AIを神として崇めたい連中がいるなら、逆に崇めさせたい連中がいても不思議ではない。崇めさせることで、利益を享受できるのは誰だ?
「……美浜さんのような人……?」
と流雫は呟く。つまりはエンジニアだ。
崇めさせるだけのAIを開発し、何らかの形で売ることで巨額の利益を得る。同時に、生みの親としてその名声を手に入れる。
……崇めさせたいのはAIなのか、開発者個人なのか。自身が自薦のインフルエンサーとなって、旗を振るのか。
ただ、それが真相だとしても、人に危害を与えなければいい……それに尽きる。
流雫は画面から目を離し、駅ビルを後にした。
ペンションに戻った流雫は、休む間も無く手伝いを始める。バスルームの掃除からディナーと幅広く手掛けるが、昨日同様終わったのは21時を回った後だった。
この作業に没頭する時間は、余計なことを紛らわせることができて、彼にとっては好都合だ。
「イベント、悠陽さんも行くらしいわ」
澪の声が、スピーカー越しに響く。先刻メッセージを送り合う中で判ったが、彼女は既にチケットを購入していたらしい。イベントのサイトを見る限り、コスプレも一部区画で可能らしい。それも含めて楽しみ……と悠陽は思っているに違いない。
恐らくは別行動になるだろうが、流雫は悠陽が気懸かりでもあった。椎葉の話が全て正しけれかば、スタークがいない今の悠陽は、アルバの残党にとっていい獲物だからだ。
ただ、同じ会場にいる以上、場合によっては盾になることはできるだろう。あの程度でも少なからず面識が有る以上、彼女の味方だからだ。
その思いを、澪はテレパシーで伝わっているかのように読める。
「何も起きないとは、あたしも思ってない。でも、流雫やみんながいるから、何が起きても怖くないよ」
その言葉に、偽りは無い。流雫の不安も判っている。だから受け止めつつ、でも心配無いと安心させたい。同時に、流雫がいることに安心したい。
話題を変えようとした澪は、待ち合わせの時間を流雫に問う。1分後、新宿駅に11時だと決まった。詩応や真が乗る高速バスは、正午過ぎに駅舎上のバステに着く。それまでは新宿でデートだ。好きな人たちと一緒にイベントを回るのも楽しいが、2人きりで今の幸福に浸る時間も欲しい。
澪との通話が終わったことを知ったかのように、流雫のスマートフォンに届いた椎葉からのメッセージ。流雫は、音を立てないように椎葉の部屋に向かった。
「今日、河月湖で顔馴染みの刑事に会ってね」
と、椎葉は話を切り出す。
流雫もよく知る刑事との会話を繰り返す椎葉は、弥陀ヶ原と別れた後で自分でも調べていた。プロジェクトリーダーが関与していたことには、唖然とするばかりだ。
流雫は
「EXCのプロジェクトリーダーがいるなら、エンジニアもいる……?」
と言った。椎葉は反射的に問う。
「どう云う意味だ?」
「リーダーの右腕となるエンジニアが栄光の剣にいる。そしてリーダーとしては、美浜さんよりそっちを可愛がりたいハズ……」
と、椎葉の問いに答える流雫。それは目の前のエンジニアにも心当たりが有った。
学習データの実装の件も、椎葉がいない隙を狙ったものだった。そして、プロジェクトリーダーとエンジニアの間に絶対的な主従関係も有ることは、オフィスにいて判る。飼い主と忠実な犬……椎葉にはそう見える。
「ただ、自社製品のAIを改悪してまで、栄光の剣の理念に合わせる必要が有るとは思えない。合わせたいのは、それ以上の恩恵を物理的に受ける何者かがいるから……」
と流雫は言った。椎葉は
「連中の上層部か……」
と続く。つまりそれは、貝塚と云う男も怪しいと云うことになる。
貝塚正。EXCプロジェクトリーダーとして、UACからの出向で常駐している。エグゼコードには最初のアニメ企画から関与し、今はEXCを手掛ける。そして貝塚は、椎葉に対してよい評価はしていなかった。
データベース関連は個人情報管理に直結するだけに、特に常に完全であることを要求される。しかしそれは当然のことで、ゲームの魅力そのものに直結しない。
運用とアップデートは椎葉に担わせるまでもない、を表向きの理由としたのが、新しい学習データの実装の一件だった。そのエンジニアはエグゼコード初のゲームから開発に携わる男。名前は、川端克己。椎葉の同期だが、互いに話をしたことは無い。
……今の時点で2人が怪しいと決め付けるのは短絡的過ぎるが、妄想だと一蹴することはできない。
「俺が話したのはそれだけだ」
