池袋駅前に戻った3人は、ドーナッツ屋に入った。話したいことは終わったが、或る意味では今日の目的だ。
最初の話題は翌週のイベントだった。悠陽はEXC以外にも回ってみたいブースが有る。一方の流雫と澪は、EXC以外何が有るのか把握していない。そもそも、椎葉からの無料チケットでイベントの存在を知ったほどだ。
スマートフォンで会場マップを開く2人は、その時初めてEXCが右端のホールを半分使っていることを知った。イベント中最大規模だ。公式サイトでも大々的に告知しているのを見ると、改めてコンテンツの勢いを感じる。
マップを頭に入れた流雫は、レモネードを飲みながら2人の話を聞いていた。
話題がEXCに変わると、流雫はついていけない。ただ、最愛の少女が悠陽と仲よく話している光景は、見ていて安心する。平和を感じていられるからだ。
流雫はEXCを開き、専用SNSに目を通す。アルバに関する投稿が目に止まった。
池袋での射殺事件でメンバーが4人に減ったコミューンは、新たなマスターの下で今も活動を続けている。しかし、チート制裁の余波で今も大幅な不利を強いられている。その理由を知らない4人は、EXCに対する不満を連ねていた。
批判的な投稿がAIによって振り分けられた結果、流雫と同じコードに引っ掛かる可能性が高い。しかし、文句一つ言わずプレイするにはハンデが大きい。半ば飼い殺し状態……スタークでさえ、ここまでは望んでいなかっただろうか。尤も、流雫にとっては澪に被害が及ばなければいいだけの話だが。
スクリーンショットを撮った流雫は
「僕が強くなると、澪が苦しむだけだから……」
と言った。2人が先日の、流雫の幻の初キルについて話していることは判っていた。
澪には意味が判る言葉は、悠陽にとっては不可解だった。強くならないままで遣り過ごそうとするMMOプレイヤーは初耳だったからだ。
やはり流雫は異端だ、と悠陽は思った。澪とは反対に相容れない。しかし、澪が流雫を中心に据えている以上、彼を無碍にすれば澪との仲にすら亀裂が入りかねない。だから今は、腫れ物に触るように接するだけだ。自分のプレイの足枷にならなければいい、と願う。
ドーナッツ屋を出ると、3人は駅の雑貨屋に向かう。悠陽が、流雫が2日前に河月で見たエグゼコードのグッズを見たい、と言ったのだ。そのまま別れるのも癪だからと、2人はついていくことにした。
駅前の大きな交差点に並ぶ3人。赤に変わった信号で止まる路線バスの斜め後ろに、銀色のセダンが飛び込んだ。金属がひしゃげる轟音が、周囲の建物によって反響する。
「事故……!?」
澪が呟く。刑事の娘としての本能が、華奢な少女を震えさせる。
「助けなきゃ……!」
そう声を上げると同時に、銀色のセダンが現れる。それは車道を挟む広場の中心、地下街への階段の白い外壁に衝突して止まった。崩壊した外壁が階段に散乱する。
悲鳴と怒号が混ざる中、
「悠陽さんは此処にいて!」
と叫んだ澪は、先に地面を蹴った流雫に続いた。
バスに衝突した後、二度目の衝突までエンジン音が聞こえなかった。つまりは、内燃機関ではなく電気自動車。
前者なら出火していない限り救助できるが、後者はそう云うワケにはいかない。高電圧バッテリーが破損していた場合、漏電している可能性が有る。迂闊に触れない。
「澪!触るな!」
と後ろから追ってくる少女を言葉と手で制した流雫は、1歩ずつ前に足を出す。
「流雫!?」
「ダメだ、漏電してる」
と流雫は言葉を返す。外から見える液晶のメーターパネルが、警告マークと共にその2文字を示していた。消防車が来るまで開けられない。
エアバッグに凭れている男が気になるが、流雫の目はスマートフォンを車に向ける男を捉えた。カーキ色の薄手のジャンパーを羽織る数人のヤジ馬とは何か違う……?
