《アイ家》
「ふぅ……」
俺は一人、アイさんの家のドアの前に立ち、深く息を吐いた。
──あんな出て行き方しちゃったし、そりゃ気まずいよな。
「だけど、言ってられないよね……よし!」
軽く気合を入れて、ドアをノックする。トントンっと。
するとすぐに、アイさんが出てきた。
「いきなり出て行っちゃってごめんなさい。ただいま戻りました」
「ああ、大丈夫だ。それよりキング様は二階に移動させた。……ゆっくりと、あの“顔”に慣れるといい」
……ん? 顔?
「顔?」
「私も初めて見たときは、あの威圧感のある顔が怖かった。下手な魔物より怖いからな」
──あっ、なるほど。
俺が逃げたのは“キング偽物の顔が怖かったから”って思ってるんだ。
それはそれで……マズい。
このままだと、キング偽物から情報を引き出すのが難しくなる。
今のところ、“キングは確実に偽物”ってことだけは分かってる。
だったら、会話の中で必ずボロが出るはずなんだ。
……ここで距離を取られるのは困る。
「え、あ、はは……違うんですよ、あの、その……」
「?」
なんか適当な理由を……あ、そうだ。
「長旅で、ずっと過酷な環境にいたから……急に平和な日常を見て、懐かしくなっちゃって。つい」
「……わかる! わかるぞぉ!!」
「キング様!?」
「うえぇっ!?」
俺の言い訳を聞いていたのか、二階からキング偽物の声が響き、
次の瞬間──ドタドタと激しい足音と共に、ものすごい勢いで降りてくる。
「よくぞ帰ってきた! 我々“家族”は、誠心誠意もてなすぞ!」
そのまま、ものすごい勢いでハグされた。
……力が強すぎて、正直ちょっと痛い。
「は、はは……お手柔らかに……」
「キング様、苦しそうですよ。離してあげてください?」
「おっと、失礼した。つい周りが見えなくなってしまうタイプでな。名前は何と言うのだ?」
「アオイと言います。今後よろしくお願いしますね」
本当は……本物のキングさんに名乗りたかったな。
そんな想いが、一瞬だけ胸をよぎる。
「そう言えば、他の方は?」
……やっぱり聞かれるか。
ルカとムラサメさんには別行動を取ってもらって、村の情報を集めてもらっている。
一箇所に集まるより、散って動いたほうが怪しまれにくい……はず。
ここは上手くごまかさないと。
「あー、えっと……2人ともこの村の珍しい物に興味があるみたいで。しばらく見て回るって言ってました」
「確かに、私も来たばかりの時は見たこともない物ばかりで圧倒されたな。……わかった」
……ふぅ、なんとか誤魔化せた。
「だが夜の九時には帰ってくるように伝えておけ。そこから“仕事”だからな?」
「……仕事?」
「ああ、今から説明する。キング様、子供たちは任せます」
「分かった。俺も夜が楽しみだ。ガーハッハッハッハ!」
キング偽物は低く響く声で笑いながら、ドタドタと二階へ上がっていった。
「とりあえず、上がるといい」
「お邪魔します」
靴を脱いで、それを魔皮紙にしまい込む。
そしてリビングへ──
「とりあえず、これを飲むといい」
「これは……?」
出てきたのは、鮮やかすぎるピンクのドロッとした液体。
スライムか?ってくらいの粘度だ。見た目の時点でちょっとキツい。
「この辺りの木の実から取れる、甘いジュースだ」
「そ、そうですか……」
まぁ、住めば都っていうし、そのうち慣れるんだろうけど……
これ、ホントに飲まなきゃダメ?
「いただきます……ん、くっ」
ドロッと舌に絡みつくような触感のあと、喉につっかえるような重さ。
無理やり流し込んだそれは、例えるなら……とろみのついた○んにゃくゼリー。
「さて、仕事の話だが──先ほど見せたこれ」
アイさんが白い液体の入った小瓶を取り出す。
「はい」
「この村ではこれが通貨として使われる。だいたい、この一本で魔物の肉二キロ分だ」
「へぇ……この液体がねぇ」
破格なのかどうか分からないけど、たったこれだけで肉二キロってことは、かなり希少ってことなんだろう。
小瓶は俺の片手に収まるサイズ──50ccくらいか?
「ところで……君は、経験人数はどのくらいだ?」
「……は?」
「経験人数だ。その容姿で、初めてってことはないだろう?」
え、ちょ、は?? 何の話だ急に。
そりゃ“経験”って……そっちの!?
いやいやいや!バカか!? こっちは元男だぞ!?
記憶が消えてたらまだしも、普通に覚えてんだよ!?
ヤれるか!! ヤられるか!! 処女なめんな!!
「ゼロです!!」
「な、なんと……そ、そうなのか……」
「で、それが何か?」
──その直後だった。
アイさんが、ごく自然な口調で、平然と言った。
「この小瓶の中に入ってるのは──【精子】なんだ。」
…………………………………はい?