「これが…最後のスプシになるのね」
夜も更けた
「よし、完成!」
満足げに手を叩く。机一面に広がる複雑な図表は、これまで作ってきたどのスプシよりも大規模で精緻なものだった。改革の締めくくりとして、宮中全体を網羅する「宮務総合管理システム」。これさえあれば、私がいなくても宮中の業務は透明に、そして効率よく運営されるはずだ。
「うーん…でも、これをどうやって皆に説明しよう」
複雑な図表を眺めながら頭を抱える。私にとっては当たり前のスプシ的発想も、この世界の人々にとっては目新しい概念だ。しかも今回のは特に複雑で…
「勇姫さまー!まだ起きてたんですかー!?」
突然、扉が勢いよく開き、小桃が顔を出した。相変わらず元気いっぱいだ。
「小桃?こんな遅くにどうしたの?」
「も、もう!勇姫さま!」小桃は両手を腰に当てて抗議した。「今日は特別な日だって言ったじゃないですか!陛下と約束の日!」
「え?」私は一瞬考え込み、急に思い出した。「あっ!」
「やっぱり忘れてました〜!」小桃は半ば呆れた顔で言った。「陛下、
「そ、そうだった…!」
慌てて立ち上がる。
「も、もう行かなきゃ!」
「勇姫さま、お髪が乱れてます!」小桃が慌てて私の髪を直し始めた。「それに衣装も…こんなお仕事着のままじゃだめです!」
「でも、もう時間が…」
「大丈夫!準備してました!」
小桃は機転を利かせて、部屋の隅に置いてあった包みを取り出した。中には美しい青緑色の
「こ、これは?」
「陛下が選ばれたんです」小桃はくすくす笑いながら言った。「勇姫さまにぴったりだって」
胸が熱くなる。こんなことまで考えてくれていたなんて…
「あ、急いで着替えなきゃ!」
慌ただしく着替えを済ませ、髪も整えたら、小桃が最後の仕上げとして小さな
「これで完璧です!」
鏡に映る自分は、普段の仕事着姿とは別人のように美しかった。華美ではないが、品のある装いだ。
「ありがとう、小桃」心から感謝を込めて言った。
「早く行ってください!」小桃が背中を押す。「あ、でも…」
彼女は机の上に広がるスプシを見て、目を輝かせた。
「これが勇姫さまの最後の大作なんですね!すごい…!」
「ええ、明日皆に説明するの」私は少し誇らしげに言った。「これで改革も完成かな」
「完成…」小桃が少し寂しそうな顔になった。「ということは、もうすぐ…」
「そうね」私は柔らかく微笑んだ。「でも、その話は明日ね。今は陛下のところへ行かなくちゃ」
「はい!がんばってください!」小桃が元気を取り戻して笑った。
◆◆◆
宮殿の最も高い塔、
そして…おそらく、私の決断を伝える時でもある。
「勇姫、来てくれたか」
星見台に足を踏み入れると、瑞珂陛下が優しい笑顔で迎えてくれた。皇帝の正装ではなく、シンプルな衣装を身につけている。それでも、その姿には確かな威厳があった。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません」深々と頭を下げる。
「気にするな」瑞珂陛下は穏やかに言った。「そなたが来てくれて嬉しい」
彼はそっと私の手を取り、星見台の中央へと導いた。そこには小さなテーブルが用意され、温かい茶と
「座るがよい」
二人向かい合って座ると、星明かりだけが照らす空間に、不思議な親密さが生まれた。
「お召し物が似合っているな」瑞珂陛下の瞳が優しく輝いた。
「ありがとうございます」思わず頬が熱くなる。「陛下のお選びと聞いて…」
「うむ」彼は微笑んだ。「そなたの瞳の色に合わせた」
さらに頬が熱くなり、思わず視線を逸らしてしまう。瑞珂陛下との関係は、この数ヶ月でどんどん深まっていた。公務の場では厳格な君臣関係を保ちながらも、二人きりの時間は特別なものになっていた。
「今日は何か重要な話があるのか?」瑞珂陛下が茶を注ぎながら尋ねた。
「はい」私は深呼吸をした。「二つあります」
