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第21話

業務フロー図が宮中を揺るがせてから一週間、私──勇姫ゆうきは、波紋の広がりに驚かされていた。宮中業務改革が正式に発足し、各部署で私の図に基づいた改革が進められている。瑞珂殿下の信頼も厚くなり、皇帝陛下からの評価も上々だ。


「勇姫さまー!勇姫さまー!」


朝の静寂を破り、小桃の声が響く。彼女はいつもより興奮した様子で、私の部屋に駆け込んできた。


「どうしたの、小桃?こんなに朝早くから」


私はまだ少し眠そうな目をこすりながら尋ねた。


「大変です!大変なんです!」小桃は息を切らしている。「みんなが私に話しかけてくるんです!」


「みんなって…誰が?」


「宮中の皆さんです!」小桃は目を丸くした。「昨日から急に、色んな人が『小桃ちゃん、これお願い』って言ってくるんです!」


私は眉を寄せた。小桃はいつも明るく人当たりが良いが、特別人気者というわけでもなかった。なぜ突然注目されるように?


「具体的に、どんなお願いをされたの?」


「えっとね…」小桃は指を折りながら数え始めた。「昨日だけで、『勇姫様に伝言してほしい』が五件、『勇姫様の予定を教えてほしい』が三件、『勇姫様のお話を聞かせてほしい』が四件…」


