目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第10話 偽りの聖女を暴く



 セレナとの再会を果たしたあと、エスメラルダとヴァレンティンはさらに慎重を期して王都の裏通りを行き来した。昼間の人通りが多い時間帯を避け、日が沈んだ後から明け方近くにかけて、少しずつ情報を集める。そんな日々を続けているうちに、かつて穏やかだった王都は完全に様変わりしているのだと、エスメラルダは痛感せずにはいられなかった。


 まず、街角のあちこちに目立つようになったのが、カリーナ聖女を称賛するような掲示物の数々である。王城の正門通りから城下へと続く大通りは華やかな旗が飾られ、彼女の肖像画らしきものが堂々と掲げられていた。人々の口からは、「カリーナ様が聖女として国を導いてくださる」だの「新しい時代がやって来た」だのといった声も聞こえてくる。まだ真相を知らない庶民は、表向きの演出を鵜呑みにしてしまっているのだろう。


 一方で、王宮関係者――特に下働きの侍女や下級官吏のあいだでは、カリーナにまつわる不穏な噂が囁かれていた。すなわち「カリーナが聖女として奇跡を起こす瞬間を見た者がいない」「新たに編成された“特別近衛隊”が怪しげな儀式の準備をしている」といった話。どこまで本当かはまだ不明だが、聖女ならば本来、町の人々の前で癒やしの奇跡を見せることもあるはずなのに、そういった目撃談が異様に少ないのは確かだった。かえって逆に、「セレナをはじめ、疑念を抱いた侍女たちが次々と姿を消している」という噂まで聞こえてくる始末である。


 しかし、それでも庶民の多くは「新聖女が現れたのならば、かつての聖女――追放されたエスメラルダはやはり罪を犯したのだろう」と思い込んでいる。彼女がいかに人を救ってきたかを知る者も少なくはないはずだが、あれ以来王宮からは“一方的な追放宣言”だけが伝えられ、それを否定する正式な弁明は行われていないのだ。時間が経てば人々の記憶は移ろい、やがて新たな聖女を受け入れていく――これこそが、今回の陰謀を仕掛けた者たちの狙いに違いない。

 そんな状況にエスメラルダは歯ぎしりをしたくなる思いだった。何より、王国の象徴である聖女の地位がこれほどまでに“偽り”として利用され、まるで見世物のように祭り上げられているのが堪え難い。かつて自分が尊いと信じていた聖女制度が、今や権力と欲望の道具に成り果ててしまったのだ。


 そんなある夜、エスメラルダとヴァレンティンは潜伏先として使っている古い倉庫の一室で、改めて次の行動計画を話し合っていた。

「セレナは“一度だけ城に戻らなくてはならない”と言っていた。恐らく、カリーナの“偽り”を裏付ける確実な証拠を掴むためだろう。今の王宮は監視が厳しいはずだが、それでも彼女が戻るということは……相応の覚悟があるに違いない」

 ヴァレンティンが低く唸るように言葉をこぼす。セレナひとりを危険な状況へ向かわせるのは心苦しいが、彼女自身が望んでの行動だ。下手に阻止しても、本人の意志を折るだけになるかもしれない。


「もしセレナが帰ってこられなかったら……私たちだけでカリーナの“偽り”を暴くには、他の方法を探らなきゃいけない。たとえば、カリーナが“聖女としての力”を公衆の場で披露する儀式の場を狙うとか……」

 エスメラルダの提案に、ヴァレンティンはほう、と呟いて興味を示した。儀式の場、つまり大勢の貴族や兵士、時には王太子アルヴィスをはじめとする王族までが集まる厳粛な場である。そこにカリーナが表れて“奇跡”を見せる仕組みになっているなら、本物か偽物かは否が応にも人々の目にさらされるわけだ。


 しかし、ここで問題となるのはカリーナ側が“偽りの奇跡”をどのように演出しているのか分からない点だった。どこかに仕掛けがあれば、それを突き止めて暴かねばならない。

「王宮の密約書類や、カリーナを聖女に仕立て上げる計画書は、すでにヴァレンティンが持っているわ。でも、実際の舞台装置や魔法道具が使われている可能性があるわよね。儀式の場に“台本”があるんだとしたら、そこを暴くことができれば……」


