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side talk:小桃の宝箱~天真爛漫な女官の秘めた想い

 勇姫ゆうき紫霞宮しかきゅうで働き始めて七ヶ月が過ぎた春分しゅんぶんの日のことだった。瑞珂ずいか皇太子の改革に携わるようになった彼女は、日々忙しく業務をこなしていた。この日は珍しく早く仕事が終わり、女官寮である清風院せいふういんに帰る途中、廊下で小桃しゃおたおと出くわした。桃色の髪をした小柄な16歳の少女は、薄桃色の下級女官制服に身を包み、いつものように袖が長すぎて手首が隠れている。彼女の杏色の大きな瞳はいつもなら輝いているのだが、この日は何かに焦っているようで、両手で何かをかかえて急いでいた。


「あ!ゆうさん!」


 小桃は勇姫を見ると驚いたように立ち止まった。漆黒に近い深い藍色の髪をきちんとまとめ、青と銀を基調とした書記女官の制服を着た勇姫は、疑問を浮かべた灰紫色の瞳で小桃を見つめた。


「どうしたの?そんなに慌てて」


「い、いえ!なんでもないです!」


 小桃は明らかに動揺しており、両手で抱えていた小さな木箱をさらにつよく胸に押し付けた。


「それは…?」


「これは……あの……」


 小桃はもじもじとして、言葉に詰まっている。


「秘密ですか?無理に聞きませんよ」


 勇姫がそう言って行こうとすると、小桃は急に彼女の袖を掴んだ。


「待ってください!実は…ゆうさんに、見てほしいものがあるんです」


 勇姫は驚いたが、小桃の真剣な表情に、つい頷いてしまった。


「わかったわ。どこで見せてくれるの?」


「あたしの部屋で…いいですか?」


◆◆◆


 桃花房とうかぼうと呼ばれる下級女官の宿舎は、清風院の南側にあった。小さな部屋には二段のベッドが置かれ、窓からは中庭の桃の木が見える。小桃は自分のベッドの下から、もう一つ大きな木箱を取り出し、先ほどの小箱と並べて置いた。


「これが、あたしの宝物なんです」


 そう言って小桃は恥ずかしそうに微笑んだ。


「宝物?」


「はい…ゆうさんにだけ、特別に見せちゃいます!」


 小桃は大きな箱のかぎを開け、中から様々なものを取り出し始めた。色とりどりの布切れ、小さな石、乾いた花、手作りのお守り…。


「これは故郷から持ってきたものです。あたし、実はこの宮殿に来る前は、翠衣街すいいがいの裁縫店で住み込みで働いてたんです」


 彼女は一つ一つの品物を大切そうに並べていく。


「裁縫店?小桃ちゃん、お裁縫得意なの?」


 小桃は照れくさそうに頭を掻いた。


「実は…苦手なんです。だから、もっと役に立てることをしたくて、女官試験を受けたんです」


 勇姫は意外な事実に驚いた。いつも明るく前向きな小桃が、こんな苦悩くのうを抱えていたとは。


「でも、あなたは伝令の仕事がとても上手よ?」


「それは…あたし、走るの昔から得意だったから。村の運動会では一等賞でした!」


 小桃は少し誇らしげに胸を張った。続いて、彼女は小さな木箱を開けた。中にはきれいな毛筆画もうひつがが数枚収められていた。


「これは…」


ゆうさんの絵です」


 勇姫は驚いて目を見開いた。そこには見事な筆使いで彼女の姿が描かれていた。事務仕事をする姿、小桃に指示を出す姿、瑞珂と話し合う姿…。


「小桃ちゃん、これを描いたの?」


「はい…あの、怒らないでくださいね。こっそり描いちゃって…」


 勇姫は感動のあまり言葉を失った。その絵は単なる写生しゃせいではなく、勇姫の内面までも捉えているように思えた。


「どうして私の絵を?」


 小桃は恥ずかしそうに目を伏せた。


「あたし…ゆうさんがすごく好きだからです」


 勇姫は思わず小桃の肩に手を置いた。


「私も小桃ちゃんのこと、大切に思っているわ」


「違うんです!」


 小桃は急に声を上げた。


「あたし、ゆうさんに憧れてるんです!強くて、賢くて、何でも出来て…でも、優しくて…」


 彼女の杏色の瞳に涙が浮かんだ。


「あたしなんて、何も出来なくて、失敗ばかりで…」


 勇姫は驚きながらも、小桃の手をしっかり握った。


「そんなことないわ。小桃ちゃんは皆の笑顔を守ってくれる、大切な存在よ」


「でも…」


「聞いて。私は前世では、誰からも認められなかったの。でも、ここであなたのような人に出会えて、初めて自分の価値を感じられるようになったの」


 勇姫は真剣な表情で続けた。


「だから、あなたの存在は私にとってとても大切なの」


 小桃の目から涙がこぼれ落ちた。


「本当ですか…?」


「嘘なんか言わないわ」


 勇姫はそっと小桃の涙を拭った。


「あなたの絵、素晴らしいわ。こんな才能を持っていたなんて」


「実は…あたしの母が画家だったんです。でも病気で早くに亡くなって…」


 小桃は宝箱ほうばこから、一番下に敷かれていた布を取り出した。そこには一枚の絵がつつまれていた。美しい女性が幼い小桃を抱いている肖像画だ。


「お母様の作品?」


「はい。これが唯一の形見なんです」


 勇姫は静かに頷いた。小桃の天真爛漫な表情の裏にある複雑な過去を知り、胸が痛んだ。


「でも、あたし、強くなりたいんです。ゆうさんみたいに」


 小桃は涙を拭いて、決意に満ちた表情を見せた。


「だから…あたしにも何か教えてください!スプシとか…」


 勇姫は小さく笑った。


「絵を描くことは、立派なスプシよ」


「え?」


「情報を整理して見える形にする。それがスプシの本質なの。あなたは絵で、目に見えない心まで表現している。それは私のスプシより、ずっと素晴らしいことよ」


 小桃の顔が明るくなった。


「本当ですか?」


「ええ。あなたの才能、もっと活かしましょう。例えば、業務改革の図解を一緒に作れないかしら?」


「あたし、お役に立てますか?」


「もちろん。図で説明すれば、みんなにもっと分かりやすく伝わるわ」


 小桃は嬉しそうに飛び跳ねた。


「やります!あたし、頑張ります!」


 勇姫は微笑んだ。


「それと…今日見せてくれたもの、全部大切な宝物ね。特に、お母様の絵と、あなたの才能」


 小桃は頷き、宝箱を大切そうに閉じた。


ゆうさん…ありがとうございます。あたし、もっともっと強くなって、ゆうさんの役に立ちたいです!」


 勇姫は小桃の頭を優しく撫でた。


「小桃ちゃんは、すでに十分役立っているわ。あなたの笑顔が、みんなの力になっているのよ」


 二人は微笑み合った。小さな女官寮の一室で、勇姫は小桃の秘めた想いと才能を知り、彼女との絆がさらに深まったのだった。


「じゃあ、明日から一緒に『見える化プロジェクト』を始めましょうか」


「はい!あたし、頑張ります!」


 小桃の元気な返事は、いつもと変わらなかったが、その瞳には新たな決意の光が宿っていた。天真爛漫な女官の秘めた想いは、これから紫霞宮しかきゅうをさらに明るく彩っていくことだろう。


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