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Act of Intimacy-7. 母の記憶

シルヴィアから母の遺志を聞き、隠されていた日記を手にした翌日。リュシアン王国の冬の夜は、窓ガラスを震わせるほどの吹雪に覆われていた。ノクターン侯爵邸の北翼にある彼女の私室で、イリス・ノクターンは人生で初めて、本物の涙を流していた。母の日記に記された「笑って」という言葉が、十八年間感情を封じられてきた彼女の心の氷を溶かし始めたのだ。彼女と獣の執事ヴァルト・グレイハウンドの関係は、既に一線を越えていた。しかし今夜、二人の絆はさらに深いものへと変わろうとしていた。


「母上は...私に笑顔を望んでいたの」


イリスの声は震えていた。白銀の髪が肩に流れ落ち、淡いラベンダー色の瞳から涙が止まらない。彼女は白の寝間着に身を包み、膝を抱えるようにベッドの隅に座っていた。小さな肩が震え、陶器のように白い頬を涙が伝う。手には古びた日記帳が握られ、その数ページに書かれた母の言葉が彼女の魂を揺さぶっていた。


「お嬢様...」


ヴァルト・グレイハウンドはベッドの縁に控えていた。黒のシャツに袖をまくり、執事の装いを多少崩している。深いグレーの髪は少し乱れ、琥珀色の瞳には心配の色が宿っていた。彼の体からは温かな獣の気配が漂い、冷え切った部屋に僅かな温もりをもたらしていた。


「父上は...私から母上の思い出も奪った」イリスの声は途切れがちだった。「もし...もし母上が生きていたら、私はこんな風に育てられなかったのかもしれない」


その言葉に、ヴァルトの心が痛んだ。主人である彼女を守ることしか考えてこなかったはずなのに、今は彼女の心の痛みを自分のものとして感じている。かつて主従だった二人の間に芽生えた感情は、もはや隠し切れないものになっていた。


「あなたなら...私を笑わせてくれる?」イリスの問いは、悲しみの中に一筋の希望を宿していた。


ヴァルトはためらいもなく彼女に近づき、震える彼女の手を取った。「命に代えても」


彼の言葉に、イリスの涙がさらに溢れた。しかし、それは悲しみだけの涙ではなく、温かな感情が混ざった複雑なものだった。彼女はヴァルトに身を寄せ、彼の胸に顔を埋めた。


「抱きしめて...冷たくて震えが止まらない」


彼女の頼みに、ヴァルトの腕が彼女を包み込んだ。獣の体温は人間よりも高く、その温もりがイリスの冷えた体を徐々に温めていく。彼の心臓の鼓動が彼女の耳に届き、その規則正しいリズムが彼女を安心させていった。


「泣いていいんだ」ヴァルトは彼女の髪を優しく撫でながら囁いた。「感情は、隠すものではない」


イリスは顔を上げ、涙で濡れた瞳で彼を見つめた。「でも...どうやって笑えばいいか分からないの」


彼女の無垢な告白に、ヴァルトの表情が柔らかくなった。彼はそっと手を伸ばし、彼女の頬に付いた涙を親指で拭った。


「こうして...少しずつ」彼の声は優しかった。「感じることから始めるんだ」


イリスの目が彼の唇に引き寄せられた。前回の情熱とは違う、何か別の感情が彼女の中に生まれていた。彼女の手が震えながらもヴァルトの頬に触れる。


「あなたは...私の心を守ってくれる。母上のように」


その言葉がヴァルトの胸を締め付けた。彼はゆっくりと身を屈め、イリスの涙を唇で吸い取るように、そっと頬にキスをした。塩辛い涙の味が彼の舌に広がる。イリスは小さく息を呑み、その優しさに体を震わせた。


「ヴァルト...」彼女の声は呼吸のように小さかった。


彼の唇がイリスの頬から顎へ、そして首筋へと移動していく。そっと、丁寧に、まるで彼女が壊れ物であるかのように扱う。イリスの体が少しずつ温かくなり、震えが違う種類のものに変わっていく。