 夜風が倉庫の隙間から冷たい息を吹き込み、揺らめくランタンの火がかすかに影を作る。エスメラルダは、燃え上がるような緊張感を抑えきれずに自分の肩を抱いた。

「私……このままでは終われない。カリーナが偽りの聖女として君臨し続けるなんて認められないし、私を陥れた人たちがのうのうと権力を振るうのを放っておくわけにはいかないわ」

 その声は震えていたが、瞳には確かな決意が宿っている。ヴァレンティンは穏やかに微笑み、力強くうなずく。

「お前はもう“追放された聖女”なんかじゃない。自分の力で道を切り開こうとしている……立派な戦士だよ、エスメラルダ。俺は隣国の王子としての責務がある。それでも、この国を救おうとするお前を支えたい。だから一緒に挑もう。きっと俺たちは勝てる」


 そして数日後――待望の情報が彼らのもとへ届いた。カリーナが「新たな聖女」として国中に広く認知されるための大祭典が、三日後に城内で開かれるというのだ。城下の人々も多数招き入れ、“真の聖女が奇跡を示す”と噂されている。この機会こそ、カリーナとその取り巻きが仕組む偽りを白日の下に晒せる絶好の好機に思えた。

「大祭典か……。これはもう、王太子アルヴィスも出席する公的な儀式だろう。あの男がどこまで陰謀に加担しているか分からないが、やはり重要人物に違いない。そこで一気に勝負を仕掛けるのが得策だな」

 ヴァレンティンの言葉に、エスメラルダは苦い面持ちをする。アルヴィスと顔を合わせるのは、あの日以来だ。婚約者として未来を誓い合った相手に、容赦なく追放を宣告された痛みがよみがえる。けれど、今さら逃げる理由はない。この国を正すためにも、かつて愛した人と正面から向き合わなければならない。


 祭典当日の朝――。人波が城門の前に押し寄せていた。兵士たちは入場者を厳しくチェックしているが、礼服を着た貴族や、少し身なりの良い商人、あるいは演奏役や役務を担う一般人も多い。主に街の有力者たちが招かれているようだが、観覧だけを許された庶民もいるという話だった。

 エスメラルダとヴァレンティンは、黒ずくめのマントで顔を半ば隠すようにしながら、使用人を装って後方に並んでいた。幸い、城内で下働きをする人材も臨時で大量に募集されており、雑用係として潜り込めそうな雰囲気がある。もし“追放された聖女”であることがバレれば一巻の終わりだが、祈るような気持ちで列を進むしかない。


「身分証を見せろ」

 門兵から冷たい声が飛ぶ。ヴァレンティンが懐から取り出した書類は、以前の旅で入手した偽造文書だった。もちろん危険な賭けだが、彼の交渉術と隣国ならではの特殊なルートを使って手に入れた本格的なものだ。目の肥えた門兵でも、よほど注意深く見なければ気づかないはず。

 門兵は少し不審そうに文書を読み取っていたが、やがて「役務要員か。倉庫の管理部だな」とだけ言って首を横に振る。幸いにも怪しまれることはなく、二人は無事に城内へ足を踏み入れることができた。


 そこには、かつてエスメラルダが聖女として過ごしたあの荘厳な空気が漂っていた。高い天井、巨大なシャンデリア、豪奢なカーペットが敷き詰められた廊下――すべてが昔のままだ。懐かしさがこみ上げると同時に、あの日の悪夢も色濃く蘇り、彼女はぎゅっと唇を噛み締める。

「大丈夫か?」

 ヴァレンティンが小声で囁くと、エスメラルダはうなずき返す。もう弱音を吐いている場合ではない。この広大な王城のどこかで、カリーナがその“偽りの奇跡”を披露する準備をしている。少しでも早く仕掛けの証拠や、共謀している貴族たちの動きを突き止めなければならない。


 やがて、城の中央広間へと続く大廊下が見えてくる。すでに多くの来賓が集まり、あちこちで華やかな談笑が行われている。大祭典の控室と思しき入口には厳つい騎士たちが立ち、配置についている。まるで“神聖な場所”であるかのように、足を踏み入れるだけで緊迫した空気が肌を刺すようだった。

 噂によれば、この控室こそカリーナと彼女を擁立する貴族たちが準備を進める部屋だという。外には厳重な見張りがあるが、部屋の中にどんな仕掛けが隠されているのかは分からない。

