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第242話 エスの正体!


 「がっは……!」


 山亀が俺の目の前――数メートル先に、ものすごい衝撃音とともに倒れてきた。


 泥が弾け、体中に冷たい感触が襲いかかる。俺の体もその余波で吹き飛ばされ、背中が世界樹の根に叩きつけられる。


 「いったぁ……つぅ……!」


 背骨に鈍い痛みが走る。呼吸すら苦しい。


 それでも――


 「っ……くそ……」


 俺は、必死に立ち上がった。膝をつきながら、手をつきながら、それでも立とうとする。


 「み、みんな……?」


 視線を上げたその先に――


 さっきまで仲間たちがいたはずの場所に、巨大な山亀の巨体がのしかかっていた。


 「……そんな……」


 最悪の結果を想像してしまう。


 「まさか……リュウトくん? アカ姉さん……? ……ヒロ?」


 思わず出た声は、小さな囁きだった。


 ――いや、本当は、叫びたくなんてなかった。


 なぜなら、もし返事がなかったら――その時、答えが確定してしまうから。


 だから俺は……小さな声で呼んだ。震える喉で、消えそうな声で。


 「うそだ……」


 何も返ってこない現実に、視界が滲んだ。


 「うそだ!!!」


 堪えていた涙が、ぼろぼろと溢れる。


 その場で、膝をつく。拳を地面に叩きつけても、何も変わらない。


 泣き崩れそうな俺を、時間は見逃してくれなかった。


  「ひっ……!?」


 山亀が動きを止めた。


 直後――その巨体から、無数の緑のツタが一斉に伸び始める。

 まるで触手のように、うねり、絡みつくような動きでこちらへと迫ってくる。


 「に、逃げないと……!」


 背筋が凍る。喉が詰まりそうになるのを無理やり押し込めて、俺は山亀に背を向けた。


 全身が震えてうまく動かない。


 それでも――走った。


 泥に足を取られながら、呼吸も荒く、バランスを崩して何度も転びそうになる。それでも――必死に。


 「駄目だ……! 追いつかれる!」


 わかってる。

 俺は、アニメや漫画の主人公みたいに速くなんて走れない。


 格好よく逃げ切れるほど、強くもない。


 ――むしろ、普通の人よりも……遅いくらいだ。


 そして。


 ヌルッ……とした感触が、足首を包む。


 「っ……!?」


 気づけば、緑の触手の一本が、俺の片足に絡みついていた。


 キュッと締めつけられ、足が地面に引き戻される。



 「うぁっ!? ぷへっ!」


 足を引っ張られた衝撃で前のめりに転び、そのまま顔面から泥の中へ突っ込んだ。


 冷たくぬるりとした感触――だが、不思議なことに顔や髪には泥がまとわりつかない。


 (……なんで!? いや、それどころじゃない!)


 「うわっ!?」


 触手は俺の全身に巻き付き、そのままズルズルと――持ち上げられた!


 「くそっ! 離せってば!!」


 手足をばたつかせ、触手を叩き、必死にもがく。


 けど――まったく、振りほどけない!


 「だ、だめだ……!」


 恐怖で視界が狭くなっていた俺は、ようやく気づいた。


 正面に、巨大な“何か”が口を開けている。


 ――山亀だった。


 その口は、岩のような歯を並べながら、俺を待ち構えるように開いていた。


 「う、うそ……え、えっ、マジで!? 食べられるの……俺っ!?」


 声が裏返る。叫ぼうとして喉が詰まる。


 「や、やめ____ッ!!」








 その瞬間――!






  「――やらせない!!」


 鋭い声と共に、空から一筋の漆黒が降ってきた。


 くるくると回転しながら落ちてきたのは――漆黒の短剣。

 その刃が、触手を次々と切り裂いていく!


 (あの剣……!)


 その瞬間、支えを失った俺の体がふわりと宙に浮いた。


 「うわ、うわぁぁぁああ! おちるぅぅぅぅ!!」


 浮遊感と共に落下する。


 ――が、地面に叩きつけられることはなかった。


 代わりに、柔らかく、けれどしっかりとした腕に受け止められた。


 「っ……!」


 お姫様抱っこ……!?


 そして、その正体は――!


 「無事か、アオイ」


 漆黒の黒騎士、“エス”さんだった!


 (うわぁぁぁぁあああ!! 死んでなくてよかったぁあああ!!!)

 (ありがとうううう!! 本当に死ぬかと思ったんだからぁああ!!!)


 心の中でガン泣きしながらも、何とか落ち着いて口を開く。


 「ありがとう……! 他のみんなは?」


 「………………わからない」


 エスさんの表情が曇る。


 「俺は世界樹に行ったが……途中で獣人たちとはぐれてしまってな。気づいた時には、なぜか外に出ていた」


 「……そうなんだ」


 現実はうまくいかないようだ……


  「…………」


 エスは無言のまま俺を静かに降ろすと、ゆっくりと武器を構えた。


 そして、低く名を呼ぶ。


 「……『黒狼(こくろう)』」


 「え……!?」


 その瞬間、エスの影が揺れ、そこからあの――かつて俺を襲った黒い魔物が現れた。


 鋭い牙、しなやかな四肢、そして赤く光る双眸。

 その姿を目にしただけで、足がすくむ。


 「この魔物……!」


 「『黒狼』は、どういうわけか俺の命令を聞く」


 エスが淡々と告げると、黒狼がこちらに視線を向けた。

 「ガァルルル……」と喉を鳴らし、明らかに敵意を込めた唸り声を上げる。


 ビクッと身構える俺の前で――


 「アオイを魔物から護れ」


 その一言で、黒狼の動きが止まった。


 俺を睨んでいた眼差しが、僅かに揺らぐ。


 そして、数秒の沈黙の後――カクン、と頭を下げて、頷いた。


 「……!」


 「エスは……どうするの?」


 黒狼の隣に立つエスに問いかけると、彼は少しだけ視線を伏せる。


 「……転移の魔皮紙を発動させるには、かなりの魔力を消費する」


 そう言って、懐から一枚の紙を取り出す。


 ――それは、血のように真っ赤に染まった魔皮紙だった。


 「今の俺に残された魔力では、使えるのは……これ一枚だけだ」



 「それは……?」


 俺が見つめる先で、エスは静かに答える。


 「これを使えば――一時的に、力を何百倍、何千倍にも引き上げられる。だが、代償は……」


 そこで、言葉を切る。


 「……俺の魂だ」


 「え……」


 それって……


 「死ぬ気……なの?」


 「…………」


 その沈黙が、答えだった。


 (……だめだ! そんなの、絶対に!)


 「っ――」


 喉が震え、言葉が出ない。


 気がつくと――


 俺は、何も言わずにエスの腕を掴んでいた。


 「…………一緒に、逃げよ? なんとか2人で助かる方法……きっとあるから」


 必死だった。言葉にならない想いが、涙になって滲む。


 エスはしばらく何も言わなかった。

 でも――次に開いた口から出た声は、まるで別人のように優しくて、どこか懐かしい響きだった。


 「……あなたは、相変わらずですね」


 「……え?」


 「“あの時”も――ベルドリと一緒に、俺を助けてくれた」


 「“あの時”……?」


 困惑する俺の前で、エスはゆっくりと頭の装備を外す。


 鎧の影から現れた、その顔は――














 「…………リン?」














 「お久しぶりです、アオイさん」


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