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第13話 二人の告白



 偽りの聖女カリーナが失脚した翌日、王都はまだ大きく揺れていた。これまで“新たな聖女”として崇められていた彼女が実は権力者によって仕立て上げられた存在であり、真の力を持たないまま儀式を演出していた――その事実が一夜にして広まったのだ。王宮では多くの貴族が処罰を恐れて動揺し、商人や庶民たちは「自分たちは騙されていたのか」と怒りや戸惑いを露わにする。一方で、かつて追放されたエスメラルダが“真の聖女”として再び注目を集め、王太子アルヴィスとの和解が図られ始めているという噂が、街じゅうを席巻していた。


 王城の一角では、臨時の会合が続いている。アルヴィスは混乱を最小限に食い止めるため、貴族や騎士団、各行政機関に対して指示を出しつつ、陰謀に深く加担した者たちを順次取り調べる方針を決めていた。隣国の王子ヴァレンティンも正式に賓客として遇され、王都の立て直しを支援する立場を得る。一夜にしてガラリと変わった世界の中、エスメラルダは王宮の広い回廊を歩きながら、これからの自分について考えていた。


 玉座の間の喧騒が嘘のように静まった回廊には、朝日がステンドグラスを通して差し込み、床を七色に照らしている。修復中の祭壇からはまだ人々の怒号や作業音が聞こえてくるものの、彼女の周囲だけは、妙なほどの静けさが漂っていた。まるで長い悪夢から覚めたあとに訪れる空白の時間のようだ。


(私は……これから本当に“聖女”として復帰するべきなのだろうか?)


 追放される前、エスメラルダはその地位を失うことを恐れつつも、“人を救いたい”という思いだけで生きていた。だが、今回の騒動を通じて実感したのは、自分がどれほど“権威”や“地位”を持たなくとも、人々を救うことはできるという事実だ。たとえ追放されても、失ったものは絶対ではなかった。村での生活や、ヴァレンティンとの出会いが、それを教えてくれた。だからこそ今、彼女は王宮で再び“聖女”と呼ばれるかどうかを、慎重に考えている。


 そんな思考に沈んでいると、「エスメラルダ」と小さく呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、そこには故郷の村での幼馴染、レオンの姿があった。彼は自分の農作業着ではなく、王宮の廊下を歩くにふさわしい地味な服を身につけているものの、すこし落ち着かない様子で周りを気にしていた。

「レオン! どうしてここに……? まさか、わざわざ村から?」

 驚くエスメラルダに、レオンはぎこちない笑みを返す。

「王都で大変な騒ぎがあったって噂を聞いて、いても立ってもいられなくなったんだ。お前が危険な目に遭ってないか心配で……だから村のみんなで少しずつお金を出し合って、俺を代表にここへ送ってくれたんだよ。そしたら、王宮の門兵に事情を話したら通してくれた」


 彼の素朴でまっすぐな言葉に、エスメラルダは胸を熱くする。故郷の村人たちは、王太子の直轄軍や貴族の横暴を恐れて、長らく王都に近づくことすらためらっていたはずだ。それでも、彼女を心配して送り出してくれたのだと思うと、あふれるほどの感謝とともに、涙が浮かんでしまいそうになる。

「そっか……ありがとう、レオン。私は大丈夫。むしろ、みんなに伝えたいぐらいよ。もう王都は変わり始めてるって。私……少しだけ頑張ったの」


 エスメラルダがそう言いかけると、レオンは先を遮るように一歩近づいてきた。普段は穏やかな彼の瞳が、今日はどこか熱を帯びている。

「なあ、エスメラルダ……お前、これからどうするんだ? アルヴィスってヤツとやり直すのか? それとも、王都で“聖女”として生きるのか?」


 思わぬ問いに、彼女は戸惑う。アルヴィスは確かに“婚約者”だった時期もあり、先日の逆転劇を経て、彼とのわだかまりは少しだけ解けつつある。しかし、“再び結ばれる”という話とは別だ。アルヴィス自身も、王国の改革に向けて山積みの課題を抱えている。二人がかつてのように“婚約者同士”の関係に戻るかどうかは、まだ何一つ決まっていない。

 レオンは強い感情を堪えきれないように、さらに言葉を継ぐ。

「お前が苦しむ姿は、もう見たくないんだ。俺が守ってやれるなら、どんなことだってする。……お前が子どもの頃から抱いていた夢だとか、聖女としての力とか、そういうのは全部ひっくるめて俺が受け止めたい。だから、もしお前が王都で生きていくのが辛いなら、一緒に村へ帰ろう。何もない小さな村だけど、お前となら何もいらない。俺は……お前を愛してるんだ」


 その告白は、あまりにも率直で、エスメラルダの心を強く揺さぶる。幼馴染として大切な存在だったレオンが、ここまで真摯に想いを伝えてくれるなんて。戸惑いと嬉しさが入り混じりながらも、彼女はどう返事をすればいいのか分からず、唇を噛みしめた。

 そんな二人の様子を、回廊の隅から見つめていた影があった。ヴァレンティンだ。彼もまた、静かに近寄ってきて、レオンに軽く会釈しながらエスメラルダのそばへ立つ。

「レオン……だったね。君がエスメラルダの幼馴染だということは、彼女から聞いている。今日まで彼女を支えてくれて、本当に感謝しているよ」

 ヴァレンティンの言葉に、レオンはわずかに警戒の色を示しつつも「別に礼を言われる筋合いはない」とそっぽを向く。いかにも不器用な性格が、今のぎこちない態度にも表れていた。


