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第268話 『報告』

 「おやすみ~」


 「おやすみなのじゃ」


 『器』と夜の挨拶を交わし、ルカは彼女が眠りについたのを見届けると、ふっと表情を引き締めた。


 「……」


 静かに布団にもぐり込み、その中でそっと【気配遮断ローブ】を身にまとう。


 それは、グリード王国の最重要機密とされる特殊装備――万が一に備え、『女神』から託された“影の衣”だった。


 このローブをまとえば、たとえ【神の使徒】の視線すらすり抜けられる。


 だが、ルカはさらに用心を重ねる。


 物音ひとつ立てず、屋敷の奥にある“誰にも知られていない裏口”へ向かう。


 そこにドアも鍵も、魔法陣すら存在しない。ただ壁があるだけ。

 しかし、魔力を流せば――スッと空間が揺れ、そこを通り抜けることができる。


 誰にも気づかれずに、外の夜へと姿を消した。


 「さてと……ワシが最後かもしれんのじゃ」


 月明かりだけが照らす静かな通りに、白い着物の上からローブを纏ったルカの姿が浮かび上がる。


 だがその姿に、すれ違う人々が気づくことはない。


 気配遮断の効果は完璧であり、まるで存在そのものが夜に溶け込んでいるかのようだった。


 やがて、前方からふらつきながら酔っ払いが二人現れる。


 「うぃ~飲みすぎたぁ~」


 「いや~、今夜もいい酒だったなぁ」


 ルカは音もなく歩を緩め、ぶつからぬように路肩へと身を寄せる。


 「お前、最近羽振りがいいじゃねぇか、モヤっさんよ~」


 「うぃ?それがよ!今話題の《うまかっちん》!そこの【唐揚げ】の肉、仕入れてんの俺なんだよ!」


 「うぉ~!マジかよお前!スゲーな!」


 「アバレーに行く奴なんて少ねぇからな?俺はそこを狙ったのよ……見事に大当たりよ~!」


 上機嫌に騒ぐモヤっさんとその友人の声が、夜に反響する。


 「このあとも奢れよな~!」


 「いいぜいいぜ!……ただ、ひとつ気になることがあってさ」


 「なんだよ~?」


 「昔な、海賊相手にちょっと金額ちょろまかしたら、バレちまってさ……危うく命が尽きるところだったんだよ」


 「うっわ、それはヤベー!」


 「……でもな、そのとき俺を助けてくれたのが――真っ黒い鎧の騎士だったんだ」


 そこまで聞いたところで、二人の声は遠ざかっていく。


 ルカは立ち止まり、静かに息を吐いた。


 「……人間というのは、騒がしい生き物なのじゃ」


 そして、街の灯りが届かない公園の奥――噴水の前へと足を運ぶ。


 「......」


 そして噴水の一部分に魔力を流すと噴水の水が鏡のようになる。


 そして――


 とぷんっ。


 水面が小さく跳ねた音と共に、ルカの姿はそこから忽然と消えていた。


 まるで最初から誰も居なかったかのように、夜の公園にはただ静かに、まるで誰も居なかったかのように____


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「……ふむ、到着されたようですね」


 「少し、遅れたのじゃ」


 ここがどこなのかは分からない。

 ただ、石造りの床と壁、中央に据えられた巨大なクリスタルの机、そしてその周囲に配置された七つの装飾付きの椅子――


 すでに六人が着席し、ルカもまた、自らの席へと腰を下ろす。


 それを合図に、静かに報告会が始まった。


 「では、『女神』様の最側近であるルカ様より、ご報告をお願いします」


 シルクハットを被った一人がそう口にし、場が静まり返る。


 ルカは「のじゃ」と一言だけ答え、懐から取り出した巻紙を広げた。


 「『女神』様からのメッセージを、そのまま読み上げるのじゃ」


 場に緊張が走る。


 そして――


 「『やっほー♪ みんな元気ー? 私? すっごーく元気よ☆』」


 ルカの口から、明るすぎる声色で言葉が続けられていく。


 「『こっちは順調すぎて退屈なくらい、キャハハ☆

  神の使徒も全然気づいてないの、バッカみたいよね~♪ まったく、脳みそあるのかしら? 

