――国王が三人。
土下座という形で、一人の男にひれ伏している。
そんなもの、あり得るのか?
人間の頂点に立つ者たちが……この男の前では、まるで服従を強いられた“下位存在”のようだった。
そして、その男は――
愛染の女王の赤く長い髪を無造作に掴み上げ、冷ややかに言い放つ。
「……“貴様の国を管理していた”【ジェミニ】が死んだ。
――この意味が、貴様にわからぬはずがあるまい?」
「な、なんと……!?」
愛染の女王が言葉を返す間もなく、男はその口元に指を差し入れ、さらに冷酷に言い放つ。
「俺は二度は言わん。
それ以上、“俺が求める言葉”以外を吐くのなら――その口、引き裂いてやってもいいんだが?」
「ひゅ、ひゅいまへん……っ」
普段なら誰もが恐れるアバレーの女王が、涙を浮かべて謝っている。
――そんな光景を前にして、私は思考がまとまらなかった。
《ジェミニ》?
“管理”?
王国を……誰かが、管理していたというの?
まさか、国王である私たちが“表”に過ぎなくて……その裏に、本当の支配者が……?
「そして――【スコーピオ】も連絡が途絶えた。
貴様は、それを知っているか? 小僧」
「は、はい! 私も何度か連絡を試みましたが……繋がらず、何が起きているのか分かりません……!」
「……そうか。素直にそう言えばわかりやすい。
肝心なのは、“行動したかどうか”だ」
男はふっと笑い、そのまま横へと視線を流す。
「――猫の小娘よ。出し抜かれたなぁ」
言葉と同時に、アバレーの女王の身体が空中を舞い、後方の壁に叩きつけられた。
ドンッ……!
「…………」
女王は痛みに耐えながら、その場に倒れ伏し、ゆっくりと土下座の姿勢をとる。
男は立ち上がると、中央に浮かぶ球体のまわりを静かに歩きながら、嘲るように語り始めた。
「人間というのは――実に哀れな生き物だ」
「遠き祖先が、血と命を削ってようやく手にした“自由”という宝を、
貴様らはまるで玩具のように弄び、挙げ句、自らの手で砕く。
愚か――などという言葉では生温い。
“自由”という概念に、もはや耐えられぬのだろう?
選ぶことに怯え、責任を拒み、支配されることでしか安心できぬ。
まさに____見事な退化」
「「「…………」」」
誰も、何も言えなかった。
沈黙が、部屋全体に染みつくように広がる。
そして――
「そこの出来損ない。立て」
サクラ女王が名指しされた。
だが、立たなかった。
いや――立てなかった。
「どうした。……立て」
「……私は……病で……立てません……」
「そんなもの、理由になると思ったのか?」
「……っ」
サクラ女王は歯を食いしばり、両手で床を押しながら必死に身体を持ち上げようとする。
だが――下半身に力が入らない。
感覚すらない身体が、地に這うしかないことを容赦なく突きつけてくる。
もがいて、崩れて、またもがいて――それでも、立てなかった。
その様子を、男はあくまで冷笑と共に見下ろす。
「よく聞け、小娘」
「お前たちの祖先は、今のようなどうしようもない状況から――“立ち上がること”を選び、種を繋いだのだ」
「……だがな。仮に貴様が今ここで立ち上がったとして――その瞬間、俺はお前の足を切り落とす」
「っ……!?」
「そうだ。それが“人間の築いた選択の構造”だ。
――立ち上がっても斬られ、這いつくばっても蔑まれる。
貴様らは、自ら望んでその理を選んだ。……実に滑稽だな、小僧ども」
「……っ……」
男の目に宿るのは、哀れみでも憐憫でもない。
ただ純粋な、“下等な存在”への侮蔑と嗤い――
「出来損ないの小娘よ……」
「お前は、根本を理解していない。王とは何か。責任とは何か。自由とは何か――」
その瞳がぎらりと光る。
「フッ……クク……ハハハハハッ!」
「まぁ当然だ。自らの父を殺し――その意味すら知らぬまま、“王の椅子”に座った愚か者なのだからな!」
「っ!? ……ど、どうしてそれを……!」
「…………」
「な、なんだと!? サクラ女王、それは――どういうことかね!?」
「ほう……? どうやら“知らなかった”のは――ミクラルの小僧、お前だけだったようだな」
「っ……!!」
男の目が、冷ややかに細められる。
「――猫の小娘。なぜ貴様は知っていた?」
「…………妾は……そこのグリード女王と、影で情報を共有しておった。
そして――クーデターの手引きを、妾が行ったのじゃ」
「な……!?」
その瞬間、アレン国王の表情が凍りついた。
――今、彼は初めて真実に触れた。
世間ではカバルト王の死は“隠されたまま”だった。
その死の理由も、背景も、何もかも――
この瞬間まで“偽りの沈黙”で覆われていたのだ。
「猫の小娘よ」
男が静かに、だが容赦なく言い放つ。
「――では貴様は何をした?」