と椎葉は言い、PCの電源を落とす。
それだけでも、流雫にとっては収穫だった。ミーティアの話を引き金に生まれた一つの可能性が、少しだけ確度を持ったからだ。
「サンキュ、美浜さん」
と言った流雫のオッドアイは、確かな強さを湛えている。
やはり、このワーケーションの最大の収穫は流雫と知り合えたことか。椎葉はそう思い、ふと微笑んだ。
EXCにログインした悠陽のアバターは、AIが生成したエネミーを次々と倒していく。ゲーミングモニターが鮮やかに映す新生アウロラを今度はキルされないように、と思いながら、悠陽はキーボードを叩く。
澪は今日はログインしていない。一度一緒にプレイしてみたいが、彼女と何時も一緒にいる紅きシスターが気になる。澪のフレンドであることは間違い無いが、同時に自分の味方になるのか。
しかしそれより、今になって新たな疑問が浮かぶ。
アバターをロストしたあの日、スタークの顔に泥を塗ったと因縁を付けてきたアバターに囲まれた。しかし、何故池袋での一件を知っていたのか。
スタークがフォロワーに対して、アウロラから不利な扱いを受けたと吹聴したからか。それ以外に説明が付かない。それが本当なら、関係者の職権乱用ではないか。そう思うと、益々苛立ってくる。
鬱憤を晴らすかのように無双するアウロラを操る悠陽の耳に、スマートフォンの通知が届く。澪からの、ドーナッツ屋への誘いだった。
……何か有る。悠陽はそう直感した。しかし、今は澪しか頼れない。手早く戦闘を終えると、日曜日の午前中ならと返事を打った。
何がアドミニストレータAIに拾われるか判らない以上、EXC絡みの話題をEXC上で話すワケにはいかない。それが、流雫と話す中で澪が決めた方針だった。だからメッセンジャーアプリを使い、誘うことにした。
当日、澪の隣には流雫もいる。最愛の少年は最大の戦力。あの洞察力や知識は、澪ですら敵わない。そして彼も、悠陽の味方であろうと思っている。
……アルバのリーダーが、どんな思惑で悠陽に接触したかは判らない。だが、EXCに孤独からの脱却の活路を見出そうとするほどの彼女にとっては初めての、フレンドと呼べそうなフォロワーだった。
しかし、それは目の前で撃たれた。それと入れ替わるかのように現れた澪に、悠陽が救いを求めるのは当然だった。だから今の悠陽は、あたしからの誘いを断らない……、澪はそう思っていた。
色々出しゃばっていると言われればそれまでだが、そうでもしないと彼女を救えない、と2人は思っていた。リアルで命を狙われている以上、そう思えない方が逆に不思議だ。
……何事も無く、日曜日が終わってほしい。今は、そう願いたい。
慌ただしく感じられた1週間も既に週末。しかし、眼鏡を掛けた青年に安寧は無い。
流雫に見送られながらペンションを後にした椎葉は、そのまま東京中央国際空港に向かった。
……福岡に行ってこい。流雫が手掛けたモーニングを愉しむ椎葉に飛び込んだ、貝塚からの命令だった。何か有る、と思うのは当然だった。
機内のネットワークからプログラミングサーバにアクセスする限り、怪しい動きは見られなかった。スマートフォンからでもコードを書ける環境が、こう云う形で役立つとは。
忙しないフリック入力を終わらせた椎葉は、紙コップに注がれたコーヒーと一緒に、流雫から手土産として受け取った特製のガレットロールを口にする。
空港から満員の地下鉄に揺られること数分、地方都市第2位の都心部に着いた椎葉は、その足でエクシスの支社に向かった。東京本社は土日祝が休みだが、法人向けのサポートセンターの役割を兼ねる福岡支社は24時間、年中無休で開いている。
椎葉は出迎えた社員から、フリースペースに通され、仕様書を渡される。納期は24時間後。とは云え、10時間ほどでどうにかなる。
「……それが答えか」
と呟いた椎葉は、PCを鞄から取り出した。
クラウド開発環境が充実しているのに、しかも当日の朝になって出張を命じた目的は2つ。椎葉を東京から引き離し、物理的な動きを見られないようにすること。そして、一見誰にでも書けそうなAIのプログラミングを宛がい、アドミニストレータAIから目を離させること。その間に、最適化と称した改悪に踏み切るハズだ。
土曜日の夜中に短時間のメンテナンス。臨時と云えど今まで無かっただけに、裏が有ると思わざるを得ない。
取り越し苦労で終わればいいが。そう思いながら溜め息をついた椎葉は、ブラウザを開く。エンジニアとしての孤独な戦いが始まった。
