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第3話:米くいてぇー!でも、ないッッッ!

 翌朝、空がまだ東雲色の頃から仁之助は魔王城を後にした。


 この時にはすでにレイチェルの姿はどこにもなかった。


 用を済ませてすぐに仲間のもとへと帰っていったのだろう。


「ん……今日はいい天気になりそうだ」


 心地良い朝風を浴びながら仁之助は大きく伸びをした。


 城の中にはおどろおどろしい構造さえ除けば使えるものばかりだった。


 水浴びだけで済ませていた肉体も、風呂に入ったことでいつになく輝いている。


 剃る暇さえもなかった髭も今ではすっかり顎から消えていた。


「やっぱり風呂と飯がある環境っていうのはいいな」


 つるつるとした肌触りに、仁之助はふっと口角を緩めた。


「――、さてと。それじゃあ、とりあえず“りゅうべえん”とやらに向かってみるか……」


 城を出てしばらく進むと鬱蒼とした森の中に入った。


 しんとした静寂は非常に穏やかで、さらさらと流れるせせらぎの音色が大変心地良い。


 争いなど微塵も感じさせないほど平穏な時間がゆったりと流れる。


 そんな中で仁之助の視線は常に忙しなく周囲を物色した。


「本当に、日ノ本とは全然違うな……だが空気は悪くない」


 故郷にないものばかりが、仁之助の周囲にはたくあんあった。


 それら一つ、ひとつが彼の好奇心を著しく刺激したのは言うまでもない。


 もっとも、彼の好奇心を惹いたのは豊かな自然ではなく動植物にある。


(あれは、食べられそうだな。こっちのキノコは……なんとなく、毒キノコってイメージがするぞ)


 飢えは確かに満たした。


 だが、これまでの空腹期間が長かったためかすでに仁之助は空腹に苛まれていた。


 言うまでもないが、城を出る前に朝食はきちんと食している。


「仕方ない。昼飯にはまだ早いけどなにか口にしておくか。とりあえず火を――」


 不意に近くの茂みで動きがあった。


 仁之助は愛刀――悪食村正あくじきむらまさを静かに鞘から払った。


 獣の臭いがした。それに伴ってほんのわずかではあるが血の臭いもそこに混じっている。


 程なくして臭いの主が茂みの中より姿を現した。


「これは、猪……なのか?」


 獣に人間のような教示はないし、それを求めるのは愚行というもの。


 挨拶もなく鋭い牙を向き、不快極まりない奇声にも似た咆哮をあげ突進をかますそれは見た目は猪に近しい。


 ただし、丸々とした巨体を覆う毛皮は漆黒の闇夜のようで、目は血のようにぎらぎらと赤く不気味に輝いている。


 恐るべきは言うまでもなく、その武器である牙に遭った。


 真っすぐと生えた牙の鋭利さはそれこそ、折れず曲がらずそれでいてよく斬れるでお馴染みの日本刀のようであった。


「肉か……ちょうどいい。お前はどんな味がするのか食べ比べてみるとしよう」


 突進をしてくる猪の怪物に、仁之助は不敵な笑みを浮かべた。


 仁之助は太刀を静かに構えた。


 大きく振りかざしたそれは、大上段の構えである。


 攻撃に特化しているのは一目瞭然で、しかしその反面欠点リスクも極めて高い。


 縦からくるとわかっている攻撃を如何にして相手よりもより迅速にかつ正確に通すか。


 並大抵の使い手ならば、まずほとんどこの構えを取ろうとはしない。


 だが、相手は獣である。これまで数多くの修羅場をくぐった仁之助からすれば、どうということはなかった。


「はぁぁぁぁぁぁぁ!」


 怒声にも似た叫び声と共に、一筋の稲妻が落ちた。


 斬という豪快な音がわずかに遅れてなれば、猪だったものが彼の目前でできあがる。


 赤い花弁がわっと散り、続けてむせ返るような鉄の香りが森全体に漂う。


「よし、これで朝飯は手に入れたな」


 食料となった猪に、仁之助は大層満足そうに頬を緩めた。


「とりあえず、今日はきちんと味付けとかしてみるか。あの食糧庫には香草みたいなのもあったし、それを試してみるのもいいだろう」


 森中に香ばしい匂いが漂う。


 香辛料も相まってより一層食欲を促進させる。


 ぱちぱちと小気味よい音と共に肉汁が滴り落ちる。


 もう少しで完成しようとした時、それは茂みからひょっこりと顔を出した。


「…………」


 またしても、来訪したのは一人の少女だった。


 ただしその頭にはヤギのような立派な角が生えている。


 あどけなさが残るものの、端正な顔立ちをしているが表情がまるで感じない。


 紫色という稀有な色をした長髪がさらりと風になびく姿は絵に描いたように美しかった。


(まるで人形のような少女だな……)


