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第十二章 開かずのロッカーには鍵がない

 午前8時20分。

 朝の昇降口に、クラスの空気とは明らかに異質な空気が漂っていた。

「……まだ開いてないのか?」

 克宣が眉をひそめて立っていたのは、二年四組の“ロッカー列の一番端”。

 誰も使っていないはずのそのロッカー――通称「開かずのロッカー」。

「いや、誰も触ってないはずなのに、昨日の放課後……“カタン”って、中から音がしたっていう噂が」

 鼓大郎がそっと囁く。

 詩旺埋はその場に到着するなり、ロッカーの前に立ち、表面を軽く指でなぞった。

「……この金属、呼吸してる」

「……は?」

 日菜が困惑する。

「まるで生き物みたいに、熱と冷たさが交互に伝わってくる。……それに、このロッカー、“鍵がない”」

「え、でもこの学校のロッカー、普通に南京錠式じゃ――」

 海夏人が言いかけて止まった。

 そのロッカーの鍵穴には、何もなかった。穴すら存在していない。ただの“鉄の板”。

「誰も開けたことがない。けど、誰かが中に“入っていた痕跡”だけが、毎年残ってる」

 陸人が静かに言った。

 実際、ロッカーの前の床には、微かに誰かの“足跡”のような埃のズレ。

 さらに、扉の隙間からは、かすかに“紙”の角が覗いていた。

「これは……?」

 詩旺埋が慎重にその紙片を引き抜いた。

 黄ばんだ古い紙。そこに、手書きでこう書かれていた。

「わたしはまだ、ここにいます。

 でも、名前を呼ばれないから、出られません。

 誰か、“出席を取ってください”」

「これ、“紬”の……?」

 紗代子がぽつりとつぶやく。

 だが、詩旺埋は首を横に振った。

「違う。これ、“紬の前に描かれた誰か”」

 空気が止まったように静まり返る。

「つまり、紬だけじゃないってことか……?」

「ううん。紬は“初めて名を与えられた者”。それ以前にも“描かれたけど名前を与えられなかった存在”が……何人もいた」

 海夏人の声が低く響く。

「それが、このロッカーに閉じ込められてる……?」

 その瞬間、ロッカーの中から――“ノック音”が聞こえた。

 コン……コン……ココン。

「嘘だろ……」

 誰もが声を失った。

 だが、詩旺埋はまっすぐに立ち、ノートを取り出した。

 すでに透明だったはずのノートが、その瞬間、黒く染まりはじめた。

 そして、新しいページが――開いた。

 そこには、誰かが中から“視た風景”が描かれていた。

 狭い空間。足元に積まれた何十冊ものノート。

 そしてそれを見下ろす“窓の外”――“生徒たち”の靴。

「……中に、“ずっと見ていた子”がいる」

 詩旺埋は、ノートの余白にゆっくりと文字を書き始めた。

「あなたの名前は……」

 ペンが止まる。

「……思い出せない」

 その瞬間、ロッカーの隙間から、黒い影が――“外へ”染み出した。

 まるで、忘れられた声が形を取りはじめたように。

 そして影は、床を滑るように移動しながら、黒板の前までたどり着く。

 そこに浮かび上がった文字は、たった一文。

「出席番号“0番”」

 その番号に、詩旺埋の背筋が凍った。

「……この子、“存在すら記録されてない”」

 そして――0番が、ゆっくりと首をかしげた。

「“私”の名前も、あなたが描いたんでしょ?」

 詩旺埋は震える手で、ノートに再びペンを走らせた。

 だが、何を書いても――名前にならない。

 ひらがなも、漢字も、すべて“読めない文字”に変換されてしまう。

「……これ、“拒絶されてる”。私の手じゃ、もう“名前を与えられない”」

 そのとき、ロッカーの中から、もう一枚の紙が落ちた。

 そこには、こう書かれていた。

「“あなたたち”が“存在の証明”を拒む限り、私は“ここに居続ける”。

 でも――いずれ、順番が来る。

 出席番号“1番”から、“最後”まで。」

 その意味を、陸人たちはまだ知らない。

 だが、確実に“何か”が、クラスの中に入り込んでいた。

 終


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