『ふーん、大体話はわかったわ』
「サクラ……?」
目の色が、変わった。
――深紅に。
空気が変わった。何かが“切り替わった”のだ。
その場にいる全員が、それを直感で理解した。
『お父様ぁ……♪ 私のために【勇者】を召喚してくださって……ありがとうございまぁす♡』
「………………?」
カバルト王が目を見開く。
――“娘”のはずの彼女から、まるで“別の存在”の声が響いていた。
『ふふ、ほんっと親バカなんだから♪』
サクラ女王は、笑う。
ひどく無邪気に、ひどく狂ったように。
『なるほどなるほど……ふふっ、そういうことねぇ?』
赤い瞳で、部屋の全員を見回すと。
『――気づいてるんでしょ?』
『もうあなたのターンは終わり。ここから先は……見ちゃ、ダ・メ・よ♡』
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「知識とは毒だ――それを喰らった瞬間、己の過去も現在も未来すらも、全てが別物へと変貌する。無知は恥だが、時にそれは……幸福と同義でもあるのだろうな」
魔神は頬杖をついたまま、ゆっくりとその瞳を閉じた。
手には、一枚の魔皮紙。
それはまるで血で濡れたかのように――真紅に染まっていた。
「……さて。あの出来損ないも、ようやく“根本”を理解したか」
「ならば、そろそろ《答え》を――」
ピタリ、と。
言葉が止まる。
「…………誰だ。そこにいるのは?」
魔神は後ろを振り向かないまま、問いかけた。
――この部屋には、“本来”なら一人しかいないはずだ。
ここは【魔王の間】。十二の玉座、その全てが空席。
座しているのは、ただ一人――魔神のみ。
だが、その声は確かに――“そこ”にいた。
「さすがっ【魔神】の座を獲っただけのことは、あるねっ」
艶やかな白髪。
透き通るような肌に、整った少女の顔立ち。
そして、その瞳には――赤い蛇の紋章が、ゆらりと揺れていた。
「フッ……久しいな、“みや”。貴様など、とっくに滅びたものと思っていたがな」
「ぁぃにくっ、わたしは……しぶといのっ」
「俺を殺しに来たのか? この“座”を奪うつもりで」
魔神は静かに立ち上がり、ゆっくりと振り返る。
だが——
「ざんねんだけど、ゎたしはもぅ……その座に興味なぃのっ」
「……ほう?」
魔神の眉が僅かに動く。
だが、“みや”は逸らさず、まっすぐその瞳を見返した。
「せかぃも、ちからも、ましんも、なにもかも……どぅでもぃぃの、リュウトさぇ、いれば——それでいぃのっ」
その言葉を聞いた魔神は、堪えきれずに哄笑を上げた。
「ククク……ハーハッハッハ!これは傑作だ!人間に恋をした『魔王』とはな!まったく、滑稽にもほどがある!」
笑いながら、魔神の双眸がじり、と少女を貫く。
「その身体が“人の形”で良かったな。貴様の本当の、醜悪な姿を見て――そいつは果たして、同じ言葉を返せるか?」
「リュウトは……それでも、わたしを仲間として見てくれるっ!」
「……ほぅ。俄然、その人間に興味が湧いた。化け物を“仲間”と呼ぶ愚か者か、それとも――化け物さえ従える器か」
「リュウトは、馬鹿じゃなぃっ……!」
みやの声がかすれながらもまっすぐ響く。
魔神は、ふんと鼻を鳴らした。
「ならば問おう。俺を倒す気も、魔神の座を求める気もない……貴様がここに現れた目的は、何だ?」
「【ある人】からの――ぁいさつっ」
「ほう?一体、誰のだ?」
その瞬間。
発動されていないはずの転移魔法陣が、魔神の背後で唐突に光を帯び、動き出した。
「……来たか」
転移が終わると同時に現れたのは、国王たち四人。そして――その中心に、サクラ女王が“立っていた”。
『あらあら、ひとり増えてるじゃない?』
魔神が即座に反応する。
その指先から、音を裂くような圧縮された空気の弾が放たれ――サクラ女王の足を狙う。
『キャハッ♡あっぶな~い♪』
発射された弾丸は、彼女の肌に届く寸前で魔法陣のバリアにより霧散し、虚空に溶けた。
『せっかくレディが立ってあげたのよ? もっと驚いてくれなきゃ、つまんな~い♡』
「……フン。久しいな、『女神』」
その名が発せられても、周囲の国王たちに反応はない。