 けれど、ヴァレンティンもその雰囲気に臆することなく、真摯なまなざしでエスメラルダを見る。

「……俺も同じ気持ちを伝えたい。エスメラルダ、君がこの国を救おうとしている姿を見て、俺は心を奪われた。隣国の王子として、最初はただ“陰謀を暴き、正義を成す”という使命感で動いていた。だが、君が追放されてもなお“人を救いたい”と願う姿を見ているうちに、違う感情が芽生えたんだ……。俺は――君を愛している」


 その言葉を受けた瞬間、エスメラルダは胸が大きく波打つのを感じる。ヴァレンティンは控えめな態度でありながらも、その瞳には隣国の王子という“器”を感じさせる責任感と、まっすぐな好意が混ざり合っていた。彼とは幾多の危機を乗り越えてきたし、追手に狙われた彼を救ったのも、彼女自身だ。支え合ううちに“仲間”以上の感情が生まれていたのは、エスメラルダも否めない。

 しかし、それを言葉にされると、戸惑いが爆発しそうになる。レオンもヴァレンティンも、自分への強い愛情を告白してくれている。この状況にどう応えればいいのか、頭が追いつかない。


「……なんだと? お前もエスメラルダを……」

 レオンが思わずヴァレンティンをにらみつける。だが、ヴァレンティンは真っ向から視線を外さない。そこには敵意や高慢はなく、ただ“本気で彼女を愛している”という意志があるだけだった。

 エスメラルダは両手を胸の前で重ね、深呼吸をする。二人を前に、はっきりとした答えを今すぐ出せるだろうか。自分が本当に向き合うべきは、“自分は聖女としてこの国に残るのか、それとも……”という未来の選択でもある。


 ほんのしばらく、沈黙が落ちた。ステンドグラスからの朝日が、三人をまるで舞台の上に立たせるように照らし出す。レオンの息は荒く、ヴァレンティンの視線は強く、エスメラルダは戸惑いを隠せないまま、その場に立ち尽くしていた。

 だが、見つめ合ううちに、レオンもヴァレンティンもエスメラルダの心情を察したのか、それ以上は強い言葉をぶつけ合わなかった。あえて言うなら、二人ともが“彼女の意思を尊重したい”と思っているからこそ、強引に奪おうとはしないのだ。エスメラルダに対する純粋な愛情が、静かな均衡を保っているとも言えた。


 やがて、エスメラルダは一つため息を吐き、できるだけ落ち着いた声で言葉を紡ぐ。

「ありがとう……。あなたたち二人とも、私なんかのためにこんなにも想いを伝えてくれて。でも、今はまだ正直に言えば、自分がどうしたいのかはっきりしてない。王都には解決すべき問題が山積みだし……アルヴィスやセレナ、ヴァレンティン、それにレオン、村の人々……守りたいものがいっぱいあるの」


 レオンは寂しげな表情を浮かべながらも、口をつぐむ。ヴァレンティンは静かに頷き、「時間が必要なら待つ」と言いたげな視線を送る。

「……私は必ず、気持ちに答えを出す。だから、それまで待っててくれないかな」


 二人の男性は、お互い複雑そうな面持ちでありながらも、エスメラルダの言葉に賛同の意思を示すしかなかった。レオンは少し俯きながら「お前の決断を信じるよ。何があっても、俺はお前のそばにいる」と呟き、ヴァレンティンもまた「国の再建が済んだら、隣国に戻る準備がある。でも、君のためなら何度だって訪れる」と柔らかく微笑む。

 視線の合わないレオンとヴァレンティン。しかし、その胸中にあるのは、互いを憎む気持ちではなく、“エスメラルダを大切に思う”という一点に尽きていた。


 そして、彼女自身も改めて思う。追放されてすべてを失ったと思っていたが、実はたくさんの人々に支えられ、今もこうして愛されている。自分の進む道は、もう決して孤独なものではないのだ。

 外からは、城下町の人々が騒ぎながら片付けを進めている音が聞こえる。祝祭の後始末と同時に、失脚した貴族の屋敷を捜査する騎士たちの声も混じっているだろう。まさに王都は次の段階へと動き出し、新たな体制を築くための最初の一歩を踏み出そうとしている。その大きな波の中で、エスメラルダ自身も“これからの生き方”を決めねばならないのだ。


 愛を告げられたという幸福と、この国を導いていく責任。相反するようでいて、どちらもエスメラルダにとっては大切な要素だ。焦って答えを出すのではなく、自分の心に正直に向き合う必要がある。そう自分に言い聞かせるように、彼女は深く一度息を吐き、「ありがとう。二人とも」と言葉を重ねた。


 こうして、追放ざまあの逆転劇を果たした“元聖女”エスメラルダは、レオンとヴァレンティン――二人の男性からの真摯な告白を受け取ることになった。だが、彼女はまだ答えを出せない。過去を清算し、これからの未来を切り開くために、自分は本当に何を求めているのか。

 王都の復興と、自らの想い。どちらも中途半端にできない以上、次なる一歩が彼女を大きく成長させるのだろう。二人の告白を胸に秘めながら、エスメラルダは“愛と未来の選択”に向けた、本当の出発点に立ったのだ。




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