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chap003:記憶は夢の形で届く

【01:瑠広/“海の底”】

 その夢の中で、瑠広は学校にいた。

 ただし──床が海面だった。

 水は澄んでいて、教室の机と椅子がそのままの形で海底に沈んでいる。彼女は靴のまま、静かにその上を歩いていた。

「……ここ、知ってる」

 そう呟いた瞬間、水面の下から女の子の顔が浮かび上がった。

 白い肌、揺れる髪、閉じられた目。そして胸元に手紙を抱えていた。

「わたしは、わたしのまま、ここで終わりたかったの」

 その声は、水を通してなのに、はっきり届いた。

「誰……あなた、誰なの……」

 けれど、少女は答えず、そっと手紙を差し出す。

 瑠広がそれに手を伸ばしたとき──

 水面が割れ、無数の“手”が彼女の足を掴んだ。

「やめて……! 離してッ……!」

 そこで夢が破れた。

 目を覚ました彼女は、自分の足首に生々しい赤い跡が残っているのを見た。

 息を呑み、毛布を引き寄せる。

 だが、それでも胸元に“濡れた紙切れ”が一枚、貼り付いていた。

「閉じ込めたのは、あなただったかもしれない」


【02:佳良/“演劇の幕間”】

 佳良の夢は、講堂だった。

 だが舞台には誰もいない。照明も音もない。ただ、彼だけが舞台袖に立ち、誰かの台詞を待っていた。

 やがて、カーテンの奥から白い服の少女が現れる。

 彼女は佳良の前に立ち、うつむいたまま口を動かす。

「あなたは見ていた。知っていた。なのに、言わなかった」

「言えなかったんだ、言ったら壊れると思って……」

 夢の中の彼は、咄嗟に弁解する。だが少女は首を振る。

「ならば、あなたが持っていて。わたしの記憶を」

 次の瞬間、彼の手に重たいノートが現れた。

 開くと、びっしりと“自分の筆跡”で埋め尽くされている。

 なのに──その内容は、自分の人生ではなかった。

 炎、叫び、焦げた制服、手紙、閉ざされた教室──

 誰かの人生が、自分の記憶として書かれていた。

 目を覚ましたとき、机の上に古びたノートがひとつ置かれていた。

 開くと、白紙。

 だが表紙には名前が記されていた。

「中西千景」

 佳良は、その名前に見覚えがなかった。

 けれどなぜか、涙が止まらなかった。


【03:芽維子/“境界線のドア”】

 芽維子の夢は、繰り返された。

 自宅の玄関の前に立っている。そして、ドアの向こうから“誰か”がノックしてくる。

 毎晩、同じ夢。

 ドアを開けると、少女が立っている。制服姿、だが顔が曖昧。

「……また、来たのね」

 芽維子は夢の中で、自分がその少女を“待っていた”ことを知っていた。

 少女は一言だけ残して消える。

「約束、覚えてる?」

 目を覚ました芽維子は、下駄箱の奥から封筒を見つけた。

 見覚えのない筆跡。だが中には、自分宛の手紙があった。

“私の代わりに、教えてください。私がここにいたこと。”