  キャッキャッキャッ♪』」


 明るい。明るすぎる。だが、その言葉の内容は“異常”とすら言えるものだった。


 「『で、そっちはどう? まさか失敗してないよね?

  早くみんなの顔、見てみたいなぁ~。じゃあね、チュッ♪』……なのじゃ」


 ルカが読み終えた瞬間、誰一人として笑う者はいなかった。


  そして、一人――大仰な動きで拍手を送るものが居た。


 「うおおおおぉぉ!! さすが我らの『女神』様ですぞ! 完璧すぎるですぞぉぉ!! あぁっ、『女神』様ぁぁぁ!!」


 感極まって机に突っ伏す仮面の男。


 それを他の六人は誰も咎めることなく、冷ややかに横目で流しつつ、報告は粛々と進められていく。


 「……で、ムラサメさん。あなたの方は?」


 感情で悶えてるところを呼ばれ、深呼吸して切り替える仮面男。


 「我の方も、順調でございますぞ。校内にすでに潜入し、誰にも気づかれることなく『女神』様のご意志を遂行中……。

  さらにアバレー王国では代表騎士としての立場を使い、内と外、両面から影響を及ぼしておりますですぞ」


 「……結構。あなたのような“器用な方”が居ると助かりますね」


 司会役のシルクハットの男は満足げに頷き、次に視線を移した。


 「では――みやさん、あなたは?」


 名を呼ばれ、椅子にちょこんと座っていた小柄な少女が立ち上がる。白銀の長髪に赤い瞳。

 リュウトパーティーに居る、みやだった。


 「リュ……リュウトパーティーは、現在も魔王攻略を続けております……。

  現時点で『女神』様への敵対意思は、確認……できません……」


 だがその言葉に、空気がぴりりと張り詰める。


 「ほぉ……? あなたのパーティーが、我が商団を嗅ぎ回っていると報告が上がっているのですが?」


 シルクハットの男の声が低くなる。


 「それどころか、私の輸送隊に攻撃をしかけた例もある……。それでよくも、白々しくそんな言葉を吐けますね、小娘」


 「……っ」


 みゃは俯き、反論をしない。

 いや――できない。


 その様子に、男は怒気を抑えきれなくなる。


 「なんとか言ってみろよ……出来損ないの、“元・魔王”が」


 だが、その場の空気を制したのは――意外な人物だった。


 「……みゃは、良くやっている」


 低く静かな声が響く。


 座したまま、黒の鎧に身を包んだ男。

 漆黒の騎士エス――彼の発言に、空気が一変する。


 「え……エスさん?」


 怒りを露わにしていたシルクハットの男が目を見開く。


 「なぜ、庇うんですか……?」


 問われても、エスは視線すら向けずに答えた。


 「事実を言ったまでだ。みゃが此方側についたことで、俺とリュウトが直接衝突することは減った。

  無駄な対立を減らし、標的となるザコ拠点を的確に導いている。……そのぶん、俺は“本命”に集中できる」


 その冷徹な理屈に誰も反論できず、重苦しい沈黙が広がる――


 ……が、そこにまた別の女の声が割り込んできた。


 「……ふぅん? それってつまり、私たちは“雑魚”ってことかしら?」


 テーブルの向こう、真紅の瞳を細めながらナイフをくるくると回す女。

 細身の体にピタリと密着するようなボディスーツのような服を纏い、その目は笑っていない。


 彼女の名は《エンジュ》。


 「……お前がそう思うなら、それでいい」


 エスは相変わらず目を合わせようとすらしない。


 「何十人、何百人で攻撃を仕掛けておいて5人に壊滅させられる奴を俺は“雑魚”と呼ぶ。

  違うか?」


 その言葉を聞いた瞬間、エンジュの手が動いた。


 ――シュッ!


