突如として巻き起こった騒ぎの只中へ、エスメラルダとアルヴィス、そしてヴァレンティンが駆け戻ると、大広間はすでに異様な混乱に包まれていた。カリーナの“奇跡”を演出していたはずの青白い炎や魔力の光が制御不能のまま渦を巻き、床や壁に照り返している。さらに、その中心でカリーナが驚愕の表情を浮かべており、彼女に仕える貴族や術師たちが慌てふためいていた。どうやら仕掛けを支えていた装置の一部が不意に故障し、偽りの儀式が破綻しつつあるらしい。
騒然とする大勢の来賓客は、最初こそ「聖女の力が暴走しているのでは」と恐れおののいていた。しかし一部の貴族や侍女たちが口々に「こんなはずじゃない」「どうして装置が暴走しているんだ」という言葉を漏らし始めると、次第に「仕掛け?」「装置?」と、違和感を覚える者が増えていく。まばらだった疑念の声が連鎖的に広がり、ざわめきが怒号に変わりかけていた。
そこへ、玉座の間の奥からセレナが姿を現した。振り向いた彼女の腕には、破損したらしい魔力装置の小さな部品が握られている。まるで“これがすべてのトリックの証拠です”と示すかのように、高々と掲げていた。
「皆さん、どうか落ち着いて! この儀式の光や炎は、カリーナ様の“聖女の奇跡”などではなく、隠された装置によって作られた偽りのものなのです!」
セレナが絞り出すような声で訴えると、会場の混乱は一気にヒートアップした。貴族の一部や衛兵が「セレナを捕らえろ!」と叫び、駆け寄ろうとする。けれど、その一方で「偽物だと? 何を言っているんだ」「いや、でも実際におかしな仕掛けが……」という混乱の声が飛び交い、場内は統制が取れない状態に陥っていた。
そこへ、アルヴィスが重く響く声を張り上げる。
「全員、やめろ! これ以上、その者を害してはならん!」
その一喝で、混乱はやや鎮まった。国中の目が見守るこの場で、王太子自らが声を上げたのだ。群衆は一瞬戸惑いつつも、その威厳に圧されてひとまず動きを止める。カリーナの術師や取り巻きの貴族たちも目を泳がせながら、アルヴィスとセレナの間に視線を行き来させるしかなかった。
アルヴィスは胸甲の隙間から取り出した証拠書類の束を手にし、王太子としての堂々たる態度を保ったまま、こう続けた。
「私も先ほど、この儀式が偽装されたものだという動かぬ証拠を見せられた。貴族の何名かが組織的に関わり、カリーナを“聖女”として擁立しようと謀っていたのだ。装置を使い、奇跡を演出することで国民を欺く――断じて許せる行為ではない!」
その場の誰もが息をのむ。アルヴィスの宣言は、ここに至るまでの王宮の事情を覆すには衝撃的すぎた。だが、王太子が声を上げたという事実だけで、大勢の人々は一気に「この騒動は真実なのかもしれない」と認識を改めはじめる。なにしろ、追放されたエスメラルダの話ならともかく、あの国を背負う王太子が自ら偽装を暴露しているのだ。これを軽々しく否定すれば、逆に王権を批判することになりかねない。
無論、取り巻きの貴族たちは慌てふためく。ある者は「馬鹿な、証拠など偽造だ!」と叫び、またある者は「我々こそが国を導く力を持っているのだ!」と喚き散らす。そんな彼らをよそに、アルヴィスはさらに追及の手を強める。
「そこにいるヴァレンティンという人物は、隣国の王子だ。彼もまた、この陰謀を調べていたゆえに命を狙われ、重傷を負った。だが、いま彼が持つ書簡には、諸侯の署名や印章がはっきりと記されている。それでも否定するつもりか?」
思わぬ隣国王子の存在まで明かされ、一部の貴族はさらに動揺を深める。むろん、国同士の外交問題へと波及する可能性がある以上、これ以上事態を隠蔽しようにも限度がある。王太子の目が鋭く光る中で、数名の貴族が逃げ出そうとしたが、そこはしっかりと親衛隊の騎士に取り押さえられてしまった。
