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chap004:渡された記憶を戻す時

【旧校舎前・午後四時三十三分】

 空は薄曇りだった。

 遠くで雷の音が鳴っているのか、それとも耳鳴りなのか判別がつかないほどの静けさ。

 五人は言葉少なに集まり、それぞれの手に“夢で受け取ったもの”を持っていた。

 佳良は、ノート。

 芽維子は、封筒に入った手紙。

 櫂音は、カセットテープ。

 恭雅は、銀のペンダント。

 瑠広は、水に濡れた紙片。

 誰かが号令をかけるわけではない。

 ただ自然に、旧校舎へと足が向いた。

 理科室裏の窓──

 まだ開いたままだった。

「……本当に、まだ中にいるのかな」

 芽維子が呟く。

「いなきゃ、これ全部持って帰ることになる。……その方が、ずっと怖い」

 佳良がため息混じりに言いながら、真っ先に窓をまたいだ。

 全員がそれに続く。

【三階・黒い教室】

 扉の前に立つと、静かに音を立てて開いた。

 待っていたのは、旭と莉桜。

 ふたりは、どこか違っていた。

 それは表情ではなく、目に宿る“強さ”だった。

「来たんだな」

 旭の声は、まっすぐだった。

「俺たち、それぞれ見た。夢の中で……“誰かの気持ち”を」

 恭雅が、ペンダントを差し出す。

「これを、返しに来た」

 旭が一歩前に出る。

「“彼女”は、まだこの教室のどこかにいる。だけど、もう“怒って”はいない。今、彼女が求めてるのは“理解”だ」

「理解……」

「そう。なぜ彼女がここに残ったのか、どうして“誰か”を待ち続けていたのか」

 莉桜が言葉を継ぐ。

「それを知るには、君たちが持ってきた記憶が必要なの」

 旭が言った。

「“順番に、記憶を返していこう”」


【瑠広:紙片】

 瑠広が震える手で、水に濡れた紙を床に置くと、教室の空気がふわりと揺れた。

 机の上に、少女の姿がぼんやりと浮かび上がる。

「……私が……水の中に沈んでいた夢を見た」

「それは、逃げたかった気持ちだと思う」

 莉桜がそっと言う。

「静かな場所で、何も言わずにただ消えていきたかった。けど、消えるには“何か”が重すぎた」

 少女の幻が、こちらを見た気がした。


【佳良:ノート】

 次に佳良が古びたノートを広げた。

「中には何も書かれてなかった。でも……それでも、読むと何かが胸の奥に残った」

「きっと、“話したかった言葉”だよ」

 旭が言った。

「彼女は、自分のことを誰かに話したかった。でも誰にも言えなかった。だから、それが空白として残った」

 ノートのページが、一枚めくれた。

 書かれていなかったはずの言葉が、一行だけ浮かんでいた。

「先生に、本当はありがとうって言いたかった」


【芽維子:手紙】

 芽維子は、封筒を胸に抱きながら言った。

「これ……自分宛てなんだけど、書いたのは私じゃない。夢の中の誰かだった」

 彼女が封筒を床に置くと、教室の空気が一気に“暖かく”なった。

「……あの子、きっと誰かに代わりを頼みたかったんだ」

「“自分はここにいた”って、誰かが証明してくれれば、それでいいって」

「……でも、そんなの苦しすぎる」

 芽維子が言った。

「いることを認めてくれる人が、一人でもいれば、本当はそれだけで生きていけたのに」

 教室の壁に、少女のシルエットが滲んだ。


【恭雅:ペンダント】

 恭雅が銀のペンダントを手に取り、床に置いた瞬間──

 空間がきらりと音を立てて震えた。

「夢の中で、彼女はこう言った。“先生の代わりに渡して”って」

 旭がその言葉に顔をしかめた。

「……俺に、渡すように……?」

「かもな。でも、それだけじゃない気がする。きっとこれは、彼女が“最後まで渡せなかったもの”だ」

 ペンダントの中にあった写真は、焦げて読めなくなっていた。

 だが裏には、名前のイニシャルとともに、

「ありがとう」の筆跡だけが残っていた。


【櫂音:カセットテープ】

 最後に櫂音が前に出た。

「これ、聴くのが怖かった。でも……今、再生する」

 旭が旧型のプレイヤーを教室の隅から取り出していた。

 まるでずっとここにあると知っていたかのように。

 テープが回り、最初にノイズが走った。

 そして、少女の声が流れた。

「これが私の、最後の声です。聞こえていますか。私を閉じ込めたあなたへ。私を助けようとしたあなたへ。誰も、悪くなんてなかった。ただ、私は……独りでいるのが、怖かった」

「だからせめて、声だけでも残したかった。わたしがここにいたこと、誰かの耳に届いてほしかった」

 テープは、そこで切れた。


 黒い教室の中に、風が吹いた。

 今度は、明らかに“彼女”のための風だった。

 少女の姿が、ゆっくりと浮かび上がる。

 笑っていた。

 穏やかな、まるでようやく眠れる人のような顔で。

 そして、静かに、口を動かした。

「ありがとう」

 次の瞬間、彼女は淡い光となって──消えた。


 教室の窓から差し込む光が、今までで一番あたたかく感じられた。

 旭は、誰にも言わず、ただ空を見上げた。

 何も言わなかった。

 それで、よかった。

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