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第44話

「あー、もう書類の山が天井まで届きそう!」


透明院とうめいいんの執務室で、私——勇姫ゆうきは山積みの文書に埋もれながら、思わず天を仰いだ。


瑞珂陛下の即位から一週間。透明院の設立が発表されるや否や、宮中から驚くほど多くの申請や報告書が押し寄せてきたのだ。改革の第一歩として、全部署に業務報告の提出を義務付けたのは良いものの、その量たるや想像を絶する。


「うう…これじゃあ改革どころか、私が先に埋葬まいそうされそう…」


「勇姫さまぁ!」


陽気な声とともに、小桃が部屋に飛び込んできた。彼女は相変わらず元気いっぱいだ。


「あら、小桃。今日も元気そうね」


「はい!でも…」彼女は部屋の惨状を見て目を丸くした。「うわぁ、まるで紙の海ですね!」


「ええ、溺れかけてるところよ」苦笑しながら答える。「でも、改革の第一歩だから仕方ないわ」


小桃は頭を傾げて私を見つめた。その大きな瞳に、何か思いつめたような色が浮かんでいる。


「勇姫さま、あのですね」彼女はいつになく真剣な表情になった。「実は、お願いがあるんです」


「お願い?」私は手を止めて彼女を見た。「どうしたの?」


小桃は深呼吸をして、一気に言った。


「あたし、透明院で働きたいんです!勇姫さまのお手伝いがしたいんです!」


その言葉に、私は思わず笑みをこぼした。


「小桃…」


「あたし、内務部の仕事も好きです。でも、勇姫さまと一緒に宮中を変えたいんです!」彼女の瞳は真剣な光を宿していた。「あたしにもできることがあるはずです!」


心が温かくなる。この子は、いつも私を支えてくれる大切な存在だ。


「ありがとう、小桃」私は優しく笑った。「実は、ちょうどそのことを考えていたところなの」


「え?」小桃の顔が明るくなる。


「ええ」私は立ち上がって、机の引き出しから一枚の文書を取り出した。「これは、透明院の組織図の草案よ。ここに、小桃の名前も入っているわ」


「ほんとですか!?」小桃は飛び上がるように喜んだ。「やったぁ!」


彼女の無邪気な喜びに、疲れが吹き飛ぶ思いがした。


「でもね」私は少し真面目な顔になった。「透明院での仕事は大変よ。今までの何倍も忙しくなるかもしれない。それでもいい?」


「はい!」小桃は迷いなく答えた。「勇姫さまと一緒なら、どんなに大変でも頑張れます!」


彼女の決意に満ちた表情に、思わず頭を撫でそうになる。前世では私の下に後輩が入ってきたことはなかったが、この世界では頼もしい部下ができるようだ。嬉しい誤算だ。


「ところで勇姫さま」小桃が周りを見回した。「これだけの仕事、勇姫さま一人じゃ無理ですよね?他にも人を集めるんですか?」


「鋭いわね」私はにっこり笑った。「そうなの。実は、もう少し仲間を増やそうと思っているの」


「他にも?誰ですか?」


その問いに答える間もなく、執務室のドアが静かに開いた。


「お呼びですか、勇姫」


凛とした声。入ってきたのは霜蘭そうらんだった。相変わらず美しく知的な彼女の姿に、小桃が小さく「わっ」と声を上げる。


「霜蘭さん、来てくれたのね」私は嬉しそうに迎えた。「ちょうど小桃に説明しようとしていたところよ」


「説明?」霜蘭が眉を上げる。


「ええ、私の新しい右腕になってもらいたいの」私は真剣に言った。「透明院の副長官として」


霜蘭の表情が微妙に変化した。驚きと、何か複雑な感情が入り混じっているようだ。


「私が?」彼女は静かに尋ねた。「私はただの妃臣にすぎないが…」


「いいえ」私はきっぱりと言った。「霜蘭さんは違う。あなたは最初から改革を支持してくれた。後宮業務憲章も作ってくれた。その知恵と経験が必要なの」


霜蘭はしばらく黙って私を見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「わかった」彼女の目に決意の色が宿る。「引き受けよう。だが条件がある」


