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第343話 出発前に言いたいこと

 ――《沼地》。


 ここはアバレー王国のすぐ近くにある、広大な湿地帯。

 かつて『山亀』が通り、地盤を崩したことで生まれたこの地は、今ではアバレー管轄の狩り場として冒険者たちに利用されている。


 「ここに拠点を構えるッチュ」


 チュー太郎が馬車から降り、少し歩いた先――五分ほどの開けた場所にテントを張ると言い出した。

 どうやら、帰りの馬車もこの場所に迎えに来るらしく、それを見越しての判断らしい。


 「(なるほど、こういうのも冒険者の常識なのかも)」


 アオイは周囲を見渡しながら、心の中でひとつ頷いた。


 「ウッシ、さっそくテント張るかぁ」


 「トラララ、任せるトラ~!」


 そんな二人の声に合わせて、チーム全員がテントの準備に取りかかろうとした――その時。


 「え、えっと……テント張りとか、雑用は僕に任せてください!」


 慌てたようにアオイが手を上げて言うと、三人はちょっと驚いた顔で振り返った。


 「トラ? でも一人でやるのは面倒くさいだろトラ?」


 「いえ……皆さんは武器の手入れとか、やることがあると思いますし……。本当に、任せてください!」


 その言葉に、トラ五郎が少しだけ目を丸くする。


 「そ、そうトラ……?」


 アオイ以外の三人はお言葉に甘えて、それぞれ馬車から武器や装備を取り出し始めた。

 その間に、


 「さて、っと……」


 アオイは指先から【糸』を伸ばす。


 「じゃ、お願いね」


 【糸』は空中をすい、と漂いながら、アオイの意志のままに動き出す。

 杭に巻き付いて地面に深く沈み、テントの中へと滑り込むと――内側から器用に押さえ、形を整えていく。

 気づけば、ものの五分ほどで立派なテントが完成していた。


 「よしっ!」


 ほどなくして、三人が武装を終えて馬車の陰から現れた。

 アオイは最初から魔法使い風のローブを身につけていたが、三人は鉱石や甲殻類を素材にした防具に着替えており、現地で装備を整えたようだ。


 「おかえりなさいっ」


 「おー……ほんとに出来てるトララ!」


 「噂通りッチュね……」


 「ウッシ……妖精を操るって話、あながちウソでもなかったか……」


 予想以上の早業に、それぞれが素直な感想を口にする。


 「妖精って?」


 「ウッシ、小さな人間の形で虫の羽を持った、大昔の生き物ウッシ。

 でも性格は獰猛で、群れで人間を襲い――その歯でゆっくり噛み千切るらしいウッシ……」


 「こ、こわい……それを僕が操ってるって噂なんですか?」


 「例えウッシ。あくまで、そういう噂ウッシ」


 「(……俺のいた世界の“妖精”とだいぶ違うんだけど)」


 「まぁまぁ、そんなことはどうでもいいッチュ!これで準備は万端ッチュね!

 後は荷物を馬車から――」


 「あ、それももうやっておきましたよー」


 「!?」


 三人は弾かれたように馬車へと駆け戻った。

 そこには――本来なら置かれているはずの魔皮紙、回復瓶、道具袋の姿がすでになく。


 「な、ないトラ……!」


 「ど、どういうことッチュ!?さっきまで確かにあったのに!」


 「ウッシ、いつの間に……!?」


 呆然とする三人の前で、アオイは仮面越しにふふっと笑っていた。


 「ど、どうやったっチュ!? 今ずっと会話してたッチュよ!?」


 「あ、えへへ……秘密かな?」


 アオイは、実は馬車の中でこっそり【糸』を使って、すべての荷物に糸を張っていた。

 そして会話中に、それを静かにテントへと“転送”していたのだ。


 「じゃ、じゃあ……後は歩きながら話すッチュ!」


 「これだけ準備が早いと、本当に楽ウッシなぁ」


 「ありがと♪」


 ――こうして、予定よりずっと早く支度を終えた四人は、沼地の中を目的地へと歩き始めた。




 「えーっと、確か……こうして……」


 アオイは歩きながら、ブーツにそっと魔力を流し込む。


 ぬかるんだ泥の中を歩いているはずなのに、足元は不思議なほどきれいなまま。




 「おっ!? それはもしや、最近出た《ヌルクメルブーツ》トラ!?」


 「うん、そうだよ」


 「こ、これはアバレーとグリードの共同開発で生まれた最新型の防具トラァ!! ぬかるみ無効は神性能トラ!」


 「そ、そう? 知らなかった」


 (……お店のおじさんが「可愛い子にはこれがおすすめだよ」って言ってたから買っただけなんだけど)




 トラ五郎はうらやましそうにブーツを見つめながら、鼻息を荒くし始めた。


 「……ッハァ……ハァァ……!!」


 その変態めいた様子に、すかさずチュー太郎のツッコミが飛ぶ。


 「落ち着くッチュ!」



 「いてっ!」


 「まったく……女性を見て興奮してる不審者に見えるッチュよ!」


 「いってーな! そんなつもりはないトラ!」


 (……ああ、ほんとに……これ、嫌い)




 そんな空気の中、アオイは静かに口を開いた。


 透き通るような、だけどどこか突き刺さる声で。




 「……あの、一ついいですか」


 三人の目が彼女へと集まる。




 アオイは仮面越しに、真っ直ぐに彼らを見て言った。






 「僕を――女として見ないでください」




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