目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第十五章 “紬”はまだ“窓の外”にいる

 ――窓の外に、まだ“いる”。

 そう思ったのは、校舎裏の渡り廊下を歩いていた紗代子だった。

 誰もいないはずの時間。風もないのに、二階教室の“カーテン”がわずかに揺れた。

 そして――そこに立っていた。

 あの、白いセーラー服。髪の長い少女。顔はぼやけて見えない。

 だが、視線だけははっきりとわかる。“こちら”を見ていた。

「……紬?」

 そう呼びかけると、彼女は動いた。

 ただし――“窓の内側”ではなく、“外側”を歩いていた。

 まるで、ガラスに映る幻のように。

 空中をすり足で滑るように移動しながら、彼女は“まだ教室に戻ろうとしていない”。

 放課後。図書室から戻ってきた陸人たちが、その話を聞いて顔を曇らせた。

「紬は、“名を得た最初の存在”。でも……まだ完全に“戻って”ないのかもしれない」

 海夏人がそう言った時、詩旺埋はスケッチノートを開いた。

 そのノートには、今朝から一枚も描いていないはずのページに、こう記されていた。

「“0番”が“記録を壊す”。

 “紬”は“記録の端に立つ”。

 どちらも、“忘れられること”に耐えられなかった」

「……じゃあ、紬は“自分の存在”を守ろうとしてるだけ?」

 日菜が顔を上げる。

「かもしれない。彼女は“記録されたい”と願った。でも、“0番”は、“記録自体を破壊する”ことでしか自己証明できない」

 詩旺埋の声は、今までで一番静かだった。

 そのとき、黒板に文字が浮かび上がった。

 誰もチョークを持っていないのに、そこに書かれていく言葉。

「つむぎは、まだ、“外”にいます」

 教室の空気が一変する。

「待って……これって、“誰かが教えてくれてる”んじゃなくて……」

 克宣が言いかけて、黙る。

「“紬自身”が書いてる……?」

 その瞬間、教室のスピーカーから、今度ははっきりと“声”が流れた。

「“0番”が、次に“私”を壊すつもり。

 その前に――“覚えて”。

 わたしは、“消されたいわけじゃない”。」

 スピーカーが、耳鳴りのようなノイズを残して沈黙した。

 詩旺埋のノートに、また新しいページが生まれていた。

 今度は、“紬の後ろ姿”。

 校舎の屋上、柵の向こうに立ち、下を見下ろす姿。

 その足元には、影。

 だが、その影は、“紬のもの”ではない。

「この絵……“誰かが見てる”視点じゃない。“私たちの視点”じゃない」

 海夏人が言う。

「じゃあ、この絵を“描かせてる”のは……?」

 詩旺埋がページの端に手を触れた瞬間、ノートの文字がすべて“読めなく”なった。

「“0番”が妨害してる」

「じゃあ、“紬”を守るには……?」

 陸人が拳を握る。

「“紬の記録”を残す。“誰かが覚えている”状態を保ち続ければ、0番は近づけない」

「それって……」

 日菜が不安げに尋ねる。

「彼女の姿を、声を、立ち姿を、すべて“言葉にして語り継ぐ”ってことよ。たとえ、彼女自身が望んでいなくても」

 その夜、SNSで一本の動画が出回った。

 夜の校舎の屋上。

 柵の向こうに立つセーラー服の少女。

 その後ろに、黒く歪んだ“影”が迫っていく――。

「明日、屋上へ行く。……“紬”がそこにいるうちに」

 詩旺埋の宣言に、全員がうなずいた。

 そして、最後のページの一行に、こう書き足される。

「まだ、“完全には遅くない”。」

 終


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?