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GAIDEN:外伝3~瑞珂の誕生日、勇姫の手作り贈り物の奮闘記

少し先の話。紫霞宮しかきゅう勇姫ゆうきが転生して七ヶ月目の秋のことだった。芙蓉ふよう帝国は収穫の季節を迎え、紅葉が始まりつつある頃。宮殿内では一大行事の準備が着々と進められていた。それは瑞珂ずいか皇太子の二十一歳の誕生日を祝う宴だ。漆黒に近い深い藍色の髪をきちんと結い上げ、青と銀を基調とした書記女官の制服に身を包んだ勇姫は、文政局分室ぶんせいきょくぶんしつでの仕事を終え、何やら考え込んでいた。灰紫色の瞳には珍しく迷いの色が浮かんでいる。


「どうしよう…何を贈ればいいのかしら」


 勇姫が小さく呟いた時、小桃しゃおたおが元気よく部屋に飛び込んできた。小柄な体に薄桃色の下級女官制服を着た彼女は、相変わらず袖が長すぎて手首が隠れている。杏色の大きな瞳を輝かせ、彼女は勇姫の机の前に立った。


ゆうさん!殿下の誕生日、何を贈るんですか?」


 思いもよらない問いに、勇姫は驚いて顔を上げた。


「え?どうして私が贈り物を?」


「だって、ゆうさんは殿下のお気に入りじゃないですか~」


 小桃はにっこりと笑った。勇姫は頬が熱くなるのを感じた。


「そんなことないわよ。私は単なる書記女官で...」


「嘘つき~。みんな知ってますよ、殿下がゆうさんを特別扱いしてるの」


 勇姫は否定しようとしたが、言葉が出てこなかった。確かに最近、瑞珂との距離は近づいているように感じていた。彼の優しい笑顔や、時折見せる脆さに、勇姫は心惹かれていた。


「何を贈ればいいのかしら...」


 勇姫は再び呟いた。宮中では、皇太子への贈り物は厳格な礼法れいほうに則ったものでなければならない。高価な宝石や美術品は女官の身分では不釣り合いだし、かといって軽いものでは無礼になる。


「手作りのものはどうですか?」


 小桃が提案した。勇姫は首を傾げた。


「手作り?」


「はい!殿下は実用的なものがお好きだと聞きます。ゆうさんの前世のスキルを活かして、何か作れませんか?」


 勇姫は考え込んだ。前世のスキル...スプシや事務処理術では物は作れない。しかし、思いがけず一つの記憶が蘇った。


「そういえば、大学時代に製本を習ったことがあったわ」


製本せいほん?」


「本を作ることよ。瑞珂さん...いえ、殿下は読書がお好きだったわね」


 勇姫の頭の中で、アイデアが形になり始めた。瑞珂は様々な場所に書類を広げがちで、いつも探し物をしている。もし、彼専用の手帳てちょうがあれば...


