「僕を――女として見ないでください」
アオイは、空気が悪くなることを覚悟のうえで、その一言を口にした。
けれど――
「あ、ご、ごめんッチュ。今後気をつけるッチュ……」
返ってきた返事は、あっさりとしていた。
むしろ、予想していたような気まずさや驚きはまるでなくて。
……それもそのはずだった。
冒険者という職業柄、性別以上に“強さ”が重視される世界。
実力のある女性冒険者は少なくないし、むしろ「女性扱いしない」ことこそが礼儀であるという空気も、実のところ根付いている。
だが、チュー太郎たちがアオイに対してつい女性扱いをしてしまったのは――
彼女が“あまりにも”女性らしく見えすぎてしまったからに他ならなかった。
「う、うん……えっと、そ、そういえば!あの、《モロシイタケ》ってどこにあるんですか?」
拍子抜けするほどあっさりした反応に、アオイは思わず話題を逸らした。
照れ隠しのように、声が少し上ずっていた。
「それはッチュねぇ、もう少し歩いたらわかるッチュ」
そのまま、特に会話もせずに二十数分ほど沼道を進んでいくと――
「ウッシ! 居たウッシ!」
ウシ沢が沼の向こうを指さす。そこには、カバのような図体に、猪のような立派な二本の牙をはやした魔物が、ぬったりと水辺に現れた。
「あれは……どこにでもいる【沼豚】だよね?」
アオイも冒険者になってから何度か見かけたことのある、草食性の魔物だった。
「そうっチュ。でもね、ここの個体の主食は《モロシイタケ》ッチュ。つまり――あいつがいる場所の近くには、モロシイタケが生えてる可能性が高いッチュよ」
「なるほど……ちなみにだけど、その【沼豚】って、狩ったりするんですか?」
本来、冒険者たちは道中の食料確保のため、草食魔物を一匹は狩るのが通例だったが――
「(……俺、魔物が狩られるところ、あんまり見たくないんだよな)」
アオイはふと、目を伏せた。
「あぁ……噂には聞いてるッチュ。とりあえず食材は、また君の見ていないところで取ってくるっチュ。だから、噂の料理をお願いするッチュ」
「ごめんなさい」
――冒険者で魔物が倒せないなんて、なんで冒険者をやってるんだ、って思われるかもしれないけど……
「(毎回これを言うとき、心が痛むなぁ。でもこの職業しかやれないんだよぉ俺)」
異世界に“途中から”やってきたアオイにとって、他の職業はなかった。
それに、
「(下手に“アドベンチャー科”を卒業したことになってるから、他の職業より冒険者をすすめられるんだよなぁ、いつも)」
ギルドカードを作ったとき、なぜか“モルノスクール”を卒業していたことになっていた。
一体、【誰がそんな事をしたのか、そのせいで必然的に冒険者になるしかなかった』。
「いいっチュ。それに、あいつはこっちが襲わない限りは襲ってこないッチュ。とりあえず、このエリア周辺をくまなく探すっチュよ〜!」
「はーい」
それぞれが沼の中で手分けして探しはじめる。
倒れた木、じめじめと湿った苔地、岩陰にできたちいさな影……。
その中でアオイは、三人がこちらを見ていないのを確認すると、すっと沼の水面に手を差し入れた。
「ほい、【武器召喚』」
【糸』は地面を這うように、まるで木の根のように静かに広がっていく。
その探査範囲はおよそ十キロ四方。
派手さはないが、抜群に効率的だった。
「なるほど、近くにあるな……でも……」
《モロシイタケ》がある場所は、【沼豚】の巣のようだった。
ぬかるんだ地面に倒れた木、その隙間の奥に、件のキノコは群生している。
そのすぐ手前では、【沼豚】が半身を泥に沈めて、ぐぅぐぅと寝息を立てていた。
「(……あれ、巣なんだろうな。だとしたら……少しだけ、もらうよ)」
アオイの【糸』はそっと【沼豚】の体内に入り込み、【起きれないようにした』。
無理に近づく必要はなかったが、あくまで“自然に行動しているフリ”をしなければならない。
