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第336話 【魔神】

 ――国王が三人。

 土下座という形で、一人の男にひれ伏している。


 そんなもの、あり得るのか?

 人間の頂点に立つ者たちが……この男の前では、まるで服従を強いられた“下位存在”のようだった。


 そして、その男は――

 愛染の女王の赤く長い髪を無造作に掴み上げ、冷ややかに言い放つ。


 「……“貴様の国を管理していた”【ジェミニ】が死んだ。

 ――この意味が、貴様にわからぬはずがあるまい?」


 「な、なんと……!?」


 愛染の女王が言葉を返す間もなく、男はその口元に指を差し入れ、さらに冷酷に言い放つ。


 「俺は二度は言わん。

 それ以上、“俺が求める言葉”以外を吐くのなら――その口、引き裂いてやってもいいんだが?」


 「ひゅ、ひゅいまへん……っ」


 普段なら誰もが恐れるアバレーの女王が、涙を浮かべて謝っている。


 ――そんな光景を前にして、私は思考がまとまらなかった。


 《ジェミニ》?

 “管理”?

 王国を……誰かが、管理していたというの?

 まさか、国王である私たちが“表”に過ぎなくて……その裏に、本当の支配者が……?


 「そして――【スコーピオ】も連絡が途絶えた。

 貴様は、それを知っているか? 小僧」


 「は、はい! 私も何度か連絡を試みましたが……繋がらず、何が起きているのか分かりません……!」


 「……そうか。素直にそう言えばわかりやすい。

 肝心なのは、“行動したかどうか”だ」


 男はふっと笑い、そのまま横へと視線を流す。


 「――猫の小娘よ。出し抜かれたなぁ」


 言葉と同時に、アバレーの女王の身体が空中を舞い、後方の壁に叩きつけられた。


 ドンッ……!


 「…………」


 女王は痛みに耐えながら、その場に倒れ伏し、ゆっくりと土下座の姿勢をとる。


 男は立ち上がると、中央に浮かぶ球体のまわりを静かに歩きながら、嘲るように語り始めた。


 「人間というのは――実に哀れな生き物だ」

 「遠き祖先が、血と命を削ってようやく手にした“自由”という宝を、

 貴様らはまるで玩具のように弄び、挙げ句、自らの手で砕く。


 愚か――などという言葉では生温い。

 “自由”という概念に、もはや耐えられぬのだろう?