「二つか」彼は興味深そうに言った。「聞かせてくれ」
「一つ目は、最後のスプシが完成したことです」
「最後のスプシ?」彼の眉が上がった。
「はい」私は誇らしげに言った。「宮中全体の業務を管理できるシステムです。これがあれば、宮中の運営は格段に効率化され、透明性も保たれます」
「それは素晴らしい」瑞珂陛下は嬉しそうに言った。「そなたのスプシの集大成というわけだな」
「はい。明日、皆に説明する予定です」
「楽しみだ」彼は心から言った。「だが、なぜ"最後の"と言った?」
その問いに、心臓の鼓動が速くなった。ここからが本題だ。
「それが…二つ目のお話です」私は勇気を振り絞って言った。「私…
「帰郷?」瑞珂陛下の表情が一瞬凍りついた。「どういう意味だ?」
「改革が一段落し、システムも整いました」私は静かに言った。「これからは、皆さんの手で運営してもらうべきです。私がいなくても、うまくいくように設計しました」
「だが、そなたの力はまだ必要だ」彼の声に切迫感が混じる。「改革はまだ始まったばかりだろう?」
「いいえ」私は優しく微笑んだ。「もう十分です。霜蘭さんも小桃も白凌さんも、皆成長しました。私の代わりが務まります」
「代わりなどいない」瑞珂陛下の声が強くなった。「そなたは特別な存在だ」
その言葉に、胸が痛む。
「陛下…」
「それに」彼は少し言いよどんだ。「個人的な問題もある」
「個人的な…」
「そなたは忘れたのか?」彼の目がまっすぐ私を見つめた。「あの夜、庭園で交わした約束を」
忘れるはずがない。月明かりの下で、「君の未来を共に見たい」と言ってくれた、あの夜のこと。
「覚えています」小さく頷く。「だからこそ…」
「だからこそ、なぜ去ろうとする?」彼の声に痛みが滲んだ。
私は深く息を吸い、準備していた言葉を口にした。
「陛下に正直に申し上げます」真っ直ぐ彼の目を見た。「私は陛下のお傍にいたい。でも…」
「でも?」
「このままでは、宮中の皆が、私を特別扱いする理由がありません」勇気を振り絞って言葉を続けた。「今は透明院の長だから、皆従いますが、陛下の…伴侶として認められるには…」
瑞珂陛下の顔が明るく変わった。
「なるほど」彼の声に安堵が混じる。「そなたは去るのではなく、正式な立場を求めているのか」
「私の考えは…」恥ずかしさで言葉が詰まる。「一度宮中を離れ、正式に陛下が選ばれた女性として、戻ってくるべきではないかと…」
瑞珂陛下は突然立ち上がり、私の前に膝をついた。
「勇姫」彼は私の両手をとった。「そのような回り道は必要ない」
「でも、宮中の風習では…」
「風習など重要ではない」彼はきっぱりと言った。「私が皇帝だ。私が決める」
その断固とした態度に、思わず笑みがこぼれた。
「陛下らしいお言葉です」
「瑞珂と呼んでほしい」彼は優しく言った。「ここでは皇帝ではなく、一人の男として」
「瑞珂…殿下」少し恥ずかしくて、完全には殿下を外せない。
「勇姫」彼はまっすぐに私の目を見つめた。「もう一度、正式に尋ねよう」
彼は私の手を握り、真剣な表情で言った。
「私の伴侶になってほしい。宮中の風習など気にせず、共に新しい時代を創っていこう」
その言葉に、涙が溢れそうになった。
「でも…私のような平民出身の…」
「そなたは平民などではない」彼は微笑んだ。「そなたは勇姫だ。私の心を射止めた唯一の女性だ」
この世界に転生して、こんな幸せが待っているなんて。前世では誰からも必要とされなかった私が、ここでは最も尊い人から求められている。
「お受けします」私は涙を堪えながら答えた。「瑞珂殿下の伴侶として、生涯お側にいます」
彼はゆっくりと立ち上がり、私もつられて立った。二人の距離がゆっくりと縮まっていく。
「勇姫」
彼の声は優しく、温かかった。そして、ついに二人の唇が触れ合った。月と星の光だけが照らす星見台で、私たちの新たな約束が交わされた。
◆◆◆
