彼女の顔は、驚くほど私の知る灯子にそっくりだった。
いや、目の前の彼女は、自分を「春城灯子」だと言っているのだから当然なのだが。
それにしたって、クリクリした黒いどんぐり目や、不安そうにキュッと閉じられた口は、全くといっていいほど、今の灯子と変わっていないのだ。
「なに?」
目の前の灯子にそう訊かれ、
「えっ……と、ノートとペン持ってるから、何してるのか気になって」
私じゃないこの誰かはそう答えた。
灯子は一瞬、躊躇うように目を逸らし、口をもごもごさせていたが、こちらをチラリと見やると、
「本を書いているの」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟くように言った。
そこからは、展開が嵐のように進んでいった。
私の乗り移った(?)この身体を仮にAとすると、Aは相当コミュニケーション能力が高いらしく、戸惑う灯子をどんどん巻き込んでいった。
灯子に話しかけたり、遊びに連れ回したり、ちょっかいをかけまくってしばらく経った頃。Aは灯子にこんなことを問いかけた。
「灯子はどうして本を書いているの?」
私はその言葉にドキリとした。
私が柴崎くんに言われた言葉に似ていたからだ。よく思い返してみれば、牧さんにしろ、遠山さんにしろ、自分の過去と向き合い、前へ進んでいる。
私はあの日から進めているのだろうか。
そんなことを考えていると、灯子とバッチリ目があった。
――まっすぐな瞳だった。
そして、一切の迷いのない表情で、彼女はこう言い放ったのだ。
「私が、好きだから」
その確固たる言葉に気圧された私に、彼女は構わず続ける。
「私が書いてるのは、私だけの世界なの。私の物語は私だけのもの。それは、私にとってはすごく幸せなことだよ」
そうか。灯子は「自分だけの世界を創造すること」に楽しさを見出したんだ。彼女は、彼女の「好き」を目一杯詰め込んだ世界を創り出している。
……他でもない自分自身のために。
◇
ふと、Aとして、灯子と丘を駆けずり回りながら思う。
――あれ、この景色、知ってるような。
住宅街を見渡せる丘。その上にそびえ立つ、一本の電信柱。
――
それは、何の変哲もない電信柱だが、ここは小高い丘の上。周りの住宅街からは、普通の電信柱よりもはるかに大きく見えるのだ。
その様子から、近所の子どもたちからは、宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」になぞらえて、どっててと呼ばれている。
だとすればここは、……Mヶ丘公園!
その事実に気づいた瞬間、私の周りは明転し、館へと引き戻された。まるで、図ったかのようなタイミングだった。
周りを見ると、梶原くんと亜紀が、目を白黒させていた。長時間記憶の中にいたせいだろう。私もまだ調子が悪い。
「なんだ、これ。今までと違う……。俺、誰かに乗り移ってたんだ。身体が全然言うこと聞かなくて」
「私も。それから、あの女の子、自分のことを灯子だって言ってたよね」
驚いたことに、2人も全く同じような体験をしていたらしい。
すると、まだ具合の悪そうな亜紀が頭を押さえて呟く。
「あの、灯子のいた場所って……」
……そうだ! さっきの記憶が、灯子の原点に関わっているのなら、灯子が向かった先はきっと、Mヶ丘公園だろう。
私たちは急ぎ、牧さんと遠山さんに、オルゴールで公園の場所と、そこに灯子がいる可能性を伝えた。
少し経って、梶原くんは、調子が戻ったのか、普段通りにしているものの、亜紀はというと、記憶を見た時以来、ものすごく顔色が悪い。梶原くんは心配そうに亜紀を見つめている。
「亜紀、大丈夫?」
私が彼女に近寄り、そう言うと、
「うん。まだちょっとクラクラするだけ」
明らかな作り笑いと共にこう返ってきた。
まだ心配だったが、彼女自身が大丈夫と言うのだから、それ以上突っ込むわけにもいかず、仕方なく、私は灯子の記憶について考えることにした。
……それが悪手だったとも知らずに。