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第3回

 開けた活路に向け、率先して走り出したエセルの声に背を押されるように、セォドアも駆け出す。


 凄まじい浄化の炎に包まれた子どもたちの、体が燃える苦痛に上げる悲鳴には胸のつまる思いがするが、どうしてやることもできないのは事実だった。

 元通りに戻してやることも、身の内に巣くう魅魎から解放してやることも、今の自分では無理なのだ。


「気にするな。俺がしたんだ」


 前を行くエセルが、ふとそんな言葉をこぼした。

 その背に、もしかして、という考えが浮かぶ。


 もしかして、気遣ってくれたんだろうか?


 それはそれでありがたかったが、だがやはり、胸の重みを完全に取り去ることはなかった。

 迷路のように入り組んだ細い裏道を、周囲に目を配りながら進むエセルに無言で従いながら、気を抜けばこみあげてきそうな苦い感情を必死に押し殺す。


 これほどに、自分の無力さを感じたことはない。

 幻聖宮において退魔師訓練生として落ちこぼれ、お荷物の身に甘んじているしかない自分の不甲斐なさに歯噛みしたことは幾度もあったが、これほどの悔しさを味わったことはない。これほどの、口惜しさは……。


 せめて2年前に退魔剣師としての位が与えられていた自分なら、魔断や封魔具がなくともこんな不様な真似はしないですんだかもしれない。


「子どもどころか、この分だと街にいる者全員が敵だな……」


 独り言のようにつぶやいたエセルの言葉が、悔悟の思いで自己憐憫に陥っていたセオドアを、現実へと引き戻す。

 そうだ、今はこんなことを考えているときじゃない、と自らを戒め、面を上げる。


「どうかしたのか?」

「ん? ほら、あいつら」


 エセルが、角から向こうに見える者たちをあごで指した。


「たぶん俺たちを捜してるんだろう。伝達が早過ぎるし、1人1人の行動に一貫性があるとこから見て、おそらく街ぐるみだ。

 俺は、てっきり街の誰かが招き入れたのかと思ったんだが……欲で魅魎の力を借りようとするばかはどこにでもいるだろ? けど、どうやら違うみたいだ。

 まったく、厄介だな。子どもだけならまだしも大人まで加わったあれだけの数を、あそこまで操れるとはね……」


 ぼやくエセルに、セオドアが目をみはる。

 驚いた、とつぶやいた。


「どこでそんな知識を?」

「知識って言うより、経験則だな。これでも結構危ない橋を何度も渡ってきてるんでね」


 言われてみればそのとおりだ。定置につかず、渡りの商人をしていれば、魅魎との遭遇率は否応なく高くなる。


「でも、俺に分かるのはそれくらい。専門家としてはどう思う?」


 緊迫感の欠けた問いがくる。正直、告げるべきかそれともシラを切りとおすべきかまだ判断できない状態でいたために、何とはなし、セオドアはまばらに星も出始めた空を見上げた。


 してもしなくてもこの状況に何ら変化は及ぼさないのだが、それでも少なくとも今エセルの感じる絶望の度合は違ってくるだろう。


 初めてこの街へ入ったときに感じた違和感。あれは、この街を襲撃したときに破損した箇所に対して魅魎がほどこした処置に対して感じたものだったのだろう。これが街全体に及んでいたのであればもっと早く気付いただろうが、部分修復では元からの存在感と融合しかけていて分かりづらい。

 しかも決定的に、セオドアには経験というものが不足している。もう少し日数が経っていたならセオドアも気付けていたかどうか……。

 何の警戒もせずに街に入り、まともに負の気を浴びてしまったせいで、余計な干渉を受けてしまった。


 だが今ならはっきりと分かる。無機質な、非人為的建造物から発散される有害な負の気。

 ましてこれだけの数の妖鬼を操れるほどの力を持つ魔の名称は、おのずと浮かび上がってくる。


 セオドアは、100%近い確率で、これは魅妖みようの仕業だとの結論に達していた。


 魅妖でさえ手に余る存在なのに、その上の魅魔みま魎鬼帝りょうきていかもしれないなど、想像もしたくない。

 幸い魅魔というには街をエサに偶然やってきた人間を罠にはめようなど、雑すぎてあり得ないことだから、ほっと胸を撫で下ろせているが。


「何者の仕業であろうと、この街から逃げなければならないということに変わりはない。知ったところでおまえに何ができるわけじゃなし」


 そこまで口にしたところでエセルの浮かべた表情に気付き、しまったと思うが、出た言葉は戻らない。


 どうやればエセルをここから無事に逃がせるかという考えのほうに気の大半がいってしまって、言葉や口調を選ぶことにまで気が回らなかったのだが、言い直そうにもとても無理だ。決定的に、自分には語彙というものが足りないのだということを自覚している。

 報われないのを覚悟して弁解を試みても、先の4倍の言葉と数倍の時間を取ってしまうのは目に見えていた。あげく、そうしたところで相手に理解してもらえるのはせいぜい、今の彼女はあせっているんだろうという、解釈だけなのだ。


 今、そんな無駄なことに費やす時間はないはずだ、と彼女は無理やりその考えを飲み下した。

 エセルの顔は案の定、不機嫌そうに眉を寄せている。


「前々から思ってはいたんだが――」

 ゆっくりと、しかし一言一言強めながらエセルはそう切り出してくる。

「おまえ、俺のこと実は相当嫌ってないか?」

「は?」


 予想外の素頓狂すっとんきょうな言葉に、一瞬、非難の言葉が来るに違いないと身構えていたセオドアの頭の中が空白化する。


「ずいぶんどうでもいいような物言いばかりするからさ。まあ出会いがあれだから印象が悪いのは仕方ないかも知れないけど、邪険にするにしても、ちょっと露骨すぎないか?」


 そう言ってくる表情やのぞき見てくる目は真剣そのもので、痛みを受け止めきれずにセオドアは胸が縮む思いで目をそらした。

 いつも言われている言葉とはいえ、やはり慣れることはできない。

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