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第7回

「お入りなさい」


 執務室のドアをノックし、名乗った直後。落ち着いた声がそう告げてくる。


「失礼します」


 押し開いたドアの正面、重厚な執務机の向こうに宮母・アルフレートは座しており、踏みこむことを思わずためらってしまうほど穏やかな、優しさに満ちた瞳をセオドアへと向けていた。

 背にした窓から差しこんでくる、暖かさに満ちた光のような慈愛のこもった眼差しに、心のどこかでほっとしながら中へ入る。しかし部屋の中に他の者の姿はなく、自分とアルフレートのみということで、セオドアは再び警戒心をまとわねばならなかった。


 政務で忙しい日々を送る宮母が、自分のような末端の者にその大切な時間を割くなど聞いたことがない。

 宮内挙げての祭事でいろいろと采配を振られた際に、その雑用のほんの一部を果たしたことはあるが、いつもおしおさから伝聞を受けるばかりで、直接その姿を見るのは魔断との媒体となる剣柄『魔導杖まどうし』との感応式以来、これが2度目。2人きりで会うのは初めてだ。


 退魔師の中でも最高位である退魔剣師の訓練生とはいうものの、その期間を2年もオーバーして今や落ちこぼれ。幻聖宮の恥、とんだお荷物だとうわさされる自分などに、一体どんな用があるというのだろう?


 まさか、もう費用のかかりすぎで面倒見切れないと、追い出されるとか?


 そんな暗い思いが、微妙に表へと出てしまったらしい。

 周囲の悪意ある者たちからは鉄面皮てつめんぴ揶揄やゆされるほど、堅く閉ざされた表情の中から敏感にそれを感じ取ったらしく、アルフレートは机上で組んでいた指を解き、にっこりとほほ笑んで見せた。


「そんなに思いつめることではないのよ。なにも、あなたの退魔剣師とし  ての希有な才を埋もらせようなどと考えているわけではないのだから」


 退魔剣師としての、希有なる才能――。


 この2年間、セオドアはただそれだけにすがってこの幻聖宮にとどまってこれたのだ。


 幻聖宮とはこのヒスミル大陸に所在する、大小100近くあるさまざまな国から選出された者たちの中から特に強い感応力を持つ者だけを選び出し、退魔師候補として養育する場所である。


 毎年、各国は自国保護のために数十名を幼少のころから幻聖宮に預ける。その養育費と、各方面からの寄付によって幻聖宮の経済面は支えられている。しかし必ずしもそれは需要と供給の見合った形であるとは言い難いものだった。


 能力にも個人差というものがあり、育っていくにつれ、はたして魅魎を相手にできるほどの能力かどうかがはっきりしてくる。そういった者は往々にして早期の段階で宮を去っていく。


 結界を張って内部へ魅魎の侵入を防ぐ《退魔法師》。

 それぞれの持つ封魔具に魂を封じて、肉体を浄化、消滅させる《退魔封師》。

 力の〈道〉を開いた特殊な武器・破魔の剣で魎鬼以下なら断つことのできる《下級退魔剣士》。


 その程度の者であればなんとか期待通りの期間に育て上げ、送り返すこともできるが、数に限りのある魔導杖と感応し、さらにその刀身となる魔断を感応させなくてはいけない《上級退魔剣士》や、封魔能力をも持つ《退魔剣師》となると、一気に逸材がいなくなる。

 なのに、どの国もこぞって上級退魔剣士や退魔剣師に育ててほしいと望んでくるのだ。



 たしかにいつ魅魎が襲ってくるかも分からない不安の中では、その命を完全に断つことができるとして魅魎からも警戒されるような、強い能力を持つ者がいいだろう。


 人を守る者たちを育成する幻聖宮側とてそうしてやりたい思いはあるのだが、それだけの能力者がいないという現実はどうしようもない。その上養育費は後払いで、しかも能力位によって額に差がつく。不適性者には別の仕事の世話もしなくてはいけないというのに。(当然ながら、その者たちの養育費はどこからももらえない)


