、色々な方から書簡をいただくようになりました」


"神算術の才女"という評判が広まるにつれ、様々な官僚や妃嬪ひひんたちから書簡が届くようになったのだ。質問や相談、時には単なる挨拶もある。


「返事は書いているのか?」


「はい、できる限り丁寧に」


「内容は?」瑞珂の声に少し緊張が混じる。


「基本的には、私の能力についての質問への回答や、文書管理の簡単なアドバイスです」私は正直に答えた。「政治的な内容には触れないよう気をつけています」


瑞珂の表情が和らいだ。


「そなたを信頼しているからこそ聞いたのだ」彼は真剣な目で私を見た。「宮中では、書簡のやり取りも重要な政治活動になる」


「はい、気をつけます」


「それと...」瑞珂は少し言いにくそうに言葉を選んだ。「届いた書簡は保管しているか?」


「もちろんです」私は即答した。「全て日付順に整理しています」


実は私はそれだけでなく、脳内スプシで書簡の送り主、日付、内容の要約、返信内容をすべて記録していた。いつか役立つかもしれないと思ったからだ。


「それは良い」瑞珂はほっとした様子で言った。「書簡は時に、重要な証拠になる」


「証拠...ですか?」


瑞珂は一瞬言葉に詰まり、それから静かに続けた。


「勇姫、宮中の政治は表向きの言葉と、本当の意図が異なることがある。書簡の内容と、実際の行動が矛盾することも...」


「なるほど」私は頷いた。「そういえば、玄碧様からも書簡をいただきました」


「玄碧から?」瑞珂の顔が引き締まる。「何と?」


「先日の物資横流しの件について、侍女たちを処罰したと報告があり、『今後は協力関係を』という内容でした」


「ふむ...」瑞珂は眉を寄せた。「表向きは和解を装いながら、裏では...」


「裏では?」


「何でもない」瑞珂は首を振った。「ただ、玄碧からの書簡には特に注意するように」


「はい」


◆◆◆


その会話から数日後、私は書簡の管理方法を改善することにした。これまでの単純な日付順の整理ではなく、送信者と内容で分類できる「書簡管理マトリクス」を開発しようと思ったのだ。


清風院の私室で、大きな紙に表を描いていく。縦軸には送り主の名前と役職、横軸には内容のカテゴリー(挨拶、質問、依頼、報告など)。各枡目には該当する書簡の日付と簡単な内容を記入していく。


「これで誰が何について書いてきたか、一目でわかるわ」


さらに重要な点として、同じ人物からの複数の書簡を時系列で並べると、その人の主張や態度の変化も追えるようになる。


「玄碧様の場合は...」


彼女からの書簡を時系列で並べてみると、興味深いパターンが浮かび上がった。最初は敵意に満ちていたが、物資横流しの件以降、急に協力的な姿勢に変わっている。しかし内容をよく読むと、表面上の友好さとは裏腹に、微妙に責任転嫁しているようにも見える。


「こうして見ると...」


不思議なことに気づいた。玄碧が書簡で「協力関係を望む」と言ってきた翌日、宰相からも似たような内容の書簡が届いている。その二日後には、文官長からも「宮中の和解が必要」という書簡が。


「これは...連動しているの?」


脳内スプシを駆使して、さらに書簡の関連性を分析していく。送信日時、内容の類似点、使われている特徴的な言い回しなど...


「やはり...」


玄碧、宰相、文官長、そして数名の高官の書簡には明らかな関連性があった。彼らは互いに連絡を取り合い、足並みを揃えているのだ。


「これは派閥の動きね」


前世の会社でも、部署間の根回しはよくあることだった。しかし、彼らの狙いは何だろう?


その時、ノックの音がした。


「勇姫さま、白凌様がお見えです」小桃の声が聞こえる。


「通してください」


白凌が静かに入ってきた。彼の鋭い目が、私が作業していた書簡管理マトリクスに留まる。


「それは...?」


「書簡の整理をしていたんです」私は説明した。「誰がいつ、何について書いてきたかをまとめていて...」


「ふむ...」白凌は興味深そうに表に近づいた。「なかなか興味深いものだな」


「白凌さん」私は思い切って質問した。「玄碧様と宰相、文官長たちの間に何か関係があるのでしょうか?」


白凌の表情が変わった。彼は周囲を警戒するように見回し、声を潜めた。


「なぜそう思う?」


「彼らの書簡に関連性を見つけたんです」私は表を指さした。「内容の類似性や送信タイミングから、彼らが連携しているように見えます」


白凌はじっと表を見つめ、やがて小さく息を吐いた。


「鋭い観察眼だ」彼は認めるように言った。「その通り、彼らは"保守派"と呼ばれる派閥だ」


「保守派...」


「宮中の旧勢力が中心だ」白凌は説明した。「皇太子の改革に反対する立場だが、今は表向き協力的な姿勢を見せている」


「なぜ急に協力的に?」


「それを探っているところだ」白凌の目が鋭く光った。「勇姫、その表を殿下に見せるべきだ」


◆◆◆


翌日、私は書簡管理マトリクスを持って瑞珂の元を訪れた。彼は興味深そうに表を眺め、次第に真剣な表情になっていった。


「これは...」瑞珂の声に驚きが混じる。「勇姫、この表から何がわかる?」


「玄碧様を中心とする保守派の方々は、表向き協力的になりながらも、何か別の動きをしている可能性があります」私は分析結果を説明した。「特に農地改革に関する書簡が多いです」