 仁之助はそう思った。


「……それ」


 少女の視線は先程からジッと、仁之助の焼いた肉を見つめていた。


 よくよく見やれば、小さな口からは涎が滴っている。


 くぅくぅとかわいらしい音の正体がなにか、それは改めて当人から確認する必要もあるまい。


「えっと……もしかしなくてもだけど、一緒に食べるか?」


「……いいの?」


 おずおずといった様子で少女は尋ねた。


「別に構わないぞ。さすがに俺もこれだけの量は喰い切れるかどうかわからなかったしな。それに、飯は一人よりも誰かと喰ったほうがうまい」


「……ありがとう」


「気にするな」


 少女――名を、ミリア・ライムといった。


 ちまちまと肉を食す姿はさながら小動物のように愛くるしい。


 けれどもその量はあっという間に仁之助を凌駕した。


 すでに彼女の周囲には数多の骨が山積みになっている。


「うまいか?」


「……うん、おいしい」


「そうか。それならよかった」


「……ねぇ、おじさんはなんて名前?」


「おじ……いや、十八歳になっているからそうなるのか? まぁいい、俺の名前は佐原仁之助だ」


「ジンノスケ……変な名前」


「そうか? 俺からすれば、南蛮人の名前のほうがよっぽど珍しいけどな」


 他愛もない会話をしながらも、大量の肉はあっという間に二人によって平らげられていく。


 その中で、仁之助の胸中にふとした疑問が浮かんだ。


(そういえば、こいつは魔族ってやつなのか?)


 レイチェルの言葉が確かであれば、彼女にはその条件にぴたりと当てはまる。


 人としての見た目こそしているが、人間に角はまず生えない。


 人非ざる者との邂逅に加え食事を共にするこの状況に、仁之助はつい笑ってしまった。


「……どうかしたの?」


「いや、なんでもない。そうだな、人生とは本当になにが起きるかわからないと、そう思っただけだ」


「……そう」


 片付けも終わった頃、仁之助はミリアに口火を切った。


「そういえばミリア。お前に一つ尋ねたいんだが……“りゅうべえん”っていうのはどっちにいけばいいんだ?」


「……それなら、この道をまっすぐ」


「そうか。教えてくれて感謝する――それじゃあ、お互い道中気を付けてな」


「……うん」


 ミリアと別れて仁之助は再び歩を進めた。


 結局、彼女が何者であるか聞くことはできなかった。


 より正確には、尋ねようとする気が仁之助は湧かなかった。


 同じ釜の飯を食ったならば、それはもう兄弟のようなものだから。


 ただ、今回の出会いはどうやら一期一会のようだ。仁之助はそんなことを、ふと思った。


「――、ようやく森を抜けたか……」


 森を抜けた先は、広大な草原がどこまでも広がっていた。


 その頃には青々としていた空も、今やすっかり暗くなっていた。


 例えるなら、それはまるで上質な天鵞絨びろーどの生地をいっぱいに敷きつめたかのような夜空だった。


 数多の星が煌めく中、ぽっかりと浮かぶ黄金の満月の輝きは氷のように冷たくも神々しい。


 草の絨毯を夜風がそっと吹けば、さらさらと小気味良い音を立てる。


 その向こう、遠くに見える大きな城郭都市が仁之助の目を引いた。


「どうやらあれば、“りゅうべえん”ってやつだな……」


 未知の世界に対し、仁之助はその口角をくっと緩める。


 もちろんこれは年甲斐もなくはしゃいでいる己への嘲笑だった。


「さてはて、あそこにはどんな飯があるのかな……楽しみだ」


 仁之助は足早にリューヴェーンへと向かった。


「――、えっと申し訳ないのですがこの時間帯は例外なく門を開けないこととなっておりまして」


「……え?」


 今晩は門の前で野宿をする必要があるらしい。


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