【01:瑠広/“海の底”】
その夢の中で、瑠広は学校にいた。
ただし──床が海面だった。
水は澄んでいて、教室の机と椅子がそのままの形で海底に沈んでいる。彼女は靴のまま、静かにその上を歩いていた。
「……ここ、知ってる」
そう呟いた瞬間、水面の下から女の子の顔が浮かび上がった。
白い肌、揺れる髪、閉じられた目。そして胸元に手紙を抱えていた。
「わたしは、わたしのまま、ここで終わりたかったの」
その声は、水を通してなのに、はっきり届いた。
「誰……あなた、誰なの……」
けれど、少女は答えず、そっと手紙を差し出す。
瑠広がそれに手を伸ばしたとき──
水面が割れ、無数の“手”が彼女の足を掴んだ。
「やめて……! 離してッ……!」
そこで夢が破れた。
目を覚ました彼女は、自分の足首に生々しい赤い跡が残っているのを見た。
息を呑み、毛布を引き寄せる。
だが、それでも胸元に“濡れた紙切れ”が一枚、貼り付いていた。
「閉じ込めたのは、あなただったかもしれない」
【02:佳良/“演劇の幕間”】
佳良の夢は、講堂だった。
だが舞台には誰もいない。照明も音もない。ただ、彼だけが舞台袖に立ち、誰かの台詞を待っていた。
やがて、カーテンの奥から白い服の少女が現れる。
彼女は佳良の前に立ち、うつむいたまま口を動かす。
「あなたは見ていた。知っていた。なのに、言わなかった」
「言えなかったんだ、言ったら壊れると思って……」
夢の中の彼は、咄嗟に弁解する。だが少女は首を振る。
「ならば、あなたが持っていて。わたしの記憶を」
次の瞬間、彼の手に重たいノートが現れた。
開くと、びっしりと“自分の筆跡”で埋め尽くされている。
なのに──その内容は、自分の人生ではなかった。
炎、叫び、焦げた制服、手紙、閉ざされた教室──
誰かの人生が、自分の記憶として書かれていた。
目を覚ましたとき、机の上に古びたノートがひとつ置かれていた。
開くと、白紙。
だが表紙には名前が記されていた。
「中西千景」
佳良は、その名前に見覚えがなかった。
けれどなぜか、涙が止まらなかった。
【03:芽維子/“境界線のドア”】
芽維子の夢は、繰り返された。
自宅の玄関の前に立っている。そして、ドアの向こうから“誰か”がノックしてくる。
毎晩、同じ夢。
ドアを開けると、少女が立っている。制服姿、だが顔が曖昧。
「……また、来たのね」
芽維子は夢の中で、自分がその少女を“待っていた”ことを知っていた。
少女は一言だけ残して消える。
「約束、覚えてる?」
目を覚ました芽維子は、下駄箱の奥から封筒を見つけた。
見覚えのない筆跡。だが中には、自分宛の手紙があった。
“私の代わりに、教えてください。私がここにいたこと。”
【04:恭雅/“手術室の光”】
恭雅の夢は明滅していた。
白い光、機械音、焦げた制服。
廊下の向こうで、少女が倒れている。
彼は駆け寄るが、彼女の身体は“透明”で、触れようとしても腕がすり抜ける。
「……君は、誰かを待ってるのか」
少女はかすかに頷いた。
「先生。名前は、旭」
その言葉に恭雅の意識が揺らいだ。
夢の中で、彼ははっきりと“旭”と少女の関係を知っていた。
だがそれは現実の旭ではない。五十年前、彼女と教室にいた教師の記憶だった。
恭雅の手には、ひとつのペンダントが握られていた。
「これ、君の……?」
少女は微笑み、こう言った。
「それは、次の人に渡して」
目を覚ましたとき、恭雅の手には──金属の冷たい感触があった。
開くと、空のペンダント。
裏には、文字が彫られていた。
「C.C.へ」
【05:櫂音/“会話の続き”】
櫂音の夢は、教室だった。
何もない机を前にして、彼は誰かと話していた。だが相手の姿は見えない。
それでも、会話だけはなぜか続く。
「僕に……できることがあるの?」
「ある。わたしの“言葉”を、誰かに渡して」
「でも、君は誰なんだ。どうして……僕なんかに?」
「あなたが、最後まで私の話を聞いてくれたから」
目を覚ました櫂音の枕元には、古いカセットテープが置かれていた。
ケースには、手書きでこう書かれていた。
「最初の声」
【校舎外──翌朝】
朝の光の中で、恭雅は早くから学校にいた。
誰よりも早く、旧校舎の裏に立ち尽くしていた。
ペンダントを握る手が汗ばむ。
彼は思っていた。あの夢は“警告”ではない。
むしろ──“指名”だ。
「……あいつら、まだ中にいるのか」
ぽつりと呟いた時、後ろから誰かの足音がした。
振り返ると、芽維子がいた。手には茶封筒を持っている。
「……やっぱり来てたのね」
「そっちも、だろ」
「うん。これ……誰かの手紙。多分、“私が持ってていい”やつじゃない」
続いて現れたのは佳良だった。
「俺の夢、多分演劇部の控室だ。……でも、見てた景色は舞台じゃなくて……“教室”だった気がする」
そして櫂音。彼は口を開くなり、小さなカセットテープを差し出した。
「これ、昨日枕元にあった。“最初の声”って書いてある」
「再生したか?」
「まだ。……でも、聴いたら何かが“始まる”気がして。……怖い」
最後に瑠広が姿を見せた。
「みんな、やっぱり来たんだ」
彼女の手の中には、昨日の夜と同じ、水に濡れた紙片。
「私たち、もう関係者なんだよ。旭と莉桜だけの問題じゃない」
全員が黙った。
共通するのは、“夢の中で受け取った何か”。
そして今、それぞれの手の中に、“形を持って残っている”こと。
それは偶然ではない。
呼ばれている。もう一度、“黒い教室”へ。
恭雅が一歩前に出た。
「俺たち全員、何かを受け取った。今度は──“返しに行く”番だ」
【校舎内──黒い教室】
旭は静かに目を開けた。
さっきまで見ていた記憶の残滓は、もう彼の中に染み込んでいる。
「……莉桜」
「うん、いる」
彼女は壁にもたれ、目を閉じていた。だが、意識ははっきりしている。
「何があった?」
「わからない。でも、“何か”を持った人が、外で目を覚ました気配を感じた。……あと、誰かが近づいてる」
旭は、ふと黒板の方を見る。
そこには、新たな文字が浮かび上がっていた。
「あと、5つ」
「……5つ?」
「“渡された記憶”が戻ってくる数……だとしたら、あの五人が、何かを“返しに”来る」
「でも、どうしてだ? どうして彼女はこんな形で……」
旭がそう言いかけた時、部屋の奥にまた風が走った。
便箋がふたたび一枚、舞い上がる。
そこには、こう書かれていた。
「私がいなくなったことを、世界が忘れてもいい。でも、私がいたことだけは、誰かの中に残っていてほしい」
莉桜はその紙を手に取り、ぎゅっと握った。
「……私たちは、証人なんだね。あの子が確かに“生きていた”ことの」
旭は深く頷く。
「だったら、迎えに行こう。戻ってくる仲間を──記憶を携えて戻る“5つの光”を」
そしてふたりは、再び“黒い教室”の中心に立った。
まるで舞台を迎えるように。
いや、“終演”のために。