日曜日、何時ものように新宿駅で合流した流雫と澪は、池袋へと移動した。澪にとっては逆戻りする形だが、流雫の迎えは自分から決めたセオリーで、破る気は無い。
池袋駅に着いた2人を、悠陽が出迎える。そして3人は、1週間前のイベント会場へ足を運んだ。
ドーナッツ屋に誘われた日、悠陽はその待ち合わせ場所を池袋に指定していた。
「フラウ……」
悠陽は小さな声でそう呼び、手を合わせる。死の一報を耳にした瞬間、この場所を訪れると決めた。2人は瞬時に、あの撃たれたコスプレイヤーの名前だと察した。
ドーナッツ屋で話そうとした話題を、澪はこの場で切り出した。
「……被害者は、アルバのコミューンマスターでした。そして犯人もアルバのメンバー。あの銃撃事件は、コミューンの内輪揉めだったんです」
アルバ、その名前を耳にした悠陽は眉間に皺を寄せる。
「スタークは、アルバの壊滅に端を発するアウロラ叩きから、悠陽さんを護ろうとしたんです」
「でもその理由は言えない、そう思ったスタークはストーカーになろうとした。そうすれば、全ての方面からの目が自分の行動にだけ向くから」
と、澪に続く流雫に、悠陽は険しい目を向けながら問う。
「理由……?」
「アウロラ叩きの真相は、悠陽さんにデートを断られたアルバのメンバーの腹癒せでした。チート行為に対するアバターの処刑とコミューンの壊滅を、ナンパを通報されたからだと思っていたから。スタークはログを見て、全てを知っていたんです」
と澪は言った。その口調と目付きは、刑事の娘らしい強さを纏っている。
……流雫は弥陀ヶ原に、澪は父親に、それぞれが知る限りのことを話していた。
新宮は、自分が遡っては保存していた悠陽とアルバのメンバーのログを、水面下で椎葉に渡していた。それが弥陀ヶ原と流雫の手に渡った。そして流雫は、澪に流した。
「事実はセンシティブ、それにスタークは立場を明かすことはできない。だから余計に、ストーカーとして振る舞うしかなかった」
「……信じられるワケが」
と言った悠陽に、澪は
「確かに、スタークがやったことを悠陽さんのためだったと言われても、信じられないのは当然のこと。それはあたしにも判ります」
と言葉を被せ、更に流雫が続く。
「池袋にアルバの残りのメンバーが集まることを知ったスタークは、コスプレの衣装からアウロラの正体を特定され、狙われると懸念した。だから、アルバに対する障害物として振る舞うことに決め、誤解を生む近寄り方をした」
「データベースサーバは、全プレイヤーの全ての発言を記録しています。ナンパも、スタークとの初対面も。だから悠陽さんは、スタークの同類だと目を付けられ、スタークのゾンビに処刑された……」
「同類!?」
と声を上げた悠陽の顔には、怒りと2人への不信感が漂っている。同類、その言葉は先日に続き二度目。それは不都合な真実を強調する。
だが、残酷な現実を話さなければ、先に進めない。これで絶縁されても仕方ない覚悟は既にできている。そうでなければ、今日誘わなかった。
「EXCとAIを批判した、アドミニストレータAIはそう判断し、プレイヤーのステータスを要注意にした。そしてスタークのゾンビがフォロワーをキルしていく中で、フォロワーではないけどアウロラもキルした」
「居合わせたからとばっちりではなく、AI批判の共犯として。似たような理由で、流雫のアバターもキルされたんです」
と澪は言い、一瞬流雫に目を向ける。キルされたのがアバターだけでよかった、と何度思っただろうか。
悠陽は言葉を失う。信じられないことだが、2人が自分以外の誰かに味方しているとは思えない。つまりは、信じるしかない。
「悠陽さんにとっては、センシティブなことだとは判ってます。しかし……」
「それが本当だとして、私はどうすればいいの?」
と悠陽は問う。流雫は無意識に唇を噛んだ。
このリアクションは予測できていたハズだ。だが、悠陽はどうすればいいのか、流雫には判らない。どうすれば、スタークの代わりに護ってやれるのか。
沈黙を破ったのは澪だった。
「あたしと流雫が、悠陽さんの力になる。それだけじゃ、不安ですか……?」
流雫には、最愛の少女の口調が、不安がる子供を諭すように聞こえる。だが、その本質を唯一知っていた。
……澪でさえ不安なのだ。
「フレンド1人救えないの?流雫もいるのに?」
と、彼女にしか聞こえない声が脳に焼き付く。しかし、悠陽のフレンドとしてのプライドが、刑事の娘を立ち上がらせる。澪が本当に諭したいのは悠陽じゃなく、澪自身だった。