「条件?」


「私の意見も取り入れること」彼女はきっぱりと言った。「ただの飾りにはなりたくない」


「もちろん!」私は思わず手を叩いた。「むしろ、あなたの知恵をどんどん貸してほしいわ」


霜蘭の唇が、微かに緩んだ。彼女なりの笑顔だ。


「なんだか豪華なメンバーになりそうですね!」小桃が嬉しそうに言った。「あたしも頑張ります!」


「ああ」霜蘭は小桃を見て、珍しく柔らかな表情を見せた。「お前の力も必要だ。皆がいて、改革は成り立つのだから」


小桃が感動したような表情になる。霜蘭からの言葉は、彼女にとって特別な意味を持つのだろう。


そんな二人のやりとりを見ていると、扉が再び開いた。


「失礼する」


静かな声と共に現れたのは、白凌びゃくりょうだった。彼の姿を見た途端、部屋の空気が少し引き締まる。宦官長としての威厳がそうさせるのだろう。


「白凌さん」私は驚いて迎えた。「どうしたんですか?」


「勇姫殿」彼は丁寧に頭を下げた。「陛下からお話があると伺いました」


「ああ、そうでした」私は思い出したように言った。「白凌さんにも来てもらう予定だったのよ」


「私に?」彼の表情が微妙に変わる。


「透明院の設立にあたって、宮中の警備けいび情報じょうほう担当の責任者として協力してほしいの」私は説明した。「白凌さんの目と耳が必要なの」


白凌はしばらく黙っていたが、やがて静かに答えた。


「承知した」彼は頷いた。「陛下のご命令であれば」


「ありがとうございます」私は心から言った。「これで中核メンバーが揃いました」


「中核メンバー…」霜蘭がつぶやいた。「面白い組み合わせだな」


確かにそうだ。元側妃そくひの霜蘭、宦官長の白凌、そして内務女官の小桃。身分も立場も全く異なる四人が、透明院という新しい組織の中心となる。


「でも、それがいいんじゃない?」私は笑顔で言った。「違う視点、違う経験を持ち寄ることで、より良い改革ができるはず」


「うむ」白凌が静かに同意した。「多角的な視点は重要だ」


「あたしは現場の声を届けます!」小桃が元気よく宣言した。


「私は制度の整合性を見る」霜蘭も加わった。「後宮の秩序と改革のバランスを取る役目だ」


彼らの言葉に、心強さを感じる。一人ではなく、仲間と共に進める改革。前世では考えられなかった贅沢だ。


「さて」私は気を引き締めた。「まずは透明院の具体的な運営方法を決めましょう。皆さんのアイデアを聞かせてください」


そうして、私たちの最初の作戦会議が始まった。机の上に大きな紙を広げ、それぞれが意見を出し合う。小桃のアイディアは現場の目線から実用的で、霜蘭の提案は体系的で緻密。白凌は情報収集と危機管理の観点から鋭い指摘をしてくれる。


