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第15話 雨上がり

 六時に音楽室で行われるミーティングに合わせて、私は楽器を片付け始めた。その間も柴崎くんは、さっきの話のことなど気にする様子もなく、私の手元にあるクラリネットを眺めている。


……少し気まずいので、どうにかならないだろうか。


 そう思っているうちに、荷物をまとめ終わり、教室を出る。


「じゃあ、私ミーティング行って来るね。

……雨、止まないから私の折り畳み傘使っていいよ。明日とかに返してくれれば」


そう言って、去ろうとすると、柴崎くんの声が私を呼び止めた。


「あのさ、アズマって帰り道、N駅方面?」


「あ、うん……。そうだけど」


 私が、そんなことを訊いてどうするのだろう、と思っていると、彼は続ける。


「帰り、駅まで一緒に行こうよ」


「え……?」


 その、突然の誘いに私は驚いた。最寄り駅が同じなのは知っていたが、こんなことは初めてだ。私が、どう答えたらいいものかと、悩んでいると、「ダメかな?」と首を傾げる柴崎くん。


「わ、わかった……!」


 ……追い討ちに負け、つい誘いを承諾してしまった。

私が誘いに乗ると、彼は満足げに笑った。


 そうして私たちは一旦、別々の方向へ歩き出す。

私は、音楽室へ。彼は昇降口へと。





 ミーティングが終わり、ちょっとした用事を済ますと、私は柴崎くんの元へ向かった。いつも一緒に帰っている友達には用事が長引くから先に帰ってくれと、断りを入れておいた。流石に、クラスでも、特に仲の良いわけでもない柴崎くんと帰るなんて、不自然が過ぎるので、そこは伏せておいた。


「お、来た来た」


 私が昇降口に着くと、柴崎くんは暇を持て余していたのか、壁に寄りかかって、ヘッドフォンで音楽を聴いていた。他の人に見られることへの懸念により、みんなが帰る時間から、帰るタイミングをずらしたので、彼を待たせることになってしまった。なので、少し申し訳ない。


「待たせちゃってごめんね。行こっか」


私たちは外に出る。柴崎くんには、私の折り畳み傘を貸した。雨はさっきより幾分かは弱まっていた。


 私たちは歩き出した。


N駅までは歩いて30分ほどだ。男の子と帰ることなんて、小学校の低学年ぶりくらいだ。そうそうないシチュエーションに少し緊張して、何を話したらいいのか分からなくなっていた。

しばらく無言の時間が続くと、私たちは足を止める。横断歩道だ。上の方では信号が赤く光っている。

 すると、今まで黙っていた柴崎くんがようやく口を開いた。


「さっきの話なんだけどさ」


私はギクリとする。やはり嫌な気分にさせてしまったのだろうか。


「ごめ……」


「暗い話だけど、聴いてくれる?」


 私が謝ろうと出した声は、柴崎くんの言葉によってかき消された。

 さらに、彼はさっきの続きを話そうとしたのだ。まさか、そんな出方をしてくるとは思わなかった。


「いいの? 話すの、嫌なんじゃ……」


そういうと彼は、


「俺が話したくなったの」


と返す。

 信号が青に変わり、歩き始めると同時に、彼はポツリポツリと話し出した。


「俺んち、家族がみんな音楽好きでさ、俺が小さい頃から出かける場所といえば、楽器屋とかレコード屋とかばっかりで。俺もそこで音楽に興味を持ったんだ。楽曲とか、楽器とか、譜面とかについての知識も、趣味で楽器をやってたお父さんに教えてもらった。

だから、東は俺のことを、音楽に詳しいって言ってくれたけど、どれもお父さんの受け売りなんだ。ぶっちゃけ」


 そこまで言うと、彼は過去を懐かしむように目を細める。その仕草が、なんだか切なくて、私は俯いた。


「俺は、あの人たちと出かけるのが好きで、大きくなってからも休日はそうやって過ごしてた。

……でも、俺が中学に入って少し経った頃、事故にあったんだ。いつもみたいに3人で出かけた帰り。もう夜遅くて車通りも少ない道路を走ってた。そしたら、前からフラフラした車がものすごいスピードで突っ込んできて。お母さんと俺は怪我で済んだけど、


…………運転してたお父さんは即死だった」


「悲しかったよ。本当に。

……でもそこからが本番だったんだ。お父さんが亡くなってから、どんどんお母さんの様子がおかしくなっていった。俺に対して、すごい過保護になったり、気分の浮き沈みが異常に激しくなったり。

医者に行ったら、事故のショックだって、気分を落ち着かせる薬をもらったけど、そんなのはただの気休めにしかならなくて。

中3になってすぐかな。お母さんも亡くなったんだ。……自殺だった。処方された薬を大量に飲んで」


 彼の話を聴いて、私は絶句した。


そんな、言葉にするのも躊躇われるような過去を、どうして……どうして私に話したんだろう。出会ってからまだ間もないような私に……。


「そこからは、ばあちゃんがうちに面倒見にきてくれて、高校に上がると同時にばあちゃんちのあるこっちに引っ越してきたんだ。あの家にいると、また辛い思いをするだろうってさ」


 言い終わると、彼は空気を無理やり変えるように、パッと明るく笑い、こう続けた。


「ごめん。やっぱ嫌だよな、こんな話。

……でも、なんだか東に話したかったんだ。自分でもどうしてかよく分からないけど……」


「そっか…………」


 あまりのショックと情報量の多さに、言葉を選ぶ余裕もなく、ただ、それだけを絞り出した。


――あんまりだ、こんなのは。


「……東は優しいね。こんな話最後まで聴いてくれて。途中で嫌になって「やめてくれ」って言われるんじゃないかって思ってた」


柴崎くんはそう言って私の顔を見る。


 すると突然、ギョッとした顔をした。


「え…………! ちょっと待って、ごめん。その……な、泣かないでよ」


 そう言われて初めて、自分が泣いていることに気がついた。自分の頬を触ると、涙が伝っているのがわかった。あたふたする柴崎くんに私は言う。


「だって、柴崎くんが、平気そうな顔して、そんなこと話すから。話すの、辛くないわけ、ないのに……」


 柴崎くんは慌てた様子から、キョトンとした様子に変わり、それから、困ったような笑顔に変わった。今日は彼の表情がコロコロ変化する。


「ごめん。もう、大丈夫」


「東が、俺の話聴いてくれたから」


 「俺の代わりに泣いてもくれたしね」と付け足すと、私の貸した折り畳み傘を閉じて、あははと笑う。



――いつの間にか、雨は上がっていた。


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