廊下の突き当たりには、階段があった。
木製の古びた段板は軋み、踏むたびにミシミシと異音を立てる。
階段を登るごとに、空気が変わる。
明らかに、冷たくなっている。
「……ここからが、本番だな」
海夏人が前を見据えたままつぶやく。
「窓のある部屋って、二階の右側の一番奥だったよな」
鼓大郎が自分に言い聞かせるように言い、皆がうなずいた。
だが、一つだけ変わっていた。
――窓が“見えない”。
昨日は外からも確認できたはずの窓が、いくら目を凝らしても、今はどこにも存在していない。
「……消えたのか?」
日菜が呟く。
「いや、隠されてる。部屋ごと、“表層から外された”」
詩旺埋がそう言ったとき、紗代子がそっと手を上げた。
「ごめん……これ、見て」
彼女のスマホには、地図アプリの画面が映っていた。だが、GPSの現在地が“屋外”を指している。
「位置が、ずれてる……?」
「この家の中にいるのに、位置情報ではもう別の場所。……つまり、私たちのいる空間自体が、現実から外れ始めてるのよ」
詩旺埋の指が震えていた。だが、口調は冷静だった。
「じゃあどうやって“窓のある部屋”に行く?」
克宣が問う。
「思い出すのよ。そこにあった景色を、全員で強く思い出して。位置や空気感、匂い、音……」
彼女の指示で、全員が目を閉じた。
風の音――
板のきしみ――
0時の鐘――
「……見えた」
陸人が目を開いた瞬間、皆の前に“扉”が出現していた。
黒く、古く、だが明らかに他の部屋とは異なる雰囲気を放っている。
「開けるぞ」
陸人がドアノブに手をかける。
午後の4時はとうに過ぎていた。
扉は静かに開いた。
そこには――窓があった。
だが、その手前に“何か”が立っていた。
それは、人の形をしていた。
だが目がなかった。口元だけが異様に裂けており、にぃ、と笑っていた。
「……誰か、来たのかと思った」
それは、人の言葉で喋った。だが“声”ではなく、頭の中に直接響くような奇妙な“音”。
「返してくれ、佐紀子を!」
陸人が叫ぶ。
「“彼女”は、もう“こっち”のものだよ。ここでは“忘れられたもの”だけが、生きていられる」
その存在は、少しずつ近づいてきた。
「お前たちは、“彼女”を呼び戻すために何を差し出す? 名前か? 記憶か? それとも……」
そのとき、詩旺埋が一歩前に出た。
「私が行く。彼女を迎えに」
「詩旺埋!?」
日菜が叫んだ。
「私は“嘘をつくと目が泳ぐ”けど、今回は本気。誰かが中から出なきゃ、こっちへ戻せない。私、“指導するの好き”なんだ。……だから、行ってくる」
その瞬間、窓の奥が開いた。
風が吹き込み、部屋全体が白い光に包まれる。
詩旺埋は振り返り、笑った。
「“必ず”戻る。佐紀子を連れて」
そして、彼女は窓の中へと消えた。
陸人が手を伸ばしたが、届かなかった。
窓が――音もなく、閉じた。
――その瞬間、部屋が崩れ始めた。
「まずい! 出口を探せ!」
海夏人の指示で、全員が動き出す。
壁が崩れ、天井が沈み、床が波打つ。
だが、最後の瞬間、窓の隙間から――佐紀子と詩旺埋の姿が、こちらを見ていた。
「陸人……!」
佐紀子の声が、今度ははっきりと届いた。
「戻ってこい……!」
光が爆ぜた。
そして、すべてが闇に包まれた。