「魔族……?」
「そうじゃ。――魔族じゃ」
愛染の女王は、少し声を落として、
まるで昔語りをするかのように、ゆっくりと続きを話し始めた。
「魔族とは……魔王様が造り出された生命体のことじゃ。
彼らはそれぞれ、“魔物”のような特徴を持っておる」
「魔物のような……特徴?」
私は思わず、愛染の女王の頭を見て、言葉をこぼした。
「たとえば、あなたのような――耳や、尻尾ですか?」
すると、女王の長く赤い耳がピクッと動いた。
「ふふ……これは違うぞ、小娘。これは“魔族の証”ではない」
「え……?」
「我らの耳と尻尾はな――
遠い昔、先祖たちが【動物】というものの“姿”と“加護”を受けたときに形作られたもの。
いわば、力を授かる際の器の変化じゃ」
「どう、ぶつ?魔物ではなくて?」
「そうじゃ……そして、妾の国を納めてくださっていた魔王様は――」
「【ジェミニ】様達」
愛染の女王は、静かに名を口にした。
「【ミラ】様と、【かえで】様。……その御二方は、魔族と共に“鏡の世界”におられた」
「鏡の世界?」
「そう。そして__魔王様方に国を“管理”していただく代わりに――我らは、“生け贄”を差し出す。
それが人間の国王と魔王様の間に交わされた契約。
……我らが生きながらえるための、唯一の条件じゃ」
「……い、生け贄……」
震えが止まらない。
自分たちが“守られていた”のではなく、“飼われていた”と知ってしまった今、
もはや王であるという自負も希望も、ぐらりと傾く。
「し、しかし……!」
「そのような生け贄を捧げていたら……誰か、魔王様の存在に気づくのでは……!?」
私は、最後の“現実的な疑問”にすがるように問いかけた。
そのときの愛染の女王の返答が――さらに、深く私を突き落とすことになる。
「……生け贄になったのは、妾たち本人ではない。**鏡の中の“妾たち”**じゃ」
「……? 鏡の中の……?」
「小娘、お前――鏡の中の“自分”から、助けを求められたことはないか?」
愛染の女王の声が、妙に低く、静かに響く。
「――鏡に映った自分の顔。
ふとした瞬間に、その表情が、本当の自分と違っていたことはないか?」
「…………っ」
「たとえば、一度まばたきをした瞬間。
鏡の中の“自分”が……何かに怯えた顔で、助けを求めていた。
二度まばたきをすると、今度は……血を流し、酷く傷ついた姿になっていた。
三度まばたきをしたとき――鏡の中の“自分”は、もう消えていた」
「…………っ、そ、それは……」
「妾のような“獣人”は、元から鏡に映らぬ者も多い。妾も含めて、のぅ」
愛染の女王の表情には、どこか冷めきった諦めと、それでもどこか遠い哀しみがあった。
「じゃが――我らは、一切の痛みを感じぬ。
たとえ鏡の中の“影”が引き裂かれようと、血を流そうと、本体の我らは無傷じゃ。
……だからこそ、“都合が良い”生け贄だったのじゃろうな」
「……そうなると、ミクラルも……私たちの国も……」
「無論。各国、それぞれの魔王様へ“献上”していたのじゃ」
私は、お父様の方を振り返った。
お父様は、何も言わずに――静かに、頷いた。
知らないうちに……私の国も、生け贄を捧げていた……?
じゃあ……誰を? 何を? 私は、何を差し出してきたの?
「グ、グリードは……?」
問いかける私に対して、お父様はいつものように、ゆっくりと答える。
「……グリードの“管理者”は――【キャンサー】様」
「このお方に仕えていた魔族は、“肉体を持たぬ生命体”だった」
「……身体を持たない?」
「そうだ。だからこそ、肉体を与えるために……本来は、生け贄を捧げる必要があった」
「……」
「だが――【キャンサー】様は慈悲深いお方だった。
“ひとつの契約”を提示されたのだ」
「契約……?」
「【キャンサー】様が“指定したひとり”を捧げれば、それで良い。
他の誰も、生け贄にしなくていい……それが、条件だった」
――それは、いくばくかの希望に聞こえた。
だがその直後、お父様は――私の心を切り裂く名前を、口にした。
「……サクラよ。
“ヨル”のことを、覚えているか?」
ヨル――それは、私の《母》の名。
なぜ今――その名が、出てくるの……?