ふと、男と目が合った。男は走り出し、瓦礫が散乱する階段を駆け下りる。
「待て!!」
流雫は叫び、その後を追う。
「流雫!?」
澪も慌てて、後に続く。何が何だか判らないが、こう云う時の流雫の直感は当たっている。
段差を瓦礫ごと跳び越えた流雫は、男の背を捉える。しかし、人混みで距離が縮まらないことに僅かな苛立ちを感じる。だが、こう云う時こそ冷静でなければ。
イヤフォンの電源を入れた流雫の目に、地下鉄の駅看板が見えた。
「まさか……」
澪との通話を始めた流雫は呟く。地下鉄に乗って逃げる気か。
男は改札のゲートを突破する。事務所から駅員が飛び出ようとするが、流雫は
「後で!!」
と言い残し、銃を取り出しながら駅員に向かってバッグを放り投げ、自動改札機に手を突き、ゲートを跳び越えた。その一部始終を見ていた澪は駅員に
「電車を止めて!!」
と叫ぶ。
「彼、犯人を追ってるんです!!上の事故の!!」
その言葉に偽りを感じない駅員は、有人改札から通した澪の後ろから、先に行った2人を追う。
発車チャイムが鳴り終わり、ドアが動き始めた瞬間、男は赤い列車に飛び乗る。これで逃げ切れると思った。だが、甘かった。
階段を駆け下りる流雫は、ドアが閉まり始める列車に向かって銃を投げた。ブーメランのように回転する銃身は、バレルとグリップの角で2枚のステンレスドアを止める。車掌が再度ドアを開けると同時に、支えを失い落下を始めた銃を、走ってきた流雫の手が拾い上げ、そのまま車内の床が靴音を立てた。
「馬鹿な!」
と男が声を上げると、車内放送が響く。
「当駅で非常事態が起きたため、運転を見合わせる」
「くそっ!」
男は舌打ちし、流雫がプラットホームに目を向けると、追ってきた駅員の前に立つボブカットの少女と目が合った。駅員が車掌に通報して列車を止めさせた、そのきっかけとなった澪のファインプレイに感心しながら、流雫は男に目を向け
「何を企んでる?」
と問う。
「列車を止めるなど……!」
「駅前の事故に関与しているのか?」
と、流雫は男の話を無視して再度問う。尤も、答えが返ってくるとは思っていないが。
「銃など持ち出して、俺を殺す気か?」
「警察に引き渡す、それだけのこと」
と言った流雫の声に、澪は身震いする。声色と口調で、最愛の少年の怒りが判る。そして今は、相当なものだ。
「澪、持ってて」
とイヤフォン越しに言った流雫は、背後へ向けて銃を投げる。澪は、懐に向かってくる銃身を的確に捕まえた。
「丸腰だと?」
「殺す気は無い」
と流雫は言う。
「正義に楯突くとは……」
「僕には僕の正義が有る」
その言葉が引き金だった。
男が天井に向かって発砲すると、乗客が一気に飛び出す。
澪はその混乱を掻き分け、3両先にいる車掌まで辿り着くと
「閉めてください!犯人を閉じ込めないと!」
と声を上げる。
「彼なら無事ですから」
と続く少女に、車掌はドアのボタンを押す。その瞬間、澪も鞄から銃を取り出し、車内へと飛び込む。想定外のことに
「おい!!」
と車掌が叫ぶが、声はドアに遮断された。専用のドアから車内に戻ったが、澪が銃を見せ付けると、それ以上動くことを本能が制止した。
褒められることではないし、父親にバレれば大目玉。それぐらい判りきっている。しかしそうしてでも、他の人を避難させたい。後は、このことがバレないようにと願うだけだ。
……他に乗客はいない。細長い密室で2対1。油断さえしなければ、どうにかなる。
犯人は流雫にしか意識が向いていない。それでも、車両の連結部分を仕切るガラス製の扉からは見える。
銃を一旦仕舞い、座席沿いを走り、手早く扉を開ける。その繰り返しで、なるべく相手から見えないように進んでいく。FPSゲームさながらの動きは、全ては死なないためだ。
3両分走った澪は
「……流雫……」
とだけ呟き、左手のブレスレットにキスをする。カーネリアンのティアドロップに、イヤフォン越しにリンクする流雫の守護を感じていられる。
「待ってて」
と声に出した澪は、連結部分の扉を開けた。
澪の声に続いて扉が閉められると、流雫は勝機を感じた。隠れることができる障害物こそ無いが、踏み台にできるものは多く、どうにかなる。
そして澪には、1対1を外から見守る選択肢は無かった。逃げろと言っても、それだけは聞き入れないだろう。それなら、戦略は一つ。
「威勢はいいが、丸腰でどうする気だ?」
と男は銃を見せ付ける。大口径だ。
「これは正当防衛だ、犯人の濡れ衣を着せられたからな」
「あれじゃ逃走したと思われても、文句を言えないハズだ」
と流雫は言い返す。
「何が目的だ?」
