澪の家に泊まることになった3人は、二手に分かれることにした。詩応と真は澪の部屋で、流雫と澪はリビングだ。澪の母、室堂美雪も一気に賑やかになることは歓迎だった。
澪の部屋で女子3人が話している頃、流雫はスマートフォンを耳に当てていた。
「遊べないのは痛いが、だからと暴動かよ」
とフランス語がスピーカーから流れる。
「それが日本だから」
と流雫は返す。アルスが言いそうな言葉を先に使った。
「まあ、お前が無事ならどうでもいいがな。ミオとシノも」
とアルスは言う。真は存在自体知らないから、名が上がらないのは当然だった。
イベント中の事件は、SNSを通じてフランスでも話題になっていた。起きた経緯が経緯だけに、その異様さが先行する形で拡散されたのだ。
「だが、このシュヴァルツにとっては試練だな。アンバサダー、つまりは広告塔としてではあるがEXCサイド。サーバトラブルで怒りが頂点に達した連中の矛先が向けられた形だ」
「それがインフルエンサーの宿命、でもそれより恐ろしいのは……」
と流雫が言ったと同時に、澪が
「流雫!!」
と大声を上げてリビングに駆けつける。
「シュヴァルツが炎上してる……!」
その言葉に、流雫は目を見開く。アルスに言おうとした懸念が、先に現実になった。
「シュヴァルツが炎上したらしい。ミオがそう言ってる。また話そう」
と言って一方的に通話を切った少年は、再度澪に顔を向ける。
「…何が……!」
「見て!」
と言いながら、澪はその画面を見せる。
……第一報は逢沙が寄越した。他愛ないメッセージの遣り取りの流れで、メッセージに貼られていたURL、そのリンク先は動画配信プラットホーム。そして、シュヴァルツのゲーム実況動画のアーカイブ、その個々に対するコメントが、1秒ごとに数件ずつ増えていく。その中身は、EXCでのチート疑惑に対するものだった。
「犯人、悠陽さんじゃないわね……」
と澪は言った。
シュヴァルツのナンパを拒否しただけで標的になったのだ、彼女が洩らしたとしても逆に袋叩きにされるだけだ。3週間前なら未だしも、澪から味方と云う言葉を引き出させた今の悠陽には、炎上覚悟で漏洩させるだけの度胸は無い。それが引き金で澪が離れていくことが、何よりの恐怖だからだ。
「……他に内情を知るのは……」
と流雫は呟く。椎葉は知っているが、シュヴァルツを敵視する理由は無い。逢沙も、仮にスクープが欲しくてもそう云う愚行は出ないだろう。自分で起こした火災をスクープするような真似がもたらすリスクは、記者にとってあまりにも大きい。彼女自身、それは知っているハズだ。
シュヴァルツを貶めたいのは、元からその存在をよく思わない連中。それもeスポーツでのライバルと云うよりは、そのカリスマ性が気に食わないだけだろう。後は……。
「……アルバ……?」
そう呟いた流雫に、澪は顔を向ける。そして、
「あ……」
と声を上げた。
フラウが殺された池袋の事件を引き金に、アルバは解散した。崩壊と言った方が正しい。ナハトとの関係から、残った3人の怒りの矛先がシュヴァルツに向くのは当然の流れでもあった。
「フラウの仇討ち……?」
と澪は言う。
ナハト以外のユーザは、フラウの下に集まっていた。そうしてゲームを進めるうちに、彼女自身に好意を寄せていたとしても何ら不思議ではない。
ゲームがきっかけでそうなることを、澪は馬鹿にはしない。流雫とはSNSで知り合ったからだ。尤も、こうして恋人同士になることは、全く想像していなかったが。
「そのために、アルバがリークした可能性……」
「明日のシュヴァルツが気になるわね。何も起きないといいけど」
と澪は言う。その言葉は、自分を安心させるためだった。何も起きてほしくない、だから何度でも、そう言いたい。
