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第345話 【沼鋏】狩り

 「【沼大蛇】?」


 アオイは聞きなれない魔物の名前に、仮面越しでも分かるくらい小さく首を傾げた。


 「ここからちょっと歩いたところに、洞窟があるッチュ。その中に沼大蛇が巣を作ってて、そこには大量のモロシイタケが生えてるって噂ッチュ」


 そこまで聞いて、アオイはピクリと肩を動かした。


 「あ、あぁ……(つまり……俺が行くのね……)」


 「いけそうッチュか?」


 「う、うん、たぶん、でき……ます。たぶんっ」


 語尾が少しだけうわずる。

 アオイの声はいつもどおり丁寧なのに、仮面の奥では確実に動揺していた。


 「その、沼大蛇って、どんなアヤカシなんですか?」


 「大きな頭がふたつある、ニョロニョロしたやつッチュ!」


 「(ざっくりすぎるよ!?チュー太郎さん説明がざっくりすぎるよ!?)」


 「な、なるほどです……」


 「トラララ……しかしチュー太郎よ。わざわざそんな危険な魔物に挑まなくても、他のモロシイタケを探すという手もあるのではないか?」


 「ふふふ……でも考えるッチュ」


 チュー太郎は自信満々に腕を組んで、アオイを見た。


 「今までの噂、そして今さっきの無駄のない動き……チューには分かるッチュ……アオイ、伝説の――【忍者】の末裔っチュね!!」


 「な、なんトラ!?」


 「ウッシ!?!?」


 「…………………………(えええええええええええ!?!?!?)」


 アオイの頭の中は一瞬でパニックになった。

 でも――


 「(ていうか、“忍者”ってこの世界に居るの!?なんで!?)」


 「(いやいや!あれって日本の暗殺者とかでしょ!?いや、よく知らないけど!?)」


 「(……でも、なんか……かっこいいかも)」


 内心ぐるぐるしながらも、アオイの目が少しだけきらりと光った。

 そう――アオイの厨二心には【忍者】というワードはちょっと……刺さってしまったらしい。


 「フッフッフ……バレてしまっては、仕方ないですね」


 「トララ!? 本当だったのかトラ!?」


 「ウッシーー!?!?」


 「バレるどころか、すぐにわかったッチュ!」


 「そう、僕は――【忍者】。……みんなには、ナイショにしててね?」


 「秘密にしてほしいなら……チューたちのお願い、一つ聞くッチュ」


 「(お、おぉ……上手く話を持ってかれたな。悪ノリしたとはいえ、もう引っ込みがつかない……。でもこのあたり、半径10キロ内には《モロシイタケ》がないのは【糸』で確認済みだし……まぁ、ちょうどいいか)」