「…………」
「“ことと次第”によっては、この場で死刑だ。今すぐにな」
男は、傍らに転がっていたガラスの玉をつま先で蹴り、
土下座したままの愛染の女王の頭部へと軽く当てた。
コッ……
「それに、魔力を流しながら話せ」
「……はい……」
愛染の女王は震える手で、頭に当たったガラス玉をそっと隣に置き、両手を添える。
そして再び深く頭を垂れたまま、低く、搾り出すように語り始める。
「――王国会議が終わった後、あの小娘から質問を受けたので……それに答えただけです」
「ふむ。何を訊かれた?」
「……『魔王が動き出したのは、本当か?』と――」
「……ハッ!」
次の瞬間、男は――
「ククク……ハハハハハハハッ!!」
喉の奥から震えるような笑い声を上げた。
それは嘲りでも、怒りでもない。**“心底面白い”**とでも言わんばかりに――
「傑作だ! 実に滑稽! ……いや、これは褒めるべきか? そう、そうだな――」
男は笑いながら、サクラ女王のもとへと歩み寄り、
背中に、ためらいなく足を乗せ――踏みつけた。
「ぐっ……!」
「“出来損ないの人間”よ。無知とは、ここまで醜くも哀れなものか。
貴様は根本的な物事を理解しておらず、知ろうともせず、間違いを“正しき行い”と信じたまま死に向かう。
そう――死ぬまで、それが過ちだったと気づかぬままにな」
足に込める力をわずかに強めながら、男は吐き捨てるように続ける。
「――猫の小娘よ、それからどうした?
……どこまで“遊んで”やった?」
「会議の内容を聞かれたので……妾は適当に、新種のアヤカシの名や、
国民の動向など――適当に答えておりました」
男の目が、静かにガラス玉へと向けられる。
――その表面は、何の反応も見せていない。
つまり、それは――真実。
「――よろしい、では次だ……出来損ないで、無知で、愚かなるこの女――その何を、貴様は手伝った?」
「…………」
「……その娘を。国の代表騎士を手玉に取るため、
“確保”しておけと――妾の国で、頼まれました」
「……ふはっ」
「ハッハハハハハハハハ……!」
男は肩を揺らしながら笑い声を漏らす。
「愚かさも極まったな。なんと下劣な……!
本人に敵わぬからと、その身内を狙うとは――
人間の腐りきった性根、その本質をこれ以上なく証明したではないか」
声は冷たいまま、しかしどこか楽しげですらあった。
「……さて。では本題に入ろう。
――この“出来損ない”が、他に何を言っていた?」
「……………………………………………………………………………………………」
愛染の女王は、しばらく沈黙したまま動かなかった。
まるで言葉にすれば、自分がその瞬間に罰せられるとわかっているかのように――
いや、むしろ**“それでも言わなければ、もっと恐ろしいことが待っている”**と悟っていた。
その場の空気は、重く、音すら飲み込むような沈黙に包まれていた。
やがて、ぽつりと――
「……カ、カバルト国王が……」
言葉を絞り出すように、震える声が漏れる。
「……【勇者召喚】の準備を……していると……」
その言葉を聞いた瞬間――
アレン国王の顔が、ピクリとわずかに動いた。
表情は……何も変わっていない。
だがその眼だけが、鋭く細まり、血の気を失ったように冷たくなっていた。
そして――静かに拳を握る。
音は立てない。だが、関節が軋む音が聞こえるような緊張感が周囲を支配した。
口を開かず、ただ静かに――
しかし、そこにあるのは**“言葉では表現しきれない激怒”**だった。
「…………」
沈黙の中、男がわずかに息を吐く。
「フン……出来損ないに、小娘、小僧どもよ」
声には怒気も苛立ちもない。
だが、それが逆に“本気の切り捨て”の冷たさを際立たせていた。
「まずは――貴様らの情報を、整理してやろう。
それぞれが吐いた言葉を照らし合わせ、どれほどの愚かさを積み重ねているか……確認せねばな」
男は悠然と背を向け、中央の席――玉座のような椅子へと歩いていく。
そして、腰を下ろすと、指を一本、軽く鳴らした。
パチン……
その瞬間、土下座していた三人の足元に、光が走る。
キィィィィ……ッ
淡く青白い魔法陣が静かに展開され、
そこに描かれた複雑な紋様が魔力の波動と共に回転し始めた。
「――貴様らを、しばし見物するとしよう。
どこまで這い、どこまで堕ちるか。せいぜい俺を退屈させるな」
そして光が膨れ上がり、三人の身体は――転移魔法陣に包まれ、掻き消えるように消えていった。
誰もいなくなった会議の間――
転移魔法の光が消え、空気すら沈黙を守るその空間に、ただひとり。
男は静かに椅子にもたれ、目を閉じた。
そして――ぽつりと、呟く。
「……ついに、この日が来てしまいましたか」
「――【ネバー】さん」