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第19話 信頼

 「あんた、でしょ」



亜紀は、真っ直ぐこちらを見据え、確信めいた声でハッキリと言い放った。

私は、いつもとは違う彼女の、気迫のようなものに押され、握りかけた梶原くんの手をサッと離し、さらに数歩、後ずさる。


 梶原くんは、私が彼から離れると、亜紀に背を向けたまま言った。


「……そう思われるのも仕方ないよね。でも今まさにその話をしてたんだ。俺の考えた根拠を聞けば……」


「聴いてたよ。最初からね」


話を遮られた梶原くんの表情は、彼の前髪に隠れて、よく見えない。

私は、彼らのやりとりをただ、見守ることしかできずに突っ立っていた。


「それなら、どうしてそう思うの?」


梶原くんがそう問うと、亜紀は乾いた笑い声をあげる。


「アハハ。……化けるなら、もう少し言動に気を遣った方がいいんじゃない? あんたさっき、「私が灯子と一緒に来た」って言ったよね。でも今日、梶原くんが来たのはなの。……私の方が先に来たはずなのに、どうしてあんたは、「私と灯子が一緒に来た」なんてことが分かるの?」


目の前の梶原くんは、そこまで言われて初めて、顔を上げてこちらを見た。


「あーあ、バレちゃったな」


 そう言うや否や、彼は私に手を伸ばした。その手は、さっきの遠山さんのときのように溶けて、私の腕に今にも絡みつこうとしていた。


――あ、これは……まずい。


 この場所で、死の恐怖を実感したのはこれで2度目だ。でも、あの時と違って不意打ちだったためか、身体が上手く反応しない。……恐怖が遅れてやってくる。


――まずい、まずい!!


 私の腕に喰魔が触れそうになった時、


ドカッッッッ!!!


鈍い音が鳴った。

恐る恐る目を開けると、何か大きい物を喰魔に向かって振り下ろした亜紀の姿があった。

手に持っていたのは、――本だ。部屋から持ってきたのだろう。1冊の分厚い本の角で、喰魔を殴ったようだ。


 殴られた喰魔は「ギャッ」と短く悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちた。といっても崩れ落ちたのは、かろうじて残っていた、梶原くんの形をした部分だけで、そこから伸びた手のようなものは、依然として私を掴もうと蠢いている。亜紀はそこに、すかさずもう一撃を食らわせた。


「ハナエちゃんを離せ!!」


残っていた腕も、その一撃を食らうと、2つにちぎれ、ボロボロと崩れ始めた。



「ハナエちゃん、大丈夫? 怪我してない?」


腕についた喰魔の残骸を払う私に、亜紀が声をかける。


「うん。大丈夫。……助けてくれて、ありがとう」


「喰魔、また消えちゃったね」


亜紀が、さっきまで喰魔がいたはずの場所を見て言う。そこにはもう何も残っていない。


「うん……。そういえば、亜紀すごいね。どうして偽物だって分かったの?」


そう言うと、亜紀は照れくさそうに頬をかいた。


「すごくなんてないよ。私の次に来たのが想成くんだったからたまたま覚えてただけ。……あとは癖かな。ほら、彼って話す時、よく膝をさするから。それで確信したんだ」


よくよく思い出してみれば、確かにそうだ。彼はよく話すが、そのほとんどの場合、癖なのか膝をさすっていた。にも関わらず、今さっき私と話していたときはそんな様子は見られなかった。


 彼女は本当によく人を見ている。私はその洞察力に感服した。


「あ、あと、本物の想成くんなんだけど、多分部屋にいると思う。……私ね、やっぱり不安になって、部屋のドアをちょっと開けて、様子を見てたの。角部屋だから、想成くんの部屋のドア見えるんだけど、1回も開いてなかった。だから、喰魔に襲われた心配はないよ」


 彼女の証言で、また1つ新しい情報が手に入った。


私たちは今まで無意識に、喰魔が人に成り代わる条件は、事前に喰魔がその人と接触することだと思っていた。でも実際、成り代わられた梶原くんが喰魔に襲われた形跡はない。ということは、この仮説は間違っていることになる……。


「喰魔は、私たちを襲わずとも化けることができるんだ……」


「うん。そういうことになるね。だから…………」


すると突然、亜紀は机の上にあった果物ナイフを、手に取った。さっき梶原くんが喰魔に投げつけたものだ。私は一体何をするのだろうとビックリしたが、彼女がナイフを向けたのは、


――自身の手だった。


手の甲あたりにナイフを当てがうと、彼女は歯を食いしばり、一思いにそれを引いた。


「え……ちょっと……!!」


 私が慌てて駆け寄ると、彼女はずいっとその手を差し出す。


「喰魔は傷ついたところから溶け出していってた。だからこれって、この傷って、私が本物だって証明になるよね?」


私は言葉を失った。彼女は、信頼を勝ち取ったのだ。薄っぺらい言葉なんかではなくて、行動で。そこまでして、私の信頼を勝ち取ろうとしてくれた……。


 私は亜紀の手から、そっとナイフを取り上げた。


「ハナエちゃん……?」


――そして、躊躇なく、彼女と同じ場所に刃を入れた。

傷口からはほんの少し血が滲む。


「これで、私も信じてもらえるかな?」


亜紀の想いに応えたかった。仲間思いで、大事な時には覚悟を決める、この、かっこいい友人に……。


 亜紀はしばらく呆気に取られていたが、その顔にはみるみる涙が浮かんでくる。

そして次の瞬間にはワッと泣き出した。


「ハナエちゃん……! ありがどゔぅぅ!!!」




 私が差し出したハンカチがびしょ濡れになる頃、亜紀の涙はやっと止まった。

未だぐずっている彼女に、私は気になっていたことを尋ねた。


「亜紀は、どうして協力してくれる気になったの?」


すると、亜紀は鼻をすすりながら答えた。


「だって、私たち友達なのに、あんなこと言っちゃったの、後悔したの。「偽物なんじゃないか」なんて……。それに…………」


彼女は、涙を拭き、こちらを真っ直ぐ見つめる。


「それに、遠山さんとアイドルの話ができたの、嬉しかった。もうおしゃべりできないなんて、そんなの、ゼッタイ嫌だから!」


疑いようのない、真っ直ぐな瞳に見つめられて、胸がドキリとする。


「うん……。そうだよね!」


 すると、やっとのことで泣き止んだ亜紀が、何かに気づいたように、テーブルの方へ視線を落とした。私もつられて、彼女の視線を追うと、そこにあったのは、1冊の雑誌だった。女性もののようで、表紙には、「特集! 春のおすすめコーデ」などと書いてある。

私たちは不思議に思い、顔を見合わせた。


「これ、今までここになかったよね?」


「うん。そう思う」


……記憶に関するヒントかもしれない。

私たちは暗黙のうちに、その答えに辿り着いた。そして、黙って頷きあう。



私は意を決して、その雑誌を手に取った。

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