少し先の話。
「どうしよう…何を贈ればいいのかしら」
勇姫が小さく呟いた時、
「
思いもよらない問いに、勇姫は驚いて顔を上げた。
「え?どうして私が贈り物を?」
「だって、
小桃はにっこりと笑った。勇姫は頬が熱くなるのを感じた。
「そんなことないわよ。私は単なる書記女官で...」
「嘘つき~。みんな知ってますよ、殿下が
勇姫は否定しようとしたが、言葉が出てこなかった。確かに最近、瑞珂との距離は近づいているように感じていた。彼の優しい笑顔や、時折見せる脆さに、勇姫は心惹かれていた。
「何を贈ればいいのかしら...」
勇姫は再び呟いた。宮中では、皇太子への贈り物は厳格な
「手作りのものはどうですか?」
小桃が提案した。勇姫は首を傾げた。
「手作り?」
「はい!殿下は実用的なものがお好きだと聞きます。
勇姫は考え込んだ。前世のスキル...スプシや事務処理術では物は作れない。しかし、思いがけず一つの記憶が蘇った。
「そういえば、大学時代に製本を習ったことがあったわ」
「
「本を作ることよ。瑞珂さん...いえ、殿下は読書がお好きだったわね」
勇姫の頭の中で、アイデアが形になり始めた。瑞珂は様々な場所に書類を広げがちで、いつも探し物をしている。もし、彼専用の
「よし、決めた。手帳を作ってみるわ」
小桃は目を輝かせた。
「わぁ!素敵ですね!でも、材料はどうするんですか?」
そこで勇姫は立ち止まった。確かに、現代のような製本材料はこの世界にはない。
「そうね...まずは材料集めから始めなきゃ」
◆◆◆
翌日から勇姫の秘密の製本プロジェクトが始まった。彼女は仕事の合間を縫って、必要な材料を少しずつ集め始めた。
「
小桃は上質な和紙のような紙を持ってきた。勇姫は喜んで受け取った。
「ありがとう!これは完璧よ。どこで手に入れたの?」
「
勇姫は眉をひそめた。
「公用の紙を私用に使うわけにはいかないわ」
「大丈夫ですよ!これは捨てられる予定だったものです。
小桃の言葉に、勇姫は安心した。銀白の髪を持つ宦官長・白凌が協力してくれているとは意外だった。
次の課題は表紙の材料だった。頑丈で美しい布や革が必要だ。
「こんなものはどうでしょう?」
今度は
「霜蘭さん!?」
勇姫は驚いて目を見開いた。
「小桃から聞いたわ。皇太子への贈り物を作っているそうね」
霜蘭はわずかに微笑んだ。
「これは私の故郷で織られた絹よ。水に強く、耐久性もある」
勇姫は恐る恐る布を受け取った。確かに上質な布だ。
「ありがとうございます。でも...なぜ?」
「単純よ。あなたの贈り物が見苦しいものだと、皇太子の面目が立たない。それだけのこと」
そう言いながらも、霜蘭の目には温かみがあった。彼女も内心では二人の関係を応援しているのかもしれない。
こうして材料が揃い始めた勇姫だったが、次の問題は製本の作業場所だった。
「私の部屋では狭すぎるし、誰かに見られたら噂になるわ」
勇姫が悩んでいると、小桃が秘密の場所を教えてくれた。
「
桃花園は小さな庭園で、正規のルートからは見えない場所にあった。勇姫は感謝の笑みを浮かべた。
「小桃ちゃん、ありがとう!」
◆◆◆
その日から数日間、勇姫は夜な夜な桃花園の東屋で製本作業に励んだ。和紙を丁寧に裁断し、糸で綴じ、表紙を付ける。前世の記憶を頼りに、彼女は慎重に作業を進めていった。
「ここが難しいのよね...」
勇姫は糸を引き締めながら呟いた。その時、思いがけない声が聞こえた。
「手伝いましょうか?」
振り返ると、そこには墨染めのシンプルな私服姿の霜蘭が立っていた。
「霜蘭さん!どうしてここに?」
「夜の散歩よ。それにしても、なかなか丁寧な仕事ね」
霜蘭は勇姫の作業を眺め、座った。
「私も裁縫は得意だから、手伝えるわ」
勇姫は驚きつつも、彼女の申し出を受け入れた。二人で作業をすると、予想以上に早く進んだ。
「霜蘭さん、本当に器用なんですね」
