「あんた、
亜紀は、真っ直ぐこちらを見据え、確信めいた声でハッキリと言い放った。
私は、いつもとは違う彼女の、気迫のようなものに押され、握りかけた梶原くんの手をサッと離し、さらに数歩、後ずさる。
梶原くんは、私が彼から離れると、亜紀に背を向けたまま言った。
「……そう思われるのも仕方ないよね。でも今まさにその話をしてたんだ。俺の考えた根拠を聞けば……」
「聴いてたよ。最初からね」
話を遮られた梶原くんの表情は、彼の前髪に隠れて、よく見えない。
私は、彼らのやりとりをただ、見守ることしかできずに突っ立っていた。
「それなら、どうしてそう思うの?」
梶原くんがそう問うと、亜紀は乾いた笑い声をあげる。
「アハハ。……化けるなら、もう少し言動に気を遣った方がいいんじゃない? あんたさっき、「私が灯子と一緒に来た」って言ったよね。でも今日、梶原くんが来たのは
目の前の梶原くんは、そこまで言われて初めて、顔を上げてこちらを見た。
「あーあ、バレちゃったな」
そう言うや否や、彼は私に手を伸ばした。その手は、さっきの遠山さんのときのように溶けて、私の腕に今にも絡みつこうとしていた。
――あ、これは……まずい。
この場所で、死の恐怖を実感したのはこれで2度目だ。でも、あの時と違って不意打ちだったためか、身体が上手く反応しない。……恐怖が遅れてやってくる。
――まずい、まずい!!
私の腕に喰魔が触れそうになった時、
ドカッッッッ!!!
鈍い音が鳴った。
恐る恐る目を開けると、何か大きい物を喰魔に向かって振り下ろした亜紀の姿があった。
手に持っていたのは、――本だ。部屋から持ってきたのだろう。1冊の分厚い本の角で、喰魔を殴ったようだ。
殴られた喰魔は「ギャッ」と短く悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちた。といっても崩れ落ちたのは、かろうじて残っていた、梶原くんの形をした部分だけで、そこから伸びた手のようなものは、依然として私を掴もうと蠢いている。亜紀はそこに、すかさずもう一撃を食らわせた。
「ハナエちゃんを離せ!!」
残っていた腕も、その一撃を食らうと、2つにちぎれ、ボロボロと崩れ始めた。
「ハナエちゃん、大丈夫? 怪我してない?」
腕についた喰魔の残骸を払う私に、亜紀が声をかける。
「うん。大丈夫。……助けてくれて、ありがとう」
「喰魔、また消えちゃったね」
亜紀が、さっきまで喰魔がいたはずの場所を見て言う。そこにはもう何も残っていない。
「うん……。そういえば、亜紀すごいね。どうして偽物だって分かったの?」
そう言うと、亜紀は照れくさそうに頬をかいた。
「すごくなんてないよ。私の次に来たのが想成くんだったからたまたま覚えてただけ。……あとは癖かな。ほら、彼って話す時、よく膝をさするから。それで確信したんだ」
よくよく思い出してみれば、確かにそうだ。彼はよく話すが、そのほとんどの場合、癖なのか膝をさすっていた。にも関わらず、今さっき私と話していたときはそんな様子は見られなかった。
彼女は本当によく人を見ている。私はその洞察力に感服した。
「あ、あと、本物の想成くんなんだけど、多分部屋にいると思う。……私ね、やっぱり不安になって、部屋のドアをちょっと開けて、様子を見てたの。角部屋だから、想成くんの部屋のドア見えるんだけど、1回も開いてなかった。だから、喰魔に襲われた心配はないよ」
彼女の証言で、また1つ新しい情報が手に入った。
私たちは今まで無意識に、喰魔が人に成り代わる条件は、事前に喰魔がその人と接触することだと思っていた。でも実際、成り代わられた梶原くんが喰魔に襲われた形跡はない。ということは、この仮説は間違っていることになる……。
「喰魔は、私たちを襲わずとも化けることができるんだ……」
「うん。そういうことになるね。だから…………」
すると突然、亜紀は机の上にあった果物ナイフを、手に取った。さっき梶原くんが喰魔に投げつけたものだ。私は一体何をするのだろうとビックリしたが、彼女がナイフを向けたのは、
――自身の手だった。
手の甲あたりにナイフを当てがうと、彼女は歯を食いしばり、一思いにそれを引いた。
「え……ちょっと……!!」
私が慌てて駆け寄ると、彼女はずいっとその手を差し出す。
「喰魔は傷ついたところから溶け出していってた。だからこれって、この傷って、私が本物だって証明になるよね?」
私は言葉を失った。彼女は、信頼を勝ち取ったのだ。薄っぺらい言葉なんかではなくて、行動で。そこまでして、私の信頼を勝ち取ろうとしてくれた……。
私は亜紀の手から、そっとナイフを取り上げた。
「ハナエちゃん……?」
――そして、躊躇なく、彼女と同じ場所に刃を入れた。
傷口からはほんの少し血が滲む。
「これで、私も信じてもらえるかな?」
亜紀の想いに応えたかった。仲間思いで、大事な時には覚悟を決める、この、かっこいい友人に……。
亜紀はしばらく呆気に取られていたが、その顔にはみるみる涙が浮かんでくる。
そして次の瞬間にはワッと泣き出した。
「ハナエちゃん……! ありがどゔぅぅ!!!」
私が差し出したハンカチがびしょ濡れになる頃、亜紀の涙はやっと止まった。
未だぐずっている彼女に、私は気になっていたことを尋ねた。
「亜紀は、どうして協力してくれる気になったの?」
すると、亜紀は鼻をすすりながら答えた。
「だって、私たち友達なのに、あんなこと言っちゃったの、後悔したの。「偽物なんじゃないか」なんて……。それに…………」
彼女は、涙を拭き、こちらを真っ直ぐ見つめる。
「それに、遠山さんとアイドルの話ができたの、嬉しかった。もうおしゃべりできないなんて、そんなの、ゼッタイ嫌だから!」
疑いようのない、真っ直ぐな瞳に見つめられて、胸がドキリとする。
「うん……。そうだよね!」
すると、やっとのことで泣き止んだ亜紀が、何かに気づいたように、テーブルの方へ視線を落とした。私もつられて、彼女の視線を追うと、そこにあったのは、1冊の雑誌だった。女性もののようで、表紙には、「特集! 春のおすすめコーデ」などと書いてある。
私たちは不思議に思い、顔を見合わせた。
「これ、今までここになかったよね?」
「うん。そう思う」
……記憶に関するヒントかもしれない。
私たちは暗黙のうちに、その答えに辿り着いた。そして、黙って頷きあう。
私は意を決して、その雑誌を手に取った。