そのころには、場内にいた商人や庶民の代表たちも状況を把握しはじめ、次々に「どうやら本当に偽りの儀式だったらしい」「それなら、我々は何年も騙されていたのか?」と怒りや混乱の声を上げていた。もはや、カリーナの取り巻きが誤魔化しを続ける余地は限りなく小さい。
問題は、当のカリーナがどう振る舞うのか、という点だった。高壇の一角で孤立したように立ち尽くす“自称・新聖女”は、崩れかけた装置と燃え尽きそうな青い炎を交互に見やりながら、焦燥と絶望を同時に感じているように見える。もはや“偽りの演出”が破綻し、さらに“裏で糸を引く貴族たち”が炙り出されている――そんな状況で、自分はなす術がないのだろう。
「カ、カリーナ様! いえ、カリーナ……貴様、まだ逃げられると思うな!」
一人の貴族が罵声を浴びせながら駆け寄り、何かを耳打ちしようとする。おそらく今すぐここから離脱する算段を立てているのだろう。しかし、その動きを先読みした親衛隊がさっと立ちふさがり、貴族ごとカリーナを包囲した。「動くな!」と鋭い声が響き、カリーナの足は完全に止まる。
そこへ、エスメラルダがゆっくりと歩み出た。人波の中から姿を現す彼女に対して、多くの者は初めて“追放された聖女”を目の当たりにする形となる。戸惑いや驚きの声が広がる中、彼女は真正面からカリーナを見据え、静かに言い放つ。
「カリーナ……あなたは、何のためにこんな偽りを続けてきたの? 本当の聖女の力がないことを、あなた自身、一番よく知っていたはずでしょう」
カリーナは震える唇を結んでいたが、周囲の目を拒むように一瞬だけ目を伏せる。やがて観念したのか、どこか惨めな笑みを浮かべた。
「……権力よ。私は貧しい家の出身で、かつては侍女以下の扱いだった。だから、あの貴族どもが“聖女として迎えてやる”と言ったとき、私は飛びついたの。地位と名誉を手に入れれば、誰も私を嘲笑(わら)わない。そう思って……」
言葉の終わりはうわ言のように掠れた。会場のあちこちからは嘲りよりもむしろ同情の吐息が漏れ、「そんな事情があったのか……」と小さくつぶやく者もいる。けれど、エスメラルダは決してそこに同調しない。
「でも、その偽りのせいで、どれほど多くの人たちが苦しんだか。あなたに仕える侍女たちが、疑問を抱いた瞬間に解雇され、行方不明になったという話を私は聞いている。民衆を欺き、“国を導く”などと大言壮語するのは、もうやめて」
その声には、追放された過去の苦痛と、同じように利用されてきた人々への思いがこもっていた。カリーナはすでに言い返す力も失ったのか、ただ肩を落として項垂れる。周囲を取り巻く貴族たちも、もはや擁護の言葉を失っていた。
こうして、新聖女カリーナが“偽りの聖女”であったことは、王太子アルヴィスの宣言と、破綻した装置の存在、そしてセレナの証言とともに、ほぼ決定的な事実として衆目に晒される形となった。あまりに衝撃的な事実に、来賓の人々は混乱を極めたが、アルヴィスが威厳をもって再び呼びかける。
「民たちよ、貴族たちよ、この国は“嘘”によって安寧を得るべきではない。聖女制度とは、もともと人々の力になろうとする“真の祈り”が根幹にあったはずだ。それを冒涜し、国を混乱へ誘うような陰謀を、私は王太子として認めるわけにはいかない!」
その宣言が響き渡ると、場内にいた多くの人々が胸を打たれたように顔を上げる。追放されたエスメラルダの名を今までは謂れのない悪名と信じていた者たちも、彼女の姿を直に見て、さらにカリーナの偽装が明るみに出た今、心境を大きく変えざるを得ない。加えて、アルヴィス自身が“真の聖女はおそらく別にいる”と言わんばかりの態度を示したのだから、その影響力は絶大だった。
やがて、誰ともなく「エスメラルダ様……!」と声を上げる者が現れる。見れば、それは王都の下町に住む女性らしい。かつて、エスメラルダが巡回診療で助けた記憶を持つのか、その表情には確信と安堵が混ざりあったような色が浮かんでいる。
「私はあなたに子どもの病気を癒やしてもらったことがある。あのとき、たしかにあなたの祈りで救われたんです……! 偽りじゃない、確かな力をあなたは持っていた……!」
