――転移魔法!?
しかも、今の魔法陣……あれは“事前に仕込まれたもの”じゃない。
あの男が――その場で、個人の魔力だけで発動させた……!
転移された先の空間は、異質だった。
壁も、床も、天井すらも、すべてが白く発光している。
ドアもない。窓もない。家具も影もない。
ただ、光と無機質な空間――それだけ。
「お主は!?」
「どういうことだ、ここは……!」
「っ……! ………………………………お……父……様……?」
振り返った先にいたのは――紛れもなく、カバルト国王。
死んだはずの、私の父。
すべてを終えたはずの、私の王。
なのに今――ここにいる。
「……久しぶりだな、サクラよ」
まるで、懐かしき挨拶のように。
けれど、私の頭の中では警報が鳴り続けていた。
――どうして?
どうしてお父様がここにいるの?
私は、私は確かに……“あの時”……!
もう思考がぐちゃぐちゃで、脳が追いつかない。
さっきから情報量が多すぎて、考えれば考えるほど、知恵熱が出る!
「カバルトおおぉッ!!」
「アレン国王!?」
アレン国王は、カバルトの姿を見るなりその場で吠えるように叫び――
次の瞬間、彼の身体が若々しい筋肉質の青年の姿へと変貌し、その手が父の胸ぐらを掴んだ。
「貴様……! 分かっているのかッ!?」
「――【勇者召喚】が、何を意味するかを!!」
空気がピリピリと震える程のアレン国王の怒声。
だが――
「………………」
父は、なにも言わなかった。
怒りに晒されても、責められても、ただ静かに目を伏せたままだ。
「貴様……まさか……!――自分の娘の命を天秤にかけて、勇者を呼んだというのかッ!?」
……え?
思考が、止まった。
「……お父様……?」
私は震える声で問う。
「……どういうことなんですか……!? 本当なんですか……?」
だが、父は何も言わなかった。
その口は固く閉ざされ、目すら合わせてこない。
「答えてよ!!」
私の叫びが響いたそのとき――
「落ち着くんじゃ、小娘」
声を割って入ったのは、愛染の女王だった。
「そやつには後で、たっぷりと吐いてもらう……じゃが、今は話を整理せんことには始まらん」
そう言うと彼女は私の隣に座る。
「よいしょっと。失礼するぞよ」
「……」
私は返す言葉もなく、ただ隣に座る彼女を見つめた。
「どうした? ソナタたちも座るとどうじゃ?国王が地べたに座るなど、ここでしか味わえぬ場面じゃろ? ……ま、今のグリードの国王はこの小娘じゃがの」
「……チッ」
アレン国王は舌打ち一つ、カバルトを睨みながらもその場に腰を下ろす。
「貴様も座れ」
「…………」
父も、無言のままゆっくりと腰を下ろした。
こうして――
現役の国王が三人。そして元国王が一人。
全員が地べたに座り、白い空間で向かい合うという、なんとも異様な光景が出来上がった。
……まぁ、私は立てないから、最初から座っていたんだけれど。
「――さて、まずは小娘への引き継ぎじゃな」
白い空間に、愛染の女王の声が柔らかく響く。
だがその裏には、王としての威厳がにじんでいた。
「……カバルトよ。お前が話せ」
「妾たちは、嘘がないか耳をすませておる。……あとで何を問われても、すべて正直に答えるのじゃぞ」
「…………娘よ」
お父様――カバルト国王が、私にそう呼びかけた。
……奇妙だった。
私の手で、確かに殺したはずの人。
けれど目の前の“お父様”は、怒るでも、責めるでもなく――ただ昔と変わらぬ、あの穏やかな声で話しかけてくる。
これは……本物なのか?
私の知る、あの優しい父と――同じ人?