【04:恭雅/“手術室の光”】

 恭雅の夢は明滅していた。

 白い光、機械音、焦げた制服。

 廊下の向こうで、少女が倒れている。

 彼は駆け寄るが、彼女の身体は“透明”で、触れようとしても腕がすり抜ける。

「……君は、誰かを待ってるのか」

 少女はかすかに頷いた。

「先生。名前は、旭」

 その言葉に恭雅の意識が揺らいだ。

 夢の中で、彼ははっきりと“旭”と少女の関係を知っていた。

 だがそれは現実の旭ではない。五十年前、彼女と教室にいた教師の記憶だった。

 恭雅の手には、ひとつのペンダントが握られていた。

「これ、君の……?」

 少女は微笑み、こう言った。

「それは、次の人に渡して」

 目を覚ましたとき、恭雅の手には──金属の冷たい感触があった。

 開くと、空のペンダント。

 裏には、文字が彫られていた。

「C.C.へ」


【05:櫂音/“会話の続き”】

 櫂音の夢は、教室だった。

 何もない机を前にして、彼は誰かと話していた。だが相手の姿は見えない。

 それでも、会話だけはなぜか続く。

「僕に……できることがあるの?」

「ある。わたしの“言葉”を、誰かに渡して」

「でも、君は誰なんだ。どうして……僕なんかに?」

「あなたが、最後まで私の話を聞いてくれたから」

 目を覚ました櫂音の枕元には、古いカセットテープが置かれていた。

 ケースには、手書きでこう書かれていた。

「最初の声」


【校舎外──翌朝】

 朝の光の中で、恭雅は早くから学校にいた。

 誰よりも早く、旧校舎の裏に立ち尽くしていた。

 ペンダントを握る手が汗ばむ。

 彼は思っていた。あの夢は“警告”ではない。

 むしろ──“指名”だ。

「……あいつら、まだ中にいるのか」

 ぽつりと呟いた時、後ろから誰かの足音がした。

 振り返ると、芽維子がいた。手には茶封筒を持っている。

「……やっぱり来てたのね」

「そっちも、だろ」

「うん。これ……誰かの手紙。多分、“私が持ってていい”やつじゃない」

 続いて現れたのは佳良だった。

「俺の夢、多分演劇部の控室だ。……でも、見てた景色は舞台じゃなくて……“教室”だった気がする」

 そして櫂音。彼は口を開くなり、小さなカセットテープを差し出した。

「これ、昨日枕元にあった。“最初の声”って書いてある」

「再生したか?」

「まだ。……でも、聴いたら何かが“始まる”気がして。……怖い」

 最後に瑠広が姿を見せた。

「みんな、やっぱり来たんだ」

 彼女の手の中には、昨日の夜と同じ、水に濡れた紙片。

「私たち、もう関係者なんだよ。旭と莉桜だけの問題じゃない」

 全員が黙った。

 共通するのは、“夢の中で受け取った何か”。

 そして今、それぞれの手の中に、“形を持って残っている”こと。

 それは偶然ではない。

 呼ばれている。もう一度、“黒い教室”へ。

 恭雅が一歩前に出た。

「俺たち全員、何かを受け取った。今度は──“返しに行く”番だ」


【校舎内──黒い教室】

 旭は静かに目を開けた。

 さっきまで見ていた記憶の残滓は、もう彼の中に染み込んでいる。

「……莉桜」

「うん、いる」

 彼女は壁にもたれ、目を閉じていた。だが、意識ははっきりしている。

「何があった?」

「わからない。でも、“何か”を持った人が、外で目を覚ました気配を感じた。……あと、誰かが近づいてる」

 旭は、ふと黒板の方を見る。

 そこには、新たな文字が浮かび上がっていた。

「あと、5つ」

「……5つ?」

「“渡された記憶”が戻ってくる数……だとしたら、あの五人が、何かを“返しに”来る」

「でも、どうしてだ? どうして彼女はこんな形で……」

 旭がそう言いかけた時、部屋の奥にまた風が走った。

 便箋がふたたび一枚、舞い上がる。

 そこには、こう書かれていた。

「私がいなくなったことを、世界が忘れてもいい。でも、私がいたことだけは、誰かの中に残っていてほしい」

 莉桜はその紙を手に取り、ぎゅっと握った。

「……私たちは、証人なんだね。あの子が確かに“生きていた”ことの」

 旭は深く頷く。

「だったら、迎えに行こう。戻ってくる仲間を──記憶を携えて戻る“5つの光”を」

 そしてふたりは、再び“黒い教室”の中心に立った。

 まるで舞台を迎えるように。

 いや、“終演”のために。


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