●地下水路
また、あの男の夢を見ていた。
これはただの夢なのだと、思おうとする自分がいた。
白い――ただただ白い空間。
光とともに花吹雪が静かに舞っているだけの、華やかで、そしてどこまでもさびしい場所。白と赤だけで彩られた、まるで永遠に眠る化石に刻みつけられた記憶のような遠い時間、長い反復が感じられる。
そこには、たった2人しかいなかった。
前に見た夢の前後どちらかは分からなかったが、やはり真っ赤な血溜まりの中にあの、夢に出た男があお向けに倒れている。全身から血を流し、無造作に四肢を投げ出して、そしてうっすらと笑っている。
その笑顔の先には彼を見つめる女性がいたが、俯いた顔の横を流れ落ちる髪のせいで、どんな顔をしているのかまでは分からなかった。
『必ず戻るから……』
自分の頭を膝に抱きこみ、泣き続けている女性のほおに手をあてて、男は負った傷の痛みをまるで感じさせない、むしろ女性を気遣うように、愛し気なほほ笑みさえ浮かべながら言う。
『やり、残した……ことがある、んだ。まだ、何も、していない。そのため……にも、僕は、必ず、帰ってくるよ……』
切れ切れの声でつぶやく、それが一縷の慰めでしかないのは間違いなかった。
あれだけの出血だ。もうすぐこの男は死ぬだろう。自分を失うことを恐れて泣く、愛しい女を残して1人、死んでいくのだ。
そう思い、なぜか強く胸をしめつける痛みを感じるセオドアの意識がある。
モノクロなので色までは分からないが、柔らかなくせ毛とまだ幼さの残る面をしている。
見たこともない男だ。なのになぜ、こんなにも心を動かされるのだろう? どうしてこんなにも、心が引きつけられるのか……。
瞳から力が消えた。視点が定まっておらず、どこを見ているのか分からない。いや、おそらくどこも見えていないのだろう。
おそらく自分を見つめる、女の
生の輝きをその身から除々に失っていきながら、こみ上げた血に気管をふさがれたのか、男は2度、苦し気に咳きこんだ。
男を失う恐怖についに堪えかね、女の体が激しくわななく。
『い、やだ……』
渇ききった喉から無理に押し出したように、女の声は酷くかすれ、割れていた。その、波紋のように空間を響いて届く声にたとえようのない懐かしさを感じて、思わず口元を覆った(今度は意識体としての体があった)ときである。
突然、セオドアの意識は凍えるような寒さに包まれた。
そのことへの驚きに、2人への集中力が拡散する。途端、意識がその場面から離れ始め、失敗したと気付いたときには遅かった。
『いやだ! いやだ、置いて逝かないで、………!』
男の胸にしがみついて泣く彼女の激しさは辛うじて届いたが、その口にする内容までは分からない。
必死にもがき、どうにかして彼女の姿を見ようとしても、有無を言わせぬ強引さで自分を引き寄せる大きな力には到底抗いきれない。
意識を強引に散らされ、急速に遠ざかって薄れていくその光景が最後に映したのは、女に向かい、男が二言三言何かを口にして、懐から何かを取り出した――それが精一杯だった。
◆◆◆
頬や額の傷を
「ん……」
むずがるように小さく首を振って、目を開く。どのくらい経ったのかは分からないが、不思議と、あれほど熱かった体が鎮まっていた。
闇の中、ぼやけていた視界が定まるのと同時に、ようやく今の自分がどんな状態でどこにいるのかを知ったセオドアは、気が動転し、大急ぎ鼻先にあるエセルの胸を全力で押しやる。
「うわっとっ?」
突然重心が狂ってあわてたエセルが、頓狂な声を出して体勢を立て直した。
「あ、気がついたか」
そう言って覗きこんでくる、エセルの脳天気な笑顔がすぐ真上にあった。
自分を抱き抱えたまま微動だにしないあたたかな手が、背中を回って腕に触れている。
安心して――だめだ、熱が顔にきた。
「お、おろしてくれ」
ぐい、と胸を押しやる。
「ったって。調子戻ってるのか?」
「…………」
戻ってなくても目が覚めた以上、いつまでもこんな不様な格好でいられるものか!
いくら初めてとはいえ、魘魅にやられて気を失っていたなんて……。
「ない、もう少しの間おとなしくこうしてなさい。もうじき着くと、やつも言ってるし」
その、まるで聞き分けのない小さな子どもを
そこには炎のような赤い髪を腰の所で一つに束ねた青年が、騒ぎに気付いて立ち止まり、こちらを振り返っていた。
自分を見つめる穏やかな瞳はエセルと同じ色をしているが、与える印象はまるで違う。
優しいほほ笑みをたたえた涼しげな目元に、薄闇の中でさえ透けるような白い肌。柔らかで細い輪郭。どこか女性的ななまめかしささえ感じるその美しい若者は、しかし人として、決定的に何かが欠けている気がした。
その身を包む独特の雰囲気は、魅魎と似て否なるもの。
小さなころから周りに大勢いて、慣れ親しんできた独特の雰囲気に青年の
「気がつかれましたか」
歩み寄り、深みのある声でそう言うと、青年はにっこりとセオドアに笑いかけた。
「どこか痛むところはありませんか?」
そう尋ねる物腰すら気品にあふれ、見とれずにはいられない。
慣れない他人からの気遣いに、どう返せばいいか分からず、ぎこちなく居住まいを正すセオドアの手を取り、青年はにこやかに名を
ミスティア国王の命により、この街へと配属されている魔断の1人、