なるほど、そういうことか。私の評判が上がるにつれ、小桃も注目されるようになったのだ。


「ごめんね、小桃」私は申し訳なさそうに言った。「私のせいで大変な思いをさせて…」


「ち、違うんです!」小桃は慌てて首を振った。「嫌なんじゃないんです!むしろ…」


彼女は少し照れくさそうに微笑んだ。


「むしろ?」


「みんなが私に頼ってくれるの、嬉しいんです」小桃の目が輝いていた。「今まで、私なんて誰も頼ってくれなかったから…」


その言葉に、心がぎゅっと締め付けられる思いがした。確かに小桃は内務女官の中でも目立たない存在だったはずだ。


「でも!」小桃は再び活気づいた。「困ってるんです!どうやって勇姫さまの伝言を整理したらいいか分からなくて…」


ここで私の「教育係」としての出番だ。


「そうね…まずは伝言を整理する仕組みが必要ね」


私は部屋の机に向かい、紙を取り出した。


「こんな風に表を作ってみたら?縦に日付、横に『誰から』『内容』『重要度』『対応状況』という欄を設ける」


小桃は興味津々で覗き込む。


「わぁ!スプシの図ですね!」


「そう、簡単なバージョンよ」私は微笑んだ。「これなら誰からどんな伝言があったか一目でわかるでしょ?」


「すごいです!」小桃は目を輝かせた。「これを使えば、ちゃんと整理できそう!」


「大事なのは、優先順位をつけることよ」私は説明を続けた。「緊急のものは赤い印、重要だけど急ぎではないものは黄色、あとは青というように…」


「色分け、わかりました!」


小桃は真剣にメモを取っている。彼女のこんな一生懸命な姿は、なぜか微笑ましい。


「それと小桃、もう一つ大事なことがあるわ」


「なんですか?」


「全ての伝言や依頼を引き受けなくてもいいのよ」私は真剣に言った。「あなたの本来の仕事もあるんだから、無理はしないで」


「でも…」小桃は少し迷った顔をした。「せっかく頼ってもらえるのに…」


「人の役に立ちたい気持ちはわかるけど」私は優しく諭した。「倒れてしまっては元も子もないわ。前世…いえ、以前の私のように」


小桃はしばらく考え込んでいたが、やがて決意を固めたように頷いた。


「わかりました!賢く仕事をします!勇姫さまを見習って!」


◆◆◆


その日から小桃は、私考案の伝言管理表を使い始めた。最初は戸惑っていたようだが、すぐに要領をつかんだようだ。


数日後、霜蘭が私の執務室を訪れた。


「勇姫、最近の小桃に何かしたのか?」


「え?」思わず顔を上げる。「特に何も…」


「彼女、随分と変わったな」霜蘭は少し感心したような口調で言った。「今朝、内務女官たちの伝言を整理した表を見せてくれたんだが、驚くほど使いやすかった」


「ああ、それは…」


「そなたの教えだな?」霜蘭は小さく微笑んだ。「あの子、そなたのミニチュア版になりつつある」


「ミニチュア版…」思わず笑みがこぼれる。


「笑い事ではないぞ」霜蘭は真面目な顔に戻った。「小桃の評判が急上昇している。内務長も『こんな便利な女官は初めてだ』と言っていたほどだ」


「それは良かった」私は心から言った。「小桃はとても頑張り屋だから、評価されるべきだわ」


「そうだな」霜蘭は納得したように頷いた。「ところで、今日の午後、時間はあるか?」


「はい、瑞珂殿下の予定は終わっています。どうかしましたか?」


「内務部でも業務改革を始めたいと内務長が言っている」霜蘭は説明した。「小桃が作った表を見て興味を持ったらしい。そなたに話を聞きたいそうだ」


これは予想外の展開だった。小桃が内務部の改革の呼び水になるとは。


「もちろん、喜んで」


◆◆◆


午後、内務長の瑠璃るりの部屋を訪れると、そこには小桃の姿もあった。彼女は少し緊張した面持ちで座っている。


「お招きいただき、ありがとうございます」私は丁寧に挨拶した。


「こちらこそ」瑠璃は落ち着いた声で答えた。「勇姫殿の噂は聞いていたが、まさか我が部の小桃が、そなたの教えを実践しているとは思わなかった」


小桃が恥ずかしそうに頭を下げる。


「勇姫さまの教えのおかげです…」


「謙遜するな、小桃」瑠璃は珍しく優しい口調で言った。「そなたの伝言管理表のおかげで、内務部の連絡ミスが激減した。立派なものだ」


小桃の頬が赤くなる。おそらく、内務長からこんな風に褒められるのは初めてなのだろう。


「そこで勇姫殿」瑠璃が私に向き直った。「内務部全体の業務も、そのような形で整理できないだろうか?」


「もちろん可能です」私は自信を持って答えた。「実は業務フロー図にも、内務部の改善案が含まれています」


瑠璃の目が輝いた。


「それを詳しく聞きたい」


私は内務部の現状の問題点と改善案を説明し始めた。掃除担当の重複、物品管理の非効率、指示系統の混乱など…。瑠璃は静かに、しかし熱心に聞いている。


「なるほど…」彼女は時折頷きながら聞いていた。「確かに、長年の課題だった」


説明の途中、小桃が恐る恐る手を挙げた。


「あの…一つ提案があるのですが…」


「何だ、小桃?」瑠璃が尋ねた。


「実は…」小桃は少し震える声で言った。「内務女官の仕事分担表も作ってみたんです」


彼女は小さな紙を取り出した。そこには女官たちの名前と担当場所、時間帯が色分けされて記載されている。私の教えた方法を応用したものだった。


「これは…」瑠璃は紙を手に取り、じっくりと見た。「よく考えられているな」


「ありがとうございます!」小桃の顔が明るくなった。


「これを使えば、誰がどこを担当しているか一目瞭然だ」瑠璃は感心したように言った。「重複も空白も見つけやすい」


「そうなんです!」小桃は少し自信を持ったようだった。「これで掃除漏れもなくなると思って…」


「素晴らしい発想だ、小桃」私は心から褒めた。「私が教えた以上のものを作り出しているわ」


小桃はますます赤くなった。


「そこまででは…」


「いや、勇姫殿の言う通りだ」瑠璃も同意した。「小桃、そなたには才能がある」


内務長からのこの評価は、小桃にとって大きな意味を持つだろう。彼女の目に、わずかに涙が光った。


「明日から、この分担表を正式に採用しよう」瑠璃は宣言した。「小桃、そなたが責任者だ」


「え!?」小桃が驚いて声を上げた。「私が責任者なんて…」


「大丈夫よ、小桃」私は彼女の肩を軽く叩いた。「あなたならできる」


「そうだ」瑠璃も続けた。「そなたは内務女官の中で、最も新しい風を吹き込んでくれた。この改革の先頭に立つのにふさわしい」


小桃の表情が、恐れから決意へと変わっていく。


「わ、わかりました!頑張ります!」


◆◆◆


その日の夕方、清風院の庭で小桃と二人、お茶を飲んでいた。彼女はまだ興奮冷めやらぬ様子だ。


「信じられません…」小桃は何度目かの深呼吸をした。「私が責任者だなんて…」


「おめでとう、小桃」私は心からの祝福を込めた。「あなたの努力が認められたのよ」


「でも、全部勇姫さまのおかげです!」小桃は真剣な顔で言った。「勇姫さまが教えてくれなかったら、こんなこと絶対になかった…」


「いいえ」私はきっぱりと首を振った。「確かに最初のきっかけは私かもしれないけど、それを自分のものにして発展させたのはあなた自身よ。内務部の仕事をよく知っているからこそ、あの分担表が作れたんでしょう?」


