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第387話 圧倒的力

 「貴様!」


 「……クルッポー」


 静かに詰め寄っていたヒロユキが、一気に跳躍し――

 鋭く伸びた足爪が魔王の背後から振り下ろされる。


 「……っ!」


 殺気に気づいた魔王は、とっさに身体をひねり、低く身を屈めて回避する。

 爪はわずかに黄金の鎧の端をかすめ、金属音を立てながら空を裂いた。


 魔王はそのまま横に跳ね退き、ヒロユキとの距離を取る。


 (……どういうことだ。なぜ、我にここまで近づけた……?)


 動揺が、魔王の心をざわつかせる。


 本来、魔眼の結界内――この空間において、

 敵が自分に近づくほど、重力と感覚干渉が強まる仕組みのはずだった。


 ましてや、すでにキールとヒロユキには、

 骨が砕けるほどの重圧を掛けていたはず。

 まるで人質に銃を突きつけていた相手が、それを無視して反撃してきたようなもの。


 ――にもかかわらず。


 ヒロユキは潰されることもなく、確かな意思で距離を詰め、

 そして攻撃に至っていた。


 「なぜだッ!」


 「………………」


 キールは答えない。

 例の液体――嘘を封じる真紅のドリンクの効力はまだ続いている、なのにどうして……


 無言のまま、ただ鋭く魔王を睨み返すキールの表情には、余裕すらあった。


 「……ならば――!」


 「……っ!?」


 魔王の瞳が赤く輝き、その視線がヒロユキのローブを捕らえる。

 次の瞬間――


 ヒロユキの身体に、尋常ではない重みが一気にのしかかる。

 たった一枚の布のはずが、まるで鉛の板のような重さへと変貌していた。


 「……ッ!」


 ヒロユキはローブの機能が失われたことを悟り、

 咄嗟に【気配遮断ローブ】を脱ぎ捨てる。


 布が床に落ちる音が、重苦しい沈黙の中で異様に大きく響いた。


 「……クルッポー」


 「どんな術かは知らぬが――我が魔眼を完全に遮れるわけではないようだな」


 「…………」


 「――ならば、容赦はしない」


 「っ……!」


 その一瞬は、本当に“瞬き”の刹那だった。


 魔王は一切の魔法を用いず、ただ身体一つでキールの目の前に移動し――

 鋭い拳で、真っ直ぐにキールの顔面を殴りつけた。


 「……っぐああッ!!」


 吹き飛んだキールの身体は、ピラミッドの石壁に叩きつけられ、

 その衝撃で壁面が崩れ、岩片が瓦礫となって周囲に散る。


 【目撃護】が発動していなければ、

 その衝撃だけで脳を揺さぶられ、内臓のいくつかは破裂していたことだろう。


 「能力を封じれば勝てるとでも思ったか?」


 魔王はその場に立ったまま、冷ややかに言い放つ。


 「そもそも、我と貴様たちでは“土俵”が違うのだ。……理解しやすく、肉体の性能で示してやったまで」


 キールは重い息を吐きながら、崩れた瓦礫の中から立ち上がる。


 「ふむ……鎧に傷はあれど、骨も砕けていない、身体は無事か」


 「…………っ」


 キールは【武器召喚】を発動させようとするが――

 作りかけの氷剣は、空気を圧縮されるように潰され、霧散する。


 「無駄だ」


 「……クルッポー!」


 その声とともに、背後から再びヒロユキが飛びかかる。


 しかし――


 「それも、無駄だと言ったはずだ」


 魔王は振り向きすらせず、流れるような回し蹴りを叩き込む。


 「――っ!!」


 ヒロユキの身体は吹き飛び、石壁へと叩きつけられる。


 その衝撃は【目撃護】の加護がなければ、

 首の骨が折れ、即死していてもおかしくないほどだった。


 「ふむ、騎士だけでなく、勇者もか……。なるほど、少数で挑んできた理由はこれか? その魔法、どうやらダメージを受けなくなるらしいが、多くの者に同時には施せまい。ならば、精鋭だけを選んで――戦争を仕掛けてきたというわけだな」


 まだ《嘘封じ》の時間内なのか、魔王は気持ちよさそうに一人で喋っている。

 余裕の表れ……だがそれは、キールにとっては“僥倖”だった。


 「……」


 魔王は現在、目撃護を5人全員にかけていると勘違いしている。


 キールは余計な言葉を控え、静かに体勢を整える。

 ――今、自分が最も警戒しているのは“他の仲間たち”に魔王の攻撃が及ぶこと。

 魔王がこちらの意図を誤解したままでいてくれることこそ、最大の利点だった。


 「はぁぁあっ!」


 「無駄だと言っているだろう」


 キールが一気に詰め寄り、拳を魔王の顔面へと叩き込もうとする――

 だが、魔王は軽く体をひねるだけで回避し、そのまま脚を振り上げる。


 「ぐっ!」


 キールの体が、天井へと吹き飛ぶ。

 次の瞬間、ヒロユキがすかさず魔王の足元を狙って踏み込んだが――


 「……遅い」


 魔王のかかと落としがヒロユキの頭部を叩きつけ、彼は顔から地面に激突する。


 どちらも【目撃護】がなければ、即死していた一撃だった。


 「まだだッ!」


 「ほう?」


 天井に蹴りを入れ、跳ね返る勢いで一気に魔王へと突進するキール。

 だが――


 「っ……!」


 「この程度か?」


 魔王はその場から跳躍する。魔法など使わず、純粋な脚力のみで――

 キールが飛び込んできた軌道上に入り込み、空中でその身体を掴み取った。


 「なっ――ぐっ!」


 魔王はそのまま、弧を描くようにキールを地面に投げつける。

 岩が砕け、空気が震える。


 「貴様のその力、確かに強力だ。認めよう……」


 魔王はゆっくりと着地し、キールを見下ろす。


 「だが、その力が永劫に続くことはないのだろう?」


 「っ……!」


 「そして貴様たちの目的は――我を殺すこと」


 ちら、とヒロユキへ目をやる。


 「そこの勇者は知っているだろうが……念のため、名乗っておいてやろう」


 両腕を大きく広げ、魔王は宣言した。




 「我こそが、【リブラ】の称号を持つ魔王――《メイト》」




 「冥土の土産に、その名を刻んで逝くがいい」




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