瑞珂の目が鋭くなった。


「農地改革...」彼はつぶやいた。「父上が最も力を入れている政策だ」


「はい。彼らは表向き賛同しながらも、細部で異なる案を提示しています」


「どのような違いがある?」


「彼らの案では、変更の時期を遅らせたり、対象範囲を縮小したりしています」私は表から読み取れる情報を伝えた。「また、改革の主導権を皇太子様から宰相に移そうという提案も...」


「なるほど...」瑞珂の表情が厳しくなった。「表面上は協力しながら、実質的には改革を形骸化させ、功績を奪おうとしているのか」


「そう見えます」私は頷いた。「さらに、玄碧様の主張には矛盾が...」


「矛盾?」


「はい」私は玄碧からの複数の書簡を指した。「こちらの書簡では『改革を支持する』と言いながら、別の書簡では『伝統的価値観の重要性』を強調しています。さらに、各高官に送った書簡でも主張が微妙に異なるんです」


瑞珂の顔に驚きの色が広がった。


「そなたはそこまで把握しているのか...」


「脳内スプシで書簡の内容を比較しました」私は少し恥ずかしそうに言った。「玄碧様は相手によって言うことを変えているようです」


「これは貴重な情報だ」瑞珂は感心したように言った。「勇姫、そなたの"書簡管理マトリクス"は、思わぬ武器になったな」


「ありがとうございます」


「ここから先は重要だ」瑞珂の声が真剣味を帯びる。「玄碧たちの矛盾を暴くタイミングを見計らわねばならない」


「公の場で指摘するのですか?」


「いや」瑞珂は首を振った。「それでは彼らも警戒する。我々は...これを武器に交渉するのだ」


「交渉...」


「そう」瑞珂の目に決意が宿る。「農地改革の主導権を守り、玄碧たちを協力させる」


◆◆◆


数日後、皇帝陛下の前での農地改革会議が開かれることとなった。私も瑞珂に同行することになり、緊張で胸がいっぱいだった。


「大丈夫か?」瑞珂が小声で尋ねた。


「はい...」不安を押し殺して頷く。「書簡管理マトリクスも持ってきました」


「良い」瑞珂は満足げに言った。「必要なときは合図する」


会議室に入ると、そこには皇帝陛下をはじめ、宰相、文官長、そして玄碧の姿もあった。高官たちが居並ぶ中、私はひときわ場違いな存在だった。


「皆、集まったな」皇帝が威厳ある声で言った。「今日は農地改革の最終案を決める」


瑞珂が前に進み出た。


「父上、私の案を発表してもよろしいでしょうか」


「うむ」皇帝は頷いた。「我が息子よ、そなたの改革案を聞こう」


瑞珂は明確な口調で農地改革案を説明し始めた。大地主から余剰地を買い上げ、農民に再分配する案だ。彼の説明は簡潔かつ説得力があり、私も思わず見入ってしまった。


「...以上が私の案です」瑞珂は結論を述べた。「来月から実施したいと思います」


宰相が口を開いた。


「皇太子殿下の案は素晴らしい」彼は丁寧な口調で言った。「ただ、実施時期については再考の余地があるかと...」


「再考?」瑞珂が尋ねた。


「はい」宰相は穏やかに続けた。「来年の春からの実施が適切かと。また、対象地域も限定的に始めるべきでは...」


ここで文官長も同調した。


「私も宰相の意見に賛成です。急激な変化は混乱を招く恐れが...」


玄碧も優雅に言葉を添えた。


「皇太子様の熱意は素晴らしいですが、伝統的な土地制度を一気に変えるのは危険かと」


瑞珂は彼らの発言を静かに聞いていたが、やがて私に小さく目配せした。それが合図だ。


私は書簡管理マトリクスを開き、準備を整える。


「宰相閣下」瑞珂が穏やかに言った。「先月、私に送った書簡では『改革は速やかに実施すべき』と述べておられましたが」


宰相の表情が一瞬凍りついた。


「それは...状況が変わったので...」


「文官長」瑞珂が続けた。「あなたも先週の書簡で『全国一斉実施が理想的』と書かれていましたね」


文官長も言葉に詰まった。


「玄碧」瑞珂が最後に言った。「そなたは先日、父上に対して『皇太子の改革案に全面的に賛同する』と伝えたそうだが」


玄碧の顔から血の気が引いた。


「それは...」


「書簡を見せよ」皇帝が突然命じた。


私は恐る恐る書簡と管理マトリクスを差し出した。皇帝はじっくりとそれらを見つめ、やがて厳しい目で宰相たちを見た。