「大丈夫?」彼は彼女の耳元で囁いた。


イリスは黙って頷き、彼の背中に腕を回した。前回の逃避行の夜とは違う、落ち着いた親密さ。急いで体を重ねるのではなく、ゆっくりと互いを感じ合うような穏やかな時間が流れ始めた。


ヴァルトの唇が彼女の唇に触れた時、イリスは目を閉じて彼を受け入れた。塩辛い涙の味がする口づけは、彼女の悲しみを少しずつ拭い去っていく。彼女の手がヴァルトの首筋から髪へと移動し、その感触を確かめるように指を絡ませる。


キスが深まり、イリスの寝間着の紐がほどけ始めた。以前とは違い、今回は彼女自身が自ら服を緩めた。ヴァルトは彼女の肩が露わになるにつれ、そこに優しいキスを落としていく。


「もう...怖くないわ」イリスは小さく告げた。「あなたといると、自分が生きているって感じる」


その言葉に、ヴァルトの瞳が獣の黄金色に変わった。しかし、それは野性的な欲望ではなく、彼女を守りたいという深い感情の表れだった。彼の手がイリスの髪を梳き、首筋を辿り、素肌を撫でていく。


「お前は生きている」彼は唇を離さず囁いた。「そして美しい」


イリスの寝間着が肩から滑り落ち、白い素肌が月明かりに照らされる。彼女の体は前回よりも温かく、少し色づいているようにも見えた。まるで人形から人間へと変わりつつあるかのように。


ヴァルトはイリスをベッドに横たえ、そっと覆いかぶさった。彼女の細い体が彼の下で小さく見える。彼はシャツのボタンを外し始め、筋肉質の胸と腹部が露わになった。イリスの手がためらいなくそこに触れ、彼の肌の感触を楽しむように撫でる。


「前よりも...怖がってないな」ヴァルトの声には微かな笑みが混じっていた。


「あなたを知っているから」イリスも小さく微笑んだ。まだぎこちないが、確かな笑み。「それに...体が覚えているの」


彼女の言葉にヴァルトの心が熱くなった。彼は彼女の全身に優しいキスを落とし始め、首筋から胸元、そしてさらに下へと移動していく。イリスの吐息が部屋に響き、彼女の体が本能的に彼の愛撫に応えた。


「ヴァルト...」彼女の声が切なく響いた。「もっと感じさせて」


彼は彼女の願いに応え、唇で彼女の敏感な場所を刺激し始めた。イリスの体が弓なりになり、小さな喘ぎ声が漏れる。前回の混乱の中での結ばれ方とは違い、今回はゆっくりと彼女の体を目覚めさせていくような愛し方。それはまるで、彼女の心を解き放つための儀式のようだった。


イリスの手がヴァルトの腰に触れ、衣服の境界線を超えようとする。彼は彼女の好奇心を止めず、むしろ導くように自ら衣服を脱ぎ去った。完全に裸になったヴァルトの体が月明かりに照らされ、その筋肉の隆起と以前よりも増えた傷跡が見える。


「これは...」イリスの指が新しい傷を辿った。


「お前を守るため」彼は単純に答えた。


その言葉に、イリスの目に再び涙が浮かんだ。しかし今度は悲しみではない、感謝と愛情の涙だった。彼女は身を起こし、その傷にそっと唇を押し付けた。ヴァルトの体が小さく震える。


「今度は...私があなたを感じさせたい」彼女の言葉は以前では考えられない大胆さだった。


イリスの手が彼の体を辿り、硬く熱くなった部分に触れる。ヴァルトの喉から低い唸り声が漏れ、獣の本能が目を覚ましかけた。しかし、彼は理性を保ち、彼女のペースを尊重した。