翌朝、私は透明院の大ホールに全ての幹部を集めた。霜蘭、小桃、白凌をはじめ、各部署の責任者たちが緊張した面持ちで私の説明を待っている。
「皆さん、おはようございます」
私は壁一面に貼られた巨大なスプシの前に立った。昨夜、小桃と侍女たちが手伝ってくれたおかげで、全てが準備万端だ。
「今日は、宮中改革の総仕上げとして、『
会場にざわめきが広がる。
「このシステムは、宮中の全ての業務を一元管理し、誰がいつ何をするべきか、どこに報告し、どう記録するかを明確にします」
一つ一つ丁寧に説明していく。複雑な図表も、部分ごとに区切って解説すれば理解しやすい。質問があれば立ち止まり、納得いくまで応える。
「要するに、これは宮中の"見える化"の完成形です」
最後にまとめると、会場から拍手が湧き起こった。
「素晴らしい…」霜蘭が感嘆の声を上げた。「これほど緻密なシステムを考えられるとは」
「あたし、感動しました!」小桃は目を輝かせていた。
「確かに効率的だ」白凌も珍しく感心した様子だった。「警備にも応用できそうだ」
皆の反応に、胸がいっぱいになる。私のスプシが、この世界に受け入れられ、役立っている。前世では当たり前のツールが、ここでは革命を起こしているのだ。
「さて、最後にもう一つ、大切なお知らせがあります」
私は深呼吸をして、昨夜の出来事を公表する準備をした。瑞珂陛下と相談し、今日、正式に発表することになったのだ。
その時、扉が開き、瑞珂陛下が入ってきた。
「陛下!」
皆が驚いて立ち上がり、頭を下げる。
「そのままで良い」瑞珂陛下は穏やかに言った。「勇姫の説明を聞きに来た」
「ありがとうございます」私は微笑みを返した。「ちょうど最後のお知らせをしようとしていたところです」
「それなら、私から言おう」
瑞珂陛下が前に進み出て、皆の前に立った。
「皆に発表がある」彼の声は力強かった。「勇姫を正式に皇后として迎えることにした」
会場が凍りついたかのように静まり返った後、どよめきが広がる。
「皇后に…?」
「書記女官から皇后に…?」
「前代未聞では…?」
様々な声が飛び交う中、瑞珂陛下は淡々と続けた。
「勇姫は宮中改革の立役者であり、透明院の創設者だ。そして…」彼は少し柔らかな表情になった。「私が心から信頼し、愛する人間だ」
その言葉に、会場は再び静まり返った。皇帝が公の場で「愛する」と言うのは異例のことだ。
「これは命令ではなく、宣言だ」瑞珂陛下は皆を見回した。「新しい時代には、新しい考え方が必要だ。身分や出自ではなく、人間としての価値で人を判断する時代だ」
私は少し恥ずかしさを感じながらも、誇らしく彼の隣に立った。
「私は…皆さんと共に働けたことを、心から嬉しく思います」私は感謝の気持ちを込めて言った。「これからは立場は変わりますが、改革の精神は変わりません。共に、より良い宮中を作っていきましょう」
しばらくの間、誰も口を開かなかった。その沈黙を破ったのは、意外にも霜蘭だった。
「おめでとう、勇姫」彼女は静かに言った。「そなたこそ、この地位にふさわしい」
「勇姫さまぁ!」小桃は涙ながらに駆け寄ってきた。「本当におめでとうございます!あたし、最初から勇姫さまは特別だって思ってました!」
「めでたいことだ」白凌も珍しく笑みを浮かべた。「陛下の御目に狂いはなかった」
一人また一人と、皆が祝福の言葉を口にし始めた。最初の驚きは徐々に喜びへと変わっていった。
「ありがとう、皆」私は感極まって言った。「これからもよろしくお願いします」
瑞珂陛下が静かに私の手を取った。その温かさに、心が満たされる思いがした。
「さて」私は気を取り直して言った。「この宮務総合管理システムの説明を続けましょう。皆さんの質問にお答えします」
そうして、私の最後のスプシの説明会は続いた。これが改革の締めくくりであり、新しい人生の始まりでもあった。
「社畜人生に別れを告げて、異世界の皇后になるなんて…」