まさか……いや、まさか。
「はい……お母様は、私が大きくなるまで育ててくださいました……
私が王女として仕事ができる歳になる頃……まるで“役目”を終えたかのように、病で……」
お母様のことは、今でも忘れていない。
泣いているときも、寂しい夜も、嬉しかった日々も。
いつも、私のそばに――優しく、温かい笑顔でいてくれた。
今でも、お母様の笑顔を映した魔写真のペンダントは……
あの城の、誰にも触れさせず、大切に……私が保管している。
あの日――
突然、倒れたお母様。
そして数日後には、葬式が開かれた。
……城の中で、私は、何もできなかった。
ただ泣くことしかできなかった――
あの時の悲しみは、今でも胸を締めつけるのに――
「……ヨルは、お前を産んだ直後に――“生け贄”になった」
……え?
「お……お父様……?」
「【キャンサー】様が“選んだ”のは……我が妻、ヨルだった。
だが、妊娠中だったヨルは、願い出た。
“せめて、この子を……サクラを産んでから”と」
「うそ……やめて……
お母様は……たしかに、生きて……私を……」
「――お前の記憶にある“ヨル”。
それこそが……身体を得た【キャンサー】様そのものだった」
心臓が止まったように、全身の血が冷たくなる。
それなら――
あの微笑みも、あの声も、
あの手のぬくもりも、全部……あの人は……
「っ――!!」
こみ上げてくる吐き気。
全身が拒絶反応を起こしている。
……あのお母様は、お母様じゃなかった?
記憶の中の、あの微笑みが――
あの温もりが、もう、何なのかわからない。
「どうして!! どうしてそれを――承諾したんですか!!」
「……国のためだ」
「一人の犠牲と、国民の命。比べるまでもない」
「ヨルも……仕方ないと、納得してくれた!」
父が立ち上がり、怒鳴る。
上から、声を荒げて――それでも、私は受け止められなかった。
「違う……! 違う、違う、違う、違うっ……!!」
「そうやって! そうやって国国国って!!
――だから、だから貴方は……貴方は私にっ!!」
もし今、足が動くなら。
私はこの人の頬を叩いていた。
……だって!
「なんで貴方は、昔から――
家族を! 一番近くにいる家族を! 大切にしなかったのよ!!」
「……家族、を?」
「そうよ!!!」
「貴方は“国のため”ばかりで……
私も……お母様も……ずっと、後回しだった……!」
お母様。
――たしかに“本物”じゃなかったかもしれない。
けど……あの人が私の前で流してくれた涙や、笑顔は――
……たしかに、私の“母”だった。
「それは――違うぞ、サクラ女王よ」
「アレン国王……?」
「座れ、カバルト。……みっともないぞ」
「……」
父はしばらく動かなかったが、やがて静かに腰を下ろす。
「こいつはな、サクラ女王……」
「ひとつ前の《王国会議》で、【キャンサー】様から“次の生け贄”の要求があったんだ」
「――それは、お前だった」
「……っ!?」
「【キャンサー】様は、我々の目の前でそれを明言された」
「…………」
「お……お父様?」
「……わかるな? サクラ女王」
「――こいつは、“お前のため”に【勇者召喚】を行ったんだよ」
「……すまない、サクラ……」
「――――――――――――――――ッ!!!!!!!!」
わからない――わからないわからないわからないわからないわからないわからない――!!
ぐちゃぐちゃだ!!
私は何も知らないのに!
お父様が私のために……勇者を?
勇者を召喚して、魔王を倒す……?
魔王って、なに?
国王って、なに?
魔族って、なに?
国って、なに……?
【勇者】って……なに……?
――何も、何もわからない……!!
私は……
私は、お父様を――……
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「……引き継ぎは、終わったようじゃの」
「サクラ……?」
『……えぇ。終わったわ。』