「私が書いてるのは、私だけの世界なの」
「それは私にとっては、すごく幸せなことだよ」
あのときの灯子は、「好き」という想いに対して、とても前向きだった。
でも、今の彼女は、「好き」を表に出すことすら躊躇うようになってしまった。
その原因はなんだろう……。
話を聞くに、それが彼女の家族と関係しているのは確かだけれど。
そのとき、オルゴールが控えめな音量で音楽を奏で始めた。
現実世界からの通信が届いた合図だ。
「3人とも聞こえる?!」
聞こえてきたのは、興奮気味の遠山さんと牧さんの声。
「灯子ちゃん、見つけたよ!」
私たちは顔を見合わせて喜んだ。しかし……
「でも、灯子ちゃん、帰らないって言ってるんだ。館にも戻りたくないって……」
どうしてそこまで戻りたくないのか。家はともかく、亜紀と一緒にいることまで拒むなんて。
私たちは、灯子の意思を図りかねた。それに館に来ないということは、睡眠を取らないということだ。拒み続けたところで、いつかは限界が来る。
すると、オルゴール越しに灯子の声が聞こえてきた。
「私、家族のところにも、月影の館にも帰らないよ!」
灯子らしからぬ大きな声で、拒絶の意を表明している。
「どうしてそこまで……」
「こんな気持ちのまま、館に帰っても、きっと喰魔になっちゃう。それに、家は……絶対イヤ!」
このまま、帰ろうと説得したところで、同じことの繰り返しだ。私は思い切って話を切り出してみることにした。
「灯子、聞こえる? 私……英江だよ!」
「英江ちゃん……?」
「灯子の話、聞かせて! 灯子のことが知りたいの」
彼女の家族に問題があることはわかった。あとは彼女自身の話さえ聞ければ、もしかしたら、彼女の心のわだかまりを解消できるかもしれない。
「……私、小説を書いてるの」
灯子は、しばらく迷ったように口ごもっていたが、やがてポツポツと話し出した。
「その、恥ずかしいんだけど、ネットにもあげてて。読者はあんまりいないんだけどね。でも、もっとたくさんの人に私の作品を見つけて欲しくて、もっと有名になりたくて、そのために書いてるの。」
「そのことを家族にも話した。でも、お父さんもお母さんも、『そんなことしてないで、お兄ちゃんみたいに優秀になりなさい』って言うの」
「あの人たちは私を認めてくれない。だから帰りたくない」
本音を語り終えると、灯子は俯き、黙り込む。
――なるほど、それが彼女の核心か。
なんとか灯子を説得しようと口を開きかけたそのとき、
「ゔぁぁぁぁぁ……!!」
驚いて振り返ると、そこにいたはずの亜紀は煙のように消えており、代わりに人の形をしたなにかがいた。
それは赤いドレスを着て、足が生えている場所には代わりに無数のマイクが生え、顔には仮面をつけている。
「喰魔?!」
私と梶原くんは後ずさり、喰魔から距離をとる。
喰魔はぶつぶつとなにか呟いていたが、私たちを見ると、ニヤリと口角を上げて言った。
「ハナエちゃんたちハ、私を認めてクレル?」
その声と同時に、足のように伸びた大量のマイクから、耳をつんざくような高音が発せられた。
「うわぁっ!!」
私たちは思わず耳を押さえ、その場にしゃがみ込む。
しばらくして音が鳴り止むと、ふと耳に痛みを覚えた。
「痛っ」
ハッとして、耳を押さえていた手をみると、べっとりと赤い血が付いている。
隣を見ると、梶原くんも耳を押さえて、苦しげにうめいていた。
どうしていきなり喰魔になってしまったのか。……いや、予兆はあった。あの記憶を見た後、明らかに様子のおかしい亜紀を放っておいたのが悪かったのだ。私は過去の自分を恨んだ。
だが今は、そんなことを言っている場合ではない。こんな攻撃をくらい続けていてはたまったものじゃない。喰魔になったのなら、なにか失った記憶があるはずだ。それを探さないと。
「東さん、アイツ何か話してるよ」
すると、梶原くんが喰魔の言葉に反応した。私も耳を傾ける。
――頑張ってるのに。
――なんで私を見てくれないの?
……そうか。亜紀はアイドルになりたいと、そう言っていた。それを認めない家族と揉めていたとも。そして、さっきの言葉。
「ハナエちゃんたちハ、私を認めてクレル?」
彼女の心の中身が見えた気がした。
「亜紀は、認められることに固執してるんだ」
「なるほど、藤本さんは、アイドルになりたくて、色々努力してきたって言ってたね。でも、彼女の家族はそれを認めてくれなかった。……だから藤本さんは、もっと自分を見て欲しいという欲求に駆られてるってことだね」
「そう……だと思う」
だったら……。
「亜紀! 私の声、聞こえてる?!」
キィィィン!!!
説得を試みようとするも、私の声を遮るように爆音が響き、話す隙も与えてくれない。
「私の説得なんて聞きたくないか。……どうすればっ」
亜紀の認められたいと言う気持ちを、真に理解していない私が説得をしたところで、さっきみたいに彼女には響かない。
それなら……。私は声を張り上げた。
「灯子!! 亜紀が喰魔に取り込まれた! お願い。亜紀に呼びかけて、自我を取り戻させて。灯子の言葉なら聞いてくれるかも……!」
「……! そんな。でも、私なんて言ったらいいか……」
「お願い! 亜紀は、自分の努力を認められることに囚われてる。でも、私の言葉は聞いてくれない。さっき、自分が書いた小説を認めて欲しいって言ってたよね? 亜紀の気持ち、わかるんじゃない?! この説得は灯子にしかできないの!」
私は必死で灯子を説得する。亜紀の運命も、私たちの命も、今は灯子に掛かっている。
お願い。どうか……
――向こうの世界で、灯子が息を呑む音が聞こえた。