「ヒロユキ殿……?」
キールが目を離したのは――ほんの数秒。
だが、それだけで。
そこにいたはずの黒いベルドリは、跡形もなく――消えていた。
「……!」
最悪の予感が、キールの脳裏をよぎる。
慌ててメイトの死体へと視線を戻す。
だが――そこに変化はなかった。
血も流れず、首もない。
それでも――
キールの予感は、的中していた。
「何を確認している?」
その声は、空から――
キールが“いま最も聞きたくない声”だった。
「確かに。我は、一度――死んでいるぞ」
「馬鹿な……そんなはずは……!」
キールが空を仰ぐ。
そこに浮かんでいたのは――
黒い肌。
黄金の鎧。
黄金の槍。
犬の頭を持つ、まさしく――アヌビス神の姿。
「冥土の土産、と言ったな?
持っていったので――返しに来たぞ」
「……どういうことだ! ヒロユキ殿は、どうした!!」
「ふん、よかろう。騎士キールよ。
お前が我に“丁重に”教えてくれたように……今度は我が教えてやろう」
「くっ……!」
キールは反射的に短剣を抜いた――が。
カラン――
剣は、まるで“強力な磁力”に引かれるように、地面に叩きつけられた。
「……な、なんだ!? か、身体が……っ!」
信じられないことが起きていた。
本来、効かないはずの重力操作が――
キールの身体を、地面へと引きずり落とす。
短剣と同じく、そのまま地に伏す形で、うつ伏せに倒れ込んだ。
「さて――どこから話してほしい?」
声はゆっくりと近づいてくる。
「まずは、“お前がなぜ無防備な状態になっているのか”から、だな」
「……ッ!」
「我が、お前と戦っていたとき――
一度たりとも“魔皮紙”を使っていないこと、気づいていたぞ」
「お前は、使っていたとすれば……我に“見えないように”使っていたのだろう」
魔王メイト――いや、“アヌビスの神”は、空からゆっくりと降り立つ。
その足が、大地を踏む音が――キールの背に、冷たく響いた。
「単に――お前はその防御力と、生成できる剣に頼っているだけだと思っていたが……」
「……!」
「――最後の最後で、我の目の前で“使った”な? 魔皮紙を」
「……それが、何だというんだ」
「ククッ……!」
その笑いに、キールの背筋がゾクリと凍る。
「それを使った、ということは――お前自身、“可能性として”警戒していたということだ。
我が、いま重力をかけているのは……お前自身ではなく――」
「…………!」
「――お前が、大量に“隠し持っている”魔皮紙の方、だ」
「くそッ……!」
……完全に、読まれていた。
キールの【目撃護】は、自身と、その装備にしか適応されない。
鎧と身体だけが守られ、それ以外――“携帯品”には効果が及ばない。
だからこそ、キールは魔皮紙を見せず、悟らせず、
あくまで“偶然”や“装備”として扱うよう振る舞っていた。
――だが、それが逆に。
“悟らせまいとする動き”そのものが、
相手に“存在を確信させる”結果となっていた。
「……だが!」
キールは、必死に言葉を繋ぎながら状況打破を模索する。
「そうだとすれば――貴様のその能力にも、“穴”があるということだ!」
「フン。そこまでのネタバラシをするつもりはない。
死んだ後……あの勇者とじっくり考えるがいい」
「まさか……!」
「キール。お前が我と戦っている間――視線は、常に我の背後に向いていたな」
「ッ……!」
「察するに――その力は、“常に対象を視界に入れていなければ”ならないのだろう?」
「くそっ……!」
「だから、我は一度、“魔眼の力”を解いた。
お前を油断させるためにな。……ここまで言えば、分かるな?」
「……ククク。毒には驚かされたが、結局――それだけ」
「(何か……何か、ないか……!)」
「焦っているな」
「……!?」
「この身体こそが、我が本体。
さきほどの仮初の体とは、すべてが違う。
お前の“魂の揺れ”も、“動きの迷い”も――すべて、見えているぞ」
「ぐっ……この……!」
キールは全力で地を押し、立ち上がろうとする。
だが、動かない。びくともしない。
……もし、これが安物の鎧であれば。
魔皮紙の重さやキールの力で裂けて脱出できただろう。
だが、キールが着ていたのは――
グリード王国、最高級の鎧。
魔力にも圧にも屈しないそれが、いまや“牢獄”となっていた。
「では……最後だ」
「!?」
「――お前を、生き埋めにする」
「やめろ……!」
「どれほど強くとも、人間は食わねば死ぬ。
だが、自分で魔法を解いた瞬間、圧死する
少しの間だったが……人間との戦いも、悪くはなかった。――さらばだ」
魔王は、目に“紋章”を浮かべる。
次なる魔法の発動動作を始め――
……だが、魔王は油断していた。
今回はもう一人の【勇者』がいる!
「――超級奥義! 【零式拳砕】っ!!」
美しく澄んだ、女の声が響いた。
その瞬間――目にも止まらぬ速度で現れた金髪ネコミミ獣人が、魔王メイトを真正面から殴り飛ばす!!
「アオイさん!?」
「キールさん! 援護に来たよ!」
風を巻き、砂を砕き、空を割るように。
――彼女が来た。
もう一人の【勇者』が!