「よし、決めた。手帳を作ってみるわ」


 小桃は目を輝かせた。


「わぁ!素敵ですね!でも、材料はどうするんですか?」


 そこで勇姫は立ち止まった。確かに、現代のような製本材料はこの世界にはない。


「そうね...まずは材料集めから始めなきゃ」


◆◆◆


 翌日から勇姫の秘密の製本プロジェクトが始まった。彼女は仕事の合間を縫って、必要な材料を少しずつ集め始めた。


ゆうさん、これは使えますか?」


 小桃は上質な和紙のような紙を持ってきた。勇姫は喜んで受け取った。


「ありがとう!これは完璧よ。どこで手に入れたの?」


尚書房しょうしょぼうの倉庫に古い書類があって、裏紙が使えそうだったんです」


 勇姫は眉をひそめた。


「公用の紙を私用に使うわけにはいかないわ」


「大丈夫ですよ!これは捨てられる予定だったものです。白凌びゃくりょうさんの許可も取りました!」


 小桃の言葉に、勇姫は安心した。銀白の髪を持つ宦官長・白凌が協力してくれているとは意外だった。


 次の課題は表紙の材料だった。頑丈で美しい布や革が必要だ。


「こんなものはどうでしょう?」


 今度は霜蘭そうらんが現れ、美しい青い絹織物を差し出した。銀白の髪と琥珀色の瞳を持つ彼女は、青地に黒の刺繍入りの礼服姿で、相変わらず気品に満ちていた。


「霜蘭さん!?」


 勇姫は驚いて目を見開いた。


「小桃から聞いたわ。皇太子への贈り物を作っているそうね」


 霜蘭はわずかに微笑んだ。


「これは私の故郷で織られた絹よ。水に強く、耐久性もある」


 勇姫は恐る恐る布を受け取った。確かに上質な布だ。


「ありがとうございます。でも...なぜ?」


「単純よ。あなたの贈り物が見苦しいものだと、皇太子の面目が立たない。それだけのこと」


 そう言いながらも、霜蘭の目には温かみがあった。彼女も内心では二人の関係を応援しているのかもしれない。


 こうして材料が揃い始めた勇姫だったが、次の問題は製本の作業場所だった。


「私の部屋では狭すぎるし、誰かに見られたら噂になるわ」


 勇姫が悩んでいると、小桃が秘密の場所を教えてくれた。


桃花園とうかえんの東屋はどうですか?あそこなら人目につきませんよ」


 桃花園は小さな庭園で、正規のルートからは見えない場所にあった。勇姫は感謝の笑みを浮かべた。


「小桃ちゃん、ありがとう!」


◆◆◆


 その日から数日間、勇姫は夜な夜な桃花園の東屋で製本作業に励んだ。和紙を丁寧に裁断し、糸で綴じ、表紙を付ける。前世の記憶を頼りに、彼女は慎重に作業を進めていった。


「ここが難しいのよね...」


 勇姫は糸を引き締めながら呟いた。その時、思いがけない声が聞こえた。


「手伝いましょうか?」


 振り返ると、そこには墨染めのシンプルな私服姿の霜蘭が立っていた。


「霜蘭さん!どうしてここに?」


「夜の散歩よ。それにしても、なかなか丁寧な仕事ね」


 霜蘭は勇姫の作業を眺め、座った。


「私も裁縫は得意だから、手伝えるわ」


 勇姫は驚きつつも、彼女の申し出を受け入れた。二人で作業をすると、予想以上に早く進んだ。


「霜蘭さん、本当に器用なんですね」


「当然よ。上級妃になるための基本だもの」


 さらに驚いたことに、次の夜には小桃だけでなく、他の女官たちも手伝いに来てくれた。勇姫の製本プロジェクトは、いつの間にか女官たちの秘密の共同作業になっていた。


「皆さん...ありがとう」


 勇姫は感謝の気持ちを込めて言った。皆、口々に「殿下のためなら」と言いながらも、どこか楽しそうだった。


◆◆◆


 しかし、完成間近のある夜、思わぬ事態が発生した。東屋で作業を終えた勇姫が手帳を持ち帰ろうとした時、突然の雨が降り始めたのだ。


「大変!」


 勇姫は急いで手帳を胸に抱え、走り出した。しかし、足元が滑り、池の縁で転んでしまう。


「きゃっ!」


 勇姫は手帳を守ろうと身を捻ったが、その拍子に自分が池に落ちてしまった。


「冷たい!」


 幸い手帳は無事だったが、勇姫は頭から足先まで水浸しになった。


「どうしたんだ?」


 思いがけない声に、勇姫は凍りついた。見上げると、そこには栗色の髪と墨茶色の瞳を持つ瑞珂皇太子が立っていた。紺の簡素な常服姿で、傘を持っている。


「殿下!?」


 勇姫は慌てて手帳を背中に隠した。


「ど、どうしてここに...」


「散歩をしていたら、悲鳴が聞こえてね」


 瑞珂は心配そうな顔で勇姫に近づき、手を差し伸べた。


「大丈夫か?怪我はない?」


「は、はい...ただ濡れただけで...」


 勇姫は瑞珂の手を借りて池から上がった。彼女は震えながらも、必死に手帳を隠そうとしている。


「何を隠しているんだ?」


 鋭い瑞珂の観察眼に、勇姫はたじろいだ。


「な、何でもありません...」


「嘘はよくないよ、勇姫」


 瑞珂は優しく微笑んだ。勇姫はため息をついた。


「実は...殿下への誕生日の贈り物を作っていたんです」


「僕への?」


 瑞珂の目が驚きで見開かれた。


「見せてくれないか?」


 勇姫は渋々と手帳を差し出した。幸い内側まで濡れてはいなかったが、表紙の一部が水で染みてしまっていた。


「これは...手帳?」


「はい。殿下が書類をよく探されているので、メモや予定を書き留める手帳があれば便利かと...」


 勇姫は恥ずかしそうに言った。瑞珂は手帳を丁寧に開き、ページをめくっていく。


「これは素晴らしい...君が作ったのか?」


「はい。前世の知識を使って...霜蘭さんや小桃ちゃんたちも手伝ってくれました」


 瑞珂は感動したように手帳を見つめた。


「こんなに素敵な贈り物をもらったのは初めてだ」


 勇姫は赤面した。


「でも、表紙が濡れてしまって...完璧ではなくなってしまいました」


 瑞珂は首を振った。


「いや、これでいい。むしろ良くなった」


「え?」


「見てごらん。水染みが龍の形に見えないか?」


 確かに、青い絹の表紙に付いた水染みは、不思議と龍が天に昇るような形になっていた。


「本当だ...」


「これは天の祝福だな」


 瑞珂は笑った。そして、突然真剣な表情になり、勇姫の手を取った。


「ありがとう、勇姫。公式の誕生日祝いでは、誰も僕自身のことを考えてくれない。でも君は...」


 勇姫は瑞珂の温かい手に包まれる自分の手を見つめた。


「殿下...」


「ここだけの話、僕の本当の誕生日は今日なんだ」


「え?」


「公式の誕生祝いは政治的な行事になってしまった。だから宮廷暦では三日後になっている」


 瑞珂は少し寂しそうに笑った。


「だから君の贈り物は、本当の僕の誕生日に届いたことになる」


 勇姫は感動で言葉を失った。偶然とはいえ、本当の誕生日に贈り物を渡せたことに、何か運命的なものを感じる。


「それじゃあ...お誕生日おめでとうございます、瑞珂さん」


 勇姫は勇気を出して言った。瑞珂の名前を呼ぶのは、まだ慣れなかった。瑞珂は嬉しそうに微笑み、勇姫を傘の下に引き寄せた。


「ありがとう。これは僕の人生で最高の誕生日だ」


 雨の中、二人は肩を寄せ合って宮殿へと歩き始めた。勇姫はひどく濡れていたが、瑞珂の近くにいることで、不思議と寒さを感じなかった。


 翌日、勇姫の部屋に小さな箱が届いた。中には美しいかんざしが入っていた。添えられたメモには、「昨夜は風邪をひかなかったか?もう一度、心からありがとう」と書かれていた。


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