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第10回

「ここまでくれば、とりあえずは大丈夫でしょう」


 崩れた歩路を避け、冷水に膝半分まで浸かりつつ、組んだ煉瓦でできた細い水路を先に立って進みながら、朱廻が告げた。


「ここは離れた水源から街の各井戸へと水を運ぶ、地下水路です。街から逃げ出す際に使用したのですが、どうやらまださざなみの手は回っていないようですね」

「漣?」


 耳触りの悪い、嫌な響きを持つその名前に、自然、眉根を寄せてセオドアが訊き返す。

 朱廻は肩越しに振り返り、うなずく。


「それが、この街を襲った魅妖の名なのです」


 思い出す辛さからか、艶麗な面がわずかに歪んだ。そして小さく息をくと、口中の苦いものを吐き出すように、ぽつりぽつりと彼は話してくれた。


 昨日の昼、街長の館にある転移鏡から魅妖が現れたこと。

 結界を破り、眷属を呼び、妖鬼たちを召喚したこと。

 それから起きた惨事にはセオドアにもあらかた想像がついていたとはいえ、やはりおぞましさがつのる。

 だが。


 転移鏡……?

 昨日の昼……?


 妙に引っかかるその言葉に、足を止めたのも気付かず考えこんでいたセオドアの肩に、黙々と後ろに従っていたエセルが手をかける。


「おい、どうした? やっぱりきついのか?」


 セオドアの強情さに負けて下ろしたものの、まだ気にしているらしく、伺うように覗きこむ顔は本当に心配そうだ。


「だ、大丈夫だって」


 ひとから受ける厚意にはまだまだ慣れそうにない。

 その言葉がはたして正しいか、探るように見つめられているだけでむず痒くなる。

 避けようとしているのをさとられまいと、誤魔化すように、セオドアは立ち止まって待ってくれている朱廻との差を埋めるべく、2歩3歩と駆けだした。


 喧嘩してるはずだ、とあやふやに散りかけた感情をまとめようとする。

 途中、魘魅や妖鬼たちとのどさくさにまぎれてうやむやになってしまっているが、自分は、この性格のために怒鳴り合いまでしてしまったのだ。


 かといって今さらそれを自分の方からぶり返すわけにもいかず、つい、逃げたこともあって、セオドアは罰の悪い思いで目的地へたどり着くまでの道中、エセルと顔を見合わせることができなかった。



◆◆◆



●漣


「とんだ茶番ね!」


 魅妖・漣は、胸の苛立ちもあらわに、舞い戻って来た冰巳を叱りつけた。


「私は言ったはずよ? 火傷に気をつけなさいと! 一体何を聞いていたの、あなたは。

 いじめてもいいとは言ったけれど、殺しを許した覚えはないわ! だからあんな、捕縛視ほばくしなんかをあっさりと受けるのよ! あげくの果てにあんな坊やにていよくあしらわれて……退魔師のいない魔断などにおどされて追い返されるなど、恥じなさい!

 その恥辱があなたを八つ裂きにしてしまわないことを、私は不思議に思うわ!!」


 恐ろしく怒気をはらんだその容赦ない罵りは、さながら不可視の鋭利な刃の雨となって平伏した冰巳の自尊心を切り裂いてゆく。


 風に吹かれた砂山のごとく己の内から急速に抜け落ちかけた力を必死につなぎとめるように、冰巳は己の力の集成場である依り代のある箇所へと手をあてて、ぎゅっと目を閉じた. 主の心を乱す、激しい怒りが伝わてくる。その一端より作られた自分はどうしても干渉され、気を抜けば


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