――窓の外に、まだ“いる”。
そう思ったのは、校舎裏の渡り廊下を歩いていた紗代子だった。
誰もいないはずの時間。風もないのに、二階教室の“カーテン”がわずかに揺れた。
そして――そこに立っていた。
あの、白いセーラー服。髪の長い少女。顔はぼやけて見えない。
だが、視線だけははっきりとわかる。“こちら”を見ていた。
「……紬?」
そう呼びかけると、彼女は動いた。
ただし――“窓の内側”ではなく、“外側”を歩いていた。
まるで、ガラスに映る幻のように。
空中をすり足で滑るように移動しながら、彼女は“まだ教室に戻ろうとしていない”。
放課後。図書室から戻ってきた陸人たちが、その話を聞いて顔を曇らせた。
「紬は、“名を得た最初の存在”。でも……まだ完全に“戻って”ないのかもしれない」
海夏人がそう言った時、詩旺埋はスケッチノートを開いた。
そのノートには、今朝から一枚も描いていないはずのページに、こう記されていた。
「“0番”が“記録を壊す”。
“紬”は“記録の端に立つ”。
どちらも、“忘れられること”に耐えられなかった」
「……じゃあ、紬は“自分の存在”を守ろうとしてるだけ?」
日菜が顔を上げる。
「かもしれない。彼女は“記録されたい”と願った。でも、“0番”は、“記録自体を破壊する”ことでしか自己証明できない」
詩旺埋の声は、今までで一番静かだった。
そのとき、黒板に文字が浮かび上がった。
誰もチョークを持っていないのに、そこに書かれていく言葉。
「つむぎは、まだ、“外”にいます」
教室の空気が一変する。
「待って……これって、“誰かが教えてくれてる”んじゃなくて……」
克宣が言いかけて、黙る。
「“紬自身”が書いてる……?」
その瞬間、教室のスピーカーから、今度ははっきりと“声”が流れた。
「“0番”が、次に“私”を壊すつもり。
その前に――“覚えて”。
わたしは、“消されたいわけじゃない”。」
スピーカーが、耳鳴りのようなノイズを残して沈黙した。
詩旺埋のノートに、また新しいページが生まれていた。
今度は、“紬の後ろ姿”。
校舎の屋上、柵の向こうに立ち、下を見下ろす姿。
その足元には、影。
だが、その影は、“紬のもの”ではない。
「この絵……“誰かが見てる”視点じゃない。“私たちの視点”じゃない」
海夏人が言う。
「じゃあ、この絵を“描かせてる”のは……?」
詩旺埋がページの端に手を触れた瞬間、ノートの文字がすべて“読めなく”なった。
「“0番”が妨害してる」
「じゃあ、“紬”を守るには……?」
陸人が拳を握る。
「“紬の記録”を残す。“誰かが覚えている”状態を保ち続ければ、0番は近づけない」
「それって……」
日菜が不安げに尋ねる。
「彼女の姿を、声を、立ち姿を、すべて“言葉にして語り継ぐ”ってことよ。たとえ、彼女自身が望んでいなくても」
その夜、SNSで一本の動画が出回った。
夜の校舎の屋上。
柵の向こうに立つセーラー服の少女。
その後ろに、黒く歪んだ“影”が迫っていく――。
「明日、屋上へ行く。……“紬”がそこにいるうちに」
詩旺埋の宣言に、全員がうなずいた。
そして、最後のページの一行に、こう書き足される。
「まだ、“完全には遅くない”。」
終