「ここは慎重にな。もし中に魔法具が仕込まれていたら、下手に触れて警報を鳴らす可能性もある。まずは敵の目を欺きながら、入り口の隙を探ろう」

 ヴァレンティンが低くそう告げ、エスメラルダもうなずく。今はまだ直接部屋に飛び込むより、周囲の様子を探りながらタイミングを待つべきだ。彼らは人目を避けるように周囲を一巡し、使用人を装って食事の搬入口あたりを覗き込んだ。


 すると、視界の端に見慣れた姿が映る。――セレナだ。彼女は手に盆を持ち、控室の近くを行き来している。おそらく祭典の準備にかかわっているのだろう。やや疲れた様子はあるものの、身なりはきちんと整えられ、侍女としての義務を果たしているように見える。だが、その表情には強い緊張が張り詰めていて、何かを決意しているかのようだった。

 エスメラルダは思わず大きく息を飲む。セレナが見つけてくれた決定的な証拠があるのか、それとも今から“偽りの奇跡”の仕掛けを暴こうとしているのか。直接声をかけたいが、下手をすると周囲に怪しまれてしまうため、迂闊には動けない。彼女は回り込むようにして視線だけで合図を送ろうと試みると、セレナも一瞬こちらを見やり、軽くうなずいた。おそらく、こちらの存在に気づいているのだろう。


 その瞬間、廊下の奥から足音が近づく。整然とした騎士の行進だ。エスメラルダとヴァレンティンはとっさに壁際へ身を寄せ、視線を伏せる。華やかな上級騎士の制服を纏った男たちが、カリーナと思しき女性を護衛するようにして中央広間へ向かっていくのが見えた。やがてその人影がはっきりと見える。――あれが、今この国で“新たな聖女”と崇められているカリーナなのだろう。


 彼女は白く長いドレスに金の装飾をあしらった衣装をまとい、まるで本物の聖女のように堂々と胸を張って歩いている。周囲に並ぶ貴族たちも、まるで稀代の英雄を見るように恭しく頭を下げて道を空けた。その姿は、かつてエスメラルダが王宮で目にした“儀式の行進”と瓜二つで、わざとらしいまでに荘厳さを演出しているのがわかる。


「……偽りの聖女、か」

 ヴァレンティンが低く呟き、エスメラルダの拳は自然と固く握りしめられた。あれだけの人々がその嘘に翻弄されていると思うと、怒りと悔しさがこみ上げてくる。だが、計画の最終段階である“大祭典”で彼らは何をしようとしているのか。単にカリーナの地位をさらに高めるだけなのか、それとも――。


 その答えは、きっと近いうちに嫌でも明らかになるだろう。カリーナは今まさに中央広間へ入り、そこで一大イベントの始まりを告げるはずだ。そこに王太子アルヴィスや貴族たちも居合わせれば、これまで水面下で行われてきた偽りの奇跡が、今度は国中の人々の目に焼き付けられることになる。そして、それが真っ赤な偽物であることを暴くのが、エスメラルダとヴァレンティンの使命なのだ。


 目を閉じれば、あの美しい玉座の間に再び立つ自分の姿が脳裏に浮かぶ。追放される前、まだ聖女として崇められていたころは、そこが自分の居場所だと疑わなかった。だが今の彼女は“元聖女”という鎖を解き放ち、自分の意志でそこへ戻ってきた。どんなに小さな光でも、真実を知る者たちが集まり、その力を合わせれば、巨大な闇を貫くことができるかもしれない。


(カリーナ……あなたの偽りを、ここで終わらせる)

 エスメラルダは胸の奥でそう誓い、ヴァレンティンと視線を交わす。彼の手には、陰謀を暴くための書類の数々がしっかりと握られている。彼女の指先には、すべてを失ってもなお失われなかった“奇跡”の力が宿っている。ここで倒れるわけにはいかない。失った名誉を取り戻すためではなく、愛した王国を“偽り”から救うために。


 大きく深呼吸をして、二人はそっと廊下の奥へ足を進めた。すべてをかけた逆転劇の幕は、いよいよ目前。熱気と高揚感が入り混じる中、彼らの心臓は高鳴り続けていた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?