三人に魔法の存在を悟られぬよう、アオイはわざと忍び足で、ゆっくりとその倒木のほうへ歩き出した。
「トラ!?」
最初に気づいたのはトラ五郎だった。
他の二人もすぐに状況を察したが――誰も声を上げることができなかった。
アオイはすでに【沼豚】のすぐ横まで来ていたのだ。
ここでうっかり声を出せば、魔物が暴れてアオイに被害が及ぶ。
それだけは、どうしても避けたい。
アオイは静かに膝をつき、倒れた木の間へと身をかがめる。
「お、やっぱりいっぱい生えてる♪」
その奥には、見事な《モロシイタケ》がぎっしり。
肉厚で、しっとりと濡れたような艶を放っている。
「てか……椎茸って名前なのに、形はどう見ても松茸なんだけどなぁ……この世界って、なんか惜しいっていうか、ズレてるっていうか……」
アオイはポケットからハンカチサイズの【転送魔皮紙】を取り出すと、
《モロシイタケ》をひとつずつ丁寧に抜いて、拠点のテントへと転送していく。
「えーっと、確か依頼数は……」
【転送魔皮紙】と連動したもう一枚の魔皮紙を確認。
そこには、必要数と送った数が自動で記されていた。
ちなみに《モロシイタケ》に不良がある場合は転送されてもカウントされない。
できる限り綺麗なものを選んだつもりだったが――
「ありゃ、あと15個も足りない……」
どうやら、今回はかなり厳しい判定らしい。
「ってことは……依頼人、貴族かなんかかな? あ、そういやチュー太郎さんが“プラチナに上がれる”って言ってたっけ……これが理由、だったり?」
依頼によっては、同じ素材でも取得ポイントが高くなる場合がある。
その理由は、おおむね二つ。
・依頼主が貴族や資産家などで報酬が潤沢
・周辺に強力な魔物が出没し、採取の難度が跳ね上がる時期だから
「……とりあえず、外に出て知らせよう」
ぎぃ、と倒れた木の中から、アオイの丸いお尻が、泥をつけながらぬるりと現れる。
そして、彼女の身体がさらに姿を現すと――
「っ……」
三人の視線が一瞬だけ、ぴたりと止まった。
胸だ。
腹よりも、顔よりも先に突き出たその膨らみは、滑らかなローブの下で“形”を主張するようにむっちりと張っていた。
さらに、ぬかるみの泥が雄(オ)ッパイのその先端にべったりとついていた。
そのまま【起きることのない魔物』から距離をとり、【糸』を素早く回収。
そして、三人の前に何事もなかったかのように戻った。
三人は――何かを言いかけたが、アオイが先に口を開いた。
「心配かけてごめんなさい。でも、この装備……隠密行動に特化した魔法が組み込まれているんです」
「そ、そっか……なら、いいっチュけど……」
「えへっ、ごめんなさい。実際に見せたほうが早いかなって思っちゃって」
――もちろん、そんな魔法は最初から存在しない。
アオイがローブの下に着ているのは、近くの雑貨屋で買った安物の私服。
魔法が付与されているのは、ローブのごく一部と、ブーツ、そして手袋だけ。
「それより、けっこうありましたよ。あの中、半分くらいは取れました」
「おおっ!? 本当トラかっ!」
「もう依頼数の半分超えてるッチュ!? 早すぎだっチュ!」
「噂って……このことだったのかウッシ!」
「アヤカシは狩れないけど、こういう作業は得意なんですよ。……まぁ、だからこそプラチナに上がれないんですけど、はは……」
アオイの言葉に、三人はそれぞれ微妙に気まずそうな顔を見せつつも、その手際の良さに素直に舌を巻いていた。
そして――
「……もしかしたら!」
チュー太郎が、何かを閃いたように手をポンと打った。
「これなら、アレ……アレも取れるかもしれないッチュ!」
「アレ?」
アオイが首を傾げると、チュー太郎はやや緊張を含んだ表情で、沼の奥――濃霧に包まれた方角を指さした。
「……巨大なアヤカシ――【沼大蛇】の巣ッチュ!!」