冷静さを欠かない少年が、その見た目も相俟って不気味に映る。まるで悪魔のようだ。アンバーとライトブルーのオッドアイが、特にそう思わせる。
「悪魔のような目をしやがって。心まで悪魔か!」
その挑発と同時に響いた、鋭く乾いた銃声は、流雫の背後のドアに刺さった。それが合図だった。ここからは、何をしても正当防衛になる。
ワンテンポ遅れて、流雫は踵を浮かせる。そして右に身体を振った。
「逃がすか!」
声を上げた男が銃口を向ける。しかし流雫に合わせることはできず、銃弾は車内の壁に弾かれる。
狭い車内でも斜めに走りながら、撃たれないようにと撹乱する流雫。車両間の扉を開ける僅かな時間は不利だが、オーバーアクションを仕掛けると簡単に引っ掛かった。
男はEXCのプレイヤーで、大型の銃火器を使い分けている。火力こそ正義のスタイルだ。しかし、入力デバイスやスマートフォンと実際の銃は、使い方が大きく異なる。男は照準を合わせられないことに冷静さを欠いている。
「撃たれろ、死ね」
そう呟きながら、悪魔と云うエネミーを追い詰める男の目に、悦楽が滲み始めた。脳内では、この戦いがリアルFPSの様相を呈し始めている。
そのまま逃げても運転室で行き止まり、袋のネズミと云うやつだ。しかし男は知らない、追い詰めているのではなく、追い詰められていることに。
LTRP2-9
澪のことは誰より知っている。ドアが閉まる直前に飛び込み、自分に向かってきているハズだ。何を言っても
「流雫を置いて逃げる、あたしにできると思うの?」
と言い返されるのは判っている。ならば、2人で仕留めるしかない。
「……流雫……」
澪の声がイヤフォン越しに聞こえる。無意識にブレスレットに唇を重ねる流雫。
「澪……」
彼女のためにも、屈するワケにはいかない。
その間にも、視界の運転室の扉が大きくなる。行き止まり……だが、流雫にとってはそうではない。
流雫が跳び上がりながら体を反転させると、薄い靴底が扉を捉えた。曲げた膝を伸ばし、今度は前に跳ぶ。
一瞬でベクトルを180度変えた悪魔は、一気に間合いを詰める。咄嗟にその場に屈む男の頭上を越えた流雫は、床に手を突くと着地したばかりの足を、今度は後ろへ突き出す。馬の蹴りに似た一撃は、体勢を戻そうとした男の背中を突き飛ばした。
「がっ!!」
数歩よろけた男は、後ろを振り向く。しかし、既に立ち上がった悪魔はロングシートの端のポールを掴み、身体を振り回す。水平に振られる足が男の手首を捉え、銃をドアに弾き飛ばした。
「ぐぉぉぉっ!!おぉっ!!」
骨折したことが激痛で判る。痛みに顔を歪めながら、床に足を付ける流雫を睨む男の目に、奥から走ってくる女が映る。
「流雫!」
女は叫び、最愛の少年に先刻預かった銃を投げる。的確な放物線を描くガンメタリックの銃身は、伸ばした流雫の左手に吸い寄せられた。
咄嗟にスライドを引く流雫に続くように、澪も銃を取り出す。
男の目に映る男女は、構えてはいないが臨戦態勢は整っている。そして、その背中は乗務員室。追い詰められたのは男の方だ。
カーキ色のジャンパーを着ている、それだけではない理由で汗が身体から滲み出る。
逃げるなら、逃げ道は一つ。男はズボンのポケットから新たな銃を取り出し、背中の扉に銃口を押し当てる。
3発の銃声と同時にひび割れたガラスに、銃身を叩き付けて割った男はその奥に手を入れて鍵を開け、運転席に侵入する。しかし、自動運転システムは運転不可を示していた。動かすことはできない。
動かすことができなければ、下りるしかない。男は運転席の隣、非常用の貫通扉を開け、線路に飛び下りた。
「待て!!」
流雫は叫び、後を追う。澪は乗務員用の小さな扉を開け、駅員に
「線路に下りました!!」
と叫んだ。
列車の数メートル前で、白いヘッドライトに照らされる流雫。澪は、ライトの切り替えスイッチに目が止まる。
「これだ」
と呟き、澪は手早くスイッチを押した。
ヘッドライトが消え、同時に赤いテールライトが点く。目への負担は減るが、周囲は暗くなる。この地下鉄では危険だが、流雫は線路に下りた瞬間、障害物の位置関係を完璧に把握していた。だから今暗くても問題無い。
駅員と乗務員が駆け付けるが、男が威嚇で撃った1発は駅員の肩に命中した。
「僕に任せて!!」
流雫が張り上げた声が、地下を貫くトンネルの壁に反響する。そして、赤い光に照らされた少年は、片手射撃の反動に振り回される男の腕と頭を掴み、ライトのレンズに顔を押し付け、目を閉じて顔を下に向ける。
その瞬間、澪は2つのスイッチを同時に押した。
「ああっ!!」
男が声を上げたのは、視界が真っ白になったと同時に目に強烈な刺激を感じたからだ。
