翌朝、教室には奇妙な静けさが漂っていた。
生徒の人数が少ない――わけではない。皆いる。笑って話している。普段通りに見える。
だが、“音”がなかった。
チャイムは鳴っているはずなのに、聞こえなかった。
「……今、チャイム鳴った?」
陸人の言葉に、鼓大郎が首をかしげる。
「え? 鳴ったろ、さっき」
「でも、聞こえなかった。誰も動かなかった。……なんか、“時間”が始まった実感がなかった」
そのとき、詩旺埋が教室に入ってきた。
彼女はスケッチノートを持っていなかった。
いや、“持っている”ようにも見えるが、腕に抱えているのは――ただの空気。
だが、その空気を見て、海夏人がごくりと喉を鳴らした。
「……それ、見える」
「えっ?」
「詩旺埋……“持ってる”んだよ、ノート。俺には見える。けど、輪郭が透けてる。……まるで、“存在しちゃいけないもの”みたいに」
詩旺埋は何も答えなかった。
ただ、ゆっくりと席につき、静かに黒板を見つめる。
黒板には、昨日までなかった“言葉”が書かれていた。
「音のしないチャイムが鳴ったら、まだ帰ってはいけません」
誰が書いたか、誰もわからない。
教師さえも、それに触れようとしない。
その文字は、時間が止まったように、朝の光を浴びて、じっとこちらを見つめていた。
昼休み。
日菜は詩旺埋にそっと近づき、小声で訊ねた。
「ねえ……あんた、昨日、何か見たんでしょ?」
「……最後のページ、“見せられた”。その結果、“見えるもの”が変わった」
詩旺埋の声は小さく、けれど確実に“あちら側”と繋がっていた。
「今の学校、“重なってる”。現実の校舎と、“もうひとつの層”が」
「層……って?」
「音が消えるのは、“層の切れ目”に近づいたサイン。たとえば……あのチャイム。“聞こえない”のは、私たちが“こっち側”に足を踏み入れた証拠」
「じゃあ……戻れないの?」
「まだ、完全には越えてない。けど、遅かれ早かれ、全員が境界を超える。“その日”が近づいてる」
そう言って詩旺埋は、机の中から“白紙のノート”を取り出した。
「描いてない。何も。でも――“浮かび上がってくる”。文字でも絵でもない、ただの“気配”が」
彼女の言葉に、日菜の唇が震える。
「それって……“この中の誰かがもう向こうにいる”ってこと?」
詩旺埋は、はっきりとうなずいた。
「……私たちの中に、もう“帰ってきてない誰か”が紛れてる」
その言葉の意味を、理解できた者はいなかった。
だが、陸人は無言で周囲を見渡し、かすかに眉をしかめた。
(誰だ……? 誰が、“違う”んだ?)
その日の放課後。
非常階段を上る生徒の姿が、映像としてSNSに投稿された。
制服を着た女子――顔はブレていて見えない。
だが、最後の一コマ。
校舎の最上階、誰もいないはずの給水塔の隅に、“カーテンが揺れている”のが、映っていた。
その動画を見た詩旺埋が、ぽつりと呟いた。
「……まだ、窓は開いてる」
終