 必然的に、幻聖宮はその赤字を少しでもなくすために、各国へと配属された退魔師から寄付金を集めたり、潜在能力があっても貧しく、両親をなくした孤児や、捨てられた子どもを捜して引き取り、要求数を満たすための補充としてあてがうようなこともしている。


 セオドアはその典型だった。


 母親がミスティア国所属の上級退魔剣士でありながら父親は不明。ミスティア国では子どもの籍は父親側のみにある。

 母親の死後、彼女の魔断であった蒼駕がまだ幼かったセオドアを幻聖宮へと連れ戻り、補充用の退魔師としての教育を受けさせた。


 そして、その中でも最たる位であるとされる、退魔剣師としての才能を見せたとき、彼女はこの幻聖宮での生活を正式に認められたのだ。



 たとえ己の魔導杖選択という、基礎中の基礎ができなかったまぬけ者であったとしても、だ。




「では、どのような……」


 少なくとも追い出されるようなことではないのだと、最低ラインを確保することができてほっとしながらも、では一体何なのかと、再び不安に小さくなった胸でおずおずと訊く。


 そんなセオドアの態度に、アルフレートは目を丸くして大きく息をついた。


「まあ。では本当に、蒼駕はあなたに何も言ってはいないのね?」

「はあ……」



 確かに蒼駕は来た。けれどそれは自分にこの姿をさせるためと、別館にある自分の部屋へ来させるためだ。時間があれば来てほしいと言われたが、あの後、自分に限ってこの装いは別の意味で人目を引いたらしく、食堂で周り中から不審がる視線と棘だらけの質問・嫌味を一斉に浴びてしまい、予想外に手間取ったせいでそれも駄目になった。


 意味も何も分からない状態では何をどう言えばいいのか見当もつかなくて、素直にそう説明する。

 苦い顔をして、アルフレートは頷いた。



「そう。では、私の口からした方がいいという考えなのでしょう。私としては、あなたの全信頼を受けているあの者から聞いた上でのほうが良いと思ったのですけれど……公平に、というわけですね」


 得心がいったと一人納得しているが、セオドアのほうは蒼駕の考えもアルフレートの言いたいこともまるで理解できていない。


 はたしてどう返していいものか……。すっかりまごついてしまっているセオドアに、この、まるで春の日だまりのような雰囲気をまとった女性は、その柔らかな微笑みを惜し気もなく投げかけ続けた。


「いいこと? 決定権はあなたにあることを忘れずに聞いてほしいの。そう、これは今回あなただけに与えられた特権です」



 そう言われても、やはりまるで見えない。



「何についてでしょうか?」



 率直に訊き返したセオドアの前、アルフレートは居住まいを正した。



 唐突に、これまでの優しい、母親のような穏やかな表情が一変し、人間の天敵である魅魎を断つ者たちを育てる幻聖宮を仕切る、威厳ある宮母としての顔がアルフレートを覆う。

 その意味するものに敏感に気付いてはっとするセオドアの前で、アルフレートは机上高く積み上げられた膨大な書類の中から数枚の書類を取り上げた。


「先日、魔導杖の1つが返還されました。フライアル国王都に所属していた退魔剣士のものです。けれどこの時期、配属するに足るフライアル出の退魔剣士は、残念ながらいません」


 ああ、そういうことか。

 アルフレートの言葉に、セオドアはようやく理解できた。

 つまり、自分をその補充にあてようというのだ。

 しかしやはりそこには最大の問題があるように思えた。



「ですが、わたしには魔導杖がありません。上級退魔剣士としての資格も、退魔剣師としての資格もないということてす」


 背中に回して組んでいた拳にぎゅつと力をこめ、もごもごと口の中で眩くように言う。

 事実とはいえ、自ら口にするのはやはりつらいものがある。

 だが、それを宮母であるアルフレートが知らないはずもなかった。


「分かっています。だからあなたのために、臨時で感応式を行うことを決めました」



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