目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第23話 カミングアウト

 その後、私たちは遠山さんの記憶世界から脱出し、月影の館へと帰還した。


「本当にごめんなさい」


 館に帰るなり、頭を深々と下げ、謝罪の意を口にしたのは、遠山さんだった。

その頭は、深く下げすぎて、もはや床に刺さりそうなほどだ。表情は隠れていて見えないが、声の震えや、強く握りしめた拳からは、彼が心底後悔していることが窺えた。


「許されないことをしたのは分かってる。僕は、僕の欲望を満たすためにみんなを……利用した」


彼は握りしめた拳に、より一層力を込めた。手のひらに爪が食い込んでいて痛々しい。


「でももし……もし、まだみんなが、僕のことを受け入れてくれるなら、僕の話を聴いてくれないかな。みんなには、本当の僕を知って欲しいんだ」


 本当の自分を曝け出すこと。それがきっと、彼なりの贖罪であり、決意表明であるのだろう。


 しばらくの沈黙ののち、亜紀が静かに頷く。私たちもそれに異論はなかった。

そんな私たちに応じるように、彼もまた、首を縦に振る。そして1つ、大きく息を吐くと、ぽつり、ぽつりと語り出した。


「僕は、その……世間一般で言うところの、なんだ」


「クエスチョニング?」


 聞き慣れない単語に、亜紀が訊き返す。


「あ、俺、授業で聞いたことある。自分の性とか、好きになる性が決まっていない人たちのことだよね。LGBTQってやつ」


と、梶原くんの補足が入る。


「そう。僕の場合、僕自身の性別の認識が曖昧なんだ。男っていうのも、女っていうのも、しっくりこなくて。その上、性自認が不安定だからなのか、僕、昔から、趣味がその……、女の子っぽいんだ。こんな言い方もあまり好きじゃないけど」


――なるほど、彼の趣味嗜好にはそういう経緯があったのか。


「でも、僕の周りの人たちの目には、そんな僕は「異物」として映ったみたいだ。僕には「男らしい」人間であって欲しかった。みんなが僕の記憶で見た通りだよ」


「そんな……」


 私たちは無意識のうちに、彼の記憶を思い出した。


絶え間なく浴びせられる拒絶の言葉、嘲笑……。

彼の心を、長きにわたって押さえつけてきたもの。


「だからさっき、藤本さんが僕を、僕の「好き」を個性だって言ってくれた時、本当に嬉しかった。心に絡まってた糸が、解けたような気持ちになったんだ」


「でも……、大勢と違うことは怖くて、なんだか悪いことをしているようで……。自分を突き通す覚悟が、僕にはない」


 彼はそういうと、項垂れた。


「…………」


 この人は、このまま、本当の自分を隠して生きていくのだろうか。やっと、今の自分を認めることができたのに……。




「私、色々な音楽を聴くんです」



「え?」



――しまった。


 ろくに考えも練らずに、頭によぎった答えが口をついて出てしまった。ほぼ、衝動的な行動だった。周りを見ると、みんなも突然のことに驚き、こちらを向いている。


――っ! もう、どうにでもなれ!


「私っ……、音楽に関しては雑食で、アーティストとかジャンル関係なく、色々なものを聴くんです。好きだなって思ったものを。それは……、えっと、どうしてかっていうと、新しい「好き」を見つけるためだと思うんです」


遠山さんが顔を上げ、こちらを凝視する。


「最近だと、70年代のロックバンドの曲なんかをよく聴きます。周りにはそういう人、いないんですけど、好きな曲を見つけると、幸せな気分になります。だから……」


 私の言葉は、一旦途切れた。絡まった思考を解くために。話すことに慣れない私には、これが精一杯だった。


「だから、なにも、何かに囚われた価値観の中で、好きなものを見つけようとする必要は無いんじゃないですか? 好きなものを「らしさ」に囚われずに追い求めることが、悪いことだなんて、私は到底思えません」


 ――よかった、言えた。


そう安心する反面、彼に伝わったかと、心配になり始め、恐る恐る遠山さんの顔を見る。


彼は、面食らったような顔で、呆然としていた。


 一瞬、見当違いなことを言ってしまっただろうかと思い、心臓が大きく脈を打った。

しかしそれは杞憂だったようで……

彼の表情はみるみるうちに変化して、


――やがて、いつものように柔和な笑みを浮かべ、私に応えた。





 翌晩、私は1人、まだ誰もいない館を訪れた。というのも、まだ見つかっていない私の記憶を探すためだ。それに、以前見つけた持ち主不明の記憶――CDのことも気になる。それら謎を解き明かす為に、さらなる手がかりが必要なのだが……。

喰魔化の問題も解決のしようがなく、大々的な探索がしづらい状況のため、仕方なく1人で探し続けていた。

――他の人たちに秘密っていうのも後ろめたいけど……。

そう考えながらも、私は2階の空き部屋の扉を開けた。

「あ……」

 するとそこには、不自然に床に転がるサックスが。

今まで、館は一通り探索したが、こんなものは無かったはずだ。


――もしかしたら……。


私はしゃがみ込み、それに手を伸ばした。



――見えてきたのは、小さなステージ。その上には顔のぼやけた男性が1人、手にしたサックスと共に立っている。

観客席には、私と、もう1人――女性だけが座っていた。

 演奏が終わったのか、男性がお辞儀をする。しかし、観客から贈られるはずの拍手も、歓声も無かった。

私を除けば、唯一の観客だった女性も


――いつのまにか消えてしまった。





――っは!!


 記憶はそこで途切れた。楽器関係のことなら、私の記憶かもしれないと期待したが、やはり身に覚えがない。

多少がっかりしながら、部屋の時計を見ると、

……22時。

そろそろみんなが来る時間だ。私は部屋を出ると、急いで広間へと向かった。




 みんなが1人、また1人と、館に集まっていく間も、私はさっき見た、観客の女性のことを考えていた。


――あの人、CDの記憶で見た……。


 そう、以前記憶の中で見た、男の子の母親に髪型や背格好が酷似しているのだ。

それから、男の子が見ていた楽器店のショーケースの中身も、サックスだった。


――やはり、CDとサックスの記憶は繋がっている。


 その時、2階からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。驚いて上を見上げると、吹き抜けに、息を切らした亜紀の姿があった。





「助けてっ! 灯子が……灯子がいなくなったの!!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?