気がつくと、僕はユキちゃんを抱きかかえたまま――
ひんやりとした洞窟の外に立っていた。
「そ、そうだ、治癒の魔皮紙を……!」
ガタガタと震える手で魔皮紙を取り出し、
ユキちゃんの怪我にそっと当てる。どう使うかは分からないけど……とにかく、魔力を流すしかない。
「どうか合ってますように……!」
一番怖いのは――これ、自分に使っちゃうパターン。
ゲームでよくあるやつ。うっかり自分に回復魔法を使って「意味ないじゃん」ってなる、アレ。
でも、そんなことにはならなかった。
ふわりと緑の光が魔皮紙からにじみ出て、
まるで春風のようにユキちゃんを包み込んでいく。
血が止まり、土気色だった顔に、ほんの少しだけ赤みが戻った。
でも、息はまだ浅くて、眉もわずかに歪んだまま……。
「話によると止血と輸血だっけ……つまり応急処置って事だよね」
夕暮れの空は、茜と群青のグラデーション。
木々の間から射す光が細くなり、虫の鳴き声がぽつぽつと響きはじめていた。
「ごめんね……痛いよね……ごめんね……」
まだ何も終わっていないのに、勝手に涙が溢れてくる。
すごく、痛かっただろう。怖かっただろう。
俺もじいさんもいない朝、ひとりで目を覚まして――
寂しかったろうに、きっと頑張って朝ごはんを作ってくれて、待っていたんだろう……
「おかぁさん達を喜ばせるんだ」って……
「ごめん……ごめん……」
俺がここに来なければ、この子はこんな目に遭わなかった。
俺がいなければ、借金も、痛みも、全部……
俺は本当に疫病神だ……
「これじゃ……女神なんて言われても仕方ないよね」
慌てて荷物の中から取り出したのは、ボロボロの布切れ。
……これは、僕が最初の奴隷試練で着させられていた服だった。
緊急時には寒さをギリギリしのげる――そんな話を思い出し、
それをそっとユキちゃんにかぶせる。
そして、僕は立ち上がり、涙をぬぐって――歩き出した。
____そして、数時間後。
町が見えた。
けれど、心の中に浮かぶのは安堵ではなく、不安ばかりだった。
「誰か……誰か助けて!」
声を張り上げながら、薄暗くなった通りを駆ける。
建築ウッドの店々から、ほのかに灯りが漏れている。
「すいません! 助けてください!」
近くを通った獣人の袖を掴む。
けれど――
「汚らわしい人間の奴隷が触るな!」
強く手を払われ、そのまま獣人は足早に去っていった。
「そ、そんな……」
誰も、止まってくれない。
誰も、見てくれない。
事情も、理由も、誰も知らない。
でも、それでも。
「一目見れば厄介事だと解る……」
元の世界でも、ホームレスの人に声をかける人なんていない。
視線をそらし、歩幅を早め、ただ「関わらないように」通り過ぎるだけ。
みんな、「他にも人がいる」「私は関係ない」って思ってる。
そういう目を、僕に向けてくる。
やがて、僕の周りからは完全に人の気配が消えた。
近づく者さえいない。遠くで、僕を見つけた誰かが、また道を変える。
「は……はは……マッチ売りの少女ってこんな気持ちだったのかな……」
助けを求めて、町に着いたのに。
返ってきたのは、誰の手も、声もなかった。
「……」
力が抜けて、その場に崩れ落ちる。
僕は、ユキちゃんをそっと抱きしめるようにして、座り込んだ。
「ごめんね……ユキちゃんに泣くなって言ったのにこんなに……
おかぁさん泣いちゃってる……」
歯を食いしばっても、涙は止まらない。
気がつけば、声を上げて――
大人げなく、子どもみたいに、泣いていた。
……でも。そんな僕の声に、気づいた人がいた。
その足音が、少しずつ、近づいてくる。
そして、優しい声が耳に届いた。
「……アオイ?」
その声を聞いた瞬間――
僕の頭の中で、何かがふっとほどける。
目の前にいたのは、この世界で一番、よく知ってる人。
「ヒロ……ユキ……」
その名前を呼んだ途端、安心が脳を支配した。
僕の意識は、真っ白に染まっていく――
そしてそのまま、ユキちゃんを胸に抱いたまま、僕は静かに倒れ込んだ。