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第2話:出会いは食糧庫で

 その日、空は清々しいほど青々としていた。


「……おかしい」


 彼女――レイチェル・レガードはいぶかし気に空を見やった。


「この辺りって、確か魔王がいた区域のはずよね……」


 古来より、人と魔族は絶えずその覇権を巡って争ってきた。


 現在となってもこの関係が崩れることはなく、ずっと続いている。


 魔族……高い知能に加え、強大な魔力を有する異形のモノたち。


 中でも特により強大な個体は『魔王』と呼称される。


 レイチェルはそんな『魔王』を討伐しにやってきた冒険者であった。


「え……? 本当にここで場所あってるわよね? 実は場所違いましたってネタじゃないわよね?」


 レイチェルの視界に広がる光景は、有体にいえばひどく穏やかなものだった。


 青空に浮かぶ太陽はさんさんと輝き、眩しくもぽかぽかとして暖かい。


 時折、頬をそっと優しく撫でていく微風はほんのりと冷たいがそれが返って心地良かった。


 およそ、魔王が住まう城があるとは思えないぐらい平穏すぎるから彼女が怪訝な顔をしてしまうのは無理もなかった。


「――、あっ! 見えてきた!」


 程なくして、遠くに見える巨大な城にレイチェルはホッと安堵した。


 そしてすぐに、端正な顔立ちには真剣さが帯びる。


(ここから先は魔王と魔族たちがいる敵地……正直いって不安しかない。けど、私がやらなくちゃ……!)


 レイチェルは手にしたそれをぎゅっと強く握りしめる。


「……これは、どういうこと?」


 意を決しただけに、レイチェルは目前にある光景に怪訝な眼差しを送る他なかった。


 開いたままの門、中に入ったはいいものの衝突するであろう魔物が一匹もいない。


 文字通り、もぬけの殻となった城内は異様なほどしんと静寂に包まれていた。


「どうして誰もいないのよ……」


 不気味な静寂の中、一抹の不安を抱えながらもレイチェルは更に奥へと進んだ。


 しばらくして、城の最奥へと着いた。目の前には大層立派な扉がやはり、開きっぱなしになっている。


「多分、ここが魔王のいる玉座の間ね……よしっ!」


 呼吸を整えて、レイチェルは中へと突入した。


「な、なによこれ……!」


 広々とした空間の中に、巨大な骨だけがそこに残されている。


 レイチェルは激しく狼狽しながらも周囲を見やった。


 特に変わった様子はなく、そして巨大な骨の正体が魔王ファフトンであるのは彼のものであろう所持品からすぐに察した。


 他の誰かによって先に魔王が倒されてしまった。


 しかし、その事実を受け入れるよりも先にレイチェルは一つの疑問に沈思する。


「どうして白骨化してるのかしら……こんなの、私たちの武器や魔法にだってできないはず……」


 わけがわからない、とレイチェルはうんうんと唸った。


 その時――それは耳を研ぎ澄まさねばわからないほど極めて小さな音が鳴った。


 常人ならばまず聞き逃してしまうであろうが、レイチェルは違う。


(誰かがいる……!)


 音を頼りにレイチェルは急ぎ向かう。


 やがて、おそらく発信地だろうその場所にてレイチェルは眉をわずかにしかめた。


「ここって、食糧庫? ネズミかなにかかしら……」


 期待していただけに損をした。そう思っただけに中に入って遭遇したそれにレイチェルはぎょっと目を丸くしてしまう。


「ん?」


 人が、いた。


 その恰好はひどく薄汚れていて、一言で言えば汚い。


 一応、甲冑で武装こそしてはいるものの質に関してはお世辞にも良質なものとは言い難い。


 無精髭を生やしてはいるものの、肌に宿る生気は大変若々しい。


 特に印象的なのは、烈火のごとく赤々とした色鮮やかな髪と翡翠に煌めく瞳だった。


(きれいな瞳と髪色……って、そうじゃなくて!)


 レイチェルはハッとした。


「う、動かないで! 怪しい動きをすると容赦なく撃つわよ!」


 レイチェルは己の愛銃――ステファノスを構えた。


 男は、銃口を前にしてもきょとんと不可思議そうな顔をするばかりだった。


(こいつ、怖くないの……!?)


 男の目に恐怖の感情はこれっぽっちもなかった。


 魔族ならばまだ納得のしようもあった。彼らは等しく好戦的なものが多い。


 しかし、目前にいる男は違う。見た目こそ小汚いがれっきとした人だ。


 魔族を狩ることを重点的に作られた武器を前にして、怯えないわけがない。


 だが事実、男はむしろまじまじと興味深そうに見つめていた。


「――、それはもしかして種子島か!? いやしかし、俺が知っているものに比べればずいぶんと違うというか」


「た、種子島? これはアーティファクトといって」


「え? なに? “ああてぃふぁくと”?」


「……あなた、アーティファクトを知らないの?」


「生まれてこの方、聞いたことないな」


 あっけらかんと男は答えた。


(どうやら魔族でもないし敵ってわけでもなさそうね……)