 「うんっ! なんでも言うこと聞くよ♪」


 「ん? 今“なんでも”って言ったトラ?」


 「決まりッチュね! じゃあ、その巣の洞窟まで行くッチュ!」


 「りょ、了解ですっ!」


 「まさか本当にいるとは思わなかったトラ……!」


 「ウッシ、百人力ウッシ!」


 そして、四人は静かに沼の奥へと足を進めた。


 ――この先は魔物が頻繁に現れるエリア。

 会話を交わす余裕もなく、ただ耳と気配だけを頼りに進んでいく。


 「(……そういえば、泥だらけだったな。ちゃんと洗っておかないと)」


 アオイは内側で水魔法をこっそり発動させた。

 ぬるま湯のような魔力の水が肌を撫で、泥を静かに洗い流していく。


 ――チョロチョロ……チョロチョロ……


 「(……あぁもう……この音、まるでおしっこしてるみたいでやだぁ……)」


 自分の足元に落ちる水音に、アオイはそっと視線を伏せて頬を染めた。

 ローブ越しに体をかがめ、気配を殺すようにそろそろと歩く。


 その水音に、前を歩く三人の獣耳がピクリと反応したが――

 誰一人、振り返ることはなかった。


 「(……絶対聞こえてたよね。うぅ……恥ずかしっ……)」


 アオイはローブの裾をぎゅっと握りしめ、小さく歩幅を縮めながら、そろそろと進んでいた。


 「(よし、完了っと)」


 風魔法をそっと流して体と服を乾かすと元の通りぴかぴかに戻っていた。


 「(……はぁぁ、ほんと魔法って便利だよね。水洗いにドライヤー機能付き……もはやローブ内に洗濯機だよこれ)」


 ちょっとだけ得意げな気持ちを胸にしまいながら、再び前を追って歩いていく。


 が――


 「止まるっチュ!」


 ピタッと足が止まった。

 戦闘担当のチュー太郎が剣を抜き、全員を制止する。


 その視線の先には……石のような殻に覆われた体長二メートル超の魔物――

 鋭いカニのハサミを構えたヤドカリ型のモンスター【沼鋏】が、五匹も群れていた。


 「【沼鋏】の群れトラね……」


 「ウッシ、流石にこれは倒さないと先に進めないウッシ」


 もちろん、遠回りすれば無理に戦う必要はない。

 だが、ここで時間と体力を浪費すれば、かえってリスクが増す。

 アオイもそれを理解していた。


 「……わかりました。すみません、僕は隠れてますね」


 そっと岩陰に身を潜め、アオイは気配を消す。

 それを合図に、三人の仲間が武器を構え、風を切って駆け出していく。


 「さーって、やるッチュよ!」


 三人は同時に前方へ走り出した。これほどの敵なら連携すら不要――それぞれが自分の相手を選び、迷いなく突撃する。


 「トラララ! 一匹しか倒せなかった奴は、この後の処理を全部一人でするってのはどうトラ!」


 先陣を切ったトラ五郎が、沼鋏の一匹の足を掴み上げ、ハンマーを勢いよく叩きつけた。ぶちぶちと繊維の千切れる音がした後、ゴキリと鈍い骨音。ねじれた足を支点に崩れた沼鋏は、ガクガクと痙攣しながらその場に沈んだ。


 「そりゃあいいッチュね!」


 チュー太郎は抜刀の勢いのまま、沼鋏の突き出た黒光りする目玉を一閃で切り飛ばす。

 ポチャン、と水音。沼に落ちた目玉の直後、さらに突き立てた剣が甲羅を裂き、中からぬらりとした黄土色の液体――蟹ミソが、泡立ちながらどろりと溢れ出した。


 「ウッシ! その提案、のったウッシ! 【かまいたち】!」


 ウシ沢が放った魔法は緑色の三日月型の刃となり、風を巻き上げながら沼鋏の鋏の付け根を刈り取る。

 鋏の付け根からは粘り気のある赤黒い血液が噴き出し、沼を濁していく。


 だがそれだけでは終わらなかった。

 自壊を察知した沼鋏は、背中に背負った巨大な岩の中へ逃げ込もうとした――その瞬間、第二撃の【かまいたち】が中に飛び込み、内部を切り裂く。


 数秒後、甲羅の隙間からベチャッ……ジュル……と、臓器が崩れ落ちた。

 白濁した液体に染まった肝臓のような臓器が、ぐにゅりと潰れて泥と混ざる。

 甲羅の内側から響く、粘膜が剥がれるようなズルズルという音が耳に残った。


 アオイはその光景から視線を逸らし、岩に背を向け、震える指先をぎゅっと握る。


 「(見ちゃダメ……見たらまた……)」


 だが、次の瞬間――


 「チュ!? アオイ! 危ないッチュ!」


 「トラ!」


 「ウッシ!」


 背中に誰かの声。振り向いた時、アオイが隠れていた“岩”が、ゆっくりと動き出していた。


 ――それは、まだ気付かれていなかった【沼鋏】だったのだ。


 その巨大な殻が持ち上がる。

 のそのそと動き出す肢体に、泥の中からズルリと光る鋏が現れる。アオイの顔に、沼の水飛沫がかかる。


 とっさに【糸』を走らせ、関節という関節を締め上げて動きを止める。


 ――だが。


 「トラララ!」


 トラ五郎の咆哮とともに、鋏の先を狙ったハンマーが殻ごと沼鋏の身体を砕いた。

 石の塊のような破片が爆ぜ、鉄骨のような骨ごと足が千切れる。


 「ウッシ!」


 ウシ沢の【かまいたち】が追い打ちをかけ、剥き出しの腹を鋭く裂く。

 途端に腹部が割れ、ドロドロと血と脂とが混ざった液体が――


 「とどめッチュ!」


 チュー太郎の剣が一閃。


 甲殻を貫いた刃が、沼鋏を正面から縦に真っ二つに裂いた。


 その瞬間、腸が切れて沼にぶちまけられ、ぶら下がった肝臓が泥水に叩きつけられて弾け飛んだ。

 黒緑色の蟹ミソが空中に飛び散り、チュー太郎の腕にかかる。


 内臓がはみ出し、喉の奥から断末魔のような泡立つ鳴き声をあげ、沼鋏は痙攣しながら沼へ沈んでいった。


 「う……っ!」


 その全てを、アオイは見てしまった。


 ――パチンと何かが切れる音が、耳の奥でした。


 視界が揺れる。胃がひっくり返る。


 「はぁ……っ、ぐ……っ、ぉえっ……!」


 アオイは膝をつき、口を押さえ、そのまま泥の上に――嘔吐した。


 胃液と一緒に、今朝食べた硬いパンの欠片が喉を焼きながら逆流する。


 止まらない嗚咽。


 肩が震え、体がきしむように折れて、なおも吐き続ける。


 「うぅ……う……っ、ぐ、ぐぅ……っ」



 ここ最近、アオイが“負の感情”を感じ取れるようになり。

 それと同時にいくつかの――まるで【呪い』が解けたかの様に“気にしていなかった記憶”を意識するようになってしまった。


 その中のひとつ。

 それが原因で、アオイは“以前よりも”狩りの光景を直視できなくなっていた。


 ――あのトラウマの記憶。


 『あの時の記憶』……。















 【ヒロスケ】を――自分の手で殺してしまった、あの日の記憶。


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