「こうして図にすると、わかりやすいですね!」小桃が感嘆の声を上げた。


「これが勇姫の"スプシ"の力か」霜蘭も感心したように言った。「確かに見える化すると理解しやすい」


「組織図と報告経路が明確になった」白凌も頷いた。「効率的だ」


私は嬉しくなった。スプシの力が、この世界で認められ、活かされている。前世では当たり前だったツールが、ここでは革命を起こしている。


「ありがとう、みんな」私は心から言った。「こうして一緒に取り組めることが嬉しいわ」


「勇姫さまのおかげです!」小桃が明るく言った。「あたし、勇姫さまと出会えて本当に良かった!」


「私も同感だ」霜蘭が珍しく素直に言った。「そなたが来なければ、宮中はまだ闇の中だったろう」


「勇姫殿の洞察力は貴重だ」白凌も静かに付け加えた。「陛下も、そう感じておられる」


皆の言葉に、胸が熱くなる。


「よし、今日はここまでにしましょう」私は立ち上がった。「明日から本格的に始動します。今夜は早めに休んで」


「はい!」小桃が元気よく答える。


「明日、詳細を詰めよう」霜蘭も立ち上がった。


「警備体制も整えておく」白凌が静かに告げた。


彼らが去った後、私は窓辺に立って夕暮れの宮中を眺めた。明日から本格的に始まる透明院の活動。中核メンバーとして霜蘭、小桃、白凌を得られたことで、心強さが増している。


「これでやっと、本当の意味での改革が始まるわね」


空に浮かぶ月に、そっと呟いた。


◆◆◆


翌朝、透明院は公式に活動を開始した。最初の仕事は、各部署からの報告を整理し、透明性を高めるための基準作りだった。


「各部署から上がってきた報告書を分類しましょう」私は指示を出した。「小桃、内務部関連を担当して」


「はい、任せてください!」小桃は元気よく応えた。


「霜蘭さんは、後宮全体の管理体系を見てもらえる?」


「わかった」霜蘭は既に書類を手に取っていた。「規則の整合性を確認する」


「白凌さんには、特に人事と警備の情報を」


「承知した」白凌は静かに頷いた。「不審な動きがないか調査する」


それぞれが自分の役割に取り組み始める様子を見て、私は満足げに微笑んだ。この数ヶ月で積み上げてきた改革が、ようやく組織として形になってきた。


「勇姫さま!」


数時間後、小桃が興奮した様子で駆け寄ってきた。


「どうしたの?」


「見てください!」彼女は一枚の紙を差し出した。「内務部の女官たちが独自に作った業務報告書です!」


見れば、私が以前教えたスプシの形式を使って、きれいに整理された報告書だった。色分けされた項目、明確な数字、そして簡潔な説明文。初めから教えなくても、彼女たちが自発的に改善してくれている。


「素晴らしいわ!」思わず声が上ずる。「自分たちで考えてくれたのね」


「はい!」小桃は誇らしげだった。「みんな『スプシの力』って言ってます!」


「スプシの力…」私は思わず微笑んだ。「前世の会社で使っていたスプシが、こんな風に呼ばれるなんて」


「え?なんですか?」小桃が首を傾げる。


「あ、いや、何でもないわ」慌てて誤魔化す。「とにかく、素晴らしい進歩ね」


「勇姫」


霜蘭が近づいてきた。彼女の手には、整理された文書の束がある。


「これを見てほしい」彼女は文書を広げた。「各部署の報告形式を統一するための雛形ひながただ」


それは見事なまでに体系化された報告書フォーマットだった。霜蘭の鋭い頭脳が生み出した作品は、私のスプシを更に発展させたものだった。


「霜蘭さん、これは素晴らしいわ!」心からの感嘆を込めて言った。「こんなに完璧な雛形、考えつかなかった」


「そなたのアイデアを基にしただけだ」霜蘭は少し照れくさそうに言った。「私なりに改良を加えた」


「いや、これは本当に素晴らしい」私は真剣に言った。「これを全部署に配布しましょう」


「勇姫殿」


静かな声で白凌が加わった。彼の表情はいつもより引き締まっている。


「何かあったんですか?」


「警備体制の脆弱ぜいじゃく性を発見した」彼は低い声で言った。「特に情報の流れに問題がある」


「具体的には?」


「各部署が独自に情報を管理しており、全体像が見えない」白凌は説明した。「これでは不正の抜け穴になる」


「なるほど…」私は考え込んだ。「そこも改善しないといけませんね」


「解決策がある」白凌が言った。「情報の一元管理と、定期的な監査だ」


「それは良いアイデアですね」私は頷いた。「ぜひそのプランを詳しく教えてください」


白凌が説明するプランは、宮中の情報管理を根本から変える内容だった。部署間の壁を越えて情報を共有し、透明性を確保する。それは今までの宮中では考えられなかった革新的な提案だ。