すると、彼女に呼応するようにあちらこちらから「私も助けられた!」「あの日の奇跡は嘘じゃなかった!」という声が次々と上がり始めた。最初は遠巻きに見ていた人々でさえ、誰かが名乗りを上げると連鎖的に「そういえば」「あのとき」と記憶を呼び覚ましていく。
追放の衝撃が大きかったために、王宮の一方的な断罪を“真実”として受け止めていた人々も多い。けれど、実際にエスメラルダから癒やしの力を授かった人や、その様子を見ていた人たちはずっと心の底で違和感を抱えていた。その疑念が、今ここで一気に解放され始めたのだ。
王太子アルヴィスはその光景を目にし、驚きと困惑を入り混ぜたような表情を浮かべる。まるで、「自分が切り捨ててしまった聖女は、こんなにも多くの民に慕われていたのか」と思い知らされたようでもある。そんなアルヴィスの心境を読み取ったかのように、エスメラルダは穏やかなまなざしを向け、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……私には、あの頃のように“聖女”を名乗る資格はないかもしれません。けれど、私は今でも、自分のできる限りの力で人を救いたいと思っています。もう一度、私を信じてもらえますか?」
彼女の問いかけに、庶民の一団やかつて彼女に救われた者たちは、「もちろんです!」「エスメラルダ様を信じます!」と声を上げる。それは熱狂的な歓声というより、ようやく封じられていた事実を認められた安堵の合唱のようでもあった。そこここで涙を浮かべる者や、エスメラルダに頭を下げる者が相次ぎ、広間は一種の感動に包まれていく。
その光景を見つめながら、ヴァレンティンはどこか感慨深げにうなずいていた。自分が守り抜こうとした“真の聖女”の姿が、これほどまでに人々から支持され、愛されていることが、彼の胸にも温かい希望を灯したのだろう。そしてアルヴィスもまた、エスメラルダへの疑念や後悔が一挙に溶けていくような表情を見せる。
偽りの聖女――カリーナは、もはや多くを語れず、その場で瓦解していく陰謀の残骸をただ見つめるしかない。取り巻きの貴族たちは騎士団によって拘束され、術師たちは自らの恥をさらすまいと必死に抵抗したが、会場全体がエスメラルダとアルヴィスを支持する空気になった今、どうにもならなかった。
こうして“新聖女”カリーナが一夜にして失脚するという衝撃的な事件は、瞬く間に王都全域へ伝わっていく。激しい混乱は避けられないが、少なくとも国を蝕んでいた嘘の根幹が白日の下にさらされたという事実は、やがて王都を改革へと導く起爆剤になるだろう。
追放された“はず”の聖女が戻り、王太子と共に偽りを暴いた――そのドラマティックな展開に、人々は疑いを超えて心を動かされ始めていた。確かに、エスメラルダが自らの意思で起こす“癒やしの力”こそ、本物の奇跡かもしれないと。
多くの人々が彼女の名を呼び、再び手を伸ばす中、エスメラルダは応えるように小さく手を振った。そこには、かつて聖女として仰がれていた頃のような戸惑いはない。追放の苦しみを経て、今度は自分の足で堂々と立ち、この国を支えたいという強い意志がある。――そう、彼女は“偽物を打ち砕いた真の聖女”として、再び人々の心をつかみ始めているのだ。
大広間を満たす人々の声援は、まだしばらく止むことがなかった。騎士団が混乱を収束させる間、エスメラルダとアルヴィスは改めて固く視線を交わす。きっとこれから先、国を再建する過程でまだ多くの困難が待ち受けているだろう。けれど、いま確かなのは、欺瞞の虚構を打ち破ったその瞬間、人々の眼差しは嘘ではなく“真実”を見ようとしているということ。
こうして、壮大な“逆転劇”は一つの節目を迎えた。エスメラルダはもう後ろを振り返らない。王都に生きるすべての人々を、そしてかつて愛した婚約者さえも救うために、さらなる決意を固めるのであった。