椎葉の家に上がった逢沙は、手早くシャワーを浴びた後でシュヴァルツのSNSをチェックする。昼間の騒動に絡んで、怒りの矛先が向いていないか気になったからだ。
……懸念した通りだった。コメント数の急増と反比例するフォロワー数の急減を目の当たりにし、思わず澪にメッセージを送った。
「椎葉が復旧を手伝えば、もう少し早く終わったかもね」
「ああ。ビジネスデイには終わってた」
と言葉を返す椎葉に、
「そう云うところ好きよ」
と言った逢沙。眼鏡を外す恋人は、ノンアルコールビールをテーブルに置く。明日も早く、アルコールは避けたかった。
「エクシスの運用体制、その弱点が如実に出た。皮肉と言うべきか、データベースだけは異常が無かったが」
「とは云っても批判は避けられない。あの騒動は言語道断だけど。シュヴァルツは自業自得ね」
と逢沙は言う。ただ、嘲笑う気は微塵も無い。
チート行為は叩かれて当然のこと。しかし、昼間の騒動が頭を過る。池袋の射殺事件のようなことにならなければよいが。
明日のことは明日、今は椎葉との時間を過ごす。そう思った逢沙は冷えた缶のプルタブに指を掛けた。
主が去った部屋で平和な時間を過ごす、名古屋からの2人。
「……詩応にとっては、うちより澪だがね」
と真は言う。その言葉が、1歳上の恋人に刺さる。確かに、その自覚は有った。
「……アンタがいるのに、アタシは何やってるんだろ……」
「そう云う意味じゃあれせんで?」
と真は言葉を被せる。
「澪とは何度も一緒に戦ってきたで、2人だけの絆が有るでね。うちには判れせんし、邪魔もしんでよ」
……姉の詩愛を殺された、その悲しみと怒りに苦しむ詩応を助けたのは澪だった。詩愛の死の真相が判った春の夜、雨の新宿で抱きしめてきた澪に、詩応は希望を託すと決めた。そして、黒幕の思惑を打ち砕いた。
「うちの他にも拠り所が有る、ええことだがね」
と真は言う。
依存と言えばそれまでだが、依存する相手がいるからこそ、人は立ち上がれる。真はそう思っている。詩応がまさにそれだからだ。
「澪も流雫も、大事にしなかんでよ」
「当然だよ」
と詩応は言い、微笑を見せた。
今は護りたい人が増えた。恩人2人に牙を向けるなら、アタシが返り討ちにする。少し物騒だが、それがアタシにできること、詩応はそう思っている。
4人で遊べることは楽しみ、しかしその一方で不安が拭えない。テレビも消した静寂なリビングで、澪は最愛の少年に肩を預けたまま
「流雫」
とだけ囁く。言葉は無くていい、ただこうしていられるだけで癒される。
……インフルエンサーが怖れるのは、カリスマ性を失うこと。特にシュヴァルツは動画配信で高い収益を上げているだけに、収入の断絶に直結しかねない。二重の恐怖が有るのだ。
ただ、流雫と澪が怖れるのは、シュヴァルツに物理的な危害が及ぶことだった。チートは自業自得だとしても、それとチートが原因で襲撃されることは別だ。
ゲームとリアルの区別がつかないが故の犯行は、容赦してはいけないもの。だが、明日起きても不思議では無い。……起きた時は、3人を護る。それだけのこと。なるようにしかならない、そう開き直るだけのこと。
「……澪」
とだけ名を呼んだ流雫に、最愛の少女は顔を上げる。その乾いた唇に、流雫は唇を重ねた。
「ん……」
ほのかな熱に、不安が微かに溶けていく。
流雫が隣にいるだけで癒やされる、しかし不安は完全に拭えない。澪がキスを求めるのはそう云う時だ。流雫はそれに応えた。
「んっ、ん……んぅ……ん……」
数十秒のキス、しかしその後で少し息苦しくなった澪は瞳を濡らし、最愛の少年を見つめる。視界を支配するアンバーとライトブルーのオッドアイに吸い寄せられ、不安が決意に変わる。
何が起きたとしても、このキスを最後にしないと。