赤い光と云うクッションが有ったとは云え、ヘッドライトを、それも走行用のハイビームを文字通り目の前で照らされたのだ。これこそ目眩まし。流雫と澪だからこそのコンビネーションは、常にテレパシーでリンクしているかのようだ。
男は咄嗟に目を閉じたが、強烈な光が残像として残っている。力任せに暴れ回るしかない。
ヘッドライトを再度消した澪は
「流雫!」
と声を上げて線路に下りる。その瞬間、男は体を仰け反らせた。力任せで流雫を弾き飛ばす。
目障りな少年を、車内で仕留められなかったことは誤算だった。しかし、EXCでキルされたことは一度も無かった。リアルでも同じでなければならない。
男は銃口を澪に向けようとしたが、照準が定まらない。撃ち出された銃弾はヘッドライトのレンズを割った。発砲の勢いによろけながらも、男は次第に正常な視界を取り戻す。
「ふざけやがって!!」
その声を、流雫が掻き消す。
「あの事故は、お前が企んだのか!!」
澪は背筋が震えた。流雫がお前呼ばわりをするのは、犯人に対してだけだ。それも滅多に口にしない。それだけ、犯人への怒りが強いことを意味している。
男は銃口を澪に向ける。この女を撃てば、生意気な男にも揺さぶりを掛けられ、突破口が開けるハズだ。しかし、
「撃ってみなさい?」
その一言に呼応した銃弾は、トンネルの壁に弾かれる。
……赤いLEDライトに照らされたダークブラウンの瞳に、男は恐怖を覚えた。撃たれない絶対的な自信すら覗かせ、それが男の理性を侵食した。
「た、弾の味を堪能するか!?」
男はイキって叫ぶが、残された銃弾は1発。しかし、適当でも当たる可能性が有るのが銃だ。
だが、正当防衛は自分の危険に対してのみ、適用されるものではない。
「澪!」
流雫は男の肩に向け、引き金を引く。小さくも反響する銃声に続いて、
「ぐぅぅっ……!!」
と、男の顔が醜く歪み、腰を仰け反らせる。
「それが弾の味だよ」
と流雫は言った。
流雫も過去に一度、太腿を撃たれている。流雫の同級生の身代わりになった澪を、助けようとした時のことだ。起死回生のコンビネーションで犯人を仕留めたが、意識を失う直前に見た澪の慟哭が、今でも脳の奥深くに焼き付いている。
撃たれる怖さを知っている、だから撃てる。それも、初めて引き金を引いた時からの教訓の一つだった。
残り1発。至近距離からなら外さない。男は流雫に振り向く。しかし流雫は踵を返し、目の前の構造物にノーハンドで跳び乗りながら反転し、更に跳び上がる。
「クソがっ!!」
腕を伸ばした男の視界が揺れた。レールに躓き、爪先に痛みを感じる。流雫は咄嗟に男の右腕を掴み、反対の手で肩を突き、雪崩れながら後ろに押し倒した。
「ぐっ……くっ……!」
「助かった……」
流雫は言い、男の腹部に膝を乗せると銃を喉元に突き付け、澪も万が一に備えて銃口を向ける。男は押し倒された弾みで銃を手放している。手が届く位置に無い。
……この地下鉄の特徴は、電気を頭上の架線からではなく、進行方向左側の3本目のレールから得ていること。流雫が跳び乗った構造物は筒状で、各種配線が格納されていると同時に、この給電用レールのカバーを果たしている。
しかし、男は躓いて給電用レールに飛び込むところだった。比較的低めの電圧とは云え、感電すれば無事では済まない。
跳んだところまでは計算通りだった。位置関係の把握も完璧だった。だが、犯人の男だけが予想外だった。だから、男が感電せず助かったことに安堵していた。
「そこまでだ!!」
と警察官が駆け付ける。男は体を跳ねさせるが、力が入らず流雫を弾けない。
警察官に男を引き渡した流雫の隣に、澪が近寄る。
「流雫……!」
「サンキュ、澪」
と流雫は言い、最愛の少女を抱き寄せる。澪のアシストが流雫を終始有利にしたが、何より澪が無事だった事が嬉しい。
しかし、今は気になることが有る。
澪は流雫との通話を切り、悠陽のアイコンをタップした。あの事故はどうなったのか。
流雫と澪が地下へ消えて数分、ようやく消防車が駆け付けた。救助隊が漏電を解除して男を救出したが、AEDを使ったものの助かる見込みは無かった。
これが内燃機関の車なら、すぐにでも救出を試みることはできた。しかし、電気が車体に流れている可能性が有る以上は迂闊に触れない。それが電気自動車の最大の問題だった。そしてその初動の遅れが、文字通り命取りになる。
「今、乗っていた人が運ばれていったわ」
と、悠陽はスマートフォン越しに澪に言う。救出された人を遠目から見るも、顔までは判らない。
2人は、自分たちが連行される交番を待ち合わせの場所に指定した。それは目鼻の先。