「当然よ。上級妃になるための基本だもの」
さらに驚いたことに、次の夜には小桃だけでなく、他の女官たちも手伝いに来てくれた。勇姫の製本プロジェクトは、いつの間にか女官たちの秘密の共同作業になっていた。
「皆さん...ありがとう」
勇姫は感謝の気持ちを込めて言った。皆、口々に「殿下のためなら」と言いながらも、どこか楽しそうだった。
◆◆◆
しかし、完成間近のある夜、思わぬ事態が発生した。東屋で作業を終えた勇姫が手帳を持ち帰ろうとした時、突然の雨が降り始めたのだ。
「大変!」
勇姫は急いで手帳を胸に抱え、走り出した。しかし、足元が滑り、池の縁で転んでしまう。
「きゃっ!」
勇姫は手帳を守ろうと身を捻ったが、その拍子に自分が池に落ちてしまった。
「冷たい!」
幸い手帳は無事だったが、勇姫は頭から足先まで水浸しになった。
「どうしたんだ?」
思いがけない声に、勇姫は凍りついた。見上げると、そこには栗色の髪と墨茶色の瞳を持つ瑞珂皇太子が立っていた。紺の簡素な常服姿で、傘を持っている。
「殿下!?」
勇姫は慌てて手帳を背中に隠した。
「ど、どうしてここに...」
「散歩をしていたら、悲鳴が聞こえてね」
瑞珂は心配そうな顔で勇姫に近づき、手を差し伸べた。
「大丈夫か?怪我はない?」
「は、はい...ただ濡れただけで...」
勇姫は瑞珂の手を借りて池から上がった。彼女は震えながらも、必死に手帳を隠そうとしている。
「何を隠しているんだ?」
鋭い瑞珂の観察眼に、勇姫はたじろいだ。
「な、何でもありません...」
「嘘はよくないよ、勇姫」
瑞珂は優しく微笑んだ。勇姫はため息をついた。
「実は...殿下への誕生日の贈り物を作っていたんです」
「僕への?」
瑞珂の目が驚きで見開かれた。
「見せてくれないか?」
勇姫は渋々と手帳を差し出した。幸い内側まで濡れてはいなかったが、表紙の一部が水で染みてしまっていた。
「これは...手帳?」
「はい。殿下が書類をよく探されているので、メモや予定を書き留める手帳があれば便利かと...」
勇姫は恥ずかしそうに言った。瑞珂は手帳を丁寧に開き、ページをめくっていく。
「これは素晴らしい...君が作ったのか?」
「はい。前世の知識を使って...霜蘭さんや小桃ちゃんたちも手伝ってくれました」
瑞珂は感動したように手帳を見つめた。
「こんなに素敵な贈り物をもらったのは初めてだ」
勇姫は赤面した。
「でも、表紙が濡れてしまって...完璧ではなくなってしまいました」
瑞珂は首を振った。
「いや、これでいい。むしろ良くなった」
「え?」
「見てごらん。水染みが龍の形に見えないか?」
確かに、青い絹の表紙に付いた水染みは、不思議と龍が天に昇るような形になっていた。
「本当だ...」
「これは天の祝福だな」
瑞珂は笑った。そして、突然真剣な表情になり、勇姫の手を取った。
「ありがとう、勇姫。公式の誕生日祝いでは、誰も僕自身のことを考えてくれない。でも君は...」
勇姫は瑞珂の温かい手に包まれる自分の手を見つめた。
「殿下...」
「ここだけの話、僕の本当の誕生日は今日なんだ」
「え?」
「公式の誕生祝いは政治的な行事になってしまった。だから宮廷暦では三日後になっている」
瑞珂は少し寂しそうに笑った。
「だから君の贈り物は、本当の僕の誕生日に届いたことになる」
勇姫は感動で言葉を失った。偶然とはいえ、本当の誕生日に贈り物を渡せたことに、何か運命的なものを感じる。
「それじゃあ...お誕生日おめでとうございます、瑞珂さん」
勇姫は勇気を出して言った。瑞珂の名前を呼ぶのは、まだ慣れなかった。瑞珂は嬉しそうに微笑み、勇姫を傘の下に引き寄せた。
「ありがとう。これは僕の人生で最高の誕生日だ」
雨の中、二人は肩を寄せ合って宮殿へと歩き始めた。勇姫はひどく濡れていたが、瑞珂の近くにいることで、不思議と寒さを感じなかった。
翌日、勇姫の部屋に小さな箱が届いた。中には美しい