 選ぶことに怯え、責任を拒み、支配されることでしか安心できぬ。


 まさに____見事な退化」


 「「「…………」」」


 誰も、何も言えなかった。

 沈黙が、部屋全体に染みつくように広がる。


 そして――


 「そこの出来損ない。立て」


 サクラ女王が名指しされた。


 だが、立たなかった。

 いや――立てなかった。


 「どうした。……立て」


 「……私は……病で……立てません……」


 「そんなもの、理由になると思ったのか?」


 「……っ」


 サクラ女王は歯を食いしばり、両手で床を押しながら必死に身体を持ち上げようとする。

 だが――下半身に力が入らない。

 感覚すらない身体が、地に這うしかないことを容赦なく突きつけてくる。


 もがいて、崩れて、またもがいて――それでも、立てなかった。


 その様子を、男はあくまで冷笑と共に見下ろす。


 「よく聞け、小娘」

 「お前たちの祖先は、今のようなどうしようもない状況から――“立ち上がること”を選び、種を繋いだのだ」

 「……だがな。仮に貴様が今ここで立ち上がったとして――その瞬間、俺はお前の足を切り落とす」


 「っ……!?」


 「そうだ。それが“人間の築いた選択の構造”だ。

 ――立ち上がっても斬られ、這いつくばっても蔑まれる。

 貴様らは、自ら望んでその理を選んだ。……実に滑稽だな、小僧ども」


 「……っ……」


 男の目に宿るのは、哀れみでも憐憫でもない。

 ただ純粋な、“下等な存在”への侮蔑と嗤い――


 「出来損ないの小娘よ……」

 「お前は、根本を理解していない。王とは何か。責任とは何か。自由とは何か――」


 その瞳がぎらりと光る。


 「フッ……クク……ハハハハハッ!」

 「まぁ当然だ。自らの父を殺し――その意味すら知らぬまま、“王の椅子”に座った愚か者なのだからな!」


 「っ!? ……ど、どうしてそれを……!」


 「…………」


 「な、なんだと!? サクラ女王、それは――どういうことかね!?」


 「ほう……? どうやら“知らなかった”のは――ミクラルの小僧、お前だけだったようだな」


 「っ……!!」


 男の目が、冷ややかに細められる。


 「――猫の小娘。なぜ貴様は知っていた?」


 「…………妾は……そこのグリード女王と、影で情報を共有しておった。

 そして――クーデターの手引きを、妾が行ったのじゃ」


 「な……!?」


 その瞬間、アレン国王の表情が凍りついた。

 ――今、彼は初めて真実に触れた。


 世間ではカバルト王の死は“隠されたまま”だった。

 その死の理由も、背景も、何もかも――

 この瞬間まで“偽りの沈黙”で覆われていたのだ。




 「猫の小娘よ」

 男が静かに、だが容赦なく言い放つ。


 「――では貴様は何をした?」


 「…………」


 「“ことと次第”によっては、この場で死刑だ。今すぐにな」




 男は、傍らに転がっていたガラスの玉をつま先で蹴り、

 土下座したままの愛染の女王の頭部へと軽く当てた。


 コッ……


 「それに、魔力を流しながら話せ」


 「……はい……」


 愛染の女王は震える手で、頭に当たったガラス玉をそっと隣に置き、両手を添える。

 そして再び深く頭を垂れたまま、低く、搾り出すように語り始める。


 「――王国会議が終わった後、あの小娘から質問を受けたので……それに答えただけです」


 「ふむ。何を訊かれた?」


 「……『魔王が動き出したのは、本当か?』と――」


 「……ハッ!」


 次の瞬間、男は――


 「ククク……ハハハハハハハッ!!」


 喉の奥から震えるような笑い声を上げた。

 それは嘲りでも、怒りでもない。**“心底面白い”**とでも言わんばかりに――


 「傑作だ! 実に滑稽! ……いや、これは褒めるべきか? そう、そうだな――」


 男は笑いながら、サクラ女王のもとへと歩み寄り、

 背中に、ためらいなく足を乗せ――踏みつけた。


 「ぐっ……!」


 「“出来損ないの人間”よ。無知とは、ここまで醜くも哀れなものか。

 貴様は根本的な物事を理解しておらず、知ろうともせず、間違いを“正しき行い”と信じたまま死に向かう。

 そう――死ぬまで、それが過ちだったと気づかぬままにな」


 足に込める力をわずかに強めながら、男は吐き捨てるように続ける。


 「――猫の小娘よ、それからどうした?

 ……どこまで“遊んで”やった?」


 「会議の内容を聞かれたので……妾は適当に、新種のアヤカシの名や、

 国民の動向など――適当に答えておりました」




 男の目が、静かにガラス玉へと向けられる。

 ――その表面は、何の反応も見せていない。


 つまり、それは――真実。


 「――よろしい、では次だ……出来損ないで、無知で、愚かなるこの女――その何を、貴様は手伝った?」


 「…………」


 「……その娘を。国の代表騎士を手玉に取るため、

 “確保”しておけと――妾の国で、頼まれました」


 「……ふはっ」

 「ハッハハハハハハハハ……!」


 男は肩を揺らしながら笑い声を漏らす。


 「愚かさも極まったな。なんと下劣な……!

 本人に敵わぬからと、その身内を狙うとは――

 人間の腐りきった性根、その本質をこれ以上なく証明したではないか」


 声は冷たいまま、しかしどこか楽しげですらあった。


 「……さて。では本題に入ろう。

 ――この“出来損ない”が、他に何を言っていた?」


「……………………………………………………………………………………………」


 愛染の女王は、しばらく沈黙したまま動かなかった。

 まるで言葉にすれば、自分がその瞬間に罰せられるとわかっているかのように――

 いや、むしろ**“それでも言わなければ、もっと恐ろしいことが待っている”**と悟っていた。


 その場の空気は、重く、音すら飲み込むような沈黙に包まれていた。


 やがて、ぽつりと――


 「……カ、カバルト国王が……」


 言葉を絞り出すように、震える声が漏れる。


 「……【勇者召喚】の準備を……していると……」


 その言葉を聞いた瞬間――


 アレン国王の顔が、ピクリとわずかに動いた。


 表情は……何も変わっていない。

 だがその眼だけが、鋭く細まり、血の気を失ったように冷たくなっていた。


 そして――静かに拳を握る。

 音は立てない。だが、関節が軋む音が聞こえるような緊張感が周囲を支配した。


 口を開かず、ただ静かに――

 しかし、そこにあるのは**“言葉では表現しきれない激怒”**だった。


 「…………」


 沈黙の中、男がわずかに息を吐く。


 「フン……出来損ないに、小娘、小僧どもよ」


 声には怒気も苛立ちもない。

 だが、それが逆に“本気の切り捨て”の冷たさを際立たせていた。


 「まずは――貴様らの情報を、整理してやろう。

 それぞれが吐いた言葉を照らし合わせ、どれほどの愚かさを積み重ねているか……確認せねばな」


 男は悠然と背を向け、中央の席――玉座のような椅子へと歩いていく。


 そして、腰を下ろすと、指を一本、軽く鳴らした。


 パチン……


 その瞬間、土下座していた三人の足元に、光が走る。


 キィィィィ……ッ


 淡く青白い魔法陣が静かに展開され、

 そこに描かれた複雑な紋様が魔力の波動と共に回転し始めた。


 「――貴様らを、しばし見物するとしよう。

 どこまで這い、どこまで堕ちるか。せいぜい俺を退屈させるな」




 そして光が膨れ上がり、三人の身体は――転移魔法陣に包まれ、掻き消えるように消えていった。


 誰もいなくなった会議の間――

 転移魔法の光が消え、空気すら沈黙を守るその空間に、ただひとり。


 男は静かに椅子にもたれ、目を閉じた。


 そして――ぽつりと、呟く。


 「……ついに、この日が来てしまいましたか」




 「――【ネバー】さん」
















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