「イリス...」彼の声は震えていた。「今夜は急がなくていい」


彼女は小さく首を振った。「急ぎたくないの。ゆっくりと...あなたを感じたい」


彼女の言葉に、ヴァルトの心が溶けた。彼はイリスを腕に抱き、ベッドの上で体位を入れ替えた。今度は彼女が上になり、月明かりに照らされた。その姿はまるで銀の女神のよう。


イリスはゆっくりとヴァルトの上に腰を下ろし始めた。二人の体が再び一つになる瞬間、彼女は小さく息を呑んだ。前回の痛みはなく、代わりに満たされる感覚が彼女を包み込む。


「ああ...」イリスの声が部屋に響いた。「こんなにも...深く」


ヴァルトの手が彼女の腰を掴み、彼女の動きを導いた。イリスは自分自身のリズムを発見し始め、ゆっくりと腰を動かし始めた。彼女の白銀の髪が月明かりに揺れ、陶器のような肌が汗で輝いていた。


「美しい」ヴァルトは息を呑んだ。「お前は本当に生きている」


イリスの動きが少しずつ速くなり、彼女の喘ぎ声が大きくなっていく。感情を抑え込まれて育った彼女の中から、原始的な悦びが解き放たれていた。彼女の手がヴァルトの胸に置かれ、彼の鼓動を感じながら腰を揺らす。


「ヴァルト...これが」彼女の言葉は途切れがちだった。「生きるってこと?」


彼は彼女の問いに応えるように身を起こし、彼女を抱きしめた。そのまま彼女の唇を奪い、舌を絡ませる。イリスは彼の熱に溶けるように体を預け、二人の動きが一層深くなっていった。


「生きるとは」ヴァルトは息を乱しながら答えた。「感じること。愛すること」


イリスの瞳から一筋の涙が流れ落ちた。しかし、それは確かに幸福の涙だった。彼女の唇が微かな笑みを形作り、その表情は人形のように凍りついた過去の自分からはかけ離れていた。


「愛してる」彼女の口から初めて紡がれた言葉。「ヴァルト...愛してる」


その告白に、ヴァルトの体が獣の本能に目覚めた。彼は彼女をしっかりと抱きしめ、再びベッドに押し倒した。イリスの体が彼の下で柔らかく開き、彼を迎え入れる。二人の動きが一層激しくなり、部屋に肌と肌が触れ合う音が響いた。


「俺も愛している」ヴァルトの声は深く響いた。「この命に代えても」


イリスの手が彼の背中に回され、爪が彼の肌に食い込むほど強く抱きしめた。彼女の体が波のように揺れ、次第に高まっていく快感に身を任せる。


「もう...止まらない」彼女の声は震えていた。「何かが...来るわ」


ヴァルトの動きが一層深まり、イリスの最も敏感な場所を的確に刺激する。彼女の体が弓なりになり、喉から甘い声が漏れる。そして、波が頂点に達した瞬間、彼女の体が震え始めた。


「ヴァルト!」


絶頂の叫びと共に、イリスの体が硬直し、そして徐々に緩んでいった。ヴァルトも限界に達し、彼女の中で全てを解き放った。二人は息を荒げながら抱き合い、余韻に浸った。


イリスの頬には、涙の跡が乾いていた。代わりに、彼女の唇には小さな微笑みが浮かんでいた。彼女は母の願いを叶え始めていた。


「笑うって...こんな気持ちなのね」彼女は静かに言った。


ヴァルトは彼女の髪を撫で、額にキスを落とした。「これからもっと、笑顔を見せてくれ」


イリスは頷き、彼の胸に頭を寄せた。母の記憶は彼女に悲しみをもたらしたが、同時に新たな人生の始まりでもあった。白き檻の人形姫は、少しずつ本物の色を取り戻し始めていた。


「私...生きてるのね」


彼女の言葉に、ヴァルトはただ黙って彼女を抱きしめた。嵐の夜、二人の愛はさらに深く、強固なものへと変わっていった。そして、イリスの中で眠っていた異能の力が、少しずつ目覚め始めていることに、二人はまだ気づいていなかった。


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