「これは何事だ?」皇帝の声には怒りが含まれていた。「二枚舌を使っているのか?」


宰相と文官長は言い訳を始めようとしたが、皇帝の表情を見てそれを思いとどまった。


「陛下」玄碧が最後の抵抗を試みた。「私たちは皇太子様の熱意を冷ますつもりはなく、ただより慎重な進め方を...」


「それならなぜ、異なる主張をするのだ?」皇帝は冷たく言った。「皇太子に協力すると言いながら、裏で足を引っ張るか?」


玄碧は沈黙した。


瑞珂が静かに口を開いた。


「父上、彼らの懸念にも一理あります」彼は意外な譲歩を見せた。「改革の実施は来月からとしますが、段階的に進めることにしましょう。ただし、主導権は私に...」


皇帝はしばらく考え、やがて頷いた。


「わかった。皇太子の案を採用する。実施は段階的に行うが、主導権は皇太子にある」


宰相たちは不満そうな表情を浮かべながらも、これ以上抵抗できなかった。


「皆、解散してよい」皇帝が言った。「勇姫、そなたは残れ」


周囲がざわめき、高官たちが退出していく中、私は膝が震えるのを感じた。皇帝と二人きり...?いや、瑞珂も残っている。


「勇姫」皇帝が私を見た。「この書簡管理マトリクスを考案したのはそなたか?」


「は、はい」


「興味深い」皇帝は表を見つめた。「情報を整理するだけで、これほどの真実が明らかになるとは」


「ありがとうございます」


「瑞珂」皇帝が息子に向き直った。「そなたはよき補佐を得たな」


「はい、父上」瑞珂は誇らしげに言った。「勇姫なくしては、今日の成果はなかったでしょう」


皇帝は静かに頷いた。


「勇姫、そなたの"神算術"は宮中にとって貴重だ。これからも我が息子を支えよ」


「はい、陛下!」深々と頭を下げる。


会議室を出ると、瑞珂が大きく息を吐いた。


「勇姫、やった!」珍しく興奮した様子で言う。「そなたのマトリクスのおかげで、改革を守ることができた!」


「殿下も見事でした」心からの称賛を返す。「あの場の緊張感は...」


「毎度のことだ」瑞珂は笑った。「だが今日は特別だった。玄碧たちの矛盾を、父上の前で暴く機会を得たのだから」


二人は廊下を歩きながら、今日の勝利を噛みしめた。


「警戒すべきは、彼らの次の一手だ」瑞珂が少し声を落とした。「今日の敗北を簡単に受け入れるとは思えない」


「はい」私も真剣に頷いた。「書簡管理は続けます。何か動きがあれば...」


「頼むぞ」瑞珂は私の肩に軽く手を置いた。「そなたの"頭の中の表"が、我々の最大の武器だ」


その触れ合いに、心臓が高鳴った。社畜だった前世の私が、異世界で皇太子の最大の味方になるなんて。人生とは不思議なものだ。


「殿下」決意を込めて言った。「これからも全力でお支えします」


◆◆◆


その日の夕方、私は清風院に戻ると、興奮して飛び出してきた小桃に出迎えられた。


「勇姫さま!大変です!」


「どうしたの?小桃」


「勇姫さまが玄碧様たちの二枚舌を暴いたって、宮中中の噂になってますよ!」小桃の目はキラキラと輝いていた。「『神算術の才女が政敵を打ち負かした』って!」


「もう噂になってるの?」思わず笑みがこぼれる。「宮中の噂の速さには驚くわね」


「すごいです!」小桃は手を叩いた。「勇姫さまの"頭の中の表"が、宮中を動かしてるんです!」


「大げさよ...」照れくさくなる。「ただの書簡管理だったのに」


「ただじゃありません!」小桃は熱心に言った。「玄碧様は顔を真っ赤にして紫煙閣しえんかくに帰ってったそうですよ!」


それを聞いて少し不安がよぎる。玄碧は敵として恐ろしい存在だ。今日の敗北で、彼女の恨みはさらに深まっただろう。


「気をつけなきゃね...」


「でも大丈夫です!」小桃は屈託なく笑った。「勇姫さまには皇太子様がついてますから!」


「もう、からかわないで!」


しかし心の中では、少し誇らしく思った。「書簡管理マトリクス」という単純なツールで、宮中政治に一石を投じたのだ。社畜時代の事務スキルが、ここまで役立つとは。


「さて」私は部屋に入りながら言った。「明日からは彼らの次の動きを注視しなくちゃ」


書簡管理マトリクスは、これからも私の重要な武器になる。そして何より、瑞珂との絆を深める道具にもなったようだ。


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