否――よく見れば、その瞳は微かに濁っており、虚ろで焦点が合っていない。
まるで、感情も意思も――どこか別の場所にあるかのように。
魔神は小さく舌打ちし、状況を即座に見切った。
「貴様……ついに“自分で舞台に降りた”か……」
女神は、嗤う。
『ピンポ~ン♡ピンポン♡ピンポン♡ 正解っ♪ 時間が惜しかったから軽~くしか呪いかけられなかったけど、これからはこの子たち……私の“オモチャ”として、いーっぱい遊ばせてもらうつもりよ♡』
彼女は子供のような声色で、まるでおままごとの延長のように口にする。
『それにしても、本当に……よくできましたぁ♪ えらいえらい♡ ナデナデしてあげよっか? 昔みたいにぃ、ねぇ?』
「――黙れ」
その低く、鋭く、張り詰めた声が放たれた瞬間、
空気が張りつめ、空間がピシリと軋む。
『きゃはははっ! 「黙れ」だって! 聞いた!? 聞いたお父様っ!? ウケるぅ~~~♡』
女神は背筋を反らしながら、胸を抱えて笑い出す。
『は~っ♡ 最高に愉快だわぁ……神に向かって、その口のきき方ぁ♡ ねぇ、魔神クン? 今の自分が、何に“逆らってる”かわかってる?』
その声に呼応するように、
女神と魔神、双方から放たれる魔力が空間そのものを軋ませ、世界の理すら歪めていく。
そんな凄まじい圧の中に――
ひとつだけ、小さな震える声が割って入った。
「ぉ、ぉ久しぶりですっ……主様……」
場違いとも言えるその声には、はっきりと“畏れ”が滲んでいた。
『ん~?』
女神は“みや”をまっすぐに見つめた。
その視線が、彼女の目に宿る“蛇の紋章”に吸い寄せられるように留まる。
『あ……まさかニョロニョロちゃん?』
「は、はぃ……」
『うっそ~♡ 懐かしすぎるぅ♪ 元気だった~? キャハハッ♡』
女神は無邪気に手を振り、にこにこと笑う。
だがその笑顔のまま、次の瞬間――
“みやの首”が、何かに絞め上げられる。
「ッ……ぐ……!!」
それは見えない“手”による首締めだった。
魔力による、触れない拷問。
『……あんたさぁ……マジで、何なの?』
声が――変わった。
冷たく、静かで、酷く理不尽で。
『折角、わたしが“特別”に力を分けてあげたってのに、やることって言ったら――
弱っちい人間とか、しょうもない魔物相手にイキって遊んで……
いざ本当に“強いヤツ”が来たら速攻で死んで、のこのこ戻ってきてさぁ……』
女神はクスクスと笑いながら、みやに顔を近づける。
その眼は“光”を持たない深淵。
『ねぇ……殺されに来たの?』
「……ッ……!」
『う~~ん♡ どうしよっかなぁ……この目ん玉ぐりぐりして潰してから、奥の視神経をズルッと引っ張って抜いちゃおっか♡ あ、でも先に片耳ちぎるのもアリかも♪ ねぇねぇ、どれがいい? 選ばせてあげよっか?♪』
体験として身に覚えがある言葉を投げかけられ、みやの肩がビクリと跳ねる。
――脂汗が首筋を伝う。
震える手で胸元を握りしめるようにしながら、彼女は喉を詰まらせるように言葉を漏らした。
「や、……っぱり……考えっ、が……同じ」
『考えが同じ?』
女神は不快げに笑うと、かけていた拘束魔法を解いた。
全身に走っていた痺れが抜け、みやは床に手をつく。
「カ、ハ……っ、はぁ……はぁ……」
「ふふ……どうやら、全知全能を気取る貴様でも“知らない”ことがあるらしいな」
『黙りなさい♪ ピーピー泣いてたチビが調子にのるな♪』
「貴様っ……!」
みやは顔を上げ、必死に視線を逸らさぬよう踏ん張る。
そして、震える手で懐から一枚の魔皮紙を取り出した。
「……私は、ただ……【あの方』の言伝を届けに来ただけですっ」
魔力を通す。
瞬間、魔皮紙がビィィン……と低い振動音と共に光を放ち、空中に映像を映し出す。
女神が目を細め、魔神の周囲の空気が静止する中――
モニターの先に、姿を現したのは。
{【ご機嫌よう♪ 魔王の神様♪ そして……初めまして、“お母様”♪』}
どこかの家の居間のような場所。
木の椅子に足を組んで座り、カメラ越しにこちらを見つめながら微笑んでいる。
{【キャハッ♪』}
【アオイ』だった。
その笑顔は不気味で、そして美しかった。