小桃は少し考え、おずおずと頷いた。


「それに」私は続けた。「私の知らない宮中の細かいことをたくさん教えてくれたのは小桃じゃない。お互い様よ」


「勇姫さま…」小桃の目に再び涙が光った。「ありがとうございます…」


彼女は突然立ち上がり、私に深々と頭を下げた。


「これからも、勇姫さまの教えを広げていきます!内務部の改革、必ず成功させます!」


その決意に満ちた表情に、思わず笑みがこぼれる。最初に会った頃の、おどおどした小桃とは別人のようだ。


「応援してるわ、小桃」


◆◆◆


翌日から、小桃の存在感は宮中でさらに大きくなった。内務女官たちの間で「小桃式分担表」が評判になり、彼女の指示を仰ぐ女官が増えたのだ。


ある日、瑞珂の執務室で仕事をしていると、白凌が入ってきた。


「勇姫、最近の小桃の評判を聞いているか?」


「少しは」私は微笑んだ。「彼女、頑張ってるみたいですね」


「頑張っている程度ではない」白凌は珍しく感心したような口調で言った。「内務部全体が変わり始めている。小桃が中心となって、清掃効率が30%向上したそうだ」


「30%も?」思わず声が上がる。


「うむ」白凌は頷いた。「彼女の分担表と伝言管理が、内務部の仕事を一変させているらしい」


瑞珂が興味深そうに話に加わった。


「小桃とは、勇姫の友人の内務女官だな?」


「はい」私は答えた。「私の世話をしてくれている子です」


「なるほど」瑞珂は穏やかに微笑んだ。「そなたの影響力は、思いがけない形で広がっているようだな」


「はい…」少し照れくさくなる。「小桃は素直で吸収が早いんです」


「それだけではあるまい」白凌が言った。「彼女自身にも才能があったのだろう。そなたがそれを引き出した」


その言葉に、心が温かくなった。確かに小桃は昔から優しく真面目だったが、目立たない存在だった。それが今や…


「最も役に立つ女官」と呼ばれるまでになったのだ。


◆◆◆


一週間後、さらに驚くべき知らせが届いた。皇帝陛下が内務部の改革に興味を持ち、視察に訪れるというのだ。


「陛下が!?」私は霜蘭からの報告に驚いた。


「そうだ」霜蘭は頷いた。「内務部の効率向上が宮中全体に良い影響を与えていると聞き、直接見たいとのことだ」


「小桃は知ってるの?」


「ああ、今頃はパニックに陥っているだろうな」霜蘭は少し面白そうに言った。「そなたが励ましてやったらどうだ?」


私は急いで内務部へ向かった。案の定、小桃は青ざめた顔で震えていた。


「ど、ど、どうしよう勇姫さま…」彼女はほとんど泣きそうだ。「陛下に何を話せばいいのか…」


「落ち着いて、小桃」私は優しく彼女の肩を抱いた。「あなたがしてきたことを、そのまま伝えればいいだけよ」


「でも、陛下ですよ!?」小桃の声が裏返る。「あたし、陛下の前で倒れちゃうかも…」


「大丈夫」私はきっぱりと言った。「小桃は内務部の改革の中心人物。胸を張っていいのよ」


小桃はまだ震えていたが、少しずつ落ち着いてきたようだ。


「そ、そうですよね…」彼女は深呼吸をした。「あたし、頑張ってきたんだから…」


「そうよ」私は励ました。「それに私も同行するわ。陛下から呼ばれているの」


「ほんとですか!?」小桃の顔が明るくなった。「勇姫さまが一緒なら…頑張れます!」


翌日、皇帝陛下の視察が行われた。内務部は緊張に包まれていたが、小桃は意外なほど堂々としていた。彼女が作成した分担表や管理システムについて、しっかりと説明する姿に、私は誇らしさを感じた。


「なるほど」皇帝は感心したように頷いた。「この表一枚で、誰がどこを担当しているか把握できるというわけか」


「はい、陛下」小桃は震える声を懸命に抑えながら答えた。「これにより、重複作業が減り、掃除漏れも防げます」


「素晴らしい」皇帝は小桃を見つめた。「そなたの名は?」


「小、小桃と申します」


「小桃」皇帝は微笑んだ。「宮中にはそなたのような若い力が必要だ。今後も改革を続けるがよい」


「は、はい!ありがとうございます!」小桃は深々と頭を下げた。


視察の後、内務部全体で小さなお祝いが開かれた。小桃は皆から祝福され、照れくさそうに笑っている。


「勇姫さま!」彼女は私を見つけると駆け寄ってきた。「できました!倒れませんでした!」


「見事だったわ、小桃」私は心から言った。「あなたの説明、とても分かりやすかったわ」


「ほんとですか?」小桃は嬉しそうに目を輝かせた。「あたし、必死だったんです…」


瑠璃が私たちに近づいてきた。


「勇姫殿、小桃を育ててくれてありがとう」彼女は珍しく柔らかな表情で言った。「彼女は内務部の宝になった」


「いえ、小桃自身の頑張りです」


「そうかもしれんが」瑠璃は静かに言った。「きっかけを作ったのはそなただ。感謝している」


彼女は去り際に、小桃の頭を軽く撫でた。珍しい光景に、小桃の目がうるうるとしている。


「瑠璃様に頭を撫でられるなんて…」小桃は信じられないといった表情だ。「こんなこと、一度もなかったのに…」


私は小桃の成長を、誇らしく見守った。彼女の中には、もともと素晴らしい才能が眠っていたのだ。それを引き出すきっかけを作れたなら、こんなに嬉しいことはない。


「小桃」私は真剣に言った。「あなたは本当に素晴らしい女官よ。これからもその才能を伸ばしていって」


「はい!」小桃は目に涙を浮かべながら力強く頷いた。「勇姫さまのように、宮中を変える存在になります!」


その日から、小桃は正式に「内務改革担当」という役職を与えられた。内務部の女官たちの間では、「小桃様」と敬意を込めて呼ばれるようになった。


かつての小さな存在が、今や「最も役に立つ女官」として輝いている。私の改革は、思わぬ形で広がり始めていた。


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