その日は、お昼頃から土砂降りの雨が降り続いていた。
「早く止まないかなぁ」
授業も終わり、今はちょうど、部活中だ。私は、教室でひとり、クラリネットを組み立てている。
ソロコンの練習のため、顧問に頼んで、空き教室を使わせてもらっているのだ。ここは周りの音もあまり入ってこないから、集中して練習できる。
私は手を動かしながら、ぼんやりとあの日のことを考えていた。
◇
――月影の館で喰魔を倒し、牧を助け出したあの日、空に浮かぶ大きな月が沈むと、私たちはシロによって現実に戻され、何事もなかったかのようにベッドの上で目を覚ました。
牧さんは、頭痛がすると話していたものの、なんとか動けるような状態に戻った。
気だるげな雰囲気は相変わらずだったが、なにか吹っ切れたような、清々しいような、いつもより晴れやかな顔をしていた。
去り際、シロは、牧さんとは逆に、哀愁の漂う顔で、グチャグチャになった屋敷の広間を見つめていた。
彼は、月影の館の管理人を自称していたが、あれを元に戻すのも、彼の仕事の内なのだろうか。だとしたら、あの小さい身体で、悲惨な状態になってしまった屋敷を復興するのは、かなり骨が折れるだろう。
……それとも他に何か手があるのだろうか。魔法的な何かが……?
そんな魔法があろうとなかろうと、シロのあの顔を見るに、きっとそんなに簡単なことじゃないのだろう。私はシロが少し気の毒に思えた。
◇
そんなことを考えながら、クラリネットを吹く。
雨は未だに降り止む気配を見せず、降り続いていた。
雨は嫌いだ。ジメジメしてて、外にも出たくなくなる。
――それに、何より、クラリネットの調子がすこぶる悪い。
雨の日は、音の響きが抑えられて、鳴りが悪くなるのだ。迷惑なことこの上ない。
響きの悪さに落胆し、マウスピースから口を離す。
ふと、顔を上げて窓の外を見ると、遠くの方に人影が見えた。傘も差さず、校庭の方をじっと見つめている。
誰だろう。こんな雨なのに。傘を忘れたのだろうか? 私は目を凝らした。
…………ん?
ギョッとした。
――柴崎くんだ。
私は慌てて窓を開け、彼の名前を呼んだ。
「柴崎くん!」
彼は私の声に気付き、振り返ってこちらを見て、そして微笑んだ。
何をやっているんだ、と急いで私が折り畳み傘と、帰りに使う予定だった未使用のタオルを差し出して、こっちに来いとばかりに手を振ると、慌てる私とは反対に、彼は急ぐ様子もなく、雨の中こちらに歩いてきた。
「いやー、助かったよ。帰ろうとしたんだけど、すごい雨で。教室に戻ろうにも、今日委員会で使っててさ。運悪いな」
教室の窓のところまでたどり着くと、彼は靴を脱ぎ、さも当然のごとく、窓枠を乗り越えて教室に入って来る。そして、私からタオルを受け取った。
私はさらに驚いたが、入ってきてしまったものを追い出すのも可哀想だったので、仕方なく、雨が弱まるまではこの教室を貸してあげることにした。
「雨が止むまでは、この教室使ってていいよ。私練習続けるけど」
柴崎くんとは、ここ最近よく話すようになったので、出会った当初よりは普通に話せていると思う。ただし、放課後だけの限定的な関係なのは変わっていない。
「うん。ありがとうな。俺、ここで大人しく聴いてるから、気にしないで」
聴いてるのか……と思いはしたが、柴崎くんとはそういう人間なんだと、割り切って考えることにした。
数十分後、私が練習の合間に休憩をとっていると、柴崎くんがポツリと呟いた。
「雨、止まないな」
私に向けられた言葉なのか、はたまた独り言か、どちらなのか決めかねて、取り敢えず「そうだね」と相槌をうつ。
すると、私はあることが気になり、思いつきで柴崎くんに尋ねた。
「そういえば柴崎くん、いつもならもう帰る時間だよね。親に連絡とかしないで平気? 心配するんじゃ…… 」
そういうと柴崎くんは答える。
「うん。俺んち、七時までに帰ればいいってなってるから。そういや、言ってなかったかな。俺ばあちゃんと2人暮らし。結構ルールとか緩いんだよね」
柴崎くんの話を聴いていて気づいたが、そういえば、彼が自分のことを話すのはこれが初めてだ。
彼は私のところへ、しょっちゅう喋りに来るが、話す内容といえば音楽のことばかり。おかげで私は、彼のことをほとんど知らない。
祖母と暮らしているというが、両親はどこにいるのだろう。仕事の都合だろうか。
……知りたい。彼のことを。
「ご両親は? ……仕事の都合とか?」
私がそう訊くと、柴崎くんはこちらを見つめる。
そして数秒固まった後、少し俯くと、こう答えた。
「お父さんもお母さんも、俺が中学生の時に……その、亡くなったんだ。…………ちょっと、色々あってね」
私は、あんな質問をしたことをひどく、後悔した。
あまりにも不躾で、踏み込みすぎた質問だった。
自分の浅はかさが恥ずかしくて、こんなことを訊かれた柴崎くんがいたたまれなくて、私はクラリネットを強く握りしめた。
「ごめん……。ほんとに」
それしか言葉が出てこなかった。
柴崎くんは、すっかり縮こまってしまった私を見て、微笑む。
「そんな、いいんだよ。単に気になって訊いてくれたんだろ? 俺の方こそ、こんな話してごめん。練習の邪魔しちゃったな」
彼が言い終わると同時に、五時半の時間を告げるチャイムが鳴り響く。
チャイムの音をぼんやりと聞きながら、考えた。
どうして、怒らないの?
どうして、そんな平気そうな顔をするんだろう?
――やっぱり、柴崎くんは秘密だらけだ。