「これは…大がかりな改革になりますね」私は感心した。「でも、必要なことです」


「陛下の許可が必要だろう」霜蘭が現実的な意見を出した。


「そうですね」私は頷いた。「今日の定例報告で陛下に提案します」


「あたしも手伝います!」小桃が元気よく言った。「現場の声も集めてきます!」


四人は互いに顔を見合わせ、そこには確かな連帯感が生まれていた。身分も立場も異なる私たちが、同じ目標に向かって進んでいる。


◆◆◆


その日の午後、瑞珂陛下との定例報告の時間がやってきた。私は四人分の報告をまとめて持参した。


「陛下、本日の報告です」


御前ごぜんに跪き、恭しく書類を差し出す。瑞珂陛下は穏やかな表情で私を見つめていた。


「ご苦労」彼は書類を受け取った。「透明院の活動状況はどうだ?」


「はい」私は顔を上げた。「霜蘭、小桃、白凌の三名を中核メンバーとして迎え、組織体制が整いました」


「そうか」瑞珂陛下の表情に満足の色が浮かぶ。「良い人選だ」


「ありがとうございます。既に各自が専門分野で成果を上げています」


私は三人の提案を詳しく説明した。霜蘭の報告書雛形、小桃が発見した自発的な改革の動き、そして白凌の情報管理改革案。


「なるほど」瑞珂陛下は熱心に聞いていた。「白凌の提案は特に重要だな。宮中の情報管理を一元化するのは、大きな変革だが必要なことだ」


「陛下のご承認をいただければ」私は丁寧に言った。「早速着手いたします」


「承認する」瑞珂陛下はきっぱりと言った。「必要なら私からも勅令を出そう」


「ありがとうございます」心からの感謝を込めて頭を下げる。


「勇姫」瑞珂陛下の声が少し柔らかくなった。「そなたの周りに良き仲間が集まったな」


「はい」思わず笑みがこぼれる。「皆、素晴らしい人たちです」


「改革は一人では成し遂げられない」彼は静かに言った。「信頼できる仲間と共に進むことが大切だ」


「その通りです」私は心から同意した。「皆さんのおかげで、改革が加速しています」


「今日の報告を聞いて、安心した」瑞珂陛下の顔に優しい笑みが浮かぶ。「私も全面的に支援しよう」


「陛下…」


「共に、新しい宮中を創ろう」彼の目には確かな決意が宿っていた。「そなたたち四人の力で」


その言葉に、胸が熱くなった。前世では誰にも評価されなかった私のスキルが、この世界では国を変える力になり、仲間を集める磁石になっている。


「必ずや、陛下のご期待に応えます」私は強く頷いた。


◆◆◆


透明院に戻ると、三人が結果を待っていた。


「どうでした?」小桃が心配そうに尋ねた。


「陛下のご承認をいただきました」私は笑顔で答えた。「すべての提案がOKです」


「やったぁ!」小桃が飛び上がって喜ぶ。


「そうか…」霜蘭の顔にも安堵の色が浮かんだ。「これで本格的に進められるな」


「陛下の信頼は揺るぎないようだ」白凌も満足げに頷いた。


「皆さん、ありがとう」私は心からの感謝を込めて言った。「これからも一緒に頑張りましょう」


「はい!」

「うむ」

「承知した」


三人がそれぞれの言葉で応える。一人ひとり個性は違えど、同じ目標に向かって歩む仲間たち。私たちの改革は、確実に前進している。


「さあ、明日からが本番です」私は決意を込めて言った。「後宮改革の中核メンバーとして、新しい時代を創りましょう」


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