 レイチェルはひとまずステファノスをそっと下ろした。


 敵意がない相手に向けたとあっては、冒険者の風上にも置けない。


「それで? 改めて聞くけどあなたは誰なの?」


「俺か? 俺は佐原仁之助さはらじんのすけという。ここは、見るからに日ノ本じゃなさそうだが……」


「ジンノスケ? ヒノモト? どこの国よそれ……まぁいいわ。私の名前はレイチェル・レガード。こう見えても冒険者をやっているわ」


「冒険者?」


「……とりあえず、状況を整理するのには時間がかかりそうね」


 不可思議そうな顔をしてきょとんとする男――仁之助にレイチェルは深い溜息を吐いた。


「――、はぁぁぁぁぁぁ!? ま、魔王を食べたですってぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 レイチェルのその驚愕は城全体に響き渡った。


 それほどの衝撃的発言を仁之助はあっけらかんと宣ったのである。


 にわかに信じ難い話だった。


 きっと世界中のどこを探しても、魔王を食べた者は一人としていないだろう。


 そんな自信があるだけに、レイチェルは仁之助の言葉がどうしても信じられなかった。


「あぁ、本当だぞ。まぁ後になって気付いたけど、あの時の俺は本当に死ぬ一歩手前だったからな……」


「空腹は最高のスパイスだっていうのはよく聞くけど……だ、だからって魔王を食べるとか正気の沙汰じゃないわよ」


「まぁ、おかげで腹も満たされたしこうして生きているわけでもあるんだがな」


「……呆れたわ。あなたのいう、その……ヒノモト? っていう国の人はみんなそうなの?」


「どうだろうなぁ。でも、俺だけじゃなくてみんな生きるのに必死だった。必死だったからこそ、食えるものならなんだって喰らうよ。例えそれがひ……いや、なんでもない」


「そう……まぁいいわ。それよりもあなた、どうするつもりなの?」


「なにがだ?」


 仁之助がはて、と小首をひねった。


「あの魔王のことよ! 本当は私が討伐したかったのに、あなたがやっつけちゃったんじゃもうここにも用はないし……」


 魔王がいないのであれば長居する必要はない。


 踵を返し食糧庫を出てすぐにレイチェルは深い溜息を吐いた。


(魔王を倒せばそれ相応の報酬がもらえる。だけど……それも手に入らないんじゃ意味ないじゃない。みんな、ごめん)


 さっきまでの凛とした表情はなく、ひどく落胆した感情を色濃くその顔に滲ませる。


「――、なぁ。お前にとってあの魔王は必要なのか?」


 立ち去ろうとした刹那、仁之助は不意にそう尋ねた。


「肉の部分については、すまん。全部食べてしまったから今頃返すことはできないんだが……」


「いや、肉は別に要らないわよ……というか、頼まれたって絶対いらないから!」


「そうか? じゃあ、それ以外でいいんだったら全部持っていっていいぞ?」


「え?」


 仁之助の口から出たその言葉に、レイチェルは素っ頓狂な声を出してしまった。


 思わず間の抜けた声を出してしまった。


「ほ、本当にいいの!?」


 レイチェルはつい、仁之助にそう尋ね返してしまう。


 もし、彼の口から出た言葉が本当であればこれは願ってもないことだった。


 この男はあくまでも飢えだけを満たすために魔王を狩った。


 仁之助にとっては強大な力を有していようとも、単なる食糧でしかなかったらしい。


 すなわち、名声に関してはおそろしいぐらい執着心というものがない。


 彼が見知らぬ土地よりやってきたから――確かにこの線も十分にあった。


 だからこそ、後でいざこざが起こらないためにもレイチェルは再度確認する必要があった。


「後で返せとか言われたって絶対に返さないわよ!? それでも本当に……本っっっ当にいいのね!?」


「え、あ、あぁ。俺は正直言ってうまい飯が食えればそれだけでいいんだよ。傭兵稼業なんてやってたのもそのためだし」


「……あなたってさ、私がいうのもなんだけど欲なさすぎじゃない?」


「まさか。うまい物を食べたいって思うのだって十分すぎるぐらい強欲だと思うぞ。満足に飯が食えない、わずかでもいつ食えるかどうかさえもわからない。そんな中で飯が食いたいって思うのは十分な欲だと俺は思うがね」


「……どんな環境で生きてきたのよ、あなたとりあえず、ありがとう。ところで、あなたはこれからどうするの?」


「そうだな。なにか他に食えそうなものがないか探してからのんびりと旅を続けてみるよ。この世界は、俺が知っている世界とはずいぶんと違うらしいし。それに食料があっちの世界よりずっと豊富だ」


 そう口にした仁之助の瞳はまるで幼い子供のようにとてもきらきらと輝いていた。


「そ、そう……そ、それじゃあ私はそろそろいくわ。仲間のみんなも待ってくれているだろうし」


「そうか。まぁお互い道中には気を付けてな」


「えぇ――あ、そうそう。もしもリューヴェーンに寄るならぜひきてちょうだい。その、お礼もちゃんとしたいから」


「別に俺は気にしてないんだが。まぁ、もらえるものだったらなんだってもらうぞ俺は」


「ふふっ……あ、あと来るなら絶対にきれいな身なりにしてよね! そんな汚い格好で来られたら色々と疑われちゃうから!」


 レイチェルはそう言って、食糧庫を後にした。


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