「……不安しか無い」
と悠陽は言った。
「どうやって、私の力になると言うの?」
詩応がいれば、一触即発の事態に陥っただろう。だが、寧ろ悠陽の反応が普通なのだ。悉くテロや通り魔に遭遇し、その度に銃を手に戦ってきた2人が異様なだけだ。そのことは澪も自覚している。
「……答えられないのに」
と軽く挑発する少女の言葉を、澪は遮る。
「リアルとEXCは、何もかもが違う。でも、あたしは悠陽さんを見捨てない。悠陽さんも、あたしの大事なフレンドです」
その言葉に、悠陽は息が止まる。
悠陽は少しだけ、澪を試す気だった。それでも自分に味方するのか。その答えも、半ば予想通りだった。だが、ダークブラウンの瞳は、それが口先だけではないことを語っていた。
流雫はその隣で、言葉に迷う悠陽をただ見つめている。
……彼女の選択に、お世辞にもフレンドとは呼べない自分が介入する余地は無い。ただ、澪の言葉なら悠陽は受け入れる。否、受け入れざるを得ない。
優しくない、我が侭なだけ。澪は何時もそう言っている。フレンドと呼べる存在が平穏であってほしい、だから味方になりたい。かつて流雫や詩応に見せた欲望は、悠陽に対しても同じだった。
スタークを擁護するような言葉に悠陽が苛立つのは、当然のことだった。しかし、ここまで自分に向き合ったのも澪が初めてだった。やはり、彼女は自分にとっての希望だ。
「……敵わないわ」
と悠陽は言った。その言葉に、澪は表情を緩める。これで、彼女のフレンドとして1歩進めたと思っている。
「ありがと、悠陽さん」
と澪は言った。
フリースペースの机に伏せて朝を迎えた椎葉は、昨夜書き上げたコードでAIが正しく動くか、テストを始めた。
予想より少し早く終わったが、予め汎用AIのソースを持っていて、仕様指示に合わせてアジャストさせただけに過ぎない。
そしてAIは、仕様指示通りの動きを果たした。定期的なメンテナンスは他のAI同様同じだが、どうにかなった。後は東京へ帰るだけだ、と椎葉は思ったが、渡された東京行きの航空券は月曜の正午発だ。福岡に長居する気は無いが、24時間以上有る。
オフィスを出ようとした椎葉のスマートフォンが鳴る。貝塚からだ。
「お前、AIに何をした!?」
最初の一言から憤怒を露わにするプロジェクトリーダーに、椎葉は
「先手を打っただけだが?」
と答える。
「ふざけるな!!何が先手だ!!」
「アドミニストレータAIに新たなデータを実装した。チーフエンジニアの俺に、そのことを隠した理由は何だ?」
「設定を戻せ!」
貝塚は鬼の形相だ。それは椎葉にも容易に想像できる。
「クラウド環境を甘く見たな」
と椎葉は不敵な笑みを浮かべる。
椎葉が打った先手。それはAIに関する貝塚と川端の権限を剥奪することだった。正確には、テスト環境モードに設定し、その間はデータ実装を本番の運用に反映しないようにする。サーバを止めること無くテストが可能で、オペレータAIでも多用されている。
昨日、椎葉が機内で打っていた文字列は、そのためのコードだった。機内Wi-Fiとスマートフォンだけでも成立する環境を活用する、それが椎葉だ。
「開発の邪魔をするのか!」
「AI批判への制裁に関するデータだけが増えていく。過剰な統制に走るのは何故だ?UACの指示か?」
「俺の問いに答えろ!これは命令だ!」
「答えないなら、俺は今日でエンジニアを下りる。後は川端に任せればいい」
と言った椎葉は、一呼吸置いて最後に言った。
「……栄光の剣に加担するために、俺はAIを開発したワケじゃない」
……弱い犬ほどよく吠える。弱い犬だと思われているだろう。だが、AIを特定の組織を喜ばせるために開発したワケではない。これで間違ってはいない、と思っている。
UAC時代から強行突破で、思いのままに企画を押し通してきた貝塚のことだ、これがブラフとして見られるとは思っていない。嬉々として上に話を通し、明日にはエクシスでの席を失うことになることまで見えている。だが、未練が有るワケでもない。
椎葉は一方的に通話を切ったが、貝塚からの折り返しは無かった。今頃、邪魔者がいなくなったと川端に連絡し、祝勝会となるべき酒の席でも予約しているのだろうか。
椎葉は手に持ったままのスマートフォンの上で、何度も指を滑らせる。
「お前には、助けられてばかりだな……」
と言った男は、博多の雑踏に消えていった。