【旧校舎前・午後四時三十三分】
空は薄曇りだった。
遠くで雷の音が鳴っているのか、それとも耳鳴りなのか判別がつかないほどの静けさ。
五人は言葉少なに集まり、それぞれの手に“夢で受け取ったもの”を持っていた。
佳良は、ノート。
芽維子は、封筒に入った手紙。
櫂音は、カセットテープ。
恭雅は、銀のペンダント。
瑠広は、水に濡れた紙片。
誰かが号令をかけるわけではない。
ただ自然に、旧校舎へと足が向いた。
理科室裏の窓──
まだ開いたままだった。
「……本当に、まだ中にいるのかな」
芽維子が呟く。
「いなきゃ、これ全部持って帰ることになる。……その方が、ずっと怖い」
佳良がため息混じりに言いながら、真っ先に窓をまたいだ。
全員がそれに続く。
【三階・黒い教室】
扉の前に立つと、静かに音を立てて開いた。
待っていたのは、旭と莉桜。
ふたりは、どこか違っていた。
それは表情ではなく、目に宿る“強さ”だった。
「来たんだな」
旭の声は、まっすぐだった。
「俺たち、それぞれ見た。夢の中で……“誰かの気持ち”を」
恭雅が、ペンダントを差し出す。
「これを、返しに来た」
旭が一歩前に出る。
「“彼女”は、まだこの教室のどこかにいる。だけど、もう“怒って”はいない。今、彼女が求めてるのは“理解”だ」
「理解……」
「そう。なぜ彼女がここに残ったのか、どうして“誰か”を待ち続けていたのか」
莉桜が言葉を継ぐ。
「それを知るには、君たちが持ってきた記憶が必要なの」
旭が言った。
「“順番に、記憶を返していこう”」
【瑠広:紙片】
瑠広が震える手で、水に濡れた紙を床に置くと、教室の空気がふわりと揺れた。
机の上に、少女の姿がぼんやりと浮かび上がる。
「……私が……水の中に沈んでいた夢を見た」
「それは、逃げたかった気持ちだと思う」
莉桜がそっと言う。
「静かな場所で、何も言わずにただ消えていきたかった。けど、消えるには“何か”が重すぎた」
少女の幻が、こちらを見た気がした。
【佳良:ノート】
次に佳良が古びたノートを広げた。
「中には何も書かれてなかった。でも……それでも、読むと何かが胸の奥に残った」
「きっと、“話したかった言葉”だよ」
旭が言った。
「彼女は、自分のことを誰かに話したかった。でも誰にも言えなかった。だから、それが空白として残った」
ノートのページが、一枚めくれた。
書かれていなかったはずの言葉が、一行だけ浮かんでいた。
「先生に、本当はありがとうって言いたかった」
【芽維子:手紙】
芽維子は、封筒を胸に抱きながら言った。
「これ……自分宛てなんだけど、書いたのは私じゃない。夢の中の誰かだった」
彼女が封筒を床に置くと、教室の空気が一気に“暖かく”なった。
「……あの子、きっと誰かに代わりを頼みたかったんだ」
「“自分はここにいた”って、誰かが証明してくれれば、それでいいって」
「……でも、そんなの苦しすぎる」
芽維子が言った。
「いることを認めてくれる人が、一人でもいれば、本当はそれだけで生きていけたのに」
教室の壁に、少女のシルエットが滲んだ。
【恭雅:ペンダント】
恭雅が銀のペンダントを手に取り、床に置いた瞬間──
空間がきらりと音を立てて震えた。
「夢の中で、彼女はこう言った。“先生の代わりに渡して”って」
旭がその言葉に顔をしかめた。
「……俺に、渡すように……?」
「かもな。でも、それだけじゃない気がする。きっとこれは、彼女が“最後まで渡せなかったもの”だ」
ペンダントの中にあった写真は、焦げて読めなくなっていた。
だが裏には、名前のイニシャルとともに、
「ありがとう」の筆跡だけが残っていた。
【櫂音:カセットテープ】
最後に櫂音が前に出た。
「これ、聴くのが怖かった。でも……今、再生する」
旭が旧型のプレイヤーを教室の隅から取り出していた。
まるでずっとここにあると知っていたかのように。
テープが回り、最初にノイズが走った。
そして、少女の声が流れた。
「これが私の、最後の声です。聞こえていますか。私を閉じ込めたあなたへ。私を助けようとしたあなたへ。誰も、悪くなんてなかった。ただ、私は……独りでいるのが、怖かった」
「だからせめて、声だけでも残したかった。わたしがここにいたこと、誰かの耳に届いてほしかった」
テープは、そこで切れた。
黒い教室の中に、風が吹いた。
今度は、明らかに“彼女”のための風だった。
少女の姿が、ゆっくりと浮かび上がる。
笑っていた。
穏やかな、まるでようやく眠れる人のような顔で。
そして、静かに、口を動かした。
「ありがとう」
次の瞬間、彼女は淡い光となって──消えた。
教室の窓から差し込む光が、今までで一番あたたかく感じられた。
旭は、誰にも言わず、ただ空を見上げた。
何も言わなかった。
それで、よかった。