「はい、お父様」
「……今から話すことは、すべて“真実”じゃ」
「……はい」
「まず、お前は“魔王”というものを、どう捉えている?」
「魔王……ですか」
私は少しだけ考えてから、今まで学んできた知識を口にした。
「いくつかの説がありますが、どれも共通して――
“かつて【勇者】や【神】によって封印され、今もどこかで眠っている存在”。
それと、すべての魔物を統べる王であり、
その魔力は――一国を吹き飛ばすほどだとも言われています」
「……そうじゃ。お前が知っているそれは、“公に広まっている情報”だ」
「だがな――そこには、ひとつだけ“大きな嘘”がある」
「う、嘘……?」
お父様の声色は変わらない。
だが、その言葉の一つ一つが、まるで心の奥に杭を打ち込むように重い。
そして――
「――魔王は、大昔から“封印”などされてはおらん」
「魔王……いや、“魔王様方”は、遥か昔より我ら人間を――管理してくださっているのだ」
「っ……!!?!」
思考が、一瞬で吹き飛んだ。
管理……
あのとき――あの男が言っていた言葉が、脳裏によみがえる。
『貴様の国を管理していた【ジェミニ】が死んだ』
あれが、“魔王”……?
しかも、父は今――“達”と言った。
「ま、魔王は……ひとりじゃない……?」
「――そうだ」
その一言が落ちた瞬間、
私の身体に、まるで雷が直撃したような衝撃が走った。
全身の神経が一斉に緊張し、脳が一瞬“停電”する。
世界が、真っ白になる――
「ヒュッ……ヒュッ……ヒュ、ッ……!」
呼吸がうまくできない。肺が、働いてくれない。
息の仕方すら忘れてしまうほどの情報の重圧に、私は完全に押し潰されかけていた。
「ほぉ……こやつ、息の仕方すら忘れるくらいの衝撃だったらしいのぅ」
愛染の女王が、どこか楽しそうに呟く。
「……落ち着け、娘よ」
父の声が優しく響いた。
落ち着け……落ち着くのよ、私……
自分にそう言い聞かせながらも、心は嵐の中にいた。
――“根本を理解していない”
あの男の言葉が、今なら分かる。
彼が見ていた視座、彼が言っていた“根本”とは――
私たち人間は、最初から最上位などではなかったのだ。
「……だ、大丈夫です……お父様」
「続きを……どうぞ」
父はゆっくりと頷き、口を開いた。
「――あの部屋の、青い球体を見たな?」
青い球体……そう、先程の部屋。
中央に浮かんでいた、大きくて透明な――あの不思議な存在。
「はい……見ました」
「――あれは、この世界の“形”だ」
「……世界の、形……?」
思わず聞き返していた。
世界の形? あの球体が? 一体どういう意味なの……?
「――あの球体にはな、土地、海、森……そして“領土”――この世界のすべてが記されておる。
あれは、“世界そのものの地図”なのだ」
「っ……え!?」
まさか。そんなものが……
でも――父の目は、冗談など一切含まれていなかった。
「そして――この世界には、もはや我ら“人間の領土”など存在しない」
「っ……!? ど、どういうことですかそれ……!」
「だって、私たちは……《開拓》で、人類の未来を切り開いて――!」
「そう。だが――どうして“上位冒険者”の数が、あまりに少ないと思う?」
父は静かに、しかし確実に言葉を突き立てる。
「《開拓》で“真実”を知った冒険者はな――
そのまま“魔王様”や、“その民”の――餌にされていたのだ」
「そ、そんな……っ」
言葉が、喉で止まった。
何も言えなかった。いや、言葉を紡げる精神が残っていなかった。
「人間の力なぞ――魔王様方にとっては、取るに足らぬもの。
それゆえに、我らは……決して逆らってはならぬのだ」
「………………」
心が、沈む。
感情が、剥がれていく。
【私たちは、どこまで行っても“支配される側”なのだ】
過去も、現在も――そして未来も。
“自由”など、初めから存在しなかった。
「えっ……“餌”って……どういう意味……?」
「それは……」
お父様――カバルト国王が、初めて言葉に詰まる。
口を開きかけて、何かを飲み込むように、黙り込んだ。
その沈黙を、代わりに破ったのは――愛染の女王だった。
「……魔王様たちの民――つまり、“魔族”の話になるんじゃ」
「魔族……?」
「そうじゃ……魔族じゃ」