 空気を切り裂く鋭い音。

 一瞬の間に、銀の閃きがテーブルを飛び越え、エスの喉元を狙う。


 しかし。


 「……」


 カチッ。


 エスはそのナイフを、まるで日常の一部のように二本の指で挟んで止めていた。


 「……俺達の間での戦闘は、原則禁止のはずだが?」


 「ふふ……?」


 ナイフを投げた本人は、しれっとした顔で微笑む。


 「“雑魚の攻撃”を“攻撃”と受け止めてくれたのなら、少しは見直すわ」


 「フッ……確かにそうだ、口だけは達者だな」


 「チッ……忘れちゃ困るねぇ。あんたは“『女神』の力”で強いんだ。もし、それがなけりゃ――」


 「なら諦めろ。あるかぎり、お前らは俺に勝てない」


 エスの言葉は変わらず淡々と、だがどこか圧を含んでいた。


 「ちっ……!」


 苛立つエンジュをよそに、シルクハットの男――奴隷商の主は軽く咳払いし、会議を仕切り直す。


 「……わかりました。では、エスさんも、みゃも、エンジュさんも、引き続き“役目”の遂行をお願いします。

 次に、《勇者》ヒロユキのパーティーについて……“ユキナ”さん、状況をお願いします」


 それまで一言も発していなかった幼い少女が、机の端で静かに顔を上げた。

 黄緑のショートヘアに同じ色の瞳。小柄で年端もいかない外見だ。


 「……ヒロユキ、順調。リュウト、同様。魔王攻略、継続中」


 「ふむ……では、特に問題はないということでしょうか?」


 シルクハットの男が確認する。


 「……肯定。しかし、“ユキ”に警戒。私のこと、疑っている」


 一瞬、空気が張りつめる。


 「あの少女か……分かりました、では引き続き、警戒を。情報は漏らさぬように」


 「……御意」


 ユキナは再び口を閉じ、椅子に深く沈み込むように座った。


 「なぁ、おい?……やっと、くだらねぇ会議は終わったのかよ」


 最後に口を開いたのは、一人だけまるで空気の違う男だった。

 ボサボサの髪をかきながら、大きなあくびをかますその男――名はトミー。


 「くだらねぇ……用が済んだなら、俺は帰るぞ」


 「流石、《六英雄》のトミーさんですね。我々の会話などより、また世界でも救いに行かれるのですか?」


 シルクハットの男が皮肉を込めて言うと、トミーは鼻で笑いながら肩をすくめる。


 「あー?おいおい、俺を《六英雄》とか勝手に祭り上げてんのはそっちだろ。俺はただ、強そうなヤツを片っ端から殺してるだけだ」


 その場の空気がわずかに揺れる。

 彼の言葉には、冗談の色はない。


 「今の【勇者】なんざ、正直退屈でなぁ……俺が戦いてぇのは、“完全な状態の【勇者】”だ。魔王でも一匹狩って気を紛らわそうかと思ったが……『女神』様が“まだ駄目”ってよ。ったく、暇で死にそうだぜ」


 「ですが、あなたには『女神』様から“特別な命令”が届いているはず……それはちゃんと遂行しているのですか?」


 「……おいおい。俺が“『女神』様の命令”を無視するわけねぇだろ。お前らとは、そもそも“格”が違うんだよ」


 「違うですぞ? 我こそが『女神』様に選ばれし忠実なるしもべですぞ?何を勘違いしてるのですぞ?」


 「おいおいおいおい?」


 「……ですぞ?」


 二人の火花が散りそうになるが、静かにそれを止める者がいた。


 「落ち着くのじゃ。現在、『女神』様は“器”に縛られ、この世界に完全には現れておらぬ。……もし、この我らが足並みを乱せば――」




 『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』


  『女神』


 ■■■が■■により■切られ、■■■■により■■時、■■により■られ、■■■■に舞い降りた■


 『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』




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