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第18話 蛇影

 床に這いつくばった喰魔は、訳の分からない言葉を吐きながら転げ回っていたが、しばらくすると痙攣し始め、ついには、ナイフで刺された箇所から、溶けるように消えていった。


私たちはその光景を、固唾を呑んで見守っていた。その顔は一様に引きつっている。

 喰魔が完全に溶けきると、最初に口を開いたのは牧さんだった。


「何、今の。……遠山さんじゃなかったの?」


それは今、この場にいる全員が考えていることだ。

さっきまでそこにいたモノは、違和感こそ覚えたものの、遠山さんにしか見えない精巧な外見をしていた。しかし、それでもあれは、本当の彼ではない。普通、人間はあんな風にドロドロに溶けたりしないのだから。


……ここでの私たちが、現実と同じようなつくりをしているのであればの話だが。


 それに、本性を現した奴の姿は、やはり間違いなく、喰魔だった。


「じゃ、じゃあ、今度は遠山さんが喰魔に取り込まれちゃったってこと? それに……アイツらって、人に化けることもできるの?」


亜紀がサッと青ざめる。

さっきの遠山さんが「偽物」であるならば、喰魔が私たち人間に化けることができることの裏付けになる。


ということは、この5人が「本物」である確証はどこにもないのだ。


――また同じようなことが起きたら……?


私たちの中に、疑惑と恐怖の波紋が広がる。


「ちょっと待ってよ。さっきの偽物は、様子がおかしかったろ? 俺たちは違う。今の今まで普段通りだったじゃないか!」


「そんな理由じゃ安心できないよ! この中の誰かが喰魔に襲われてて、乗っ取られてるかもしれないじゃない! それに、灯子みたいに襲われてからじゃ遅いんだよ?! 今の想成くんだって、偽物なんじゃないの?」


 梶原くんの言葉に、亜紀の不信感が爆発した。2人は一瞬、口論になったが、梶原くんが引き下がり、大きな事態には発展せずに済んだ。

梶原くんは、いつもの朗らかな顔を歪め、うつむく。そして、しきりに膝をさすった。


 私は、ふいに悲しくなった。もちろん、いつ喰魔に襲われるかわからない恐怖はある。

だけど、それ以上に、私たち6人がここ数日で築いてきた情や信頼が一瞬にして瓦解したことが、ひどく悲しかった。


そして、こんな状況を作り上げた元凶である喰魔を憎らしく思った。


「…………でも、疑心暗鬼になってても何も解決しないよ。他に、何か方法がないか、考えようよ」


 こんなとき、なんと言えばいいのか。考えを巡らせたが、やはり出てくるのは、綺麗事じみた方便だけだった。そんな私に、みんなは疑いの視線を向けるだけで、何も言ってはくれない。


しばらくの沈黙のあと、亜紀は言った。


「私はこんなの耐えられない。1人になるのは嫌だけど……アイツに食われるよりはマシ」


そういった彼女は、2階へ上がり、自分の部屋へ閉じこもった。

それを皮切りに、灯子、牧さん、さらには梶原くんまでもが、それぞれの部屋へと引きこもってしまうのだった。



 そうして、私は広間に1人、取り残されてしまった。


……どうも私は、自分の気持ちを言語化するのが苦手らしい。さっきの言葉も、もっと上手く伝えられたんじゃないか? ……もっと、みんなの不安を拭い去るような言葉があったんじゃないか?

自分の無力さを痛感した。



「……音楽があればなぁ」



 気がつけば、私はそんなことを口にしていた。

音楽があれば、音楽なら、誰かを笑顔にすることができる。不安がる誰かの心に寄り添うことができる。

応援歌のような歌じゃなくてもいい。言葉のない曲でも。私はそれに幾度も救われてきた。それに救われた人を見てきた。


――それに比べて、私の言葉にはなんの力もない。あんなものは、……薄っぺらで、その場だけの、なんの意味もないただの文字の羅列でしかない。


……自分で言ってて、なんだか涙が出そうになる。



「東さん」



 突然降ってきた声にハッとする。声のする方を見上げると、そこには梶原くんが立っていた。


――いつからいたんだろう。考え事をしていたから全く気づかなかった。

私は驚き、無意識のうちに、警戒態勢をとっていた。


「疑心暗鬼になってても何も解決しないよ」


あんなことを言ったくせに、自分自身が彼を信用できていないことに気づき、失望する。


 すると、梶原くんが口を開いた。


「あのさ、さっきはごめん。話をしにきたんだ。……隣、座ってもいい?」


「あ、……うん」


私がソファの端に寄ると、梶原くんは空いたスペースに腰を下ろす。


「俺、東さんに言われて、考えたんだ。このままじゃやっぱりダメだって。喰魔を倒さないことには、この状態が永遠に続くんだもんな」


私は、私の言葉が、少なくともこの人には伝わったんだと、嬉しくなった。


「それで、喰魔が成り変わってるかもしれない人をなんとか絞れないかと思ってさ。」


 彼はそう言うと、指折り数えて、話を続ける。


「まず、1人目は春城さん。彼女はさっき、喰魔に襲われたから除外していいと思う。喰魔は人を取り込もうとして襲う。仲間内で争ったって意味ないからね。で、藤本さんは、その春城さんと一緒に館に来てたから、可能性は低い。俺と東さんは、俺らの前に来てた人たちが、喰魔に接触してないと証明してくれる。……だから、喰魔に襲われて、成り代わった人がいるとしたら、1番最初に屋敷にきた人……牧さんだと思うんだ」


そこまで言い終わると、彼はこちらに手を差し出してきた。


「俺たち2人で手を組んで、遠山さんを助ける方法を考えよう」


凛とした、まっすぐな目だった。その目に見据えられ、私は差し出された手を取ろうと、自身の手を伸ばす。


――そのとき、彼のうしろに、人の姿を認めた


「……亜紀?」


彼女は、私たちを……いや、を睨みつけて、言い放った。




「アンタ、でしょ」

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